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話の最中ずっとグダグダだった少尉ちゃんメイン回。
「それでは、今日からよろしくお願いします」
「ええ、よろしくお願いします。私などがご期待に沿えるような指導を出来るかはわかりませんが」
そう女と言葉を交わす相手の少女は、冬の寒空の下であるにも関わらず随分と軽装だ。
動き易さを重視しているのだろう、防寒をあまり考えていないその恰好は、見ている側まで寒くなるような気分にさせる。
「こちらこそ急に無理を言ってしまって、申し訳ありません」
「いいえ、構いませんよ。丁度休暇もいただきまして、暇を持て余していたところです。ああそうだ、私はジーナと申します」
女は前もって指定しておいた偽名の一つを名乗り、握手を求めて右手を差し出す。
「ジーナ先生ですね、よろしく。おれ……いや、私はシルヴィアです」
固く、手を握り返してくる。
その固くされた握手からは、冷たい手の音頭が伝わってくる。
ジーナと名乗った女は、眼前に立つエルフの少女を相手とし、戦いの術を教えなければならないのであった。
▽
「却下だ」
少尉がした申し出に対し、上官である少佐はハッキリと不許可の意向を告げる。
言葉を発してから、一瞬足りと迷うこともなく。
まるで前もって、少尉が言おうとしていることを予想していたかのように。
「……どうしてもダメでしょうか」
「当然だ。ヤツには悪いが、こんな事は日常茶飯事だ。お前を辞めさせるつもりは毛頭ないぞ」
上官である少佐は、少尉の申し出……退役の願いを受理するつもりはないようであった。
ヤツには悪いがと少佐は言った。
ということは少尉が退役を願う理由も察してはいるのであろう。
「軍曹の件は残念だった。確かにヤツは将来に期待をもてたし、正直目もかけていた」
「……はい」
「中尉も後悔していたよ、お前たち二人だけにせず、もう少し人を残して行けばよかったとな」
少尉の胸に、再び後悔の念が湧き起こる。
あの時に着地地点を誤らなければ、あるいはもう少し余剰に武器を持っていれば。
あるいは恐怖に支配されず動けていれば、軍曹はあのような行動を取らずに済んだのではないかと。
少佐の言う通り、数多い軍人たちの中でも、特に情報局に所属する者はどこで死ぬとも限らない。
これまでも幾度か同僚の死を看取り、あるいは告げられる事もなくその存在を消した者も居た。
少尉自身もそれなりに経験は長く、とうの昔に慣れていると思っていた。
「お前がこの話で悩んでるのは、他の連中もわかってはいたからな。辞めたいだなどと言い出したらすぐに却下しろと、局長からも指示を受けちゃいるんだ」
どうやら当人が考えていた以上に、少尉の心情は駄々漏れとなっていたようだ。
後輩の死にショックを受け、隠す事が出来ずにいる。
やはり自分にはこの役目は向いていないのではと、少尉は半ば気持ちを沈ませ始めた。
「そこでだ、お前さんに少々簡単な仕事を頼みたいんだよ」
「簡単な……仕事ですか?」
「そうだ、大尉からの依頼でな……。休暇も兼ねてやってこい」
休暇を兼ねてやれる程度の簡単な仕事を、大尉が人に依頼するというのはなかなかに意外であると感じた。
だがどちらにせよ行くしかないのだろう。
今のままでは碌に仕事へと手がつかないし、退役も受理してはもらえそうにない。
「了解しました。お受けいたします」
「よし、決まりだな。詳細は大尉自身に聞け」
「はい、では失礼いたします」
敬礼し退出しようとする少尉の背に、少佐から声がかかる。
「ああそうだ、言い忘れていた。お前は明日付けで中尉に昇進だ、これからも励めよ」
辞めるどころか昇進までさせられてしまう。
どうやら、局はこの女を逃がすつもりはないようであった。
▽
大尉に請われ、シルヴィアに護身術の指導を始めて三日目。
かつて自身が監視した対象に護身技術を指導する不思議な状況にも、徐々に慣れてきた。
シルヴィアと名乗る少女は、その見た目に反して口調や仕草が妙に男らしい点を除けば、言葉へと耳を傾け言われる通り実践しようとする素直な生徒であった。
だがその進捗状況はあまり芳しいとは言えない。
「まともに打ち合っても貴女の身体では弾き飛ばされるだけです。出来るだけ接触を避ける動きを心得なさい」
「は、はい!」
種族的な理由なのであろう、あまり体格には恵まれていないため、大きな武器は扱えない。
そのため今は、小振りなナイフに見立てて作った木剣を振り回している。
ジーナには、シルヴィアがそこまで武器の扱いに関する感覚が悪いとは思えない。
むしろ攻撃を受け流す技術や反応速度に関しては、そこそこの及第点を与えられるほど。
戦闘技術を齧った事もないにしては、三日でこれというのは驚異的な習得速度であると言える。
だがやはり種族的な要因が強いようで、圧倒的に筋力が足りず、瞬発力も低いのが難点であった。
「さあ、早く武器を拾いなさい。いざという時に手から武器が離れた時は最後も同然です」
若干、自身にも耳の痛い言葉を放つ。
ジーナの記憶に在るアッシュエルフの人々といえば、その手に持つのは楽器。
武器を手にしているのを見た記憶は、一度足りとて存在しない。
元々身体能力で言えば決して優位にあるとは言えない種であり、むしろその真価は魔力の高さにあるといっていい。
だが事前に大尉から聞いた話では、とある事情により碌に魔法も使えぬほどに魔力が低いとのことであった。
以前にアッサリと略取されてしまったのもその辺りが一因としてあるのだろう。
その事情に関しては詳しくは知らされていないが。
