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06


 幌によって日光の遮断された、暗い馬車の中。

 シルヴィアは猿轡をされ口の利けぬまま、何処かへと連れて行かれようとしていた。


 だが不幸中の幸いと言ってよいものかどうか、身体の自由も聞かず口すら利けないものの、目隠しはされていない。

 馬車の中が暗いが、次第に目も慣れていき、犯人たちの顔も徐々に判別できるようになっていく。


 シルヴィアを除けば、馬車の荷台に座るのは三人。

 女が一人に、男が二人。

 シルヴィアを略取したその集団は、その間一言も声を発することはなく、その行先も目的も何一つとして判別しない。

 馬車の外から聞こえる喧騒によって、まだ祭りの会場内を移動しているであろうことは察しが付く。


 絶え間なく身体へと伝わる馬車の振動が焦燥感を煽り、シルヴィアの脳裏へと、一瞬の隙をついて逃げ出すという選択肢がよぎる。

 しかし自身横に座る男の懐……その奥に、鈍い銀色の輝きが見て取れたため、その選択肢は放棄した。

 確認した訳ではないものの、それが凶器の類であろうことは想像に難くない。

 シルヴィアを攫う動機は定かではないが、もしもその目的を達するために生死は問わないのであったとすれば……。

 その決して在り得なくはないと思える可能性に、シルヴィアの背筋は凍えた。

 今はとりあえず、大人しくしておくしかないのであろう。



 しばし馬車が走ると、外からは人々の喧騒に混じり、複数の角笛の音が聞こえた。

 それに呼応してか、周囲からは割れんばかりの歓声が巻き起こる。



「今年も始まったな」



 シルヴィアの向かいへと座る男が、緊張を解いた様子で隣に座る女へと話しかける。

 ここまでで初めて聞いた、誘拐犯たちの声。

 その問いかけに対し、言葉を掛けられた女は残念そうな表情をして答える。



「毎年楽しみにしてたんだけどね。まぁしょうがないさね、司教様の命令じゃそっちを優先するしかない」


「お前はいいよな、家族の理解があるんだから。俺なんて嫁さんに文句を言われっぱなしさ」



 小声で会話を始める犯人たちではあるが、その内容は普通の世間話そのもの。

 人ひとりを略取するという行動を取った者たちにしては、随分とのんびりしたものであった。

 彼等の目的はわからないものの、話からすれば司教という存在に命令されて行為に及んでいるのであろう。

 司教という言葉からして、関わっているのは宗教組織。

 教会の関係者か、それとも……。



「黙れ」



 シルヴィアの隣に座る男から、低く圧のこもった声が放たれ、馬車の中は再び静まり返る。

 話をしていた男女は顔を見合わせ、罰の悪そうに俯いた。

 隣に座る男は、この中ではリーダー格なのであろうか。


 外の騒がしさとは対照的に、再度沈黙が支配する馬車の中は、どこか現実的な空気を感じられない。

 シルヴィアは密かに、これが嫌な夢であればいいのにという想いを抱く。

 だが猿轡による痛みは、これが否定しようのない現実であると突き付けるかのよう。


 沈黙を保ったまま馬車は揺れ、次第に外の喧騒も収まっていく。

 いや、収まったのではない。馬車が人の群れから離れていっているのだ。

 馬車の揺れ方からして、舗装された道を走っているのではないと想像はつく。

 いったいどこへ連れていかれようとしているのか、行く先の見えない不安が、シルヴィアの精神を押しつぶさんと迫りつつあった。





 年配の男は報告をした部下の男と共に、通路を早足で歩いていた。

 今しがた戻ってきた部下である軍曹から告げられた内容を、自らの上官へと伝えるために。



「やはり動きおったか……」



 その年配の男、軍の情報局において少佐と呼ばれる、現場指揮の人を任される男は、案の定と言わんばかりに溢す。

 副長が発した疑惑の命令から数日、いつかは来るだろうと思っていた。

