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02


 2016年 夏



 夕日に染まる街を、一台の路面電車が走る。

 それは甲高いブレーキ音を鳴らしながら、短い間隔を経て停留所へとゆっくり止まった。


 開いたドアからは数十の老若男女が降り、思い思いの方角へと散る。

 稀に路面電車を撮影するために、高そうな機材を携えた者が写真を撮りに来ることはあるが、普段は誰も気にも留めない。

 この街で何十年と続いてきた日常の光景だ。



 ピッ

 

 運転席横の機械へとICカードをかざし、運賃を支払う。

 そうして降りてきたのは、Tシャツにデニムというラフな出で立ちをした一人の男であった。

 停留所へと降り立ち、車に注意をしながら横断歩道を渡りきると、早足で向かったのはすぐ近くの繁華街にある居酒屋。

 その男はこれから、久々に会う高校時代の友人と飲む約束をしている。

 時間には多少の余裕を見ているはずであったが、旧友の性格を想えば向こうは十分前には来ているかもしれない。

 そう思うと、自然と足取りは早くなっていった。



「お、来た来た!雄喜!!」



 先に店に入っていればいいものを、久方ぶりに会う旧友は、律儀に店の前で待っていた。

 その旧友に大声で呼びかけられ、この男""沢渡雄喜""は僅かに恥ずかしさを感じる。



「そんな大声で名前呼ぶなよな浩介。恥ずかしいだろうが」



 恥ずかしさは往来で名前を呼ばれたからだけではなく、長く無沙汰をしていた旧友との再会への気恥ずかしさもあるのだろう。

 ついつい照れ隠しでぞんざいな対応をしてしまう。



「なんだよ、気にするほどの事じゃないだろ? まあいいや、早く入ろうぜ」



 会うなり早々に、雄喜は旧友に促され店へと続く階段を上っていった。





「じゃあ六年ぶりの再会を祝して乾杯!」


「よく覚えてるな、何年ぶりかなんて……」



 店へと入ると、予約していた席へと案内され、とりあえずはと注文したビールを手に取り乾杯する。

 雄喜がこの親友と会うのは確かに六年ぶりであった。

 高校の同級生であった彼と最後に会ったのは、大学の二年時であったか。

 親友の浩介は地元の大学へ、雄喜は関東の大学へと進学し疎遠になりかけていた時に、浩介が遊びに来たのが最後だ。

 その後は電話やメールで繋がりは保っていたのだが、直接会う機会はなかなか無かった。

 主に雄喜が忙しさを理由に断っていたためであるが。


 ビールをジョッキの半分ほど飲み干し一息つく。



「かーーーっ! 美味めえ」


「飲み方がおっさん臭いぞ浩介」


「当たり前だろうが、俺らももう二十六だぞ。学生連中から見たらおっさんみたいなもんだよ」


「それ本当のおっさんから怒られるぞ……」



 自分では歳を取ったと言っているものの、旧友は学生の頃とほとんど変わっていない。

 快活な性格などは、まったくもって当時のままであった。

 いや、変わっていないとは言うものの、若干その姿には変化が生じている。

 持って回った言い方をするならば、とある防衛線の維持に苦戦し始めているように見えなくはない、と雄喜は感じていた。

 無論当人には言わないが。



「それで浩介、急にどうしたんだよ。久しぶりに飲もうだなんてさ」


「ん? ああ、ちょっと祝いをしてやろうと思ってよ」


「祝い?」


「しらばっくれんなって! お前の弟のことだよ」


「ああ……それか……」



 雄喜には七つ年下の弟が居る。

 浩介はどこからか、雄喜の弟の話を聞いて連絡をしてきたのだろう。

 だがどこからかとは言うものの、弟の話を耳にするのは決して難しい話ではないのかもしれない。

 この地方都市では、雄喜の弟は比較的有名人の部類に入るのだから。



「まさか祥汰がプロのサッカー選手になるなんてな。しかも1年目から試合出てんだろ? 兄貴としちゃ鼻が高いだろうに」



 雄喜の弟である祥汰は、これまで地元にあるプロクラブの下部組織に所属し、今年トップチームへと昇格した。

 それまでも幾度となく専門誌で大きく扱われ、鳴り物入りで加入会見を行う弟の姿は、雄喜の記憶にも新しい。



「職場の人からも言われるだろ? サインもらってきてー! とかさ」


「いや……職場では……弟だって言ってないんだ」


「言ってないのかよ? 俺だったら自慢しまくるけどなぁ……俺の弟はこんなにすげーんだぞ! って。まぁ俺に弟は居ないけど」


「いや俺は……そういうのはちょっとさ」



 あまり振られたくはない話題であるのか、雄喜の口は重くなっていた。



