08
少佐は自身の小さな執務室で、苛立ちを隠せずにいた。
灰皿には吸い続ける煙草の灰が山となっている。
「まだか……いったいいつまで待たせるつもりだっ!」
新しく一本の煙草へと、蝋燭で火を点け悪態をつく。
副長のカミッロをやり過ごし、局長へと報告。
すぐさま事態を理解した局長と共に、軍の上層部へと向かったまでは良かったのだ。
演習への参加で、多くの幹部たちが高宮区を離れ演習場へ行っていたため、そちらへ出向かなくてはならなかったがそれは仕方がない。
あくまでもタイミングが悪かっただけだ。
しかし上層部に掛け合う為に、幹部たちが待機する天幕へ乗り込んでからがいただけない。
演習中を理由に救出のための部隊はやれないと言い張り、大事にならないかもしれないだろうと、事なかれを通そうとした。
ならば騎士団に要請をという進言にも、やはり難色を示される。
軍幹部である貴族たちは、毎年予算を取り合う間柄である騎士団に借りを作りたくはないのであろう。
少佐は軍の上層部へと巣くう、平和ボケした貴族たちに憤りを感じたが、今は一刻の猶予もない。
そこで少佐と共に乗り込んだ局長は、彼らに対してとあるカードを切った。
軍情報局の活動範囲は広く、その中には軍内外における高官や貴族の素行、不正調査も含まれている。
その結果得られた情報は、基本的には綱紀粛正に活用されるが、あえて報告せず手元に置いたままにされるモノも存在した。
それらの多くは、表ざたになれば役職や貴族位からの追放といった処分に発展するものばかり。
場合によっては、物理的に首を落とされかねないような内容さえも含まれる。
報告せず握り続けているのは、いざという時に切り札として使うためであった。
難色を示す上層部に対して切ったカードは、その内の一つ。
明確に示した訳ではない、ただ不正の証拠を握っているということを、密かに匂わせただけ。
これ以上反対するのであれば、これを公にするが良いのか? というメッセージを込めて。
数人に対してそれを行うと、なにやらよからぬ気配を察知したのであろう。
他の上層部貴族たちも口数が少なくなっていく様は痛快であった、と少佐は思いだす。
そうして最低限、騎士団への援助要請を承諾させたのであるが、この時点であれば少佐は今ほどに苛立つことはなかったであろう。
「どこのどいつだ、こんな二度手間になるような仕組みを作りやがったのは!」
煙草の煙を吐き出しながらも器用に怒鳴る。
軍上層部の次に立ちはだかった壁、それは内務府であった。
軍と異なり、騎士団は内務府の管轄下に置かれているため、騎士団への要請を行うにはそこを通さなくてはならない。
半年前にも起きた対象の略取時には、内務府や騎士団のトップも現場に居たため話は早かった。
だが今回はそうもいかない。
煩わしい手続きと根回しをせねばならず、軍上層部の場合と同じく、いくらかのカードを持っている局長も手こずっているのか、会議室にこもってからなかなか出ては来ない。
今はただ増える煙草の吸殻と苛立ちを友として、局長が出てくるのを待つ以外にはなかった。
「少佐……あまり吸われてはお身体に……」
そうだ、共に待っているのは吸殻だけではなかったかと少佐は思い出す。
一連の状況を知る軍曹も一緒であった。
「こんな因果な商売だ、煙草くらいやらせてくれ」
「しかし……」
「歳をとると丸くなるだなどと言うがあれは嘘だな。わしは年々苛立ちが治まらなくなる。こいつはその解消法だよ」
そう言って愛用の紙巻きたばこを掲げる。
この世界の化学では、ニコチンや常習性が云々といったことまで解明されている訳ではない。
ただ健康にはよろしくないであろうという認識は、多少なりとも有りはするが。
「まったく腹立たしいことだ。裏切り者も、上層部の貴族も、援助を頼むのに上を通さねばならん仕組みも全て」
小さく呟く声には力がこもる。
局長から聞いた話では、以前にも似たような事例があったとのことであった。
軍と騎士団の垣根無く協力しなければならない事態に、今と同じような障害があり初動が遅れ、惨事が広がったことがあると。
