04
会場へと到着したシルヴィアが見たのは、正しく芋の子を洗うという表現が適切な光景であった。
まだ朝早い時間であるというのに、本来ならば広々としているはずの丘は、詰めかけた街中の人たちによって道が判らぬほどの混雑ぶり。
人混みを掻き分け、貴族や高官専用の観覧エリアへと向かおうとするものの、なかなか思うようには進めない。
その労にうんざりとしながら、シルヴィアは執事が出がけにした忠告を思い出す。
「やっぱブランドンの言う通り、馬車で移動すればよかったかな……」
「それなら人も避けてくれたろうしな。だが今となっちゃ後の祭りだ。祭りの本番はこれからだけどな」
「なんだよそれ、急に洒落を言われても上手く返せないぞ」
アウグストの然程面白くもない洒落を聞き流しつつ、押し合いへし合いしながら、なんとか目的の場所へと辿り着く。
そこの入り口に立つ兵士へと、トリシアは懐から彫金されたプレートを取り出し提示する。
兵士はそれを入念に調べると、笑顔を見せ「どうぞお通り下さい」と簡易的に木材で作られたゲートを開けた。
丘の頂上に設営されたそのエリアには、複数の天幕が建てられていた。
シルヴィアたちのように徒歩で来た者はほとんど居ないようで、それぞれの天幕横には立派な作りをした馬車が停められている。
中には金を過剰にあしらった趣味の悪い馬車も見えるが、概ねどの馬も立派で、馬車も作りの良いものばかりだ。
「あの一際デカイのは?」
そう言いシルヴィアが指で示す先に在るのは、他のものより倍以上大きく、支柱の数も多い天幕。
停められた馬車も見るからに立派で、四頭立ての豪奢な代物であった。
「ああ、あちらは国王陛下と王族の方々がいらっしゃる天幕ですね」
トリシアはそう説明しながら、天幕へと向けられたシルヴィアの指を柔らかく抑える。
国王の居る場所だと知らなかったというのもあるが、指をさすという行為そのものが不敬と取られかねないモノなのであろう。
誰にも見られていないかとチラリと周囲を見回す。
「えっと……挨拶とかは要らないのか?」
「はい、必要はありません。どうしてもと仰るのであれば謁見の申請を行いますが?」
「いや……いいよ」
必要ないと言うのであれば、無理にする必要もないであろう。
わざわざ面倒な相手の前に、自ら突っ込んでいく理由などありはしない。
それにシルヴィアは、あまり国のお偉方に会いたいという気が起きずにいた。
召喚されてこのかた、誰一人としてシルヴィアへ侘びの一つもしてはこない。
会えばきっと文句の一つも言いたくなるであろうし、王相手であろうと激情に任せて罵声を浴びせてしまうかもしれない。
わざわざ自身にとって愉快ではない相手と、好んで会う必要もないと考えた。
とりあえずは一旦落ち付こうと、割り振られた天幕へ入り荷物を下ろす。
中の作りはこれといって何の変哲もないテントであるのだが、その大きさばかりは、あちらで市販されている物とは一線を画すものであった。
「すごーい! ひろーーい!」
これまで経験したことのない物への好奇心からか、フィオネは身体を投げ出し床で面白そうに転げまわる。
普段であればはしたないと諌めるトリシアも、なかなか無い機会であるためか、大目に見てくれているようだ。
シルヴィア自身も幼い頃に家族と行ったキャンプでは、テントの組み立てに四苦八苦する両親を余所に、テント内で兄弟一緒になって転げまわっていた。
子供のやることは皆一緒なのだろうと、どこか懐かしさを覚える。
誰よりも多くの荷物を持たされていたアウグストは、どっこいしょと若干年齢を感じさせる掛け声とともに荷物を下ろし、一つの提案を示す。
「開始は昼前頃になるんだが、それまではどっか見て周るか? 一応この中にも少しは店はあるが」
「そうだな、ここでジッとしてるのもな……」
「じゃあ決まりだ、お前らはどうする?」
アウグストは他のメンバーに問いかけるも、一様に首を横に振る。
「僕らは遠慮しておきますよ、この中にある店の数なんてたかが知れてますからね。それにホラ、もう僕は動けません」
見れば胡坐をかいて座っているハウの足へと、しがみ付いた状態のフィオネが寝息を立てている。
今の今まで転がり回ってはしゃいでいたはずであるのに、もう寝てしまっているようだ。
朝が早かったせいもあるのであろう、少々揺すったくらいでは起きそうもない。
「悪いな、それじゃちょっと俺らだけでその辺見てくるぜ」
「ええ、わかりました。もうしばらくしたら開始でしょうから、あまり遠くまで行かないようにして下さい」
「おう、迷子にならない限りはそれまでに戻ってくるさ」
そう言うと、アウグストは天幕の外へと出て周囲の物色を始めた。
シルヴィアも後を追って外に出ると、同様に周囲を見回す。
確かにアウグストの言う通り、あまりこれといった店がある訳ではない。
貴族専用域の外には屋台が立ち並んでいるのだが、この中では精々カクテルを売る店が一件か二件。
