03
さほど広いわけではない、応接室の中央へと置かれたソファー。
注目をされているだけであって、なにも睨まれたり罵声を浴びせられているわけではない。
しかしそこに座らされ、ベルナデッタや周辺住人に囲まれての視線を集めるシルヴィアは、針のムシロになったような心境であった。
「それで、お嬢さんはどこの誰なんだい?」
恰幅の良い中年女性が問いかける。
事情を話す云々の前に、まずは身元を確認しておきたいのであろう。
「えっと、お……私はベルナデッタの知り合いで……」
「彼女に関しては私が身元を保証しますよ」
自身が間に入った方が話はスムーズに進むと考えたのか、ベルナデッタが横から口を挟む。
その方が助かる、とシルヴィアは感じた。
今の状況で、自分自身の立場をどう説明してよいものか決めあぐねていたのだ。
「クランドル夫人の知り合いだって? それじゃお嬢さんももしかしてお貴族様なのかい?」
「ええ……まあ一応は」
中年女性は意外そうな目を向けるが、それも当然であろう。
今のシルヴィアは街娘そのものといった恰好をしており、その服も使われ続けくたびれ始めた古着でしかない。
一般市民のイメージする貴族像とは、大きくかけ離れている。
「そいつは参ったねぇ……まさかお貴族様相手に頼むわけにもいかないし」
住民たちがいったいどういった意図でやって来たのか、シルヴィアは測りかねていた。
クラリッサと呼ばれていた娘に関することであろうというのは想像に難くない。
だが彼女に関して、何かを頼もうとしているのはわかるものの、どういった内容かまでは知れない。
「あの、それはどういう……?」
「シルヴィー。彼らはたぶん貴女にクラリッサの妹役を頼もうとしているのよ」
妹役と聞き、自身が妹に間違われていたのを思い出す。
つまりはそのまま、間違われた状態をでいて欲しいというこのなのであろうか。
「いったいどういう……? 正直事情がサッパリわからないんだけど」
偽らざる本音として、そう告げた。
どんな理由であるにせよ、事情を説明してもらわなければ返答のしようがない。
住民たちは少しだけ伏し目がちで言い辛そうにしていたため、ベルナデッタが説明を買って出た。
クラリッサと呼ばれた娘は、昨年に事故で両親を亡くし、妹と二人だけの生活を送っていたとのことであった。
クラリッサ自身は両親から継いだ事業を維持するために奮闘していたそうなのだが、妹は幼い頃から身体が弱く家からもあまり出られない。
その為事業を手伝うこともできず、日々忙しく走り回るクラリッサとは食事のときにしか会えない生活おくっていたという。
そんな関わりであっても、周辺住民たちには仲が良く、不自由ながらも幸せそうに見えていたそうであった。
しかしそんなある時、大切にしていた妹が珍しく一人で外出している時、不運にも通り魔に襲われ命を落とす。
帰宅する途中の道でクラリッサが見たのは、大勢の通行人に囲まれ、道の真ん中で夥しい血を流し息を引き取った妹の亡骸であった。
錯乱し周囲に助けを求めるクラリッサを、ベルナデッタ含む住民たちや司祭がなだめ、翌日葬儀が行われた。
だがそこから数日、クラリッサはずっとふさぎ込んだままであったという。
そうなるのも当然であろうと考え、住民たちは代わる代わる様子を見ていたのだが、数日後を境に急に元気を取り戻す。
どうしたのであろうかとコッソリと様子を見ると、クラリッサは自身しか居ない家の中で笑い声をあげながら壁に向かって話しかけたり、まるで生きているかのように妹の話を住民たちにするようになっていた。
「彼女には妹さんの姿が見えているのよ……きっと」
このままでは不憫であると思っていた住人たちは、どうにかカリーナの死を受け入れ現実へと向き合ってもらいたいと考えていた。
そんな折にシルヴィアが妹に間違われているのを見て、一様に感じたのだった。
これが良い切欠になってくれるのではと。
根拠のない淡い期待ではあるが、妹の幻を相手に明るく笑うクラリッサの姿を、住民たちは見るに堪えかねていた。
