06
「とりあえず、こいつを使って好きなもんを買いな」
そう言いアウグストは、両掌よりも少しだけ小振りな麻袋をよこす。
ジャラリという金属同士がぶつかる音と共に、シルヴィアの手へと重さが伝わる。
聞くまでもなく、この麻袋の中に入っているのは硬貨であろう。
これを使い、必要な物を買い求めろと。
人混みを背にして麻袋の口を縛る紐を緩め、コッソリと中を確認する。
五百円玉ほどの大きさをした硬貨が三種類。
見えている限りでは、銀の割合が多いであろうか。
次いで銅。そして数枚ほど、金色に輝く硬貨が見えていた。
「これがこの国の通貨だ。だいたいわかると思うが、金が一番高い。次に銀で一番下が銅だ、簡単だろ?」
「それはわかりましたが……これでどのくらいの価値があるんです?」
シルヴィアは問うが、それも当然か。
通貨の価値を知らずに、買い物などできようはずもない。
機械に任せて会計を済ませられる、現代の日本とは違うのだ。
物や貨幣の価値を知らないがゆえに、酷く騙されてしまう可能性を考えると、まず前もって聞いておくのが無難か。
アウグストはシルヴィアのした質問に対し、極力わかり易いであろう答えを返す。
銅貨二枚あれば、三人が一日に食べるだけのパンを買えると。
銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚。ただこれだけだ。
あまりに適当な説明ではあるものの、あまり詳しく説明されても混乱するばかりだ。
この程度の内容で十分なのであろう。
これ以上先は、実際に買い物をしてみた方が早いかもしれない。
そう考えたシルヴィアは、「わかりました」と簡潔な返事を返し、とりあえず必要そうな品を探し歩くこととした。
水はけの良い土地なのか、それとも暖かい日差しによって乾くのが早いのか。
土と砂でできた大通りは、昨日降った雨の影響を感じさせず、足元に気を払う必要すらない。
初めて見る王都の光景に、キョロキョロと周囲を見渡しながら歩く。
その姿は地味な色合いながらも仕立ての良い服であることも相まって、地方から出てきた富豪のお嬢さんといった風体であった。
それが理由という訳でもないであろうが、歩くシルヴィアへ向け、呼び込もうとする売り子の声は絶えない。
「そこのお嬢ちゃん、今なら丁度似合いそうな耳飾りがあるぜ!」
「喉が渇いてない? よーく冷えた果物はいかが?」
「そこの人、悪い星が近づいてるよ。見てあげるから寄っておいで」
宝飾商や果物屋、はては占い師まで。
通りかかるシルヴィアに対して声をかけ、その多くに対してついつい足を止めてしまう。
店側からすれば、良い鴨なのであろう。
ただシルヴィア自身それなりに楽しんでおり、決して悪いとばかりは言えぬものであった。
「いらっしゃいお嬢さん。いい出物があるよ」
板と布で組んだだけの、簡素な店舗に大量の布が並ぶ店。
その店に立つ男から声がかかる。
これまで同様近づいて見てみれば、どうやらそれは服屋のようであった。
見るからに良い仕立てをした服を纏う娘へと声をかけるのだ、店に並ぶ商品に自信を持っているのかもしれない。
何にせよこの先着替える服は必要となるであろう。
興味を引かれたシルヴィアは、折角なのでと寄ってみることにした。
「いい生地が手に入ってね。うちのカミさんが張り切って上下の揃いで縫ったんだが、どうだい?」
そう言い服屋の男は、赤見の強い茶をしたロングスカートとジャケットを広げる。
シルヴィア自身には生地の良し悪しは判らないが、自信を持って言い切るので、おそらく良い品なのだろうと判断する。
「別に一緒じゃなくて片方だけでもいいんだけどね、お嬢さんには似合うと思うんだよねぇ」
服屋が客に似合う似合うと連呼し、押し売ろうとするのに世界の違いは関係ないようだ。
ひたすらに褒め続け、なんとか売りつけようとする。
次々に目の前へと積まれる商品の山と男の勢いに、見るだけのつもりであったシルヴィアはいつの間にか飲みこまれてしまっていた。
しばしの格闘の末、なんとか店主の攻勢を潜り抜けたシルヴィアは、足取り重く店から離れる。
看板商品と思われる揃いの服は、なんとか売りつけられずに済む。
だが完全に無事のままとはいかなかったようだ。
少し離れた場所で串焼きを片手に待っていたアウグストへと近寄った時、その手には一つの商品が握られていた。
「なにを買わされたんだ?」
アウグストに問われ、手に握る品を見せる。
その手にあったのは、最初に見せられた赤茶の服と、同じ生地を使って作られたキャスケット帽。
「余り生地で作ったから、そんなに高くないって聞いて……」
押し売りの攻勢から逃げ出すために、つい適当に買ってしまった。
「いくらで買わされたんだ?」
「銅貨で七十枚……」
買った時点でのシルヴィアには知る由もないが、相場としては決して安くはない。
強く断れないのにつけこまれ、服屋の男に上手く売りつけられていたのだった。
だがこれも、こちらの世界での社会勉強と言えるであろう。
「気を付けろよ。こっちの商人連中はかなり腰が強いからな」
「……はい」
この世界で最初の買い物に惨敗したシルヴィアは、小さく溜息をつく。
その様子を見たアウグストは、手に握られたままのキャスケット帽をひったくると、シルヴィアの薄灰色をした頭へと押し付ける。
「うん、悪くないんじゃねえか? ちょっとばかし高いが、作りも良さそうで何より丈夫そうだ」
「それはどうも……」
彼なりに励まそうとしているのであろうかと感じ、シルヴィアは苦笑いを浮かべる。
半分騙されて買った品ではあるが、買ってしまったものは仕方がない。
使って元を取るしかないと思うことにした。
ただそれよりも、二人は買い物の続きへと戻らなくてはならない。
一日はそう長くはないのだ。この時点で既に、太陽は真上へと差しかかろうとしている。