「牽制を入れたらもっと早く下がりなさい、それでは抑え込まれるだけですよ」
「すみません。もう一度お願いします!」
今シルヴィアに教えているのは、敵を倒すための術ではなく、敵から逃げる手段を模索するための戦い方であった。
どちらにせよシルヴィアの体力では、相手の息の根を止めるための戦い方には耐えられないであろう。
ならば自身の生存を第一に、逃走を前提とした護身を会得してもらうべきだろうというのが、ジーナと大尉の共通した見解であった。
「とりあえずいったん休憩にしましょう。お昼も近いですし、もう体力も限界に近いでしょう?」
その言葉にシルヴィアは外庭に敷かれた枯れた芝の上へと、荒い息をつきながら大の字で転がる。
やはり既に限界が近かったようであった。
新兵の訓練であればここからが本番なのだが、何せ相手は貴族のお嬢さん。
やはりこれ以上のシゴキは止めておいた方がよいであろう。
貴族のお嬢さんといえば、ジーナはその点も不思議に感じていた。
シルヴィアの性であるディールランドといえば、王国最南端の子爵家が治める小さな辺境領を指す。
シルヴィアがその家でどの程度の立ち位置にあるのかは知らないが、なぜ王都に居るのか。
エルフなので外見通りの年齢ではない可能性はあるが、このくらいの歳の頃ならば、他都市にある貴族向けの寄宿学校に通っていてもおかしくはない。
魔力をほとんど持たぬ点や、執拗に狙われていた件なども含めて謎の多い娘に思えていた。
「それにしてもこれは美味しいですね」
手にした小皿に盛られた肉団子を頬張りながら呟く。
休憩を始めたタイミングで、大尉が現れ昼食の入ったバスケットを置いていった。
それをあえて屋敷内に入らず、そのまま外で腰を下ろして食べている。
話を聞けば、この屋敷での食事はほとんど大尉の手によって作られているとのことであった。
意外な特技もあるものだと感心する。
ジーナなどは、野生の動植物を使っての野戦食くらいしか作れないというのに。
「そうなんですよね。おかげで外で食事しても満足できなくなって」
「外で……ですか?」
「ええ、たまに一人で市街区とかに遊びに行った時に屋台で。ほら、屋台が多い広場があるじゃないですか」
そう言いシルヴィアの笑顔が開く。
市街区のメインストリートに隣接する広場は、ジーナ自身も非番の時に度々利用する場所であった。
だが本来は貴族の娘が一人で出歩くような場所ではないはず。
その口ぶりからはそれを日常的に、平然と行っているであろう印象を受ける。
「そういえばジーナ先生は軍に居るんですよね?」
「ええ、そうですが……それがどうかしましたか?」
「いえ、単に収穫祭でどんな事をしてたのか聞いてみたくて。ちょっと今年は色々あって見れなかったので」
少しだけドキリとしたが、何のことはない、演習の様子を聞きたかっただけのようだ。
元々は演習の観覧に行っていた所を攫われたのだ、見れなかったことへの心残りがあって当然であろう。
「すみません、今年参加せずに別の仕事をしていたもので……」
「ああ、そうでしたか。それもそうですよね、全員が参加するわけはないか」
ジーナは適当な答えを返し、その場を誤魔化す。
一見して自身が攫われたことを気にしているような様子はない。
一切を気にしていないというのはあり得ないだろうし、大尉の話では記憶があやふやという訳ではない。
ではどうしてこうも平然としていられるだろうか。
駆け付けたジーナが見た時点でも、相応の重傷を負っていたはずであるのに。
「さて、一休みしましたし午後の訓練を再開しましょうか。午後はそうですね、ナイフばかりというのも芸がないので、気分転換も兼ねてクロスボウでも撃ってみますか? 使う機会はないでしょうけれど」
そう告げると、シルヴィアは目の色を変えて飛びつく。
やはりナイフでの護身術ばかりでは、飽きが生じていたようだ。
かといってクロスボウの扱いに興味を持つあたり、やはり貴族の少女らしくはない。
それから更に数日、予定していた最後の日までジーナはシルヴィアに対して訓練を行い続けた。
相変わらず、お世辞にも強くなったとは言い難いものの、有象無象の暴漢程度であるならば、隙を見て逃げる程度のものは仕込めたはずであった。
「今日までよく頑張りましたね。一応は今日で終了ですが、執事さんにお願いされましたので、また折をみて様子を窺いに来ます」
「わかりました、次の機会をお待ちしています。今日までありがとうございました」
そう言って、シルヴィアは深く頭を下げる。
ジーナは最終日に、大尉からまた時々様子を見てやって欲しいと頼まれていた。
たまに訓練をして欲しいという意味と、またトラブルに巻き込まれないよう見張って欲しいという二つの意味が含まれているようだ。
後者は数日前に、局へと顔を出した時に、正式な任務として命令を受けている。
シルヴィアを狙っていた教団は、司教の処刑によって実質解体状態になっている。
故に監視任務そのものは解除され、既に全ての構成員が撤収していた。
だがジーナだけは、その延長線上に当たる任務へと従事するようだ。
要請があった時のみの不定期ではあるが。
屋敷からの帰途で、ジーナはふとここまでのことを思いかえす。
考えてみれば、軍を退役しても他にやりたい事があるでもなく、他の世界で生きていく自分自身というのも想像がつかない。
であるならば、このまま軍に在籍し続けるというのが、一番無難な選択肢なのであろうと考える。
それに折角昇進したのだ、このまま上を目指してみるというのも悪くはないと思い直すことにした。
もっとも、これによってジーナ自身の婚期は大幅に遅れてしまいそうではあるのだが。
今章はこれで終了です。