「カリーナさんはそんなに私に似てるのかな?」
「顔立ちはそこまで似ていないけれど……そうね、体格とか髪の長さは似てるかも」
妹と僅かしか共通する部分がないにも関わらず反応し、錯覚をしたのであろう。
クラリッサの妹への強い想いを感じるものがあった。
シルヴィアは元の世界で、母を亡くした時の父や兄の姿を思い出していた。
呆然と立ち尽くす父、母の亡骸にすがり泣き続ける兄。
まだ雄喜であった当時は幼かったものの、それはシルヴィアの記憶に鮮明に焼き付いている。
その頃弟は、まだ伝い歩きすらできぬ歳であった。
大人になってから父親と酒を飲み交わしていた時に、「お前たちが居たから立ち直れた」との言葉を伝えられ、胸を熱くした。
クラリッサは両親を失った悲しみを癒してくれていた妹さえも惨たらしく失ったのだ。
クラリッサの境遇を聞き、シルヴィアは自身の家族のことを思い出し静かに呟く。
「やります」
「……え?」
「妹さんの役……引き受けさせてください」
色よい返事など、はなから期待はしていなかったのであろう。
取り囲む住民たちは、皆揃って意外そうな反応を示した。
「いいの……? そんな簡単に引き受けて?」
予想だにせずあっさりと了承したためか、その意志を確認してくるベルナデッタ。
だが自らの家族を想い、僅かながらも他人事と感じなくなりつつあったシルヴィアの心はもう決まっている。
「ああ、やらせて欲しい」
「本当にいいんですかい……? お貴族様にそんなことさせちまって」
その立場を気にしているのであろう近隣住民は当惑していた。
彼らからしてみれば、その立場を知らなかったからこそお願いしようとしていたにすぎない。
物好きにも市街区に、しかも近所に住むベルナデッタと違い、目の前の小娘が自分たちとはほとんど関わりのない貴族であると知った段階で諦めていたのだ。
「はい、乗りかかった船ですし。放っておくのも気分のいいものではありませんから」
取り囲む住民たちを見回し、シルヴィアははっきりと告げる。
その決意は固まった。
「すまないね……見ず知らずの相手に」
シルヴィアはこれから先、数百年後にしか会えぬであろう家族に対して、胸を張れるものが欲しかったのかもしれない。
例えそれが、偽善や自己満足と言われかねないものであったとしても。
あるいはあちらの世界で見失いかけていた、自己の価値や存在意義を見出したかったか。
その選択に至った理由は、一つだけの心情によるものではなかったのかもしれない。
▽
「ではシルヴィア様。お屋敷への連絡と事情の説明、確かに賜りました」
「すみませんスズさん。お手数をおかけします」
いつ心配したクラリッサが様子を見に来るとも限らないため、とりあえず今日のところはベルナデッタの家で世話になることになる。
しかし屋敷の人間に無断で外泊をする訳にもいかないため、シルヴィアは伝言をスズに託すこととした。
以前の様に突然居なくなって、心配させる訳にもいかない。
そのついでに着替えのあれやこれやを持ってきてもらうというのも、一つの理由ではあるが。
話しは終わり、近隣の住民たちは既に帰宅している。
「しばらくは屋敷に帰れないかもね。もういっそのことうちの子になっちゃう?」
ベルナデッタの冗談に対し、苦笑いを浮かべ「勘弁してくださいよ」と返す。
「でも本当にありがとうね。……正直私たちもどうしていいかわからなかったから」
「いや、俺が少しでも力になれればいいんだけれど」
「引き受けてくれるだけでも十分よ。とりあえずは明日の朝からね、今夜はしっかり食べてゆっくり休んでいって。簡単なものしかできないけど、今夜は私が腕を振るうから」
そう言い振り返ると、ひらひらと手を振りながらベルナデッタは厨房へと向かう。
近所に住むこんなにも多くの人に、件の彼女は支えてもらえているのだと知り、これならばきっと立ち直ってくれるのではないだろうかと考える。
自身がその一助となれれば、そう一人応接間に残されたシルヴィアは、天井を見上げながら思っていた。




