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「いい加減に話してはいただけませんでしょうか?」



 騎士団が廃教会内へと攻め入り、事態が泥沼とかしている頃。

 シルヴィアに対する尋問という名の暴行は再開されていた。

 ただ徐々にではあるが、司教も本当に知らないと認識し始めているのか、手を出す頻度は減りつつある。

 たんに痛めつけても吐かないと捉えたのかもしれない。

 だが迫りくる騎士たちに焦ってであろうか、多少苛立ちの気配は漂わせ始めていた。



「何度も言ってるだろ……知らないもんは答えられない」



 シルヴィアは荒い息を吐きながら答える。

 身体の痛みは耐えがたいほどに強くなり、既に左の腕などは全く動かせず、垂れ下がったままだ。

 今の状態であれば、振るわれる暴力から身を庇う事すらできない。



「そうですか……残念です。私の勘違いだったのでしょう、貴女は本当に何も知らないようだ」



 おやとシルヴィアは思う。

 あれほどまでに執着していた司教が、アッサリと諦めようとしていることが信じられなかった。

 最初からずっと異常性を表に出し続けてきた男だ。

 その思考回路などは読めないまでも、急激に関心をなくしたかのような態度には、若干の違和感を感じさせる。



「貴女が神の器となるというのも、きっと何かの間違いなのでしょう……。聖水も効果がなかったようですし、貴女は我らの信じる神の僕ではないようだ。つまり……」



 司教の赤い瞳が怪しく、そして狂気を湛えて光る。

 その様子に、シルヴィアは次がれる言葉を待つまでもなく戦慄した。

 紡がれるであろう言葉は、おそらく決して良い結果へと繋がるものではないのであろう。



「つまりお前は、我らの神を愚弄しようという異教徒共の手先なのだ! 我らを騙そうと近づいたに違いない!」



 解ってはいたのだ、この男が正常な思考など持ち合わせてはいないことを。

 自ら妄想した神託に基づいて攫っておいて、騙そうと近づいただなどと。

 真っ当な精神を備えた人間であれば、決してありえない理屈だ。

 だがこの状況は酷くマズい。

 これまでは教団にとって有益な存在として生かされていたのが、今度は敵として認識されてしまった。



「嗚呼……我が神よ。なぜ教えては下さらなかったのですか、このような悪が潜んでいたと!」



 そう訴えるように叫びながら、身動きとれぬシルヴィアへと近づく。

 すると両の腕を伸ばしてシルヴィアの細い首を掴み、高く持ち上げ締めあげ始めた。

 碌な抵抗もできぬシルヴィアは、吊り上げられた身体を弱々しく暴れさせ、動く右腕を振り回し振りほどこうとする。

 しかし司教はそれを意に介さず、興奮した様子で締め続ける。



「私は邪な異教徒を断罪するのだ! 死ね! 死ね! 私の神はそれを望んでいる!!」



 狂気し首を締め上げる司教の声が、シルヴィアの霞み行く思考に響く。

 その徐々に薄れていく意識の中で、シルヴィアは自身の家族を思い出す。

 このまま死ねば、最愛の家族と久しぶりの再会ができるのだろうか。

 先に還った唯香のように、家族との関わりを元に戻す努力が、今の自身にできるであろうか。

 そう思うと同時に、まだそれらに向き合うだけの覚悟ができていない自分に気が付き、酷く恐ろしくなった。

 怖いのは死そのものではない。

 その先に在る、故郷へと向き合うのが恐ろしい、まだ還りたくはないと。



 霞む視界の中、自身の首を絞め続ける司教の姿を正面へと捉えると、シルヴィアは残る力を振り絞り、思い切り右足を振り上げた。

 鈍る触覚の中でも右足へと伝わる、グシャリという感触。

 首にかかる力が緩められ、シルヴィアの身体が床へと落ちる。



「グ……ウォォオオォォ!!」



 呻るようなくぐもった悲鳴を聞きながら、せき込み酸素を取り込む。

 瞼を開けると、シルヴィアの眼前には前屈したまま床に倒れ、身体を痙攣させる司教の姿。


 その姿に一糸報いてやったという思いが湧き起こるが、それも直後に現れたモノによって塗り替えられる。

 元々赤い目を尚血走らせ、フラリと立ち上がる司教。

 その手に握られているのは、凶悪に反り返った一振りのナイフ。



「貴様……ただでは殺さんぞ……」



 覚束ぬ足取りでジワリジワリと迫る司教の姿に、シルヴィアは若干の後悔を覚える。

 あのまま首を絞められていた方が、まだ楽に死ねたであろうかと。


 司教は眼の前に立ち、ナイフを振り上げる。

 その腕が振り下ろされる瞬間を覚悟し、司教の姿を瞳に映したまま身を強張らせていたシルヴィアであったが、どうにも様子がおかしいことに気が付く。

 見れば振り下ろされるはずのナイフは司教の手に無く、代わりに握っていたはずの手には深々と一筋の線が刺さり、壁へと縫い付けられていた。



「……あ? なん……だこれは?」



 その唐突な状況に司教自身も呆気にとられているのであろう。

 蹴り上げた部分の痛みが勝っているのかは定かではないが、手に受けた痛みすらも判らぬ風であった。


 壁へと縫い付ける一筋の線。

 刺さった矢の元を辿り視線を向かわせると、部屋の入口には他の信者たちと同じく、濃紺のローブを纏う腰の曲がった老人が立っていた。

 老人がローブの下から携えるクロスボウはどこで手に入れたのか、騎士たちが使うのと全く同じ物。



「な……なにを……」



 自らが使うはずである、信者の恰好をした老人から放たれた凶刃に、動揺の色を隠せぬ司教。

