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ただひたすらに、その場を支配するのは沈黙。
脚を差しだし治療を受けるシルヴィアと、応急処置をする執事のスズ。腕を組んで立つベルナデッタと、ソファーの上で膝を抱え俯いたままのクラリッサ。
逃げ込んだ先であるベルナデッタの屋敷にある応接間。
窓という窓すべてのカーテンは閉められ、部屋の中央へと集まり、ただ時間が経つのを待つかのようであった。
この場で出来る事など何一つとして無い。
四人の中で辛うじて戦う術を持っているのは、多少の護身術を学んでいるスズとシルヴィアだけ。
そのシルヴィアも、今は脚を負傷し真っ当に歩く事すら困難な状態ではある。
もし万が一、追手がこの屋敷内へと入ってきたら。そう考えると、自然と恐怖に身を震わせる。
「ほ、ほら。うちの旦那も動いてくれているし、きっと大丈夫だって」
場の沈黙に耐え切れなくなったのか、それとも不安に襲われるクラリッサを元気づけようとしているのか。
ベルナデッタは務めて明るい様子を作り、場の緊張を緩めようとしているようであった。
「ベルナデッタ。俺は見た事ないんだけれど、グレゴールさんてかなり強いんだよな?」
「ええ、騎士団の人たちは、王都では右に出る者はないなんて言ってたりするわよ。あたしは直接見る機会は無いけれど、お世辞は差し引いても一応人並み以上の実力であるのは確かでしょうね」
シルヴィアのボソリボソリと呟くような問いに、ベルナデッタは確信をもって告げる。
基本的に命のやり取りなどという行為とは無縁に生きてきたシルヴィアには、自身の命を狙う者と助けに入ったジーナが、どれだけの実力を持つのか知る術は無い。
ただ加勢に向かったグレゴールも含めれば、有利となるであろうという想像はついていた。
「すまない……迷惑をかけた。俺が首を突っ込んだから起きたみたいだ」
「何を言ってるの。貴方は善かれと思ってしたんでしょ? 責任は誰にもないわよ」
狙われる理由は、追手の女が話した内容で理解していた。
それが酷く不条理な理由であったとしても、現実として巻き込まれてしまっている事実は消せない。
その結果としてシルヴィア自身は怪我を負い、クラリッサは強い恐怖を覚える破目になってしまっている。
ベルナデッタの慰める言葉を聞き、少しだけ気持ちを落ち着けたシルヴィアは、視線をソファーへと向ける。
そこには先ほどと変わらず膝を抱え、顔を埋めていたクラリッサ。
しかしその顔はシルヴィアの視線を感じたかのように上がり、視線が咬み合った。
その視線に、シルヴィアは心臓を跳ねさせる。
責めるような意志が込められたものではない。ただ目の奥で輝く鈍い色からは、正体の知れぬ存在を観察するかのようなものを感じさせた。
絡んだ視線から目を逸らすタイミングを逃し、シルヴィアは観念する。
その目は決して、最愛の妹へと向ける類のモノではない。
「貴女は……誰ですか」
か細く不安に震える声が、再び静まり返っていた応接間へと響く。
クラリッサにとっては、自身へと迫った生命への恐怖よりも、目の前に居る『妹であったモノ』に対し、より恐怖心を強く感じているようにも見えた。
これまで現実から目を背けるかのようにシルヴィアを妹と認識していたが、今ではそれも完全に失われているようではあった。
失われているというよりも、取り戻したと表すべきか。これまでもその兆候はありはしたが。
「……すみませんでした、ずっと貴女を騙し続けて。俺は今まで……ずっとカリーナさんのフリをし続けてきた」
そのシルヴィアが放った言葉に、グッと息を呑むかのように反応する。
既に認識していた事ではあるようだったが、改めて言葉として受け取るというのは、受け入れがたい現実を突きつけられる行為に他ならなかったようだ。
更に言葉を次ごうとするするシルヴィアを、静かに首を横に振って制止する。
「……わかってはいたんです、途中から。あまりにも貴女の仕草がカリーナとは違うから」
「そんなに妹さんとは違いましたか」
「ええ、全く」
そもそもにおいて、シルヴィアはカリーナについてほとんど知らない。
周囲の話によって大まかな人物像は掴んでいたが、それは断片的な嗜好などだ。
その実はほとんどを、クラリッサの幻覚や妄想による勘違いに依存していたといっていい。
「自分がカリーナさんではないと認識したのは、一緒に買い物に行った時から?」
「そうね……。あの子は占いが大好きだったのに、貴女はそれを無視して雑貨屋に走った」
やはり周囲から集める情報だけでは大きな漏れがあったようであった。
更にクラリッサがポツリポツリと呟くように語る内容は、シルヴィアが妹に成りすまして気持ちを落ち着かせるという計画そのものが、根本的な間違いであったのだと思わせる。
お茶の淹れ方。サンドイッチに入っていたトマトは好きだが胡瓜は好まないこと。
それら細々とした、カリーナとは異なる要素が積み重なり、クラリッサに現実を直視させていく結果に繋がったようではあった。
