17
上街区にある屋敷へと送り届けられたシルヴィアは、そこからの数日を泥のように眠って過ごした。
昼頃に屋敷へと到着したシルヴィアは、すぐ自室へと戻りそのままベッドへと倒れ込む。
そして次に目を開けたのは、翌日の早朝。
随分と長く眠っていたものではあるが、それも致し方ないことであろう。
この世界での魔力を使った回復手段では、ある程度の傷は癒せても、精神や肉体の疲労感までは取り去ることはできないようだ。
屋敷の住人たちはそこまで事情を知ることもできず、送り届けたグレゴールの説明によって、初めて状況を理解したようであった。
目を覚ましたシルヴィアと、ひとしきり再開を喜び合った後は、疲労を考慮してか基本的にそっとしておく事にしたようだ。
時々トリシアがフィオネを連れて様子を見に来る以外は、部屋を訪れる者もない。
そこからさらに数日が経過し、肉体的な疲労感も多少は癒えてきていた。
そんな日の午前、シルヴィアは執事のブランドンから、外出する準備をするよう告げられた。
「どうして外へ……?」
「先日の一件に関連することで、是非に来てもらいたいと。外に馬車を待たせていますのでご支度を」
それだけを告げ着替えを置くと、ブランドンはそのまま退出していく。
いったい誰が呼び出したのかは定かでないが、シルヴィアは事情聴取でもされるのであろうかと考えた。
若干気乗りはしないが行くしかなかろうと、のたのたと着替えを済ませ、屋敷の玄関へ向けて歩いていく。
既に秋の収穫祭は終わり、季節は秋から冬へと移ろうとしている。
何処からか忍び込んだ空気が廊下を吹き抜け、その冷たさにシルヴィアは身を震わす。
これは敵わないと、肩にかけていただけの上着へと袖を通した。
外で待っていた一頭立ての簡素な馬車へと乗り込むと、同じく待っていたブランドンはそのまま御者台へ座り、手綱を握り緩やかな傾斜が続く石畳の道を走らせた。
「高宮区だっけか……行くのは初めてだな……」
「普段は用もないですからな。私も年に数回顔を出す程度です」
「そうか……。俺に何の用だろう」
先日の一件以降、すっかりシルヴィアの一人称は、俺へと戻ってしまっている。
だが受けた精神的なダメージや、疲労に対する気遣いであろうか。
執事は普段であれば口を酸っぱくして言い続けていたものを、ここ数日ばかりはしてこない。
「……私には判りかねますな」
「いや、ゴメン。別に聞こうとした訳じゃないんだ」
それで会話は途切れ、カタカタと馬車の木枠が振動する音だけが響く。
ブランドンはそこまで特別饒舌とは言えない人物であるだけに、目的地に着くまで会話が持たない。
気まずいという程ではないものの、馬車の上は沈黙が支配し、そのまま目的地までこれといった会話もなく進んでいった。
ようやく辿り着いた先は高宮区の奥、比較的王宮に近い場所に建つ大きな建造物であった。
そこへと入る門をくぐると広場のような場所があり、その場にはそこかしこに馬車が停められている。
こんなにも多くの馬車が来て、いったい何が行われるのであろうと訝しむシルヴィア。
疑問を抱えたまま馬車から降りると、ブランドンに促され、真正面に建つ大きな建物内へと入って行った。
「ようこそいらっしゃいました。ディールランド卿」
建物に入ってすぐ、目の前にメイドらしき娘が姿を現す。
一瞬かけられた言葉にシルヴィアが反応できずにいると、すぐ背後からブランドンの囁く声。
「シルヴィア様の家名です。お忘れですか?」
そうであった、あまり自身にも馴染みはないが、これはシルヴィアがこちらで得た貴族としての名であるのは間違いない。
若干慌てながらも、メイドへと適当に挨拶を返す。
目的の場所への案内を申し出たメイドの後ろを歩き進んでいくと、とある一室の前へと案内された。
部屋へと踏み込むと、目に映った光景はシルヴィアが想像していたのと大きく違う光景。
そこは劇場、あるいは闘技場と言っていい、巨大な空間であった。
部屋そのものは半個室と言える場所で、高い位置に設けられた劇場のボックス席と同じような作り。
縁へと歩み寄り覗き込むと、遥か下の床には、木材で組まれた小さな舞台状の物が据えられている。
その両端から上に伸びた太い木枠を繋ぐように、一本の梁が渡されており、シルヴィアはそれをどこかで見たという感覚を覚える。
