02
フィオネと呼ばれた少女は、いつの間にやら雄喜の隣にある席を確保していた。
適当に座った雄喜の隣の席へと無造作に座ったので、これといって座席が指定されている訳ではなさそうだ。
終始ニコニコと向け続けられる笑顔に、雄喜はどう反応を返したものか苦心する。
雄喜自身にもなんとなく覚えがあったが、幼少期は年上の女性に憧れを懐くことがままある。
おそらくはそれと似たような状況なのであろう。
いったいこの童女は、雄喜のドコをそんなに気に入ったというのか。
「(どうしよう……小さい子の相手なんてほとんどしたことない……)」
逆に年配者の相手ならば、慣れていると言い切ることはできる。
ここ二年程は福祉の職に就き、雄喜は高齢者の入居する施設で働いていた。
一応過去には幼い弟の面倒も見てはいたが、あくまでもそれは家族という関係性あってのもの。
赤の他人である少女に対し、どう接してよいものやら。
家庭も持たぬ身であるため、当然自身の子供も居ない。
必然的に普段言葉を交わす相手は高齢者と同僚、家族。そしてたまに会う男友達だけとなっていた。
この時、雄喜自身が年若い少女であるという事実は、すっかり頭から消え去っているようではあった。
「すまんな、遅くなった」
そんな雄喜にも、助け舟はやってきたようだ。
開かれた食堂の扉からアウグストともう一人、別の人物が姿を現す。
だが人物と評するのが適切なのかどうか、その者はアウグストとよく似た姿をしていた。
アウグストが竜頭の大男であるのに対し、そちらは蜥蜴。
リザードマンという言葉が、雄喜の脳裏を巡る。
「こいつが着替えるのに手間取っちまってな。俺は早くしろっつったんだけどよ」
「なにをふざけたことを……。貴方が僕の部屋で朝っぱらから酒盛りを始めたのが遅れた原因でしょう。それに僕は初めてお会いする方に失礼のないように身だしなみをですね……」
「わかった、わかったから。細けえことをグチグチと」
食堂に姿を現して早々に口論を始めていた。
リザードと思わしきその人物の格好を見ると、なるほど、身だしなみに気を付けている形跡が見られる。
屋敷のルールであるのかは定かでないものの、他の全員と同じくベースの服は白で統一され、シャツにゆったりとした黒のスラックスを纏う。
よくよく見てみれば、袖には貝殻で作られたと思わしきカフリンクス。
「細かくはありません! いつも貴方はそうやって僕の話を――」
口論をしながらも、並んでテーブルに向けて歩きそのまま着席する。
どうやらリザードマンの方はアウグストと違い、その強烈な見た目に反し、非常に生真面目な性格である様が窺えた。
そんな二人の口論の様子に一切動じることもなく、トリシアは食器を並べ、フィオネは変わらず笑顔のまま。
これが日常の光景たる証拠なのであろう。
着席したリザードマンは、水が入っていると思われるボトルを掴むと、中身をカップへと注ぐ。
そのカップはアウグストの手に握られていた。
今度はその逆に、アウグストがリザードマンの手に納められたカップへと水を注ぐ。
未だに若干の口論は続いているものの、その実この両名が良好な関係を築けているというのは、容易に想像がつくものであった。
「さて、そんじゃお前ら自己紹介しな」
当人には一切間を取り持つ意志はないのだろう、水をちびりちびりと飲むアウグストは、早々にボイコットを宣言してしまう。
自分の世話役のような存在ではなかったのかと思い、雄喜は若干気の抜ける思いをする。
「まったく、貴方と言う人は……。しかたありません、では僕から自己紹介をさせていただきます」
リザードマンと思われる男は姿勢を正し、自己紹介を始める。
男は自身を、『ハウ』と名乗った。
やはりその外観から雄喜が想像した通り、種族はリザードマンであったようだ。
この世界へと召喚されたのは、四十年ほど前。
四十年前と言えば、雄喜が産まれるよりも更に十年以上前。
随分と昔であると思いこそするものの、種族的には人よりも多少長命であるようで、あと五~六十年は余裕で生きるそうであった。
替わって雄喜も自己紹介をし、今現在の身体の種族や、精神の年齢。そして本当は男であることなどを話す。
だがハウは事前にそれを聞いていたのであろう。とりたたて表情を崩す様子はない。
「大変な目に合われましたね。ですが我々は貴方の性別云々に関して気にはしません。難しいかとは思いますが、あまり気に病まず接してください」
「ありがとうございます……」
「では次に彼女。フィオネですが……フィオネ? このお姉さんに自己紹介をしましょうね」
「はーーい!」
勢いよくダークエルフの少女が右腕を掲げる。
「フィオネだよ!」
ただ一言。あまりにも簡潔な紹介であった。
流石に名前を告げるだけでは、紹介としての意味をそれほど成さない。
これ以上詳しく説明するのが難しいらしく、代わりにハウがフィオネと名乗る童女についての紹介をしていく。
「ご覧の通り彼女はダークエルフの娘で、確か今年五歳でしたか。ここには一年ほど前に召喚されました」
補足するように、外見と精神の年齢はほぼ同じであると告げる。
とはいえここまでの言動から、おそらくそう変わるモノではないのだと予想がついていた。
雄喜はフィオネの紹介を聞き終えると、アウグストの時に感じた疑問が、再び首をもたげるのを感じる。
いい機会だと思い、その疑問をぶつけることとした。
「質問があるんですが、みなさんの名前はとても日本人には聞こえません。これはいったい……?」
「そうですね、もっともな疑問です」
ハウは指を組みゆっくりと頷く。組んだ指から水かきと、短いながらも鋭い爪が見える。
「これはもちろん、私たち本来の名前ではありません。こちらで生活していくために用意されている名前と言って良いでしょう」
「用意されていると言うと?」
「実は我々の存在は一般人のみならず、一部を除いて貴族にすら秘匿されているのです。ゆえにその正体を偽装するために、こちらの世界に合った名前が割り振られています」
「では俺にも名前が……?」
「それはもちろん。貴方のこちらでの名前は、シルヴィア・ディールランドとなります。もし男性の体に召喚されていたとしたら、別の名が付けられていたでしょうね」
実際に女性の身体であるため当然ではあるが、実に女性的な名前だ。
雄喜はこれまで男として生きてきた二十数年を、否定されたかのような印象を受ける。
だがそれも仕方ないのかもしれない。
少なくともこちらでは、女性として生きていかなければならないそうなのだから。
「仲間内では本来の名前を呼んでもいいのですが、人前で咄嗟に呼んでもいけませんので。一応用心のために、この名前で通すようにしているのです」
そこまで説明を受けたところで、料理が運ばれてくる。
給仕はトリシア一人。
いまだに彼女以外の使用人を見かけないが、まさかその全てを一人でこなしているのであろうか。
「とりあえずは食事をいただきましょうか。ここの料理はおいしいですよ。きっとユウ……いえ、シルヴィアさんも気に入られるはずです」
ハウはそう言いつつ、笑顔でフォークを掴み皿へと向かう。
異世界に来て最初の食卓。
雄喜がアッシュエルフの少女シルヴィアへと、その存在を変えるのは定められたことであるようだった。