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01

今章から、随所で視点の切り替えが入ります。

見辛いかもしれませんが、ご容赦ください。

 3258年 秋



 酷暑であった夏も過ぎ去り、すっかり涼しくなった秋の昼間。

 どこか肌寒さすら感じる風が通り抜ける市街区の路地を、一人の女が歩いていた。


 二十代の後半といったところであろうか。

 全体的に茶色の地味な服装をした、一見どこにでも居るような家庭の主婦然とした人物。

 手に持つ袋の口からは、いくらかの葉野菜の頭が飛出し、存在を主張している。

 おそらくは今しがた買い物を終えた帰りなのであろう。


 自宅であろうか、その女が一軒の家の前で立ち止まり扉の取っ手へと手をかけると、不意に背後から声を掛けられた。



「あら奥さん、今お帰り?」



 声をかけて来たのは、近所に住む他家の主婦とみられる、似たような格好をした中年女性だ。

 扉にかけた手を離し振り返ると、柔らかく愛想の良い笑顔を浮かべる。



「ええ、今買い物から」


「あらあら、そんなにたくさん。そうよね、お宅は家族が多いから沢山食べるわよね。ところで奥さん聞いた? こないだ近所で起きた窃盗の話! 怖いわねぇ……」



 世間話の相手を求めていたであろう中年女性の話へと、女は相槌をうちながら相手をする。

 だがされる会話はほぼ一方的なものであり、中年女性が延々と話を振っては女が頷くばかり。

 時折話は脇道に逸れ、複雑な寄り道を経て元に戻る。


 これといって重要な内容であるとは言い難いが、これもまた近所付き合いの一環。

 疎かにするのも躊躇われるのであろうか、女は辛抱強く聞き続けていた。



「それでね、向かいの家の子供ったらそれはもう躾がなってないのよ。一度そこの奥さんか旦那さんに文句言ってやろうかと思って」



 無駄に長々と続く話を、女は自然な笑顔のままで聞く。

 いつまで経っても終わる気配がない世間話であったが、その話は女が入ろうとしていた家から、一人の人物が姿を現すことで終わりを告げる。



「姉さん、なにしてんのさ?」



 現れたのは女の弟であろうか。

 女よりも少しだけ年下に見える男が顔をだし、怪訝な顔で問いかけた。



「あらあらあたしったら、ごめんなさいね引き止めちゃって。ついつい夢中になっちゃって」


「いいえ、私も話せてよかったですから」



 ニッコリと笑顔を向けると、女は会釈をして家へと入っていく。

 残された中年女性は物足りないのであろうか、まだまだ話足りないと言わんばかりに残念そうな表情を浮かべると、偶然近くを歩いていた別の若い女性へと視線を向けた。

 哀れ次の犠牲者として目を付けられたのは、その人物であるようだ。





「ごめんなさい。助かったわ」


「いえ、構いません。ああいった相手は誰かが止めねば、何時間であっても話し続けますし」



 家に入った二人は、兄弟にしては不自然な会話をしながら、買い物袋を持ったまま台所を通り過ぎ、二階への階段を登っていく。


 登りきった先に在る部屋の扉を、珍妙なリズムで数回ノックする。

 数瞬の間をおいて、やはり変わった調子でノックが返された。


 それを確認するや否や二人は扉を開いて入るも、室内は随分と薄暗い。

 昼間であるにも関わらず窓は閉め切られ、部屋の隅に置かれた数本の蝋燭が、然程広くはない室内を薄く照らす。


 その薄暗い室内には数人の男女が。

 今入ってきた二人を除けば、椅子に座った年配の男が一人。そして中年の男女が一人ずつ。

 座る年配の男以外は揃って手を腰の後ろへと回し、揃って"休め"の姿勢で立っている。

 本来であれば民家の中に居るのだ、女の家族と考えるのが普通なのであろう。

 だがどうにもその空気や態度は、帰宅した家族に対して向けられるものとは異なるようであった。


 女は後ろ手に扉を閉め鍵をかけると、隅に置かれた丸テーブルへと袋を置く。

 すると先ほどまでの柔らかい表情からは一変。

 表情を引き締め、両足の踵を合わせ直立し、右手を握り自身の左胸へとかざす。。



「遅くなり、申し訳ございません」



 それは決して、家族に対してする態度ではないであろう。

 あえて言うならば、これは上司や上官に対してするものが近いと言える。



「かまわん少尉、ご苦労だった。それに表で面倒なのに捕まっていたようであるしな」



 最も年上であろう年配の男が、くつくつと小さな笑いを漏らしながら労う。

 その周囲に立つ中年の男女や若い男は、これといった反応を示すことなく無表情で立ったままだ。


 年配の男は女に対し、名前ではなく階級で呼んだ、つまりはそういうことなのであろう。

 この家に居る者たちは家族ではない。

 周辺の住民たちに対してそう見えるよう偽装した、軍人たちであった。



「報告を」



 年配の男の脇に立つ中年の男が、静かに言葉を放つ。

 それを受け、女はいっそう背を正し報告を始める。



