10
3人称で書いてるつもりが、いつの間にか1人称になってる気がしてくる
まだ夜も明けきらぬ早朝。
トリシアはいつも通りの時間に起きると、メイド服へと着替えて中庭へと向かう。
一日でも世話をサボると、花はそっぽを向いて綺麗に咲いてくれないような気がしていた。
徐々に気温は春めいて来ており、つい数日前までの寒さから一変、ベッドから降りるのが然程苦ではなくなっている。
この様子では、花の蕾が開く日も近いであろう。
開いたら真っ先に誰に知らせてあげようか、そう考えると心が躍る。
だがこの日はなにかがおかしかった。
例年この時期にもなれば、朝には小鳥たちの囀りが聞こえてくるものだ。
だが雲一つなく良い天気であるというのに、この日は何故かそれが耳に届かない。
訝しげに思いながらも、トリシアは中庭へと辿り着き、水をくむために中庭へと踏み込む。
そこで、とある異常に気が付いた。
自身が立つ位置とは真反対、中庭の一番奥。
中庭を取り囲む建物の中でも一際目立ち聳え立つ尖塔、その足元に大輪の花が咲いていた。
花壇と花壇の間に敷かれた石畳の上に。
「ああ……」
トリシアの喉から、搾り取られるような声が漏れる。
その花をどこか呆然と眺めるトリシアは、激しい後悔に襲われる。
結局はその道を選んでしまったのか、誰もが恐れていたその道を。
決してそれだけは、選んでは欲しくなかった。
見たくなどなかった、この屋敷に住まう全ての人が。
どうしてこの場所を選んでしまったのであろうか。
そうトリシアは心で問うも、返す者はない。
聳える尖塔の足元に敷かれた石畳の上で。
両脇に開花を始めた花壇の花々を従えるかのように、赤い大輪の花は咲き誇っていた。
▽
日が昇って間もなく。
まだ寝起きの呆としたままであるシルヴィアは、ベッドの上で毛布の暖かさへと身を任せていた。
そろそろ朝食の時間も近く、起きねばならぬとは思いつつも、その暖かさには抗い難い。
惰眠を貪るのは如何かと思いはするものの、誘惑に打ち勝つことは叶わなかった。
せめてトリシアが来るまではと思い毛布に包まっていると、部屋の扉が軋む音と共に開かれる。
普段であれば、トリシアはノックもなく扉を開くことなど決してない。
どうしたのであろうかと寝惚け眼のまま見やると、黙ってシルヴィアの部屋へと入ってきたのはアウグストであった。
「起きろシルヴィア」
「なんですか? 一応は女性の部屋なんですけどね、ここ……」
起き抜けにしては、よく言えた冗談なのかもしれない。
それもこれも、唯香との一件で気持ちに余裕が生まれたためであろうか。
だがその冗談に対し、普段であれば何がしかのリアクションを示してくれるであろうアウグストが何も声を発しない。
その代わりに反されるのは、苦渋に満ちた表情。
「いったいどうしたんですか?」
「……スマン」
アウグストは前振りもなく、唐突に謝罪の言葉を吐く。
その不可解な状況に、シルヴィアの頭は覚め始める。
いったい何があったというのだろう。
ここまで接してきた間に、アウグストが少々のことであれば笑い飛ばしてしまう人物であると認識していた。
悲痛な様子で謝罪をする時点で、ただ事でない事態が起きていると想像するのは容易い。
何かがあったのだ。そう、シルヴィアにも関わる何かが。
「お前に責任は無い、お前一人に任せきりとしてしまったのは確かだ。俺たちは目の前の面倒事から目を背けていた……それは否定できん」
「なんの……ことですか……?」
シルヴィアにはアウグストが何を言わんとしているのか、理解ができなかった。
いや、理解しようとはしなかった。
任せ過ぎた、この言葉だけでアウグストが何を指して言っているかわかるはずであるのに。
口の中がザラつくような嫌な感覚と、毛の粟立つような悪寒。
そして首筋を伝う冷たい汗。
本当はわかっているのだ、この後アウグストが何を告げようとしているのかを。
ただシルヴィアはそれを知りたくはないし、認めたくもない。
「実は……」
イヤだ、聞きたくはない。それ以上言わないでくれ。
そう頭の中で必死に抵抗する。
耳を塞ぎたい衝動に駆られるも、アウグストにその想いは伝わらない。
「……唯香が死んだ」
それだけは……それだけは聞きたくなかったと。
シルヴィアは拳を握り小さく呟いた。
▽
式は粛々と進められる。
屋敷の奥に在る、とある一室。
以前は何に使われていたのかを知る由もないが、さほど広くはないその部屋は窓一つなく、数少ない照明のみによって照らされていた。
暗いその一室に居るのは、屋敷の住人たちとそれに使える二人の使用人。
そして屋敷外から来た、教会の司祭が一人。
司祭を除く全員の服装は白と黒で統一され、並べられた椅子へと座り、壇上に立つ司祭の言葉に耳を傾ける。
「我等はこの世へと産まれ出でたその時より、神の身許により見守られ、育ち・産み・老いていくのです。その生涯において寛大なる、神の恩寵を受け……」
壇上で朗々と語る司祭の説経は続く。
だがその内容を聞きながら、シルヴィアはどこか寒々とした気持ちであった。
自分たちの肉体はともかく、この精神はあちらの世界で生まれたものだ。
こちらの世界に置いて神とされる存在が、はたして自分たちに関心を払うものであろうかと。
「この者の魂は神の身許で白く浄化され、再び私たちの前へと姿を現すでしょう。そうやって神の僕としての生を繰り返すのです」
死んだ魂はあちらの世界へと還されるのではなかったのか。
受けた説明と司祭の言葉の違いに、シルヴィアは顔にも出さず内心鼻で笑う。
だがこの司祭にそれを言っても仕方があるまい。
彼はシルヴィアたちが異界から呼び出された存在であることなど露とも知らず、ただ自身の信仰する教義に純粋であるだけなのだから。
「では、これより神の身許に集うこの者に、暫しの別れを」
横へと退ける司祭に促され、シルヴィアは壇上の棺に納められた人物の下へと歩み寄る。
すぐ側で足を止め見下ろすと、中にはずんぐりとした体形をした、一人の人物。
シルヴィアがこの数日で随分と近しくなった存在、唯香と呼ばれた人物が納められていた。
いや、唯香であると言うのは適切ではないか。
その魂は、神ならぬ故郷である彼の地へと還っていったはずなのだから。
この肉体は唯香ではない。
唯香の精神を召喚する際に犠牲となった、名も知らぬこの世界の住人だ。
その人物への冥福を祈り、シルヴィアは席へと戻って項垂れる。
いったいどうしてこうなってしまったというのか。
あの時確かに、彼女はその口から希望の言葉を紡いでいたはずではなかったのか。
そうシルヴィアは、幾度となく自身に問いかける。
チラリと横を見れば、司祭の長い説教によって居眠りをしていたフィオネが身体全体で寄りかかってきている。
その少女の銀色の頭を撫でながら、シルヴィアは閉じられていく棺を眺めるばかりであった。




