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03


 市街区の片隅にある小さな教会。

 あまりひと気の多くはないそこに建つそれは、一見して打ち捨てられており、人の手によって管理されているようには見えない。

 だが少しだけ開かれた扉の奥、静かな聖堂の中にある祭壇を前に、一人の中年男性が膝をついている。

 随分と強く力を込めているのであろう、胸の前で組んだ両手には青味が差し、鬱血を始めていた。

 いったい何をそこまで熱心に祈っているのか、その表情は真剣を通り越し、無表情のまま祭壇を凝視する。

 男の背後から人が近づいてきても、それに気付いているのか否か、微動だにしない。



「司教様、こちらにおいででしたか」



 後ろから掛けられた声にも反応する様子はない。

 声をかけた男は司教と呼ばれた人物よりも、遥かに年上のように見えた。

 


「いかがですか? ご神託は授かれましたでしょうか」



 問いかけるも、やはり反応は返されない。

 それほどまでに集中しているのか、それともはなから相手をするつもりはないのか。

 だがそれもいつものことであるのか、年上の男はその様子を気にする風もなく言葉を継いでいく。



「実は先ほど信徒オチラムより使いが参り、司教へと言伝を」



 その言葉に司教と呼ばれた男ははピクリと反応し、ゆっくりと立ち上がり、法衣を翻して赤い瞳で年嵩の男へと向けた。



「聞こう」


「はい、司教ご所望の品を、間もなく献上できそうであるとのことで。私には何のことかわかりかねますが、何かお目当ての品でもございましたか?」


「そうか……。お前には関わりのないことだ。ご苦労、下がってよい」



 司教の言葉に、男は深々と礼をして静かに去っていく。

 その後ろ姿を見送ることもなく、再び祭壇へと向かい祈りを捧げ始めた。

 だがその表情は先ほどまでのように、感情の色が見えぬものではない。

 口角は釣り上がり、その赤い瞳は爛々と輝いているかのようだ。



「嗚呼……我らの神よ。今こそ我らはあなたの恩寵を……」



 そう呟き、祈りの言葉を延々と繰り返す。

 異様な空気を漂わせ、祈りの所々で小さな笑みを溢し始めていた。





「相変わらず、人っ子一人いねえなこりゃ」



 周囲を見渡し笑うような口調で呟くアウグストの声に対し、シルヴィアは同意し頷く。

 流石に人っ子一人というのは言いすぎではあるが、確かに周囲にはほとんど人影がない。


 秋の収穫祭最終日。

 会場となる街の南にある平原では、軍による大々的な演習が行われる。

 そのすぐ傍に在る小高い丘で見物するために、屋敷の住人たちは揃って市街区を歩いていた。

 街から人が消えているのも、同じ理由だ。

 娯楽に飢えた住民たちは、少しでも良い場所を確保しようと、早朝から会場へと移動している。

 今この道を歩くのは屋敷の住人一行と、行われるイベントに関心の薄い一部の人たちくらいであろうか。



 各々の手には大小のバスケットが持たれ、その中には弁当や水筒の類が詰め込まれていた。

 幼いフィオネは身体に見合ったサイズの、どれだけ入るのか疑わしい小さなバスケットを持ち、嬉しそうに持ち振り回しながら歩く。

 中身が心配になり、ブンブンと振り回すフィオネを窘める。



「ほら、そんなに振り回してると弁当がグチャグチャになるだろ」



 その弁当はブランドンとトリシアが用意してくれた。

 味が変わらないとはいえ、出来るだけ綺麗な状態で食べたいというのが本音だ。


 朝から大量の弁当を作るトリシアとブランドンの姿を見かね、シルヴィアも手伝おうとはした。

 しかしそのあまりにも不器用な包丁使いに恐れたのか。

 包丁を取り上げられ、水筒に入れるためのお茶を淹れる役目に回されてしまう。

 実際には火を熾すところすらやってもらったのだから、ほとんど何もしていないと言っても良いが。

 その火熾しを手伝ってくれたブランドンは、屋敷を完全に空とするのを嫌がったようで、一人留守番役を申し出て居残っている。




「それにしても、本当に一大行事なんだなこれは」



 市街にはあまりにも人が少なく、普段の活気が嘘と思えるほどに閑散とした大通りの光景に、シルヴィアは唖然とする。

 街に住む大多数の人々が楽しみにしているイベントとは聞いていたが、街から人が消えるほどのものであるとは予想だにしてはいない。



「普段は限られた娯楽しかないんです。祭の時くらいは、非日常を求めるのも仕方ないでしょうね」



 ハウの言うことも最もであるか。

 向こうの世界と違い、こちらにはテレビやインターネットが有る訳でもなく、スポーツといった概念も希薄なこちらでは娯楽に乏しい。

