03
完全にその姿を現した太陽の下、身体からはじんわりと汗が出始める。
動くと気分は良いとはいうものの、中庭の二割程度に水をやっただけで、シルヴィアの腕は次第に上がらなくなっていく。
木杓子を持つ腕がプルプルと震え、持ち替えて再び水を撒くも、すぐに上がらなくなっていく。
どうやらシルヴィアの身体は、想像していた以上に貧弱であるようだ。
大雑把ではあるものの、広い花壇全体へとなんとか水を撒き終え、ようやく一息つく。
「お疲れ様でした。もう少ししたら朝食ですので、先にお着替えをなさってきては?」
トリシアの提案に、シルヴィアは素直に首を縦に振る。
汗まみれな服のまま食事に行っては、執事のブランドンに小言を言われる可能性は高い。
ここは大人しく従い、着替えを済ましておくべきなのであろう。
「では私は片づけをしてから、お着替えをお持ちいたします。先にお部屋へ戻られてお待ちください」
「すみません、おねがいします」
本来ならばそこまで手伝うべきなのであろうが、既に身体は限界に近い。
トリシアに道具の後始末を任せ、申し出に対し、素直に甘えることにした。
「これは本当になんとかしないとな……」
トリシアから言われた通り、部屋へと戻る途中。
先ほどまでは腕だけであったが、今では脚も思うように動かせずにいた。
昨日は市街を歩き回り、先ほどは花壇の水やり。
ただそれだけであるというのに、随分と身体は疲労を溜めていた。
当然寝不足という要因もあるのだが、シルヴィアにとってはこの身体の弱さが恨めしい。
こちらでも多少のトレーニングをするべきであろうかと考えながら、乳酸が溜まり怠くなった腕をさする。
そうしながら部屋へ向けて歩いていると、唐突に視線の先にある扉が開かれた。
誰の部屋であろうとか思うっていると、そこから顔を出したのは最も顔を会わせ辛い相手、ユイカであった。
「あ……」
「ん?」
互いに相手の姿を認識し、その動きを止める。
しばし気まずい沈黙が流れ、互いに沈黙し合うも、最初にそれを破ったのはシルヴィアであった。
つい今しがたトリシアに、年長者であると言われたばかりだ。
せめて挨拶くらい先にして、少しでもコミュニケーションを図るべきであろうと考えた。
「お……おはようございます」
「…………おはよう」
ぎこちない挨拶を交わすも、それも仕方のないことであろう。
今は互いに、どう接してよいのかがわからずにいた。
シルヴィアはどういった距離感で接すればよいかわからず、ユイカもまた昨夜感情に任せて捲し立てた手前、悪いと知りつつも素直に謝罪をできずにいる。
「さっき……トリシアさんを手伝って花壇の世話をしてたんです。陽射しが暖かくて、結構汗をかいちゃいましたよ」
なんとかコミュニケーションを取ろうと、シルヴィアは気合を入れて話しかける。
だがあまりその反応は芳しくなく、ユイカは気のない返事をするばかり。
その後も、昨日帽子を高値で売りつけられた話や、執事が作る料理の話など、なんとか話題を絞り出しながら会話を試みる。
しかしそれらに対して俯きながら返されるのは、「はぁ」や「そうですか」などといった、気のないものばかり。
無理に振る話題もすぐに底を着き、再び互いに黙り込む。
話題には困るものの、自身の本来の性別については、話さぬ方が無難だろうと考えた。
アウグストからは、ユイカにはまだシルヴィアが本来男性であると告げていないと聞いている。
それは今の彼女にとっては、酷く癪に障る話であろう。
シルヴィアはこの場から逃げ出したい欲求に駆られる自身を、随分と情けなく思う。
年上の男であると言われながらも、実際にはこの体たらくだ。
しかしそんな自己嫌悪に襲われ始めたシルヴィアへと、唐突にユイカから言葉が発せられた。
「唯香――」