しばしそれについて考えていると、不意に記憶を掘り起こすのに成功した。
過去にシルヴィアは何度か、映像やイラストといったもの見たことがある。
まさしくそれは、絞首台と呼ばれる物と同じ形状であった。
「本日行われますのは、貴族のご令嬢を攫い人質にし、国家転覆を目論んだ教団司教の絞首刑となっております。どうぞごゆっくりお楽しみ下さい」
メイドは淡々と語り一礼して退出していく。
その言葉にシルヴィアは混乱する。
ここで行われようとしているのが、自身を攫った司教の処刑であることは理解できた。
しかしその行われた罪が膨らまされ、覚えのないものとなっていたからだ。
あの男はただ自身の妄想に従い攫ったのであって、決して国家の転覆などというものを目論んでいた訳ではないのに。
そしてそれを楽しむとは、いったいどういうことであろうか。
立ち尽くし困惑するシルヴィアの耳に、ざわざわとした喧騒が聞こえてくる。
周囲を見遣れば、絞首台を臨む他のボックス席へと、徐々に人が入ってくるのが見えた。
その者たちは皆一様に白いシャツや上着を着ており、揃って愉快そうな顔をし、あるいは横柄な態度で次々に椅子へと腰かけていく。
「他の貴族たちですな」
「貴族……?」
ブランドンの言葉にオウム返しに問いかける。
その問いに目を合わすことなく、彼は冷めた目をしたまま頷くと、声を潜め答えを返す。
「この貴族たちにとっては、こういった公開処刑も余興の一つといった所なのでしょう。悪趣味極まりないことですが、先程の罪状が盛られていたのもそれを盛り上げるための演出の一つかと」
ブランドンの口から語られたその内容に、シルヴィアが眉をしかめる。
すると半分壁で仕切られた隣の部屋から、愉快そうな笑い声と会話が漏れ聞こえてきた。
『それにしても、公開処刑などここ数年なかったからな。久々に行うと聞いて楽しみで夜も寝られなんだわ』
『あらあらあなた、楽しみにしてる場合ですの? 約束した話は覚えていらして?』
『わかっておる。罪人がどれだけ持ちこたえられるかであろう? わしは一分と予想したがお前はどうだったかな』
『ワタクシは二分は耐えると予想しましたわ。もしワタクシが賭けに勝ったら、新しい宝石とドレスを仕立てていただきますわよ』
笑い声と共に交わされる会話の内容に愕然とする。
この貴族たちは処刑を楽しみにこの場所へ来て、賭け事の対象にまでしようとしているのだ。
よくよく耳を澄ましてみれば、そこかしこの部屋から似たような会話が聞こえてくる。
四方八方から聞こえてくるそのような会話に、シルヴィアは自身の心がざわつくのを感じずにはいられない。
「失礼いたします。お飲み物をお持ちいたしました」
先程のメイドが車輪の付いたワゴンを押し、飲み物を運んでくる。
お茶や果実を絞ったジュース、酒精まで様々な物が用意され、軽くつまめる軽食や菓子までもある。
完全に行楽や観劇を見るのと同じ感覚で行われるそれに、虫唾が走る。
「……結構だ」
「しかし――」
「要らないと言ったんだ!」
ビクリと身を竦め、剣幕に若干怯えながらメイドは下がっていく。
その様子に困ったかのように、ブランドンは背後から優しく呼ぶ。
「シルヴィア様」
「……わかってるよ。すまない、ちょっとイラ立っただけなんだ……」
「いえ、そうではなく。確かにこの様な場を興業の如くするのを、腹立たしく思われるお気持ちは理解できます。ですが今から処刑される者は、貴女様に酷く害を成した輩。……憎くはないのですか?」
振り返りブランドンを見ると、その目は感情の起伏少なく静かであった。
吸い込まれそうにも思えるその瞳を見つめ、ある所でやましさを感じたかの様に視線を逸らし、小さく呟くように言葉を重ねる。
「もちろん憎いさ、出来る事なら自分が手を下してやりたいくらいだ……。だが今はそれ以上に、ここの貴族連中が不愉快でしかたがない」
「……左様ですか」
「向こうとでは、常識が違うのも解ってる。きっとまだ元の世界での考え方に引きずられてるんだ……」
そこまで語った時点で、会場から大きな歓声が湧き起こる。
何事かと見下ろすと、絞首台へ向けて数人の男に囲まれた人物が歩いていくのが見えた。