「はい。本部からの指令です。本日正午付けで案件027を終了、総員を撤収させよ。それに伴う諸問題への対処は、現場指揮官に一任するものとする。以上です」


「理由は?」


「高度に政治的な判断によるものであるとだけ」


「…………その命令は局長自ら下されたものか?」


「……いえ、局長は不在であられました。直接おっしゃったのは副長です」



 室内に居る者たちは、静かに目線だけを合わせる。



 この者たちは軍においても、少々特殊な立場にいる者たちだ。

 正規の軍人たちのように、王宮の警備や盗賊の討伐をする役割にはなく、決して表には出せない任務へと従事する。

 それは諜報活動や扇動、あるいは隠れての要人警護や監視。

 場合によっては暗殺すらもその役割とする、軍の情報局に所属する構成員たちであった。


 その人員は軍全体の中から適性を評価され、一定の訓練を経て選抜される。

 末端の一構成員から、その頂点である局長に至るまで。元は全員がそうやって選ばれた者たちだ。


 しかしその中に一人だけ、そのような適性評価や訓練を行わず任命された者が常に存在する。

 それが局長に次いで情報局のナンバー2である、副長と称される役職に座る者であった。

 その役職へと任命されるのは、家柄で軍内の高い役職に就くのが決まっている者だ。

 軍閥に属する一部貴族家の者が、代々その役職に就任するのだが、それに当たってこれまでの経歴などは一切考慮されることはない。

 つまりは現在の副長もそうではあるが、従軍経験の一切存在せぬ、ずぶの素人が就任すると言うのも珍しくはない。



「はてさて、どうしたものやら……」



 椅子に座る老齢の男は、目頭を押さえて暫し悩む。


 当然口にこそ出さないものの、副長に対する構成員たちからの評価は非常に低い。

 低いというよりも悪い。そして厄介者と思われているのが正解だ。

 その副長は軍人としての心構えの無さもさることながら、日ごろの訓練さえも行わず日々怠惰を貪っている。

 書類仕事は秘書官に任せ、自身は昼間から執務室に娼婦を連れ込むことすら日常茶飯事。

 比較的若い女性の構成員に手を出そうとして、局長から叱咤された事も一度や二度ではない。


 だからこそ皆普段はその存在をないものとして考え、極力干渉しないようにしているのだが、今回は命令という形であちらから関わってきた。

 年配の男にとっても、無視してしまいたいというのが本音。

 だがそんな輩であっても、一応は上官に当たる存在だ。

 命令を放置しておく訳にもいかないのであろう。



「……撤収準備を始めろ」


「よろしいのですか……?」



 脇に控える中年女性の構成員が問いかける。

 本来ならば決してありえないであろうその命令に、強い疑問を抱いているのであろう。

 密かに不満の色が声に滲み出ていた。



「仕方あるまい中尉、腐っても命令は命令だ。だが確かに副長が自ら命令を下すのも、その内容も不自然そのもの」



 年配の男はふむと顎に手を当て考えると、一つの妥協案を示す。



「命令には従うが、一応用心はしておいた方がいいだろう。中尉、お前はなんとしてでも局長を捕まえて、局としての命令であるのかを確認しろ」


「はい」


「少尉、軍曹。お前たちは新しい拠点を確保し、連中の監視を続行だ」



 少尉と呼ばれた女と、軍曹と呼ばれたこの中で最も若い男は小さく了解を表す。

 だが下された命令に対し、年配男性へ若干戸惑いながら質問を返した。



「少佐、命令では全員撤収となっていますが……」


「保険は用意しておかねばならんだろう? 事後承諾にはなるが、局長であればおそらく許して下さるだろう。あの腐れ貴族に関しては、ワシがなんとか誤魔化しておくさ」



 曲がりなりにも上官でもある貴族に対する、そのあまりな物言いに、普段は演技以外ではあまり表情を崩さない部下たちから苦笑いが漏れる。



「少尉、連中がまた"彼女"に手を出そうとする可能性は、決して低くはないはずだ。十分警戒しておけ」


「了解しました。ではこれより、拠点の選定をしてまいります」



 そう返すと右手を胸に当て敬礼し、退出していく。

 他の部下たちも続いて退出し、各々撤収の準備を始めた。


 暗い部屋に一人残され、少佐と呼ばれた男はテーブルに置かれた買い物袋をひっくり返す。

 葉野菜に隠されて入れられた、細々とした変装用の道具や、ナイフの類の中から目的のものを見つける。

 この世界の文明程度には少々不釣り合いな、紙巻き煙草が収められたケースだ。


 そこから一本を取り出して蝋燭の火で点火すると、一息に煙を肺へと吸い込む。

 煙の多いこの世界における煙草の煙を、しばし肺に溜めて吐き出されるのを繰り返すうちに、部屋の天井は男の吐き出した紫煙によって燻されていく。

 火事にならぬよう蝋燭の受け皿へと煙草の灰を落とし、徐々に溜まっていくそれを見つめ、少佐と呼ばれた男は呟いた。



「あの狂信者どもが、早々諦めるはずはないか……。だがやらせん、我らの目が黒いうちはな」

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