04
屋敷の敷地から、一歩外へ。
格子状になった正門の扉を開けて踏み出ると、眼前には白塗りの町並みが続いていた。
方向が逆なのであろうか、自室のテラスから見える、石造りの家々が連なる景色とは大きく異なる光景。
白亜の豪奢な建築物が並び、広くなだらかな坂道に沿って連なっている。
その舗装された坂道を下りながら、シルヴィアはキョロキョロと周囲を見渡す。
「部屋から見えてた街と違います……」
「そいつは市街区だろうな。俺らが今居るのは、貴族やら金持ちの商人が住んでる上街区と呼ばれる地域だ」
アウグストの話では、首都メイルハウトは丘の上に造られた街であるとのことであった。
麓から上へと向かうに従い、一般の市民が住む住居や商店が集まる市街区。貴族や富裕層らが住む上街区。王宮や国を運営していく各種府の本部が置かれた高宮区となる。
綺麗な石畳を敷かれ、大きく白い建物が整然と立ち並ぶこの地域は上街区。
首都の中でも、かなり裕福な者のみが住む地域となる。
「なんにもねえ場所だけどな。遊ぶ場所はないし、飯屋の類はあるが、たいして美味くもねえ上に馬鹿高い」
「他に店とかはないんです?」
「一応あるにはあるんだが、店舗を構えてねえんだよ。上街区の連中は店に行かず、家まで呼びつけて買い物をする」
貴族や富豪といった者たちは、そういうものなのであろう。
だがアウグストの言う通り、娯楽を求める者達にとって、決して面白いとは言えない場所であるのかもしれない。
「それは確かに退屈かも」
「だろう? まあ俺はしょっちゅう抜け出してるがよ」
「市街区にですか?」
「ああ、そっちなら店も多いし飯も安くて美味い。それに……」
歩きながらニヤリと口元を歪め、視線を向けるアウグスト。
悪戯っぽい笑みを湛え、大きく両の腕を点に掲げ、晴れ晴れとした声で言い放つ。
「綺麗どころのお姉ちゃんが居る酒場も多い!」
その実に欲望に忠実な動機に対し、そうですかと気のない相槌を打つシルヴィア。
男としての身のままであったならば、多少なりと関心を持てるかもしれないと考える。
しかし少女の姿となった今では、もし仮にそこへ連れて行かれたとしても、どう楽しめばよいものやら。
「お前、今ちょっと呆れただろ」
「いえそんな……まぁちょっとだけ」
「そう言うなよ。どうしたって俺は人間の女にはモテんからな、そういう仕事で相手してくれるお姉ちゃんたちと遊ぶしかねえんだ」
アウグストは言いながら、その太い親指を自身へと向ける。
その仕草を見て、シルヴィアは言わんとする意味を理解した。
親しみやすい性格をしてはいる男ではあるが、言われてみればそうだ。
この外見では、人間の女性は恐れて近寄ろうとはしないのかもしれない。
「同族の女性とかは居ないんです?」
「馬鹿を言うな、俺は元々人間だぞ? 確かに同族相手なら多少はモテるがよ、女とはいえドラゴンの頭をしたデカイのが相手じゃ、その気にもならん」
「まあ……そうかもしれません」
「俺の守備範囲は人種、エルフ、あと人寄りの外見をした獣人だな」
外見上で人間と近い存在でなければ、その対象とは成りえないのであろう。
ただエルフもその首尾範囲内であると聞き、シルヴィアは歩きながらアウグストとの間隔を若干空ける。
「……いや、お前さんには興味ねえよ。元男に手を出すほど飢えちゃいないぞ」
それはなにより、と安心して再び距離を詰める。
その少々露骨なシルヴィアの反応に、アウグストは小さくため息をつきながら会話を再開した。
「話しは戻るが、今から往くのがその市街区だ。見るもんの無い上街区なんぞ案内してもつまらんし、そもそもここに住んで長い俺もよくは知らん」
「長いというと、どれくらいになるんです?」
アウグストは僅かに間を開け、多少首を捻り考えた末に答える。
「……こっちに召喚されてからそうだな、確か百三十年くらいになるか」
その告げられた年月に、シルヴィアは驚きを感じずにはいられなかった。
百三十年前といえば、日本ではまだ明治の頃。本来ならば生きている者など居ようはずもないだろう。
だが考えてみればここは異世界だ、種族によっては永い命を持つ者が居たとしてもおかしくはない。
シルヴィアの持つ知識の中では、まさにその長命な種族の筆頭こそがエルフという種であった。
実際それがこの世界にも当てはまるかどうかは定かでないが、竜種のアウグストは百年を超える年月を生きている。
エルフである自身は、いったいどれだけの時を生きるというのであろうか。
その答えは、すぐさまアウグストによってもたらされる。
「俺なんかはあと百年は普通に生きるだろうが、お前は俺の比じゃないぞ」
「俺のイメージだと、エルフってかなり寿命永いんですけど、どのくらい生きるんです?」
「そうだな……正確にはわからんが、だいたい八百年かそこいらか?」
あまりにも永い年月を告げられ、シルヴィアは眩暈を覚えそうになる。
これから先、それだけの年月を生きていかなければならないのかと。
それはあまりにも膨大な月日だ。
「お前さんの先代となる爺さんも同じ種族だったんだが、結局九百年以上生きてた。無駄に健康的なジジイだったからな」
アウグストは随分と軽い口調で言い放つが、シルヴィアの側はそれほど楽観的な気分ではいられない。
昨日説明された、死後に元の世界へと還るという話。それを確認する機会の訪れは、随分と先の話になりそうだ。
それと同時に、相手の意思を無視して召喚し、それだけの永い時をこの世界に拘束しようとする者たちへの怒りがフツフツと沸き起こる。
「そういえば、俺を呼び出した連中は挨拶にも来ないんですね」
その放たれた言葉に含まれた棘を感じ取ったのであろう、アウグストは苦笑いを浮かべる。
「儀式をした連中はどうか知らんが、実際それを指示した上の奴らは、俺らのことなんて気にも留めちゃいないだろう。謝りに来たなんて話も聞いたことがないな」
結局のところ呼び出した側からすれば、都合よく利用するだけの存在だということなのであろう。
ある程度面倒を見てはもらえるとはいえ、呼び出しておいて放置されるとは不愉快なものであると感じる。
しかし不愉快ではあるが、この身はただの非力な少女。
英雄となるべく召喚された勇者でもなく、文句を言いに怒鳴りこむわけにもいくまい。
「相手はこの国のお偉いさんたちだ、諦めな。言いたいことは山ほどあるだろうがな」
善からぬ考えを起こさぬようにであろう。
顔を顰めるシルヴィアへと、アウグストは若干声の調子を落として告げた。