07
いったいどれだけの距離を走っていたのか。
それを知ることは叶わないが、馬車はいずこかに停止し、犯人たちは若干慌ただしさを増す。
ここが目的地なのであろうか。
とはいえ掛かった時間はそう長いものではなく、精々が一時間と経ってはいない程度。
馬車で走っていたとはいえ、それだけの時間では街からそう遠くは離れていないはず。
誰でもいい、自分が居なくなっていることを、誰かが異常として察してくれればと、シルヴィアは考えた。
馬車の後ろから降ろされ、暗がりに慣れた眼を眩しさに細める。
徐々に明るさに慣れていく目で周囲を見回すと、シルヴィアの周りには鬱蒼とした木々。
そこはどうやら森の中であるようで、辺りには犯人たち以外、他に人影も見当たらない。
上を見上げてみれば、木々の隙間を射すように照り付ける太陽は、丁度真上へと差し掛かろうとしている。
「歩け」
懐に武器を隠し持っているであろう、目つきの鋭い男の短い一言。
それに促され、シルヴィアは木々の林立する方向へ向けて歩かされる。
その先は鬱蒼と茂る森によって、一瞬行き止まりであるかのように見えたが、よく見れば獣道のように慣らされた場所が見えた。
犯人たちはシルヴィアを前後から挟み込むように、一列になってそこを通り抜けていく。
今が逃げ出す機会であろうかと思いはするが、この身は余りにも脆弱であり、平均的な人の身体能力にすら遠く及ばない。
とてもではないが、森の中を駆け回り逃げ出すなど不可能であった。
そのひ弱な身体をシルヴィアは恨めしく思う。
獣道をほんの数分ほど進むと、唐突に視界の先が開ける。
森の中にぽっかりと空いた、開放感のある空間。
そこに在ったのは、外壁の剥がれ始めているほどに古く寂れてこそいるものの、小さな塔が付いたそれなりには大きな教会であった。
集団に囲まれたまま一直線に、一見して廃墟と思われる教会へと向かう。
錆びついた蝶番の軋む嫌な音を立て、正面の扉が開かれ中へと連れ込まれる。
真昼間であるというのに、窓という窓の全てにはカーテンが引かれ、あるいは木板が打ちつけられ外から光は入らない。
そのため中は薄暗く、所々に灯る蝋燭の弱い光が、広い礼拝堂内を照らしていた。
礼拝堂に並べられた長椅子には、獣道を通ってようやく辿り着くような、ボロボロな教会とは不釣り合いな程に多くの人々。
数十人は居るであろうか、その種族や年齢、性別も多岐にわたる。
人種にエルフ、オークや竜種。
それらが一様に長椅子に座り、あるいは立ったまま一番奥にある祭壇へ向けて熱心に祈りを捧げていた。
信者と思わしき者たちは、全員揃って濃紺のローブを纏う。
その光景を眺めていたシルヴィアであったが、軽く背中を押されて礼拝堂の中央を進む。
だが様子に反応を示す者はない。
誰も彼もが頭垂れた状態で手を組み、何がしかの言葉を延々と唱え続けている。
シルヴィアや連れ去った集団の存在をないものとして扱っているのか、それとも祈りに熱心で気付きもしないのか。
どちらかはわからないものの、そこに集う数十人全員がその状態であることに、何とも得体の知れぬ恐ろしさを抱く。
祭壇を通り過ぎ、壁際にある小さな扉を潜らされると、目の前には階段が現れる。
後ろからは、鋭い目をした男だけが着いてくる。
それ以外の者はそこで役割を終えたのか、扉の前に待機しているようであった。
これは外から見えた塔なのであろうか、石壁に囲まれた狭い螺旋階段を登る
いったい連れて行かれた先に何が待っているのか、そう問い掛けたいところではあるが、シルヴィアは相変わらず猿轡をはめられたままで、あり声を出すことすらままならない。
階段を登りきった先に在る小部屋へと押し込められると、そこには椅子が二脚向かい合って置かれていた。
一瞬よくわからなかったが、薄暗い部屋へと溶け込むように、椅子の一方には中年と思われる男が座っている。
礼拝堂に居た信者たちが着ている物と同じ、濃紺のローブを身に纏っているため、暗い部屋で顔だけが浮かび上がっているように見え気味が悪い。
「司教様、お連れいたしました」
背後の男は、その気味の悪い人物に対し司教と呼ぶ。
その言葉にシルヴィアは、この男が自身を攫うよう指示した人物であるのだと知る。
「ご苦労だったね。もう下がってよい」
「しかし……」
「構わんよ。この方は私を害すような真似はされまい」
そう告げられ、不承不承ではあるが一応は納得したのか、一礼し小部屋から退出していく。
部屋に残されたシルヴィアが男と対峙し緊張していると、司教は「とりあえずお座り下さい」と言いながら、後ろ手に縛られた縄と猿轡を解いた。
司教はそのまま壁によると、木窓を開けて光と新鮮な空気を取り込む。
ようやく動きが自由になり、シルヴィアは固まった身体をほぐすように腕を回す。
警戒しながらも椅子へと腰かけ、司教と呼ばれたを睨みつけた。
「ああ……どうされたのです。そのような顔をされて」
「どうしたかだって? 人を攫っておいてよくそんな口を利けるもんだな」
いったい何を考えているのか、とても誘拐犯の語る言葉とは思えない。
仮にも自身は貴族であり、身代金でも要求するのであろうかと考える。
しかしそうであるならば、わざわざ集団のトップと思わしき存在が、相手と一対一の状況になろうとするであろうか。
