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05


 警護対象の監視を続ける男女は、貴族や高官専用の観覧区域へと辿り着く。

 彼女ら自身は貴族でも高官でもないが、軍の情報局はその活動用に、いくつかの偽造された役職を保有している。

 一旦合流した二人はその証明を提示し、これといった警戒をされることもなく侵入を果たしていた。


 この偽造役職のうちいくつかは、副長には知らされていない。

 保有する全てを知るのは、情報局の最高位に立つ局長のみ。

 今回はその局長直々に指示が下され、秘匿されていた役職の証明を預かった。




「それにしても、どうしてヤツはあのような命令をしたのでしょうか」


「今のところは何とも言えない。何者かの利益となるのやもしれぬし、あるいは"彼女"を害そうとする何がしかの理由がある可能性も」



 二人は腕を組み、並んで歩きながら小さく言葉を交わす。

 今二人に設定されている役どころは、内務府高官の息女とその夫。

 男女で組んで行動するのに、夫婦というカモフラージュはうってつけであったための役であった。


 会話に出たヤツというのは、数日前に監視任務を行う者たちへと命令を下した、副長と呼ばれる貴族のことであろう。

 確認したところ、下された撤収命令は局長によって発されたものではなく、副長が独断で行ったものであると判明した。

 それでも問いたださず、今の時点では監視を継続するに留めている。

 それはその真意を確認すると共に、上手くすれば今後副長という役職から、貴族を追い出せるのではという目論みもあってのことであった。


 女たちの上官である局長曰く。今は泳がせておけ、と。


 本来ならばもう少し増援が欲しいところではあったが、今回は内部に副長という危険物を抱えている。

 あまり目立つことを避けたいがために、ここ数日と同様二人で任に当たる事となっていた。



 仲睦まじく腕を組み、楽しそうに囁き合う演技をしながら、警護対象が入っていった天幕から少しだけ離れた天幕へと入る。



「ここからしばらくは、並んで行動しては目立つ。街中同様に交代で監視を続行するぞ」



 女が部下の軍曹へと小声でそう告げると、軍曹は了承し頷く。



「演習開始以降はどういたしましょう。ここも人が多くなりますが」


「その時にはまた夫婦役に戻り警護を継続する。……私が妻役ではお前は不服かな?」


「い……いえ、決してそのようなことは」



 女はふっと浅く笑みを浮かべると、困る男に「冗談だ」と声をかける。

 少々困惑の色を表す軍曹の姿に、純情な男であるという感想を抱く。



「この程度で狼狽していては、我らの役目は果たせんぞ軍曹。軽く受け流しておけ」


「はっ、失礼いたしました」



 この軍曹と呼ばれた男は、情報局に配属されてからまだ日が浅い。

 それでもこのような任に当てられたのは、久しぶりの大型新人であると期待されているが故にだ。

 男を迎え入れる前に行われた適性評価には、女も関わっていた。

 少々素直すぎる点が気にはなるが、その特筆するところのない至って普通の容姿や、人に溶け込むといった素養が、情報局の構成員としては高く評価された。

 もちろん尾行技術や暗器の類に関する扱いにも高い適性を見せ、少尉自身も将来が楽しみであると思える存在として認識していた。


 だがこの純朴さはなんとかせねばな、と思う。

 社会の裏側で生きる自分たちにとって、これは致命的な弱点となりうる。

 もし仮にこれが演技でされているのであるならば、逆に頼もしいのではあるが。




「では私が先に出る。少ししてからついて来い」


「了解しました」



 部下の軍曹よりも先に天幕から出た女は、対象に見つからぬよう警護を継続する。

 どうやら娘と共に行動していた同行者の多くは天幕に残るようで、外へと出てきたのは警護対象ともう一人、竜種と思われる大男だけ。

 決して人通りの多くはない場所を、極力視界に入っても自然に映るように尾行する。

 時に停められた馬車に気を取られるフリをしながら、または脇道へと逸れる動きを繰り返しながら。


 娘は暇を持て余しているのか、柵外に立ち並ぶ屋台を興味深そうに見入り、出店で売っているカクテルを時間をかけて選んでいた。

 貴族といえども、取る行動そのものは存外普通なのであろうかと考える。

 女が想像していた貴族の女というのは、無駄に華美な装飾を身を纏い、自ら歩き回ることはせず、ひたすら茶会と噂話に興じる存在であった。

 今の所属になってからはそのイメージも消えたものの、それでも視界に映る対象の行動は、普通の市民が取る行動とさして変わらないように見えた。

 いったい"彼女"がどういった理由で狙われているのか。

 少尉自身にそれを知る権限はないものの、人並みの好奇心が顔を覗かせる。




「随分と変わったものに関心を示すものだな……」



 警護がてら背後から観察していると、対象は柵の向こうに在る一般観衆向けの観覧地へと関心を示しているのに気が付く。

 貴族は一般市民を見下す者も多いため、やはり対象も同じであろうかと考えた女であったが、その瞳がむしろ憧憬の色を湛えているようにも見えた。