その当時は局長も少佐も産まれる前であったため、僅かな記録に残るだけではあったが。
「局長には悪いが、わしは今回の件が片付いたら退役するぞ。やってられん、のんびり釣りでもして余生を送ってやる」
「はあ……そうですか……」
少佐の発言に、軍曹は弱ったとばかりに顔をしかめる。
最近同僚とした世間話で、彼がこの話をもう十年近く繰り返していることを聞いていたからであろう。
「少佐」
不意に部屋に響いた声に反応し少佐が振り返ると、ノックもなく一人の女が部屋へと入り、こちらへ向かってくる。
誰かと思えば、犯行を行った集団を尾行していたはずの女であった。
必要な情報を収集して戻ってきたのであろう。
「戻ったか少尉。首尾は?」
「はい、実行犯はやはり教団でした。現在王都外縁東部の森に在ります、廃教会に潜伏。対象もそちらに監禁されています」
「東部の森か……丘からそこまでは見晴らしのよい草原であろう。よく尾行できたな」
「助力をしていただけましたので」
誰か他に携わっていたいたであろうかと思い、「誰だ」と少佐は問う。
「大尉です」
その返答に、少佐は納得した様子で頷く。
ただ一言、階級でのみ表された人物ではあったが、そのような真似をする者など一人しかいない。
というよりも、ただ一人しか不可能であろう。
それならば確かだとばかりに、少佐は多少安堵した様子で再び煙草へと手を伸ばす
「そういえば、今はやつが彼らの担当であったな。少尉を信頼していない訳ではないが、やつが加勢しているのであれば確実だ。まだ現場にいるのか?」
「はい。現在教団の監視と対象の位置を把握されようと動いておられます」
「救出時の侵入ルートと敵戦力量は?」
「確認済みです。すぐに地図と概要を作成いたします」
すぐに取り掛かるよう伝えると、少尉と呼ばれた女は一礼し、素早く退出していく。
良くできた部下だ、と少佐は思う。
まだ比較的若いが、そろそろ中尉へと昇進させるため局長に進言してもよいであろうか。
いや待て、あいつはまだ独身だったはずだ。あまり早く昇進させて仕事に打ち込みすぎても……などと考える。
チラリと横に目をやれば、特徴らしい特徴のない外見をした、中肉中背の軍曹が立つ。
これといって高い身体能力を持つこともないが、これもまた情報局の構成員として見ると優秀な男であると少佐は考えていた。
今はまだ軍曹の位だが、すぐに上に立つようになるだろう。
少佐を始めとして、情報局の主だった構成員たちは、横に立つ若い軍曹に並々ならぬ期待をしていた。
「お前は少尉をどう思う」
「少尉は私の目標です。常に冷静で、周囲を欺くための演技も自然そのもの。局の構成員として、素晴らしい実力をお持ちかと」
少尉の存在は、この若者にきっと良い影響を与えているであろうと思い問う。
だが少佐は、少尉はあれで案外激情家な側面があるのだがな……と思った。
後輩たちの前では、それなりに上手くその気性を隠しているのであろう。
気晴らしだ、少しだけからかってやろうと悪戯心が湧き起こる。
「どうだ? お前があいつを嫁にもらっては。夫婦揃って活動するのも面白いやもしれぬぞ」
少佐はこの若い軍曹が狼狽える様を期待したが、想像していた以上に反応は芳しくない。
「先ほど夫婦役を演じながら尾行をした際に、少尉から似たようなからかわれ方をされました。この程度で狼狽えるなとも」
どうやら先を越されていたようだ。
少佐はしまったと、無念さを表に出す。
「少尉にまで出し抜かれてしまったか。腹立たしいことがまた増えてしまったぞ」
「それはまた……」
腹立たしいと口にこそする少佐ではあるが、その実内心は平静だ。
むしろ育っていく若手たちに、密かな満足感を覚える。
多少なりと気を落ち着け始めた少佐であったが、その耳に待ちかねた音が届く。
軽いノックが鳴らされ、返事をする間もなく扉が開かれる。
扉へと振り返った少佐は、その姿を確認するとすぐさま敬礼の姿勢を取った。
局長が戻ってきたのだ。
早足で部屋へと入り込んだその人物は、敬礼する少佐と軍曹を前にし、朗々と言い放つ。
「内務府と騎士団は了承した。だが全てを人任せにも出来まい、我らも出るぞ」