シルヴィアにはどうしても、身代金の要求など、そういった意図をもって連れ去ったようには思えなかった。
「攫ったなどと人聞きの悪い……。私たちはただ共に、敬虔な信徒たる貴女を俗世からお救いしたいのです」
「なにを言って……」
「これでようやく我等教団の願いが叶う時が来るのです。喜ばしいことではありませんか、貴女もその身に神を宿すという至高の栄誉を賜るのですから」
眼前で恍惚とする男が何を言っているのか、シルヴィアには理解ができなかった。
教団の願いと言っているところからして、つい先ほどアウグストから説明をされた、教団と呼ばれる団体が彼らの正体なのであろう。
だが神を宿すとはどういうことなのか。
その意図するところはわからないが、シルヴィアは酷く嫌な予感がしてならない。
それは目の前に座る男が、意味不明な言葉を誇らしげに朗々と語る様に、異常性を感じたからであろうか。
「前回は悪辣なる者たちによって妨害され、お連れするのに失敗しましたが、今回はそうはいきません。私たちがこうして一つの悲願の下、出会えたことを共に喜ぼうではありませんか」
「前回だと……? どういうことだ」
悪辣だなどと、お前たちがよく言うものだとシルヴィアは思った。
前回というのが何を指すのか、それに心当たりはない。
だがどうせ碌でもないことであろうというのはわかる。
言葉の意味を問い質すと、司教と呼ばれた男は自らの行為やこれまでの経緯をひたすら言葉に継ぎ続けた。
教団が信仰する真の神から、神の魂を宿すための肉体を手に入れよと、司教は神託を受けたのだと言う。
そんな折、熱心な信者の一人から、異界より召喚した魂を宿すエルフの少女に関する話がもたらされた。
この肉体こそが自身の信じる神が求めるものであると確信した司教は、手勢を使い奪還を試みるも失敗。
警戒され長く監視下に置かれていたが、情報をもたらした敬虔な信徒の協力によって、その状態から脱し、今回再びシルヴィアの略取を行ったということであった。
「ですが大司教は、神のためにした私の行為をたいそうお怒りになられまして」
「当然だ、やってるのは人さらいなんだからな……っ」
「ですがその者も既におりません。神のご意志により、私が天誅を下しましたので」
シルヴィアの言葉など、はなから聞いていないのであろうか。
司教は淡々と、とんでもないことを口走る。
その言葉に、シルヴィアは背筋が寒くなるのを感じずにはいられなかった。
おそらくは殺害されたのであろう。
「不幸な出来事でした」と言う司教の声色からは、罪悪感や後悔の色は見えない。
この男にとってそれは、当然の選択であったようだ。
存在も定かでない神からの神託を受けたという点や、行為を咎めた者を簡単に手に掛けたことからして、この男がいわゆる異常者や狂信者と呼ばれる存在であるのは間違いない。
直感などに頼る必要性はなく、この人物の近くに居るのが危険であるのは明らかだ。
「ですが残念ながら私は知らないのです。どうすれば貴女の肉体を一切傷付けることなく、無事に神を宿すことができるのか……」
「そんなことも調べずにやってんのかよ……」
「ですので今から直接、貴女にお聞きしようかと思いまして」
やっている事は滅茶苦茶なのだろう。
考えに根拠がなく、その手段も知らない状態で事に及ぼうとしているのだから。
それをする自身を疑問にも思わない辺りからしても、その異常性が垣間見える。
「悪いが俺は知らないよ。どうしても知りたいなら俺を呼び出した連中に聞けばいいだろ!」
男口調になり、一人称が俺へと戻るのもお構いなしに捲し立てる。
しかし司教は困った顔をするばかり。
「それは弱りましたね。それをした人たちの情報は、私には入ってきていないのです。いったいどうしたものか……」
立ち上がり悩む素振りを見せながら、司教はただ部屋をうろうろと歩き回る。
しばらくそれを続けていると、思い付いたように「そうだ」と言い、椅子に座るシルヴィアの正面へと移動し見下ろした。
「……なんだ?」
司教はシルヴィアの問いにニコリと笑みを浮かべると、ただ黙って右腕を天井へと掲げた。
いったい何をと思う間もなく、その右腕は振り下ろされ、シルヴィアの左頬を激しく打ち付ける。
その衝撃により、頭から床へと倒れ込む。
激しい痛みにシルヴィアが顔を押えると、その手には口の端から滲んだ血。
殴られた拍子に、口の中を切ったようであった。
「こうすれば良いのですね。神の器となる貴方であれば、方法を知っているに違いありません。ですので喋るまで痛めつければいい。嗚呼……実に名案です」
恍惚とした表情で床に倒れ込むシルヴィアに近寄り、司教はその腹部を蹴り上げる。
激しい痛みにのたうち、悲鳴さえも上げられない。
やはりこの男は異常であった。
知らないと言うシルヴィアの言葉を、嘘であると判断したのかもしれない。
だが肉体を傷付けることなく宿すと言っていたにも関わらず、取った行動は暴力による尋問、或いは拷問と呼ばれる手段。
それを疑問にすら思わぬ思考や、名案だと言い切る言葉や表情。
その全てが恐ろしく思えてならなかった。
この時、シルヴィアは過去に経験したことのない程の狂気と恐怖を知ることとなった。




