04
部屋に着替えを持ってきたトリシアは、様子のおかしなシルヴィアを一目見るなり、何事かを察したようであった。
だが気を利かせてであろうか、あえて何も聞かずただ着替えを置いて部屋から出て行く。
それでいいのだろう。
これはシルヴィア自身が向き合い、解決するべき問題であるのだから。
ただトリシアは退出する時に、近々春の祭があるので、誰かを誘ってはどうかと告げた。
その祭りを、唯香と親睦を図るために使えという意図なのであろう。
シルヴィアにはその気遣いが、何よりもありがたかった。
本来の自身よりも少し年下であるはずなのに、ずっと気が利き、より精神が成熟した女性だ。
そう考えたシルヴィアを、余計に情けない気持ちにさせるものではあったが。
着替えをして食堂へと向かう途中、シルヴィアはとある部屋の前で立ち止まる。
つい先ほど立ち話をした、唯香の部屋の前だ。
どんな顔をして何を話せばよいものか迷うが、このまま避け続けるという訳にもいくまい。
気は重くなるものの、折角トリシアのくれた祭りの情報だ、活用しなければと考えていた。
ひとまずは朝食を摂るために、一緒に行こうと誘うところから。
「最初に喋った時よりも、フランクな方がいいだろうか……」
どういった口調で話すべきか考えつつ、手櫛で髪を整える。
それから自ら頬を叩き気合を入れると、シルヴィアは意を決してノックした。
しばらくするとゆっくりと扉が開かれる。
「はい?」
「あ、唯香さん。一緒に朝食へ行こうと思……ってそれどうしたの!?」
驚いたシルヴィアの視線の先、唯香の顔はべっとりと血にまみれていた。
「髭……剃ろうとして」
「ああ、失敗しちゃったんだ?」
昨夜半狂乱となった唯香が言っていたのであったか。
生えてくる髭がイヤで剃ろうとしたら、顔中傷だらけと。
そういえば昨夜見た時にも、顔には複数の生々しい傷跡が残っていた。
毎日のように生えてくるそれは、高校生の女の子にはとうてい受け入れられないものなのであろう。
自ら剃ろうとはするものの、あちらの世界のように安全カミソリがあるわけでもない。
剃刀を当てるうちに、顔を何度も切ってしまったようであった。
「とりあえず、手当しようか。部屋に入れてもらってもいい?」
「ど……どうぞ……」
なかば強引に部屋へと入れてもらうと、そこはシルヴィアのものと同じ間取りの部屋であった。
天蓋付のベッドや本棚、サイドテーブルに至るまで、ほぼ同じ作りをしている。
違いがあるとすれば、シルヴィアの部屋にはない鏡台の存在であろうか。
おそらくは毎朝あの鏡を覗き、生え続ける髭の存在に悲観しているのであろう。
「座って。薬とかは置いてない?」
「えっと……メイドの人が置いてったのが……」
唯香が指さす先に有る、サイドテーブルの上へと置かれた小箱を開く。
その中には大きな二枚貝に入れられた、軟膏が納められていた。
それを確認すると、同じくサイドテーブルに置いてある、カラフェに入れられた水をハンカチにかけ濡らす。
「とりあえず薬塗る前に血を拭くから、ジッとしてて」
傷へと濡れたハンカチを当てると、唯香は少しだけ痛そうに顔を顰める。
だが血に濡れたままで薬を塗るわけにもいかないため、我慢してもらうしかない。
濡れたハンカチで優しく、乾きかけた血を拭う。
それから傷へと薬を塗るうちに、シルヴィアは自身が子供の頃を思い出していた。
「(そういえば、祥汰もよく怪我して俺が手当してたっけか……)」
かつては弟に対しても、同じように手当てをしていた。
当然今の唯香のように、髭剃りの失敗でではない。
何度となく転んでは涙を浮かべる弟を、毎度宥めながら手当てするのは、かつてのシルヴィアの役目であった。
「祥汰は強いから泣かないよな?」と言えば、必ず涙目でうなずく。
そんな光景を思い出し、懐かしんでいるうちに傷の手当が済む。
「はい、おわり」
「あ……ありがと」
「いいよ、気にしなくて。でも毎日怪我してるみたいだけど、どんなの使って髭剃ってるの?」
「……これ」
おずおずと差し出されたそれは、10cmほどの剃刀。
……というよりは、ナイフと呼ぶのが正しい代物であった。
それをシルヴィアは、刃に触れぬよう静かに受け取る。
ナイフ本来の用途のために、反りがついている。
髭を剃る用途としては非常に使い辛そうであった。
よくよく見れば所々に刃こぼれもしており、こんな物で髭を剃ろうとすれば、怪我をするのも当然であるのかもしれない。
「こんなの使ってたら、そりゃ手元も狂うはずだよ。頼み辛いかもしれないけど、誰か人にやってもらったほうがいいよ……?」
刃を指で挟み柄を向けナイフを返す。
唯香は僅かに頷くと、ゆっくりとそれを受け取った。
その時、シルヴィアはナイフを受け取る唯香の袖口から、真新しい手首の傷跡を見つけてしまう。
この世界での自身に悲観し、行為に及んだのであろうか。
ハウは最近落ち付いていたと言っていたが、目に見えない所でなにがしかの行動に出ていたのかもしれない。
そう考えているうちに、いつの間にか袖口を凝視していたのであろう。
唯香はシルヴィアの視線を追い、自身の腕へと目線を向けていた。
「これ?」
「あ……ゴメン、あんまり見られたいもんじゃないよね」
「別に。もうあんま痛くないし」
痛みはないと言うが、気にしてないということはないであろう。
あまりジロジロと見られて、愉快な気にさせられるものでもない。
「……すぐにメイドさんに見つかって……失敗した」
可能性に賭けて元の世界へ還ろうとしたが、早々にトリシアに見つかり未遂に終わったようであった。
そこまでするのは容姿だけの問題なのか、それとも望郷の念があるのか。あるいはその両方。
シルヴィアの場合はあちらへの未練はともかく、容姿がそこまで受け入れられないという程でもなかったため、そういった行為に及ぼうとは考えていなかった。
勿論単純に恐ろしいというのもあり、自害してまでも戻ろうという意志は湧かなかったのだ。
自身の後に生贄とされる人や、代わりに召喚されるであろう人のことを思い、踏み切れないというのも当然理由としてあるのだが。
「大丈夫。もうやらない」
そう語る唯香ではあったが、その雰囲気は立ち直ったものというよりは、今は気が乗らないといった程度のもの。
やはりどこか危ういモノを感じたシルヴィアは、しばらく気を付けておかなければならないであろうと思うのであった。