これでは確かに天幕でのんびりしている方が、まだマシと言えるのかもしれない。
「そういえば、結局バルトロは来なかったな」
シルヴィアは不意に、奔放なドワーフの姿を思い出す。
当然事前に誘ってはいたのだが、こういった場をあまり好まないのであろうか、あっさりと断られていた。
「ああ、だが常に女の尻を追いかけてるようなヤツだ、声を掛けやすい祭りを見逃すはずがない。どうせそこらへんをフラついてるんだろう」
自身の事は棚上げして、よく言うものだとシルヴィアは思う。
だがこういった祭りの場は、ナンパには絶好の機会なのであろう。
ドワーフの成りでそれが成功するのかは定かではないが。
時間までする事もなく、仕方なしに数少ない出店で度数の低いカクテルを購入し、チビリチビリと飲る。
貴族専用域を仕切る柵の向こうからは、随分と活気のある空気が漂う。
あちらの方が楽しそうだと思いはするものの、時折聞こえるトラブルと思われる喧騒に二の足を踏む。
そうしていると、その木柵の向こうから何者かの朗々とした声が聞こえてきた。
柵越しに覗き見れば、濃紺のローブを纏った一人の男が木箱の上へと立ち、衆人の前で演説をしている。
演説というよりは、司祭のする説経と言い表すべきであろうか。
時には語りかけるように、時には唄うように言葉を紡ぐ。
話し方としては上手い方であると思えたシルヴィアであったが、よく見れば周囲にはほとんど人がない。
何故かは知らぬが、人混みの中でもその部分だけ、空白地帯となっているかのようであった。
「……なんなんだあれ……教会の人か?」
「ああ、あれは教団のやつだな」
「教団? 教会とは違うのか?」
シルヴィアの知る限りでは、この世界における宗教らしきものは教会だけであった。
大地と人や亜人を創り出したとされる神を信仰する、この世界におけるただ唯一の宗教と言えるものだ。
実際にその神と呼ばれるものが存在するかどうかはさて置くとして、唯香の葬儀の際に来た司祭も、その教会から派遣されてきた人物であった。
「元々は教会内の一派閥だったんだがな。最近になって独立したもんで、ああやって信者を集めてるようだ」
次第にズレが生じ始めた信仰観の違いから、袂を分けたということなのだろう。
どこの世界であっても、大きな団体は一枚岩になりきれないのは同じかと考える。
「なにか違うところでもあるのか?」
そう問うと、アウグストはあまり周囲に聞こえないように声のトーンを押える。
「この世界を創造した神が居るなら、その神を創造した者もまた存在するはずだってのが、教団の主張だな。教団はその上位存在を信仰しようって教義を唱えている」
「へえ……いるのか? その神の上とやらは」
「知らんよ。そもそも教会の信じる神ですら、その存在が証明された訳でもないんだ。教団の主張なぞ言うに及ばずだろう」
それもそうかとシルヴィアは思う。
どこからそういった概念が生まれたのかは定かでないが、信仰というのはそういったものかもしれない。
「おっと、そろそろ始まる時間じゃねえか? 外よりも少ないと言っても、ここだってそれなりに混むんだ。早く戻らねえと合流できなくなるぞ」
立ち並ぶ天幕から身なりの良い人々がゾロゾロと出てくる様子からすると、言う通り開始が近いのであろう。
シルヴィアは未だ衆人に向け教義を唱え続ける教団の男から視線を外し、自分たちの天幕へと向けて歩くアウグストの後ろをついて歩く。
先ほどまでほとんど人の歩いていなかったこの場所も、次第に天幕から出てくる人々によって、その密度を増していく。
見渡せば、出身も種族も様々。
最も多いのは人種ではるが、亜人と呼ばれる者も大勢いた。
身なりからして貴族と思わしい者たちの中にも含まれる点からして、この世界には存外亜人の貴族も多いのだろう。
そんなことを考えていたシルヴィアであったが、次第に前を歩くアウグストの背が遠のいているのに気が付く。
少々呆とし過ぎただろうかと思い、早足で追いかけるも、増え行く人ごみに押されて思うように進めずにいた。
「ちょっと! 待ってくれよ。歩くの早――」
呼び止めんと声を掛けようとしたシルヴィアであったが、唐突にその言葉は中断させられた。
何者かの大きな手がシルヴィアの口元へと当てられ、身体を抑え込まれる。
「――!?」
何事かと思う間もなく身体は持ち上げられ、すぐ真横に立てられた天幕へと放り込まれる。
幾人かの通行人はその様子を察知したが、面倒事に巻き込まれるのを嫌ってであろうか、見て見ぬふりを決め込んだ。
「んー? どうかしたか?」
背後から人々の喧騒に紛れて、シルヴィアの声が聞こえたような気がしたアウグストは振り返る。
しかし自身の背後にその姿はない。
「しまった……はぐれちまったか」
参ったなとばかりに、天を仰ぐアウグストの眼前にある天幕。
その入り口に掛けられた布は、風もなく僅かに揺らめいていた。