少しだけ遠いが間違いはない、それはシルヴィアを攫った首謀者である司教だ。
大きな歓声に包まれながら絞首台にたどり着くと、そこで一斉に場内を沈黙が支配する。
その様子を見つめていると、唐突にどこからか一人の人物が、朗々と声を張り上げるのが聞こえた。
『我らが王国に仕える臣下たちよ、静聴せよ!』
声がしたであろう方向を見ると、ボックス状に作られた席の中でも最も大きいであろうそこに、三十代の半ば頃とみられる一人の男の姿。
全身に白の衣装とマントを纏い、首や腕、指には過剰とも言える貴金属と宝石を身に着けている。
その悪趣味な装飾によって飾られた風貌は細く神経質そうで、シルヴィアの目には蛇のように見えてならない。
「……あれは?」
「あちらは王国の王太子であらせられる、ジラルド・カノーヴァ殿下です」
怪訝な表情で問いかけるシルヴィアにブランドンは淡々と答えを返す。
王太子と呼ばれた人物を見る目は冷たく、あまり好ましく思っているようには見えない。
『下等な市民の分際で、高貴なる我らの眷属を穢そうとしたのだ。決して許されるものではない! これをもってして、我等清き血を持つ者との違いをわからせねばならぬのだ!』
続けられる演説を聞くにつれ、ブランドンの気持ちも理解できなくはないと思えてきた。。
朗々と捲し立てるその言葉は、市井に暮らす一般市民を見下す表現に満ち満ちており、その身に着けた意匠も含めて下品そのもの。
王太子と呼ばれたからには、次代の国王となる存在なのであろう。
だがこれが次の王かと考えると、シルヴィアはこの世界の未来が暗いものに思えてならなかった。
『諸君、久方ぶりの無礼講だ。この後には舞踏会も行われる、今宵は存分に楽しむがよい。ではこれより処刑を開始する!』
その言葉に、会場の貴族たちは大いに沸き上がった。
聞こえてきた会話や演説から想像するに、この国の貴族たちと例の王太子は似たような者なのであろう。
そう考えると、不愉快な思いを感じずにはいられない。
開始を宣言されると同時に、司教は絞首台へと登らされる。
その様子からは一切の抵抗をしようとする気配は無く、足取りも躊躇なく進む。
これから行われようとしている行為の全てを、受け入れようとしているかのようであった。
絞首台へと登りきると、処刑場全体から貴族たちによる『殺せ、殺せ』との叫び声が木霊し、異様なムードへと支配されていく。
首へと縄をかけられた司教は瞼を開け全体を見回すと、何かを見つけ、とある一点へ視線を止めた。
その視線の先、シルヴィアの姿を認識した司教は恍惚の表情を浮かべ、縛られた両手を伸ばし掠れた声で叫ぶ。
「嗚呼……! 我が神よ! 今こそ私は貴女の恩寵を賜――」
その叫びを遮るかのように足元が開き、司教はその身を落下させていく。
伸びきった縄がピンと張り、首一つで全体重を支える司教の身体からは、動きが見られない。
落ちた衝撃で首の骨を折ったのか、苦しむことなく絶命したようであった。
苦しむ様子もなく死を迎えた司教の姿に、ある貴族は不満の声を上げ、ある貴族は面白くなさそうに退出していく。
壁向こうの席からは婦人のヒステリックな金切り声が響き、男が豪快に笑う声が聞こえる。
「終わったようですな」
「そうだな……」
「お気持ちは……晴れましたかな?」
ブランドンの問い掛けには答えず、ただ俯くのみ。
「この後は舞踏会だと言っておられましたが……参加なさいますか?」
「……冗談じゃない」
「でしょうね。では私は断りを入れに行って参りますので、ここで少々お待ちを」
そう告げ、ブランドンは何処かへと向かう。
処刑場からは既にほぼ全てと言ってよい程の貴族たちが去り、残されたシルヴィアは変わらず吊り下げられたままの司教を眺める。
その死に顔は遠目からでも、笑みを湛えているように見えるのは気のせいであろうか。
最後の瞬間、司教はシルヴィアのことを、自身の信じる神の姿と混在しているように見て取れた。
「もうちょっとくらい……苦しんで死んでもいいじゃないか」
表情もなく小さく呟き、自身が周りの貴族たちと同じような発言をしている事実に、嫌悪感を抱く。
眼下に映る司教の目は、ジッと見開かれたまま、シルヴィアを見つめた時と同じ色を保ち続けていた。