「え?」
「遠野唯香……名前」
変わらず俯いたままのユイカではあるが、その反応によって少しだけ進展を見せる。
ほんの僅かな進み方ではあるが、向こうから会話を試みようとしたのだ。
コミュニケーションを取ろうという意思の存在に、シルヴィアは密かな喜びを感じた。
「唯香さんですね、よろしく。お――」
俺は雄喜です、そう言おうとした。
だがそれを告げてもいいのだろうかと思い、その言葉を踏み留める。
折角ユイカ自身から名前を告げてくれたのだ、シルヴィアも普通に名を名乗るのが筋というものであろう。
だが"俺"という一人称を使うことにより、ユイカを余計に刺激してしまうかもしれない。
そう考えると、素直に自身の本性を明かすのが躊躇われた。
「お……?」
「いや……私は沢渡ユウキです。こっちではシルヴィアという名前ですけど……」
「ユウキと……シルヴィアね。わかった」
姑息な真似と言われても、致し方ないのであろう。
普段は使わない私という一人称によって、わざと性別を勘違いさせるように誘導したのだ。
名前に関しては、ある意味どちらとも取れるものなので、偽名を使うまでもないが。
おそらくバレてしまえば、余計に不信感を抱かれてしまうだけなのであろう。
今さらながら、正直に言った方がマシだったのではないだろうかと後悔の念がにじり寄る。
「あなた……歳は?」
チラリと視線を合わせ、唯香が問いかける。
おそらく問うているのは身体の年齢ではなく、精神である雄喜としての年齢。
もっともエルフの少女としての年齢を聞かれても、シルヴィアには答えようもなかったが。
「今は一応二十六歳ですね」
「結構年上なんだ……私は十六」
「そうなんですね、十歳も離れてるんだ」
彼女の年齢については、トリシアと花壇の前でした会話から知ってはいた。
白々しい芝居であろうかとも感じるが、今はただ波風立てぬよう会話を進める。
「会社員?」
「そうですよ、福祉関係の仕事でした」
「そう……私は高校生……」
ユイカから会話をしようとする意志は感じられるものの、途切れ途切れに呟かれる言葉に、どこか無理をしてるように感じずにはいられない。
最初ほどではないものの、その重い空気にシルヴィアは耐えかねていた。
「そういえば、もう少しで朝食らしいですから、いったん着替えに戻りますね。汚れた服のままだと、ブランドンさんに怒られそうで」
「……そう、わかった」
シルヴィアは唐突に話を切り上げ、唯香と別れる。
するとこの場から逃げ出したい気持ちの顕れであろうか、早足で部屋へと戻り始めた。
逃げ込むように部屋へと飛び込むと、すぐさま扉を閉め、扉へと背を預けて両手で顔を抱え苦悶する。
「なにが年上の男性だ。高校生の女の子相手に逃げ出しやがって……!」
大人になっても、自身は何も成長していない。
身体ばかり大きくなって、その実精神は子供のままであったのだと、シルヴィアは今更ながら自覚をした。
「彼女は歩み寄ろうとしてくれていたってのに……俺が逃げ出してどうするんだ」
自己嫌悪の波に呑み込まれながら、シルヴィアはこれまでの自身を振り返る。
高校卒業時にプロからの誘いはなかったが、その気になれば入団テストを受けに行くこともできた。
であるにも関わらず、よく考えもせず大学を選んだ。
大学で怪我をして引退したが、医者からはリハビリすればまた前の通りにやれると言われていた。
だが早々に自身の才能へと見切りをつけ、アッサリと諦めてしまった。
社会に出てからは、同僚との人間関係に悩んで自ら会社を去った。
その度に後悔をして来たはずであるのに、この世界でもまた同じ轍を踏もうとしている。
「俺は……また繰り返すのか……」
小さく呟き、シルヴィアは自身の弱さをただ恥じるばかりであった。