 酒と煙草、演劇や音楽、それに本。

 こういったものが有るにはあるが、日常的に楽しむにはそれなりに金がかかる。

 広く一般へと開放され、無料で楽しめる収穫祭最終日の大演習は、都に住む住人たちはおろか、周辺都市の者たちにとっても一年で最も楽しみな行事と言えるものであった。



「でも騎士の人たちは見れないんだな……」



 先ほどから他の通行人とは別に、青みがかった金属鎧を纏う騎士の姿を多く見かける。

 市民とは違い普段よりもずっと多く見かけるその騎士たちは、時折裏路地を覗き込むように動き、ピリピリとした空気を纏っていた。



「ほとんどの家がもぬけの殻ですから。例年この日は空き巣が頻発するんです。騎士団も今年こそは被害を出さないようにしようと必死ですね」



 やはり人の目が届かぬところでは、悪事を働く者が増えるようだ。

 人のすることに、国境も異世界の壁もないのであろう。



「それじゃあベルナデッタの旦那さん……ええと、なんて言ったっけ? ……そう、グレゴールさん。あの人も今日はベルナデッタと一緒に演習見物って訳にはいかないか」


「グレゴールさんは……どうなんでしょうね?」



 騎士団と聞いて真っ先に思いつく人物を挙げるも、ハウは何とも言えないといった反応を示す。

 騎士団の中でも要職にあると思われる人物だ。

 こういった時こそ忙しいと考えたが、存外そうでもないのであろうか。



「祭り見物をするかは知らんが、グレゴールなら見回りはせんだろう」


「どうしてだ?」



 話を横から聞いていたアウグストが、代わってシルヴィアの疑問に答えた。

 平然と言い放つそれに疑問を持ち、その答えを求める。



「今街中を見回ってるのは、第一師団の連中だからな。グレゴールは第二師団だ、受け持つもんが違う」


「どう違うんだ……?」


「第二師団てのは所謂特務部隊だ。犯罪者やらの相手にして、荒事をこなすのが役目の連中だからな。いざって時に備えて見回りとかには参加しないんだよ。人数もずっと少ないしな」



 アウグストの話に小さく感嘆の息を漏らし、その師団長という職にあるという人物について思い出す。

 どうやらベルナデッタの夫は、想像していた以上に達者な実力を持つ人物であるようだ。

 だがそういった人物であっても、召喚された者たちに関する情報には触れられないようではあるが。





 会場へと向かう一行のずっと後ろ。

 顔を判別できるかどうかといった距離を、一人の女が同じ歩調で歩く。

 そして更に同程度の距離を置き、二十歳少々といった若い男が続く。

 それぞれ、少尉・軍曹と呼ばれた軍の情報局に所属する二人であった。


 二人は本来であれば、警護対象となる存在を狙っていると思われる集団を監視する任務に従事していた。

 だが今回は、護衛対象が人混みの中へと移動するという情報を得たため、こちらを警戒する方が効率が良いと判断された。

 監視対象となる集団に関しては、密かに増援として来ている他の構成員に任せている。


 何か非常事態が起きれば、一人が本部への連絡役として、もう一人が事態に対処する役割として分担されている。

 状況次第ではあるが、今回は少尉と呼ばれた女が対処をする役割だ。



「……そろそろ交代するか」



 小さく呟くと、女は後ろ手で後方の男へとハンドサインを贈ると、脇道へと入り男とその位置を替わる。

 距離が離れているとはいえ、人通り少ない通りの上だ。

 同じく会場へ向かう人間だと思ってもらえるであろうが、それでもずっと後ろに着いていれば、顔を覚えられる可能性がある。


 今まさに護衛をしている相手が、どういった理由で狙われようとしているのか。

 それは二人には知らされていない。

 現場指揮官である少佐などは、おおよその事情は知っていたようであるが、比較的末端に位置する二人を始めとして、多くの構成員には知る必要のない情報であった。


 それでも一応は、対象が貴族であるという話だけは聞いている。

 しかし自らバスケットを持ち、仕立ては良いものの目立たぬ服装をし、馬車さえ使わず徒歩で移動する。

 女の目にはその様子が、とてもではないが貴族らしからぬと思えてならない。 



 尾行を続けていると、街の南端にある城壁の門が見え始める。

 そこを越えれば、演習地と観覧場はすぐそこだ。

 ここから先は、大勢の人混みの中へと紛れ込むことになる。


 こちらのカモフラージュも容易になるであろうが、見失い易くなるうえに、なにより不審な存在が近づいても気づかない可能性も高い。

 女は間近に迫る労に対し、その身を引き締めていた。

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