 その司教の姿を捉え、老人は腰の曲がった身体であることを感じさせぬ動きで瞬く間に肉薄すると、拳を司教の脇腹や顎へと叩きつけた。


 それにより意識を失ったのであろう、司教は壁に縫い付けられた手から垂れ下がるように崩れ落ちる。

 司教が気絶したのを確認すると、老人は倒れたシルヴィアへとしわがれた声で「ご無事ですかな?」と問いかけた。



「お……俺は……」



 答えようとするが、突然に事態に上手く言葉で表せない。

 そうしていると腰の曲がった老人はゆっくりと近づき、その体形には少々不釣り合いながっしりとした手で、シルヴィアの身体を数か所触り怪我の状況を見る。

 時折痛みに顔を歪めると、懐から小さな丸薬状の物を取り出し飲むように告げた。

 先程飲まされた得体の知れない液体の事が脳裏をよぎり、拒みたくはなるが「ただの痛み止めですよ」と言われ渋々ながら承諾し飲み下す。



「俺は助かったのか? あんたはいったい……」



 老人に対しシルヴィアがそう問い掛けるも、柔和な笑顔を向けられるだけで答えは返ってこない。

 眼前の老人がいったい何者であるかを測りかねていると、部屋へと新たに二人の人物が入ってくるのが見えた。

 その二人は老人と同じく、信者たちと同じ格好をしている。

 その顔は目深にかぶったフードによって定かでないが、中年の男性と妙齢の女性であろうと察す。

 男の方は軽く老人へ目配せをすると、頷き気絶したままの司教を縛り上げそのまま肩に担いで連れ去って行った。

 この三人が、同じ目的を持って行動する仲間であるというのは、疑いようはない。



「申し訳ないが、我々の役目はここまでだ。もう少しだけ辛抱していただきたい、下に騎士団が来ているから治療してくれるはずだ」



 老人はそれだけ告げると、呼び止めるシルヴィアの声にも反応せずそのまま扉から去って行った。

 暗い小さな部屋へと一人残され、どこか現実離れした今の状況に、やはりこれは夢であるのではないかという疑念を抱く。

 それと同時に飲んだ痛み止めの影響であろうか、シルヴィアは猛烈な睡魔に襲われ、今度こそ意識を手放していった。





 礼拝堂の床一面に広がるのは、夥しい量の流血。

 そして騎士たちによって積み上げられた、無数の骸。

 これらが混在し異臭を放つ礼拝堂で、グレゴールは一人長椅子へと腰かけ目頭を押さえていた。


 教会の外で倒れている者たちは、生きているからまだいい。

 ひとまず連行した後で直接事情を聴きだし、裁きにかければよいのだから。

 だが礼拝堂内に転がる骸は物言わぬため、騎士たちが持ち物から身元の手掛かりになるものを得ようと探っている。

 転がる亡骸の数は軽く四十を超えるであろう。

 それを正確に数えたいなどと、グレゴール自身は思わなかったが。


 老人から少年まで、いったいどれだけの血が流れたのかを考えると憂鬱になる。

 職務上致し方なかったとはいえ、眼前に広がる光景に、グレゴールは多大なストレスを感じていた。



 ため息をつくグレゴールの側へと、自身の副官であるオッターヴィオが近づいてくるのに気付き、視線を向ける。

 やれやれとウンザリした素振りを見せながら呟いく。



「状況報告を」


「はい。まずは略取された少女ですが、礼拝堂横に建てられた塔の最上部で監禁されていました。現在は意識を失っていますが、暴行を受けた痕跡があるため治癒師が治療を行っております」



 攫った理由は今のところ定かではないが、一先ず生存していたことに安堵する。

 受けた恐怖は想像を絶するものであっただろうが、とりあえずは命があっただけよしとしなければならない。



「教団戦力ですが、教会外での戦闘では全員を拘束、死者はありません。教会内に関しては、残念ながら拘束者は皆無でした。首謀者と思われる司教は姿がありません。……おそらくは既に軍によって拘束、連行されたものと思われます」



 グレゴールも僅かながら、自分たちとは別に軍が動いているという予想はしていた。

 犬猿の仲とまではいかないものの、あまり友好的とは言えない両者だ。

 自分たちのやってきたであろう役割を、騎士団に押し付けるのを良しとはしないであろう。

 それに騎士団が侵入したのとは反対側の森の中で、戦闘の痕跡があったとの報告を受けている。

 おそらくは軍の諜報を担う部隊によるものであろうと、グレゴールは半ば確信をもって考えていた。



「次にこちらの被害状況ですが、軽度の負傷はほぼ全員と言ってもいいでしょう。重傷者が五名出ましたが、こちらも命に別状はありません。現在治癒師の治療を受けています。それと……」


「どうした?」


「……コンスタンツォとモニカの二名が、戦勝報告のため一足先に故郷へと帰りました」


「そうか……ご苦労だった。その二人には休暇と褒美を与えてやれ」



 オッターヴィオは一礼し、他の騎士たちを指揮するために戻っていく。

 その背を見送り、グレゴールは騎士団からの引退という誘惑に流されかけていた。


 部下も育ってきているし、なにより自身の子供と触れ合う時間も欲しい。

 目の前にある陰惨な光景と比較するまでもなく、家族と過ごす時間のなんと魅力的なことか。

 とはいえ高齢となった騎士団長からは、グレゴールを自分の後釜にと公言されているため、それは叶わぬ望みであるかもしれない。


 もう少しすれば夜も明ける。

 関わった多くの者たちにとって、決して良い意味ではなく記憶に刻まれた一夜となった。

 徐々に太陽の昇る足音を感じさせる空には、血の臭いを嗅ぎつけたであろう、猛禽類の甲高い鳴き声が響いていた。

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