04
陽も昇って間もない早朝。
一見の民家の前には、緊張の面持ちで立つシルヴィアの姿があった。
昨夜はベルナデッタの家に世話になり、食事とベッドを供された。
若干の緊張からあまりしっかりと眠れはしなかったが、それは仕方がないであろう。
ここからは自身を押し殺し、カリーナという役を演じることになるのだから。
ノックもせずに取っ手へと手をかけると鍵はかかっておらず、抵抗感なく開かれる。
一歩踏み込み意を決して「ただいま」と声を出すと、家の奥から小走りにパタパタという足音が聞こえてきた。
「おかえりカリーナ」
姿を現し、笑顔で迎えるクラリッサ。
その様子は、シルヴィアのことを未だ妹であると錯覚していることを疑わせない。
「あちら様に迷惑かけてない? 朝食は食べたの?」
「大丈夫だよ、迷惑はかけてない。それに……朝食は姉さんと一緒がいいから、食べずに帰っちゃった」
「食事を辞退したの? まったく……それはそれで失礼になるわよ。でもまあ――」
シルヴィアのした発言に一瞬顔を顰めたクラリッサであったが、直後にその表情を破顔させる。
とても嬉しそうな顔を浮かべ、穏やかな声で呟く。
「――朝くらいは一緒に食事しないとね」
そう言い愛おしそうに『カリーナ』の頭に手を置くクラリッサ。
クラリッサの穏やかな姿を見て、シルヴィアは胸が苦しくなるのを感じていた。
喜んでいるのだから良いだろうという考えもあるだろう。
だがこの不憫な娘を、酷く騙してしまっているという思いが、自身の心に重く圧し掛かっていく。
「さあ、実はカリーナが帰ってくるんじゃないかと思って、二人分の食事を用意したのよ。早く食べちゃいましょう! もう少ししたら姉さんはお店に出なくちゃいけないし」
「う……うん。楽しみ……」
嬉しそうに台所へと向かうクラリッサの姿に、シルヴィアはただ苦しげに返すことしかできなかった。
▽
朝食を終え、名残惜しそうに仕事へと向かうクラリッサを見送った後で、不器用ながらも食器の片づけや洗濯をこなす。
それらを全て片づけ終えてから、シルヴィアは再びベルナデッタ宅へと戻っていた。
食事中はクラリッサから引っ切り無しに話題を振られ、その度にどう誤魔化してよいものかを苦慮した。
気の重くなる様な真似ではあるが、すぐ嘘をつけるように気構えておかなければならないのであろう。
戻ったシルヴィアはソファーへと身体を投げ出す。
短い程度を過ごしたとは思えぬほどの、強い精神的な疲労感を感じずにはいられない。
「食事しただけなのに随分と憔悴してるわねぇ」
そう言ってベルナデッタは、ソファーで寝転がるシルヴィアに大きなブランケットをかけてた。
あまり前夜眠れていないことを知っているのであろう。
「少し仮眠でもとったら?」と告げる。
「それじゃあ……ゴメン、ちょっと寝させてもらう……」
「はいはい、お昼頃になったら起こすわね~」
宣言通り昼頃に起こされたシルヴィアは、そのまま昼食をご馳走になる。
しばらくはこういった生活パターンになるのであろう。
少しだけ唐辛子を効かせたスープをすする内に、寝起きで回らぬ頭も徐々に覚めていく。
「それで、どんな様子だったの? 彼女」
苦手なのであろうか、ベルナデッタはスープに浮かんだ葱をチマチマと端に避けながら問いかけた。
「相変わらずだな。こっちを完全に妹と勘違いしてる」
「そう……。やっぱり時間がかかるのかしらね」
そう言いベルナデッタは僅かに眉をしかめる。
経過が気になりながらも食べ足りないのであろうか、「おかわりお願い」とスズに向けて皿を差しだす。
皿の隅へと寄せられた葱は残ったままだ。
スズはそれを意に反さないのか、無表情のまま「かしこまりました」と皿を受け取ると厨房へと戻っていった。
その後ろ姿を見送り、シルヴィアはベルナデッタへと問いかける。
「カリーナさんを殺した犯人は、結局わからないままなんだっけ?」
「そうなのよ、正直こっちには科学捜査とかそんなのが有る訳じゃないしね。目撃者も居なかったからサッパリ」
「あっちと比較するのが間違ってるんだろうけど……それじゃ解決しない事件ばかりだろうな」
口に運んだパンを水で流し込んだベルナデッタは、少しだけ困ったような表情を浮かべる。
「こっちには魔法があるからさ。ある程度の事ならそれで出来ちゃうから、科学とか医療の類を発展させていこうって発想がないのよね」
「それで医者とかも居ないのか……」
