03
暗い空間。おそらくは室内なのであろう。
その空間中に数本だけ、小さく灯る蝋燭の明かりが揺れている。
しかしその光はあまりにも頼りなく、室内の大部分には届かず、ただただ黒く染まった闇が広がるばかり。
「(なんだ……これ? 何が……どこだここは?)」
そのあまりの暗さから、雄喜は自身の置かれた状況を把握する術はない。
いや、明かりが多く存在したとしても、この状況では判断は難しかったやもしれない。
混乱し身体も云う事を効かず、何よりも割れるかのような頭痛が重く重く、断続的に襲いかかってきていたからだ。
自身がうつ伏せに倒れているのは理解できた。……だがそこに至った経過がわからない。
「(……身体が動かない……頭痛てぇ……)」
いったいなにがどうなっているというのか。
この理解不能な状況に遭遇している雄喜は、つい先程まで浩介と共に入った居酒屋に居たはずであった。
久々に高校時代の旧友である浩介と再会し、乾杯をした。
そこから飲み進め、しばらく弟の話をして……。
その直後に携帯に着信があったのを思い出す。確か相手は大学時代の先輩だった。
電話に出るために五月蠅い店内から逃げるように外へ向かい……。
そこで記憶は途切れている。
突発的な事故にでもあったのか、それとも自然災害でも起きて店内に閉じ込められているのか。
「――成こ…! ――やく――敷―運――」
「召――っ成――始め―」
複数の人の声が聴こえる。その多くは女であろうか。
内容はほとんど聞き取れなかったが、慌ただしそうな声と足音が響いているのは理解できた。
頭痛はどんどんと酷くなっていく。いつ気を失ってもおかしくない程に。
暗闇の向こうから新たに複数の灯りが揺れながら近づいてきている。
そのまま灯りを持った者達は小走りで近寄り、雄喜の身体に触れ――
急な悲鳴。何が起こったのかはわからないが、突如起こったであろう異常事態に、周囲は騒然とし始める。
金属の打ち合う音がし、男のくぐもった声が響く。
複数の走る足音、再び上がる悲鳴。
「(も…ダメだ……頭が…)」
朦朧とし徐々に薄れゆく意識の中で、雄喜は自身が抱きかかえられ、何処かへと連れて行かれようとしているのを理解した。
▽
○○○○年 初春
小高い山に立ち並ぶ木々。
その木々の間隙を縫うように進んだ先、そこに一つの山小屋があった。
林業に従事する者が拠点として使用する用途で建てられたであろうその小屋は、今は使われていないのであろうか、所々の建材が崩れ修繕されることもなく放置されている。
夜の帳も下り、目に映る光源は繁る木々の隙間から夜空で淡く輝く月と星のみ。
静けさに包まれたそこは、動物の鳴き声と風音を除き、静寂のまま朝を迎えるはずであった。
しかしその夜はいつもと違い、随分と騒がしい。
つい数十分前には数人。
全身を黒というよりも、濃紺のゆったりとした服装で揃えた者たちが、同じく濃紺の大きな包みを抱えて小屋へと走りこんできた。
小枝に引っ掛かり動きが妨げられるような服装をしていたことから、木を切る事を生業としている者たちではないだろう。
そして今は……
カチャ カチッ
所々から金属のぶつかり合う音が小さく鳴る。
僅かな草を掻き分ける音と静かな息遣い。それらを発する姿がおよそ二十。
全員が軽装の金属鎧を身に付け、小屋を取り囲みその先へと鋭い視線を向けていた。
気付かれぬよう周囲を警戒しながら、じわりじわりと包囲を狭めていく。
繁みの中で全員が動きを止め、手を動かし互いに仲間へとサインを送る。配置は完了したようだ。
包囲をする者たちの中で最も年長であろう、豊かな髭を蓄えた一人の男が、多方から送られてくるサインに対しゆっくりと頷く。
彼がこの集団を統率しているようであった。
男は自身がここに来ることとなった経緯を思いだす。
とはいえ経緯などといっても、彼自身にはそれほど込み入った事情がある訳ではない。