「それでも私は信じたかった。まだあの子が生きているって。毎日帰宅する私を出迎えてくれるって」
それを完膚なきまでに否定したのが、先ほど起こった襲撃であったようだった。
これまでとは大きく異なる、あまりにも暴力的な非日常。
自己の精神的な保身のために行っていた逃避ではあったが、流石に命の危機に直面もすれば、それも覚めざるをえなくなった。
「当然でしょう。だって私に残された最後の家族なんだから」
そこまで言って、クラリッサは再びうなだれ口を閉ざす。
涙は無い。しかしその姿は痛々しく、掛ける言葉を悩ませるものであった。
応接間を再度の沈黙が襲い、そこに居る四人は何も言葉を発しない。
下手な慰めや励ましは、ただクラリッサを傷付けてしまうだけに思えてしまい、シルヴィアは口を開くのが躊躇われていた。
どれだけの間その沈黙に晒されたのであろうか。
下がり続ける気温の中、火も使わず寒さに身を震わせながら。
重い空気の中でただひたすら耐えていた四人の耳に、扉を強く叩く音が届く。
方向は正面の入り口ではなく、ここへと逃げ込んできたシルヴィア等が入った裏口。
「……わたしが見て参ります」
おそらく追手の者であれば、扉をノックするという行為は取らない。
故にその主はベルナデッタの夫であるグレゴールであると予想される。
しかしその確証が得られないため、執事であるスズは懐から小さなナイフを取り出し、一言告げると裏口へと向かった。
「俺も行く」
「ちょっと、貴方そんな脚で……」
シルヴィアはベルナデッタの制止を抑え、自身の短剣を手にスズの後を追う。
もしもの場合は、スズ一人では危険であろうと判断して。
とはいえ元の実力が大したことない上に、負傷した状態の自身がどれだけ役に立てるか、それは当人にとっても疑問ではあった。
だがほんの十秒でも、数秒でもいい。時間が稼げればと考えた。
そもそもが狙われているのはシルヴィア自身ではあるのだが。
痛む脚を引きずり、裾の長い寝間着に動きを妨げられながらも、裏口の扉前でナイフを手にするスズの後ろへと待機する。
グレゴールが出てすぐしっかりと施錠し、簡単なバリケードを張った扉は未だ強く叩かれている。
緊張から喉を慣らし、扉の向こうへ立つ者へと警戒を向けると、その気配を察したのだろうか。
その主は声を出して自らの存在を知らせてきた。
「私だ。こちらは片がついた、そう警戒せずに開けてはくれぬか」
その声を聴き、ホッと胸を撫で下ろす。
それほど多くの回数聞いた声ではないので、まだ声色を真似た追手である可能性はある。
しかしそれも心配はないのであろう。
何度となく聞いているであろうスズが、警戒心を解いてバリケードを退かし始めていた。
ようやくバリケードを撤去し開けた扉の向こうには、冬の寒空の下で長く待たされ震えていたグレゴールの姿。
吐く息は白く、軽装のまま外で戦いを終えてきた姿は、傷を負っているようには見えない。
「申し訳ありません、旦那さま。つい警戒してしまいました」
「構わん。確かに寒空の下放置されたのは辛かったが、そのくらい警戒しても罰は当たるまい」
グレゴールは扉を開けたスズの言葉に、外で待たされたのを責めるでもなく答える。
そのままスズの背後に立つシルヴィアへと視線を向け、宥めるように告げた。
「シルヴィア嬢。不審の輩はこちらで対処した、とりあえずはご安心を」
「あの……もう一人の女性は?」
脅威が去ったというグレゴールの言葉に、一先ずの安堵。
しかしそれと同時にシルヴィアは、自身を助けてくれたジーナと思われる人物の安否もまた気にはなっていた。
「問題ありませんよ。多少の負傷はされたようですが、片がついて無事に帰られました。最後にはお仲間の方々も駆けつけて来られましたしね」
お仲間の方々という言葉に、シルヴィアの意識は反応する。
つまりはあの後、グレゴールとは別の人間が加勢に来たと言う事になる。
ジーナ一人であれば、シルヴィアの周囲をうろつく不審者の存在を気にし、コッソリと見張っていてくれたのだというのにも説明が付く。
しかし仲間が来たということは、それが組織だって行われたという証明に他ならなかった。
ジーナが軍属の人間である事を知るシルヴィアには、その仲間と言うのが、やはり軍に所属する者であると察するのは容易であった。
「それは……良かったです」
しかしこの場でそれをグレゴールに問うても、正確な答えが返ってくることはないであろう。
そう悟り、この場はとりあえず安堵の姿を示す事としていた。
「とりあえずお二人には、今晩うちに泊まっていっていただきます。朝になったら一緒に騎士団の詰所へ行って、事情を話してもらうことにはなりますが」
「わかりました。世話になります」
どちらにせよ、更に誰かが襲ってくるとも限らない。
この場は大人しくグレゴールの提案に従って、彼や騎士団の庇護下に入るのが無難なのだろう。
そう考え、シルヴィアは不満もなく了承した。