「そうね、だから医術だけじゃなくて薬学とかも全然。よく露店とかで薬師ギルド製のが売ってるけど、効果があるんだか無いんだか。一応なにかに備えて持っておこうくらいな感じ?」
最初に出かけた時に見かけた薬売りの店でも、アウグストに効果はよくわからないと説明されたのであったか。
おかわりのスープを持って戻ってきたスズが「お待たせいたしました」と表情無く皿をテーブルに置く。
下げられた時に隅へと乗っていた葱はそのままだ。
そこからさらに最初の三倍以上の葱が皿へと盛られているのを見たベルナデッタから、「ヴぇ……」と蛙の潰れたような悲鳴が小さく聞こえる。
どうやらこちらの執事も仕える相手に対して容赦なく厳しいようであった。
クラリッサの家へと帰宅するまでの間は、可能な限りカリーナに関する情報を手に入れようと、ベルナデッタやスズから話を聞き続けた。
少しでもカリーナに成りきるのが良いのか悪いのか。
それは定かではないが、知っておいて損をすることはないであろう。
ただあまり成果を得られた訳ではなく、せいぜいがアップリケの付いたジャケットを好んで着ていたことや、トマトが好きであったらしいといった程度のものだ。
それでも情報なく手さぐりのままでいるよりはマシであろうか。
▽
そこからの数日は、昼にベルナデッタ宅で休憩と経過の説明をし、朝夕の食事と睡眠時間はクラリッサと共に過ごすという生活を送り続けた。
シルヴィアから見れば、クラリッサは妹の存在を疑っているようには見えない。
だが懸命に働き最愛の妹との生活を充実して過ごすその姿は、周囲の人々からしてもとても痛ましいものであった。
クラリッサは日頃からずっと妹の事を心配しているようで、常々何かしらの質問をぶつけたり、動作を観察しようとしている。
「ねえカリーナ。私が居ない間にお昼はちゃんと食べてる?」
「洗濯なら私がするからカリーナは座って休んでて」
「このスカーフ、カリーナに似合いそうだから買っちゃった。気に入ってくれるかな?」
「寒いんだから、寝る時はちゃんと毛布をかけないとダメだよ? カリーナはすぐ風邪ひいちゃうんだから」
万事がこの調子である。
生前のカリーナは身体の弱い娘であったため、過度に世話を焼こうとしているのだろうと周辺の住民たちは言う。
しかしそれを受ける当事者となっているシルヴィアは、それとは別の感想を抱くこととなった。
「依存……なんだろうな……」
確信を持って小さく呟く。
ほぼ間違いなく、これはある種の依存なのであろう。
カリーナがクラリッサに対して依存していたのではない、その逆だ。
クラリッサは、『私が世話を焼いてあげなければならない妹』という存在に依存していたのであろう、と。
それこそがクラリッサ自身にとっての存在理由であり、両親を亡くした後でも走り続けられた原動力でもあるようだった。
「厄介なもんだな……」
クラリッサに自覚させるのは、カリーナが既に居ないという現実だけではない。
妹への依存からも脱却させる必要性があるのだろうかと考えると、シルヴィアは頭が痛くなる想いがした。
それとも現実を直視すれば、自然と妹への依存からも脱却できるようになるのであろうか。
日々楽しそうに食事を作り会話を続けるクラリッサ。
その背中を見つめながら、そんな思いをシルヴィアは巡らせ続ける。
▽
寒風吹き付ける寒空の下、大通りはいつもと変わらぬ喧騒に包まれている。
この街における活気の中心となっているそこは、今日も多くの人たちによって賑わう。
冬の寒さにおいても、やはりそれは変わらぬようだ。
店へと立つ多くの人たちは、寒さを感じさせぬほどの白熱振りを見せながら、呼び込みや値切り交渉を行っていた。
そんな中を、シルヴィアはクラリッサと並んで歩く。
「姉さん! あれ見てよ」
「ちょっとカリーナ、そんなに走ると……」
クラリッサは妹の身を案じるあまり、妹をあまり外へと連れて行きたがらない。
それを承知の上で、外出を渋るクラリッサを説得し、外へと連れ出したのはシルヴィアだ。
普段ならこの時間は仕事へと出ているであろうクラリッサではあるが、経営する店のスタッフたちから、たまには休暇も必要だと言われたようだ。
朝食を片付け掃除をしていたところに帰宅してきた。
いつも通りにベルナデッタ宅へと行く前で良かった、とシルヴィアは思う。
これが帰宅した時に居なかったら、また大騒ぎを起こしていたかもしれない。
近所の住人たちの話では、クラリッサが経営する店のスタッフたちは既に事情を知り、協力してくれているそうであった。
