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05


 アウグストと共に、綺麗に舗装された坂道を延々下る。

 いったいどこまで続くのであろうと思えた長い道ではあったが、次第にその先へと大きな壁が姿を現していた。

 近づく壁を見上げると、それがただの壁ではなく、城郭都市であるこの町を仕分けるものであると知れる。

 眼前に聳える高い壁の下には、大きくアーチ状の空洞。

 傍らでは兵士であろうか、身長程もある棍棒を手にし、暇そうに壁へと寄りかかる。

 おそらくは、この先が市街区と呼ばれる地域なのであろう。



「よう! 相変わらず暇そうだな」



 壁に背を預ける若い兵士へとアウグストが声をかけると、隠そうともせず欠伸をしていた兵士はビクリと身体を震わせた。

 その兵士は慌てた様子でこちらを振り向くと、一転してその表情に安堵の色を浮かべる。



「ロイアー様じゃないですか。脅かさないでください……上官かと思いましたよ」


「上官なら出会い頭に怒鳴りつけてるだろうが」



 常日頃からして暇なのであろう。

 この若い兵士は職務中であるにも関わらず、随分と気が抜けていたようだ。

 昨日アウグストが、この世界には戦争がないと言っていたのを思い出す。

 ただ平和なのは結構だが、兵士にとっては気を張る状況がないというのもまた考え物なのだろう。

 歩哨と思わしき兵士が気を抜いていては、何の意味も成さないであろうに。



「今日も市街区へ行かれるので?」


「当然だろう? こんな息の詰まるところに居られるかっつーの」


「ハハハッ! 確かにあんまり長居したい所では――おっと」



 言いかけた兵士は自身の口を押える。

 まがりなりにも貴族らの住む地域だ、あまり不用意な発言をしては問題があるのかもしれない。

 それにしてはアウグストの言葉には遠慮がないが。



「今のはご内密に願います」


「別に言いやしねえよ。それに貴族や王族だって同じこと思ってるしな」


「助かります。これこそ上官に聞かれでもしたら大目玉ですからね。……ところで」



 兵士はチラリと、シルヴィアへ視線を向ける。

 アウグストとは顔見知りのようであり、それゆえに普段は見ない顔である、シルヴィアの存在が気になるようであった。



「お見かけしない方ですが、こちらの女性は?」


「おう、ちょっと向こう側を案内してやろうと思ってな。いいとこの嬢ちゃんだからな、手を出すなよ」



 と、シルヴィアの正体を隠しつつ紹介する。

 自分たちの存在は、一般人や多くの貴族にすら秘匿されていると、朝食の席でハウは言っていた。

 それは当然、この兵士にも当てはまる話なのであろう。

 この紹介の仕方であれば、シルヴィアのことを貴族か富豪の子女とでも認識したかもしれない。



「そんな、滅相もないですよ。それに俺にはもう嫁さんも子供も居るんですから」



 目の前に立つ兵士は、まだ20歳くらいにしか見えない。

 だがが既に妻子が居ると言う。

 あちらの世界でも、そのくらいの年齢で父親になる者は多少は居た。

 世間的には若い部類ではあったが、こちらではこのくらいの年齢であっても普通のことなのであろうか。

 そのあたりも含めて、今のシルヴィアには圧倒的にこの世界に関する知識が足りない。



「それもそうだったな。そんじゃ俺らは行かせてもらうぞ」


「はい、お通り下さい。そうだ、また最近スリが増えてるらしいんでお気をつけて」


「おう、またな」



 シルヴィアは兵士へと会釈し、アウグストの後に続いてアーチ状に造られた通路へと進む。

 車が二台ほど通れそうな広さをした、薄暗い通路へと入る。

 すると暖かな春の日差しから一変、石材から伝わるヒンヤリとした空気に包まれた。

 せいぜいが二十歩分ほどの短い通路の先からは、既に賑やかな喧騒が聞こえ始めている。


 その短い通路から踏み出て、再び日の光を浴びる。

 そこには先ほどまでの閑静な上街区の街並みとは大きく異なり、人の活気に満ち満ちた光景が広がっていた。



「ようこそ市街区へ。ここがこの王都本来の姿だ」



 振り返り大仰に両腕を広げ、なぜだが得意気な顔となるアウグスト。


 通り抜けた先に在ったのは、商店の立ち並ぶ大きな通り。

 上街区とはうって変わり、道は土と砂が剥き出しで、ただ平らに慣らしただけの造りであった。


 太い木材で組んだ枠に、大雑把に切り取られた石材をはめ込んだだけの民家。

 角材の骨組みに布を張っただけの簡素なテント。

 その下に構えられた商店には、春らしい彩の野菜が並べられ、店主は客寄せに声を張り上げている。

 通りの向こうに見えるのは、鍛冶屋であろうか。

 半分建物に埋まった形で店を構え、中に据えられた炉を前に、ずんぐりとした体形の男が槌をふるっていた。



「(あれはドワーフってやつか?)」



 さらに視線を移せば、建物の隙間にある狭い路地では、幼い子供たちが小枝を持ち土の地面へ落書きをしている。


 なるほどアウグストの言葉にも納得がいく。

 家々の壁は材質が剥き出しのまま塗装もされず、町並みは雑然としてはいる。

 しかしここには確かに、人による活気が溢れていた。

 城壁を越えた隣にあるのが信じられぬ程の静けさを保っていた上街区とは違い、この喧騒ならばこの国の、そしてこの世界の中心にある都市であるというのも頷ける。

 少々、騒々しすぎるような気もしないではないが。



「さて、それじゃあまずは」



 百三十年もの永きに渡り、この街で生きてきたアウグストだ。いったいどこへと案内をしてくれるのだろうか。

 シルヴィアは賑やかな街を見て逸り始めた気持ちを抑え、次ぐ言葉を待つ。



「……どうすっかな」



 その言葉に気を抜かれる。

 この男はどこかしら案内したい場所があり、この役を買って出たのではないのかと。

 それともただたんに、シルヴィアの案内を口実にして、退屈な屋敷から抜け出したかっただけなのか。


 シルヴィアがジトリとした視線で、呆れた表情をしつつアウグストを見る。



「ほら、お前さんもこっちに来たばっかで、何か入用な物があるかもしんねえだろ? 買い出しだよ、買い出し」


「本当にそのつもりで来たんですか?」


「……まああれだ。考えてみれば、俺もここには酒場かお姉ちゃんが居る店くらいしか用がないんだよ。酒場は夜にならんと開いてないし、お姉ちゃんのトコに連れてくわけにもいかんし」



 実際に何も考えていなかったようで、ただ自分が抜け出したかっただけであるという可能性は高そうであった。

 だが折角ここまで来たのだ。

 アウグストはともかくとして、今さら戻るのも勿体ないと考え、シルヴィアは折角の外出を楽しむこととした。



「このまま引き返すのも癪ですし、色々と街を見て回りますか。正直なにが必要かすらもわからない状況ですが」


「よし、決まりだな! 任しときな、金はそれなりに用意してっからよ。買い物して遊んで、最後は酒場だ」


「酒場は遠慮しておきます。トリシアさんが夕食を用意しておくと言ってましたし」



 一応釘だけは差しておく。

 折角トリシアが食事を用意してくれるというのだ、それを無駄にするのも気が引ける。

 なにより朝から夜中まで出歩くだけの体力が、今のこの身体にはないだろうと思えてならない。



「それなら帰りに酒を買って、屋敷で飲むとするか!」



 揚々と言い放つアウグスト。

 どうやら酒だけは譲れないようであった。


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