 かつては雄喜も、弟と同じプロの下部組織に所属していた。

 幼い頃はただ夢中でボールを蹴り続け、小中校時代は地域の中では抜け出た存在となる。

 周囲から認められ称賛を受け始めて、徐々にプロへの憧れが芽生え始めてきた頃、スカウトの目に留まることとなった。

 当然のように、一も二もなく飛びついた。これでプロの夢に一歩近づける、と。


 だが専属のスカウトが居るようなチームだ。

 全国からそういった、地域毎の化け物と呼ばれるような少年たちが集まってきていた。

 当時の雄喜はあまりにも高い水準に早々挫折を経験する。

 しかし最初はまったく出れなかった試合だが、2年目からは徐々に出れるようになり、活躍の機会も増えた。

 最終的にトップチームへの昇格という夢を掴むことはできなかったが、関東の大学から誘いを受け進学することとなり、大学の四年間にプロへの道を賭けた。

 しかし現実は上手くいかない。試合中の怪我が元でプロへの道を断念し、地元に戻って就職。

 今現在スポットライトを浴びピッチや檀上に立つ弟は、雄喜が迎える未来の姿として憧れ、空想した光景そのものであった。




「正直俺は、雄喜もプロになれると思ってたんだけどさ……まあ怪我したんじゃしょうがないよな」


「もう諦めたよ。こればっかりはどうしようもない。それにどうせ俺なんかの実力じゃ、プロは厳しかったさ」



 旧友に悪気がないのはわかっていた。

 単純に雄喜の弟が成功を始めたのを祝ってくれているし、雄喜がこれまでやってきたことを労ってくれている。

 だが……浩介の言葉に対し、僅かにイライラとした感情が沸き起こるを雄喜自身は感じずにはいられなかった。



「もう弟さんの試合は観に行ったのか?」


「ああ、あいつがチケットを送ってくれてさ。親父と兄貴と一緒にな。親父なんて行けもしないのに、興奮して年間でチケット買っちまったよ」



 薄く笑顔を浮かべるも、その内心は暗い。

 プロ入り一年目から脚光を浴びる弟は輝いていた。

 スタジアムへと入る姿へと降りかかる黄色い声援、アナウンスされる名前、誇らしげに背負う背番号とユニフォーム。その全てが。


 試合途中から入った弟の姿を見た時……雄喜は激しい嫉妬を覚えた。

 歳は少々離れているものの、仲の良い兄弟ではある。

 ずっと慕ってくれていたし、最初に弟へボールの扱いを教えたのも雄喜だ。

 最愛の弟……だが雄喜は本来自分が立つはずの場所を、弟に奪われたような錯覚に陥ってしまう。

 そこに立っているのは俺だったはずなのに、なぜお前が……俺の方がふさわしかったんだ、と。

 最近ではその黒い感情を覚える自身を次第に嫌悪し、何もかもから逃げ出したいと思うようになってきていた。



「それは親父さん嬉しかっただろうな」


「そうだな。毎晩酒飲みながら、あいつが初めて出た試合の録画を観てんだぜ。負けた試合だってのにさ」



 あの場に立っていたのが弟ではなく自分だったら、父は同じようにしてくれただろうかと雄喜は考える。

 弟を産んですぐ母が他界してからは、父と兄弟3人協力して生きてきたのだ。きっと父は同じく毎夜録画を肴に酒を飲んでくれただろう。

 故に弟と違い、父の夢に応えきれなかった自分自身を悔しいと雄喜は思う。

 もっとも父親は気にはしていないであろうが……。


 二杯三杯と酒を飲み干し、酩酊感を覚え始めた頃、携帯に着信音が鳴り響く。

 雄喜のものだ。相手は……大学時代に世話になったサッカー部の先輩であった。

 今はどこかの学校で指導をしていたはずだ。



「ちょっとスマン、大学の先輩からだわ」


「あいよー、勝手に頼んでるぞー」


「おう、割り勘なんだからあんま高いのばっか頼むんじゃねえぞ」



 携帯を持ち席を立つ。店内は騒がしく聞き取り辛いため外へと向かいながら、電話に出る。



「はい、もしもし。ご無沙汰してます先輩。どうしたんですか?」



「ええ、なんとかやってますよ。……え? いえ、今はもうやってないですけど……」



「――それはどういうことですか……」



 何を告げられたのか、電話の相手にかけられたであろう言葉に雄喜は呆然とする。

 携帯を持つ手はわなわなと震え、その表情には影が差す。


 その時、打ちひしがれる雄喜の背後、何もないはずである空間からピシリという音。

 不意に響いた音に、振り返った雄喜が何が起きたのかを悟るよりも先に、その視界は黒く覆われる。

 咄嗟の出来事に驚く間もなく、雄喜の意識は闇へと沈んでいった。

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