 しかし祭りの最終日、最も人の多い中で実行に移すような真似をするとは。

 いや、最も人が多い時だからこそであろうか。



「畜生が。まんまとワシらを出しぬいたつもりか」



 少佐は歯噛みし悪態をつく。

 監視に使える人数の少なさが悔やまれた。

 決して部下たちの能力による問題ではない、副長の目を欺くために、少ない人数しか使えなかったのだ。

 本来であればもっと多く……少なくとも倍の人数で、一重二重の監視を行うはずであったというのに。


 護衛対象である存在が最初に奪取され、直後にそれを奪還してから約半年。

 その間、実行したと思わしき勢力には、何も動きがなかった。

 だが副長の命令によって監視体制が解除され、十日もせぬうちにこれだ。

 間違いないと見て良いのだろう、対象の略取に副長と呼ばれる者が深く関わっていると。

 だが今のところは確固たる証拠がない。

 それも含めて、至急局長と対策を協議しなければならないのであろう。



 少佐は報告を持ってきた軍曹を連れ、情報局のトップである局長の執務室へと向かおうと歩を早めていると、視線の先にある通路の角から一つの人影が姿を現す。

 その姿を確認するや否や、少佐は声に出さぬまま舌打ちをした。

 姿を見紛うはずもない、件の副長だ。



「おやおや少佐。急いだ様子だがどこへ行くのかね?」



 でっぷりと太ったおよそ軍人とは思えぬその男は、体形の割には小柄な身体を反らせ、無理に下眼遣いで少佐を眺める。

 明確な地位や生まれの違いによって、相手を見下そうとする態度。

 身分を笠に着て威圧しようとするその所作に、少佐は虫唾が走るのを感じた。

 それは軍曹も同じであり、こちらも顔にこそ出さぬものの、直立し後ろに組み握られた拳へとそれは表れている。



「急いでいるだなど、とんでもございません。今はこれといった問題も起きてはおりません故」



 長年培われた演技力を発揮し、少佐は顔へと笑顔を貼り付ける。

 この程度の偽装は、情報局に所属する者であれば誰であろうと容易に出来るものであった。

 眼前に立つ者のように、碌すっぽ訓練さえ受けた経験のない素人には、到底見破れるはずのないものだ。



「本当かね? ……よもや私に隠れて、善からぬことを企んでいるのではあるまいな」


「滅相もありません。カミッロ副長から隠れて何かをしようだなどと」



 白々しい、よくもその口から善からぬことなどといった言葉を出せるものだと思いはするが、今バレては何がしかの証拠隠滅や逃亡を計られる恐れがある。

 可能な限りカミッロと呼ばれた男の機嫌を損ねぬよう、注意しながらおべっかを使い、少佐はこの場を乗り切ろうとした。

 このような下種に構っている暇はない、事態は一刻の猶予を争うのだ。



「ときに少佐」


「なんでありましょう」


「私が下した……あの命令はどうなっておる」


「あの命令と申しますと……?」


「数日前に出した撤収命令のことだ」



 証拠とはなりえないが、これで確定であると少佐は感じた。

 今の時点で急にそれを気にし、問いただそうとするあたり、自らが関与していると言ったも同然だ。

 やはりこの男は情報局どころか、軍において役職を与えて良い人物ではない。

 三流以下だな……と思いながら、内に抱えた怒りを誤魔化す。



「はい、ご命令通りすべての要員を撤収。事後の処理も万事滞りなく」



 カミッロは「ならば良い」と呟くと、道を開けろと言わんばかりにふんぞり返りながら、来た道とは反対の方向へと去って行った。

 少佐らが局長へと、その件で報告しに行こうとしている可能性を考えもしないのであろうか。

 そういった点も含めて、あの男は小物なのであろう。

 だが……。



「あのような男に振り回されるなど忌々しい」



 少佐の呟く言葉に、軍曹は静かに頷いた。

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