01
3258年 初春
いつの間に眠ってしまったのであろうか、雄喜が目を覚ました時には朝を迎えようとしていた。
だがまだ夜が明けて間もないのであろう。あまり日は高くなく、小鳥の囀る声が聞こえてくる。
時計すらこの部屋には無いため、大まかな時間さえわからないが。
しかしおそらく眠ったのは、零時にすら達する前であったか。
こんなにしっかりと眠ったのは久しぶりではないだろうか、と雄喜は思う。
普段は夜が明けきらぬ前に起きだして職場へと向かい、日付が変わろうかという時間に帰宅する生活。
人手の足りなさ故に、腰の低い上司が申し訳なさそうに残業を頼み、スタッフが諦め半分に承諾する光景は日常のものであった。
それに雄喜自身も、あまり一日中を自室で過ごす性質でないため、休日には起きるなり早々外へと出かけていた。
そのためか、平均的な睡眠時間は短かった。
「ふあ……あぁ」
大きく欠伸をしつつ、雄喜はベッドの上でグイとおもいきり伸びをした。
起き抜けの弛緩した身体へと、幾分か力が戻ってくるような感覚を得られる。
そのままベッドから降り、目を擦りながらテラスへの扉を空け放ち新鮮な外気を取り込む。
初春早朝の少し冷たい外気が室内へと入り込み、太陽の光と共に全身へと浴びる。
この朝の気持ち良さは、どこの世界であっても変わらないのであろう。
冷たい空気と陽射しにより、ゆっくりと思考が覚醒していく。
コンコンコン
部屋にノックが響き渡る。
昨日に聞いたのと、まったく同じ調子の音。
「おはようございます、お着替えをお持ちいたしました」
外から聞こえてきた声の主は、昨日と同じくメイドのトリシア。
雄喜が目覚めるのを、計っていたのかと疑わんばかりのタイミングだ。
そういえばこの部屋には、衣装箪笥やクローゼットといった物が見当たらない。
毎日彼女が着替えを用意してくれるのだろうかと考え、まるで貴族の如き待遇に雄喜は若干戸惑う。
「どうぞ」と雄喜が返事をすると、トリシアは静かに扉を開き入ってくる。
手に持たれていた服は、昨日着ていた物と同じ意匠の施されたものであった。
とはいえ一切の汚れも無く、綺麗に洗濯をされたものであり、昨日着ていたものとはまた別の服であると知れる。
「ありがとうございます」
「いいえ、これも私の役割ですので」
トリシアはニコリと笑顔を浮かべると、着替えを渡し雄喜へと問う。
「お着替えを終えられましたら朝食といたしますが、お部屋と食堂のどちらでお召し上がりになられますか?」
それほど食欲がある訳でもなく、少しだけ逡巡する雄喜。
だが、疲労が強く気も乗らなかったとはいえ、昨夜食事を断ったのは失敗だったのであろう。
食事の場であれば、同じく召喚された人たちと話す機会もあったはずだ。
続けてその機会を失う訳にはいかない。
「食堂に行きます」
「かしこまりました。ではお着替えが済まれましたらご案内いたします」
心なしか、トリシアの表情がいっそう柔らかくなったようにも見える。
彼女自身も、雄喜が落ち着いて他者と話をする機会を得てもらいたいと願っていたのかもしれない。
真新しい服を受け取った雄喜は、昨日と異なりこれといった迷いも無く着替える。
流石に雄喜も昨日のように着かたを知らず、困惑するといったこともない。
だがこの世界へと来て二日目にして、女性物の服を着ることに抵抗がなくなってきて事実に気付き、若干気落ちをする。
しかしこれもまた必要なことなのであろう。
今現在わかっている限りではあるが、碌でもない方法以外では元の姿に戻る手段がないのだから。
この世界で生きていく以上は、これも受け入れていかなければならないのだ。
「それにしても広い屋敷ですね」
食堂へと向かう廊下を歩きながら、先導するトリシアに声をかける。
昨日も感じた事ではあったが、今いるこの屋敷は随分と広い。
いったい何人がここで暮らしているのかは定かでないが、この時までに顔を会わせた人数は、トリシアとアウグストの二人だけ。
廊下を歩いてる最中にも誰一人としてすれ違わず、雄喜にはその過剰なまでの広さを持て余しているように思えてならなかった。