 不思議な娘だ、と女は思う。

 同行者である竜種の男と何事か会話を繰り返す姿を見ていると、とてもではないが貴族とすら見えなくなってくる。

 容姿はそれこそ普通の街娘然としたエルフの少女であるが、その仕草からはどこか男性的な気配さえ漂う。



「いったい連中はどうして彼女を狙っているのか……」



 掠れる程に小さな声で呟くも、それに答えを返す者など居ようはずもない。


 沸き上がる若干の好奇心であったが、今は護衛任務が最優先。

 女は首を振り、欲求を払いのけ尾行を再開する。



 何度か軍曹とその位置を交代しながら監視を続けるうちに、次第と周囲には人が増えていく。

 演習の開始時刻が近く、そろそろ軍曹と合流して夫婦役を演じながらの方がやり易いであろうかと考えていると、人ごみに紛れ一瞬対象の姿が見えなくなった。


 しまったと思い少しだけ歩を早めて対象の姿を確認するが、すぐさまそれが安堵することも出来ぬ状況であると理解した。

 護衛対象である娘が、何者かに襲われているのだ。

 娘は口は手で塞がれ、その小さな身体は男の太い腕で抑え込まれ、両腕の自由もままならない。


 女はスカートの下に隠し持ったナイフへと手を伸ばし、助けるべきかと逡巡するが、すぐさまその手を引く。

 何者かが娘を引きずり込もうとしている天幕の周囲、そこには複数の人影が立っていた。

 ある者は鋭い目つきで周囲に気を払い、ある者は懐へ手を入れたまま。

 その隠された手に持たれた物が、ただの財布であろうはずはない。

 おそらくは凶器の類。

 そんな者たちが六人ほど。



「……チッ」



 分が悪い。そう女は判断した。

 後ろから追ってきているはずの軍曹と一緒であっても、なお多勢に無勢。

 こちらは確かに訓練された軍人、しかし相手が素人であるという保証はない。

 口惜しいがここは引かざるをえないのであろう。

 女が同じく緊急の事態に気付いた軍曹へと目配せをすると、彼は小さく頷き踵を返していく。


 本部へ報告に向かう軍曹の背を確認すると、女は素知らぬ顔で娘の引きずり込まれた天幕の前を通り過ぎた。

 通り過ぎる際に目つきの鋭い男に一瞥されるも、気にせず歩を進める。

 薄目でチラリと見た天幕の入り口は、何かが通ったことを密かに主張するかのように、風もなく揺れている。


 警戒されぬよう十分に距離を取り、脇へと逸れ別の天幕の裏へと周る。

 そのまま身を潜め、娘が連れ込まれた天幕へと視線を向けて観察していると、すぐ横へ停めてあった幌付きの馬車が動き始めるのが見えた。

 おそらくはそれに乗せられたというのは想像に難くなく、女はそれまで束ねていた髪を解き、懐に隠していた薄緑色のショールを羽織ると馬車の追跡を始めた。




 貴族や高官専用の観覧区域から出ていく馬車を追い、木製の簡素な門を通ろうとすると、兵士から声がかかる。



「どうかされましたか? もう少しで演習が始まりますが」



 もちろん兵士に悪気があろうはずもない。

 気を利かせて声をかけてきただけに過ぎない。

 だが本来であれば仲間であるはずの兵士に対して、女は若干のイラ立ちを感じずにはいられない。

 こうしている間にも、馬車はどんどんとその距離を離していく。



「いえ、急用が出来まして。これから家へと帰るところです」



 務めて穏やかな声で兵士に告げると、兵士は渋い表情となり更に言葉を重ねる。



「折角の祭りなのにそれは残念ですね。もしお急ぎでしたら、私が馬でお送りしますが?」



 貴族や高官の関係者と思われる相手へと好印象を与えたいのか、それとも単なる善意なのか。

 どちらにしても厄介なものであった。

 焦る気持ちを押え、兵士との話を切り上げるべく、女は「結構です。失礼いたします」と足早に立ち去った。



「あ、ちょっと!」



 兵士は声をかけるが女はその声に耳を貸さず去っていく。



「ちぇっ……いい女だったんだがなぁ……」



 軽薄そうな表情を悔しそうに歪める。

 兵士は取り入ろうとしている訳でも、善意からでもない。

 ただの祭りの空気に便乗し、女を口説こうとしていただけであった。

 話を切り上げて立ち去った女の判断は、結果として正しかったのであろう。



 女は極力目立たぬよう、早足で馬車を追いかける。

 兵士に捕まっている間に随分と差を開かれてしまっていたが、運よくその馬車も群衆に捉まり、その速度を出せずにいた。

 このままであれば、着かず離れず丁度良い距離を保って追跡できるであろう。

 もっとも、この群衆を抜けた先が問題ではあるが。



「街ではなく郊外に向かっているのか……?」



 馬車が向かっていると思われるのは、街へ入るための門が在る方角ではなく、街の郊外に在る森の方向。

 万が一の追跡を警戒し、行き先を偽装しようとしているのでなければではあるが。


 女が人混みに溶け込み馬車を追跡する中、丘や演習場所となる平地の各所で、高らかに角笛の音が響き渡る。

 秋の収穫祭最終日、祭最大の目玉である演習の開始が告げられ、会場は万雷の歓声に包まれていた。


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