08
ガラス扉を押し開け、テラスへと出て若干の冷たさが残る風を浴びる。
太陽は徐々に西の丘陵地帯へと沈みゆき、その色を強いオレンジへと変えつつあった。
手すりへと身体を預け、眩しさに目を細めながら西日に照らされる眼下の町並みを眺める。
眼下に望む家々の煙突からは、細く薄い煙が立ち昇るのが見える。
時間的には、夕食の準備でもしているのであろうか。
アウグストからこの世界についての説明を受けた雄喜は、最初に目覚めた部屋へと戻っている。
部屋へと戻る道中で、案内をしてくれたトリシアが食事の希望を聞いてきたが、流石に今は食事を摂るような気分にはなれない。
異常なまでに感じていた疲労により、それを断っている。
トリシアはそれに対し、一切食い下がらずに了承してくれていた。
何よりも雄喜自身は、考えを整理するための時間を必要としており、それを察して気を聞かせてくれたのかもしれない。
「疲れた……もう勘弁してくれ……」
身体がずり落ち、手すりに背を預けながらそのままテラスの上で座り込む。
外気の冷たさを受け、ひんやりとした石材の温度が心地よい。
視線の先には、自室として提供された部屋が見え、ただ一つの光源である洋燈が柔らかな光を放ち続ける。
よく見ればこの部屋もや、ここまで歩いた通路や中庭から見えた建物。アウグストと話をした小屋も含めて、一切から科学の気配が感じられない。
TVも無ければ、蛍光灯や時計すら無く。
近年の後進国と言われる国々でもなかなかお目にかかれないその光景に、ここが自身の知る世界とは異なる別の世界であるとの認識を強くする。
目の前の洋燈も配線が通ってる訳でもなく、火が揺らめく様子もない。
アウグストから説明された、魔力という存在が脳裏を過る。
しばらくテラスで呆けているうちに、気が付けば日は完全に落ち、空には満天の星空。
空を見上げ、無数に散らばる星の海に雄喜は息を呑んだ。
「すごい……」
周囲に街明りなどが存在するにも関わらず、星がはっきりと見える。
雄喜はここ何年も忙しさにかまけ、夜空を見上げることなどなかった。
こんなにも圧倒されるものであったのか、と感じついついその壮大な光景に心を奪われる。
もっとも、異世界とはいえ星空の姿は元の世界とそうは変わるものではない。
月も二つ在ったりはしないし、その色も同じく白い光を放ち続けている。
若干地球よりも、月が近いように見えなくはないが。
満天の星空と、鮮明に映る半月を眺めるうちに、雄喜は幼い頃祖父母の家で見上げた夜空も、こうであったかと思い出す。
「あの頃は……よかったな」
ただ毎日学校へ行き、勉強をし、友達と遊ぶ。
学校が終わればボールを蹴って友達と遊び、家に帰ってからは弟の守り。
母が居ないことに一抹の寂しさはあったが、父と兄弟3人幸せな日々。
「それが今じゃこのザマか」
プロへの道を挫折し、成功を始めた弟に嫉妬し、親友に対してさえ卑屈な感情を抱く大人になった。
そして今では訳が分からぬまま、遠い遠い異界の地。
いったいどうしてこうなってしまったというのか。
しばし陰鬱な感情を抱えたまま夜空を見上げていた雄喜であったが、再び気温が下がってきたため室内へと戻る。
何の気なしに壁の書棚へと向かい、無作為に一冊の本を手に取る。
手にした本を開いてみると、装丁こそ皮で作られてあるものの、中のページは羊皮紙ではなく存外綺麗な色をした紙だ。
少々それを意外に思いながら読もうとするも、未知の言語で記されているため、記述された内容は読み取れない。
「言葉は通じても文字はダメか」
そこに記述された文字は、通路を通った時に見かけた、金属のネームプレートに彫られていたものによく似ている。
言葉が通じているのだ、もしや文字も……と考えた雄喜であったが、その期待は脆くも崩れ去る。
僅かな可能性に賭けて他の本も手に取るが、やはり同じような文字が載るばかり。
やはり文字は一から勉強しなければならないのだろう。
落胆しながら本を書棚に戻し、ベッドへと横になる。
ベッドで横になったまま手を伸ばし、サイドチェストの引き出しを開けて中の物を取り出す。
中から現れたのは、小さな手鏡。
話しをしている最中に、アウグストから渡されたものであった。
小さなそれを仰向けのまま覗きこむと、最初に見たのと変わらぬ、薄灰色の髪を湛えた少女の姿。
一見すれば、歳の頃は中学から高校くらい。
外見上は少女と言っても過言ではないが、実際のところその年齢はよくわからない。
その理由は、アウグストによって聞かされていた。
顔の角度を変え、側頭部の髪を僅かに掻き上げる。
そこから現れたのは、パッと見はともかくとして、少々不自然に長く伸びた耳。
「エルフって……どういうことだよ」
その容姿の変化のみならず、雄喜は人という種族からすらも逸脱してしまっていた。
アウグストからは「そうなっちまったもんは仕方ねえ」と、若干他人事のように聞こえかねない言葉を頂戴している。
ただアウグスト自身は、雄喜とは比較にならないほど人間離れした姿となってしまっている。
その言葉に対し、文句を言うのも気が咎めた。
雄喜は一見しただけでは、髪に隠れなかなかわからぬその耳へと触れながら。
先程までしていたアウグストとの会話を思い出していた。