「そうですね、元々は貴族の子弟向けに整備された寄宿学校でしたので」
「へぇ……学校か」
「その学校も今は別の都市へと移り、ここもしばらく放置されていたのですが、近年になって皆様の滞在なさる現在の屋敷へと改装されました」
雄喜の質問へと、律儀にも立ち止まって振り返り、柔和な笑顔で答える。
だがこの広さもそれで納得がいく。
元々が学校であったのならば、ある程度の大きさが必要なのであろう。
一部屋あたりの広さは、そもそもが貴族向けの学校であるが故か。
雄喜が時折感じた疑問を問いながら、とりとめのない会話を繰り返すうちに食堂へと到着する。
そこは中庭の前を通り過ぎたさらに奥へと在り、雄喜は食事の度にこの距離を歩かなければならないのかと、少々辟易する。
ギィ……
大きく重そうな一枚板の扉を軋ませながら開けると、以前は多くの学生たちが歓談していたであろう広いホール。
中規模の披露宴会場のようにも見えるその広い空間の中央には、真っ新なテーブルクロスを張られた食卓が見える。
無駄に広い。
そう思うも他に適当な部屋がないのかもしれないし、調理場の位置にも関係してくるのであろうか。
雄喜は当初想像していた以上の光景に戸惑いながらも、食卓へと歩を進める。
だが近づくうちに、テーブルクロスの影から何かがチラチラとこちらを覗いているのに気が付いた。
影から覗くそれは、雄喜よりもずっと長く伸びた耳を持ち、銀色に輝く瞳とショートヘア。
そして髪色とは対称的に、肌の色は褐色。
誰かに聞くまでもない、あの姿は明らかに――
「ダークエルフっ!?」
不意にした雄喜の叫びにビクリと反応し、テーブルクロスの影へと完全に隠れてしまったのは小さな童女。
幼稚園の年中くらいであろうか。
雄喜と同じ白のワンピースに、その褐色の肌が映える。
「フィオネ様、お隠れにならなくても大丈夫ですよ。こちらの方はお仲間ですから」
少女へと優しく声をかけるトリシア。
その口からは、確かに仲間だと告げられたので、やはりあの少女もそうなのであろう。
雄喜やアウグストと同じく、日本から精神を召喚された、三人目の人物。
フィオネと呼ばれた少女はおずおずと顔を覗かせる。
「フィオネのなかま?」
「はい、その通りですよ。ですので安心して出てきてください」
しばしキョトンとした表情を浮かべたまま、雄喜と視線を合わせていたかと思うと、一気にパァと笑顔が開く。
警戒心を解いたのであろうか。小走りで足元へ寄り、雄喜の腰へと抱き着くとを満面の笑みを向ける。
嬉しそうな笑顔。
それが新しく人が来たことへの喜びか、単に遊び相手が増えたと考えているのかはわからない。
しかし最初こそ驚かせてしまったものの、第一印象としてはそこまで悪くはならなかったようであった。
だが屈託のない笑顔を前にするも、雄喜自身の心にはどこか澱んだものがあるのを感じていた。
その正体は、フィオネと呼ばれた童女の、本来の身体の持ち主に関するものだ。
一見して幼いこの童女も、雄喜の身体の持ち主同様に、何がしかの理由によって生贄とされてしまったのであろうと。
その子も、かつてはこんな笑顔を見せていたのだろうか。
そう考え、遣りきれぬ想いに支配されていく。
「おねえちゃんどうしたの?」
「え? あ、ああ……大丈夫、なんでもないよ」
表情か雰囲気にでも表れていたのであろう、幼い子供に心配をさせてしまっていた。
雄喜は無理に薄く笑顔を浮かべ、手を少女の頭に載せ撫でる。
するとその行為が嬉しいのか、フィオネは笑顔と抱き着く力を強めてきていた。
この少女の精神の年齢は判別しないが、その仕草から外見とそこまで変わらない歳であろうと予想する。
「さあお二人とも、すぐにお食事をお出ししますのでお席へどうぞ」
トリシアの言葉へと素直に従い、引かれた椅子へと座る。
こちらに来てから、どれだけの時間食事を摂っていないのか。
雄喜の気分とは裏腹に、その身体は強い空腹を訴える。
この世界での初めての食事に若干の不安を覚えるものの、食事にありつけるだけマシと言えるのかもしれないと考えていた。