「ほらこれ。この花瓶すごく良くない? 綺麗に花の絵が塗ってあるし」
「……そうね、確かに。でもだからってあんな急に走っちゃダメよ……?」
「わかってるって。今日は調子いいから大丈夫だよ」
別段シルヴィアは目の前にある花瓶が気になったから走った訳ではない。
占いやアクセサリーの店も目の前にはあったが、どこでもいい。
あくまでもこれは走るという行為をクラリッサへと見せ、健康さをアピールするためであった。
自分が傍に居てあげなくてはならない、身体の弱い妹という存在への依存から、なんとか脱却できないであろうかと考えた結果、辛うじて出てきた案の一つだ。
当人にとっては辛いことであろう。
だがシルヴィアに求められた役割は、彼女に夢を見させ続けることではない。
直接的に伝えるのではなく、自らの意思で現実へと向き合わせることであるため、このような選択をしたのだった。
それが効果を現すかは何とも言えぬものではあったが。
大通りを歩き続け、様々な店を見て周る。陶器に始まり服や靴、花などを扱う店々へと行く。
喉が渇いて果汁入りの水を買った店では、店主は会話から二人が姉妹であると悟ったようだった。
しかしその見た目……というよりも種族の違いから訝しんでいた様子に、シルヴィアは若干肝を冷やす。
言葉として出さずにいてくれたおかげで助かりはしたが。
妹の体調を案じているのであろう、休憩をさせたがっていたクラリッサの意向で、昼食を摂りに広場へと移動する。
あまり過度に心配をかけさせ続けるのも気が引けたため、丁度いいであろうと思い了承した。
「姉さんは何食べる?」
「何でもいいわよ。カリーナが好きなものを選んで、私もそれにするから」
選択や行動の動機にほとんどといっていいほど、妹という存在が絡んでくる。
その根は随分と深そうだ。
「それじゃあ……これは?」
「サンドイッチ? そうね、いいかも」
「じゃあ決まりだね。お姉さん、二つちょうだい」
屋台に立つ妙齢の女性へと声をかけ、台の上に並ぶ各種のサンドイッチを物色する。
「じゃあ……これとこれ下さい。あとそのジュースも2つ」
確かカリーナはトマトが好きであったはずであったと思いだし、シルヴィアはトマトと胡瓜の入ったものと、ハムを使ったものの2つを選ぶ。
寒い冬にトマトが使われていることに驚いたシルヴィアであったが、ハウス栽培のようなことがどこかで行われているのかもしれない。
この世界にビニールは存在しないであろうけれども。
「ありがとうございます。お包みしますか?」
「いえ、すぐ食べるので」
そう断り、代金を払って近くの席を確保した。
以前アウグストと来た時とは違い、今日は席が空いている。とはいえそれなりの人出ではあるのだが。
席に座ると、クラリッサが訝しげな表情を浮かべ向かいの席へと座る。
何かあったのであろうかと思っていると、
「ねえカリーナ、どうしてそれを選んだの……?」
「え? どうしてって……私がトマト好きなの姉さんも知ってるでしょ?」
「そう……そうよね」
何か失敗を犯したのであろうかと思うが、クラリッサはなにも言わずただシルヴィアを見つめるのみ。
その様子にどうしたのかと問いかけるも、「なんでもないわ」と返すのみであった。
▽
広場の椅子に座り談笑するシルヴィアとクラリッサから少し離れたテーブル。
そこで二人組の男女が向かい合い顔を寄せ合っていた。
一見すればただのカップル。
だがその様子は仲睦まじそうには見えない。
不穏な空気とまでは言わないものの、どこか刺々しい、他者からの干渉を受けたくはないといった気配を漂わせる。
「確かにお前が始末したんだったな」
「ああ……間違いない」
男の質問に対して女は断言する。
「だが妹を名乗る娘は居るか……種族は異なるようだが」
「その理由まではわからんよ。だが見られた娘と関係があるかもしれない。どうする、あいつも始末するか?」
「続けざまに近辺で人死にが出てはマズい。しばらくは様子を見るべきだ」
女の暴力的な提案に、男は首を横へと振る。
短い期間に特定人物の周辺で立て続けに死んでは、騎士団が本腰を入れてくる。
それに警戒してのことだった。
「しばらくは大人しくしていろ。必要ならばこちらから指示する」
その言葉に女は不承不承ながらも頷き、席から離れると人ごみに紛れていく。
後ろ姿を見送った男は、談笑を続けるシルヴィア等を横目で一瞥すると、同じく人混みへと溶けていった。