騎士団の庁舎で一日の仕事を終え、飲みに行こうと誘う部下たちの誘いを断腸の思いで断り、愛する妻子の元へと帰ろうとしていた。
そこで普段であればまず走ることすらない、線の細い副団長が息切らせながら部屋へと飛び込んでこなければ、そのまま何の問題も無く帰宅していただろう。
その副団長の命令により、このような鬱蒼と茂る山へと来る破目になったのだ。
男にはその詳細は知らされていない。おそらくは命令を下した副団長にさえも。
団長よりももっと上から出された命令を、部下である男に伝えただけなのだ。
下された命令の内容は、大きな荷を抱えた四人組の賊を捕縛、もしくは殺傷し荷を無事に回収せよ。
荷が無事でさえあれば賊の生死は問わないという、騎士団に下される指令としては珍しいものであった。
職業に貴賎はないが、このような類の任務は治安維持を担当する騎士団ではなく、軍の受け持つ範疇になるのではないのか。
男はそう考えもしたが、かぶりを振る。
事情を知らされないのも、帰宅を邪魔されたのも面白くはない。
とはいえこれも仕事だ、仕方がないと切り替える。
できるだけ早く済ませて我が家へ帰り、妻と双子の息子たちに囲まれて温かい食事を摂ろう。
と、そこまで考えた所で、男は目の前にある職務に集中することにした。
左手を上げ、自身の部下たちにハンドサインを送る。
その意味を即座に理解したのであろう。三人が小屋の入り口へ、二人が側面の窓へと素早く近づいていく。
「抜剣」
小声で呟くと、両隣に控える若い男女の騎士が腰に携えた剣を鞘から引き抜く。
その様子に反応し、他の者たちも続いた。
男は再び左手を上げると、小屋に張り付いている五人に見えるように三本の指を立て、順に折っていく。
三 二 一……
男が全ての指を折り拳を形作ると同時に、小屋に張り付いていた五人は扉や窓を蹴破り中へと突入していく。
残る者たちは四人の見張りを除き、突入した者たちを援護すべく小屋へと駆け寄った。
男は部下たちが突入した小屋へと静かに歩み寄り、進捗を見守る。
最初の数秒だけしていた物音は瞬く間に静かになり、すぐに小屋の中から「制圧!」という声が聞こえてきた。
その声を聞いた男は、破れた扉から漏れ出てくる明かりへと歩を進め、小屋へと立ち入る。
突入した部下が五人全員無傷であることに、ひとまず安堵。
次に床へと目をやれば、濃紺のローブを身に纏った四人の男女が倒れ込み、部下たちにより後手に縛られている最中であった。
血の一滴も流れていない様子からすると、上手く部下達は無力化できたのだと知る。
日頃の訓練がムダではなかったと確信し、男は内心で静かな満足を堪能した。
この連中に関してはこのまま連行してしかるべき場に引き渡すこととなる。普通の裁かれ方をされるかどうかは定かではないが。
「荷は?」
さて、これが最も重要な問題だ。
部下達には悪いが、本来なら彼らの無事よりもこちらを優先しなければならない。
荷が無事でなければこの任務は失敗となる。
「こちらです」
部下の一人が指示した方向に視線を向けると、小屋の隅に賊が着るローブと同じ色をした布で包まれた、大きな塊が転がっていた。
影になった場所に置かれ、色が溶け込んでいるため気付き辛い。
男は近寄ると、荷の無事を確認するために膝をつき、濃紺の布を捲る。
そこで男は動きを止めた。
「…………マリアナ、モニカ。二人は残れ。あとは賊を連れて外で待機していろ」
突入した五人の団員のうち、女性である二人だけを残し外へ出るよう指示する。
男は立ち上がると、背中越しに二人の部下へ向けてハッキリとした口調で命じた。
「いいか、わかっているとは思うが一切他言無用だ。荷はお前達が背負って帰れ」
部下へと命じる男の視線の先。
布に包まれた中には、薄灰色の髪をした小柄な人の姿。
「今夜は帰れないかもしれないな」
男の発した諦めの色が濃い溜息は、静かに大きく小屋の中に響いていた。




