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虚言癖などありません!!

虚言癖などありません!!〜負け犬のレッテル 返上させて頂きます〜

「ただいま……風呂入る。」


 帰宅した彼は物凄く機嫌が悪そう。なおかつ悄気(しょげ)ているなんて珍しい。

 こんな夏樹の姿を見るのは久しぶりだ…。





 ***


 負け犬のレッテルを貼られている私こと瀬戸(せと) かおるは29歳。三十路へのカウントダウンが始まり、職場での行き遅れ扱いは最早鉄板ネタ。

 彼氏で同期の日向ひゅうが 夏樹なつきとはもうすぐ6年、同棲を始めて4年になる。私達が付き合っている事、未だ周囲にバレてません。


 付き合う前は、些細な事でも弱気の姿勢を見せてヘタレ扱いされていたのに、今じゃそれが嘘みたいな夏樹。職場では、いつも自信に満ち溢れて、楽しそうに仕事をしてるし、周囲からの人望も厚い。

 夏樹はヘタレな若手をとうの昔に卒業して、将来有望な中堅へと成長を遂げた。仕事が出来て見た目が良いもんだから社内ではちょっとした有名人で、彼を狙う女子社員も多い。

 お陰で、見たくない場面に遭遇したり、聞きたくない事が耳に入ったりする機会が多々あるけれど、周りに付き合っていることを隠しているのだから仕方がない。しかも隠したいのは私のワガママだし。


 職場恋愛って難しい。

 部署内とか同じフロアは男性が圧倒的に多いからまだ救われてるけど…。社内行事とか他部署との合同の飲み会とか、年に数回はなにこれ苦行ですか?と言わずにはいられないような場面に遭遇する。

 いくら夏樹にその気がなくても、目の前で色目使われたり、アプローチされてるのを見るのは嫌だし、女の子達が更衣室やトイレでキャーキャー騒いでる会話の中に夏樹の名前が出るだけですごく複雑。

「カッコイイ」とか「ステキ」だったらまだしも、「デートしたい」とか「付き合いたい」なんてよくある話。流石に「抱かれたい」と言っているのを聞いた時にはぶっ倒れるかと思った。割と本気で。

 思い出しただけで溜息が出てしまう。


 あーあ。この6年で色々格差が生まれちゃったよ。私は所詮、冴えない黒髪&眼鏡の地味子だし。夏樹ほどは結果出せてないし。


 だけど私だって、それなりに成長したはず。それなりに結果は出せているし、色々任せてもらえるようになったし。行き遅れ扱いされてるのは…きっと親しみを込めて…だよね?いつまでも若さだけで可愛がってもらえるなんて思ってない。腫れ物に触る扱いされるよりずっと良いじゃん。


 だけど、まぁ色々悩んでしまうお年頃でして。目下の悩みは周りからあんまり信頼されてないんじゃないか?って事。

 全く信頼されてない訳じゃなくて、それなりには信頼されてると思うんだけど、やっぱり「それなり」なんだよね。頼りにしてるとか、助かったとはよく言ってもらえるけど、イマイチ頼ってもらってる実感が無い。ショックだったのは、私がずっと指導して可愛がってきた後輩の不知火(しらぬい)くんが、私じゃなくて、最近は夏樹をやたらと頼る事。今日だって、不知火くんは夏樹に「アドバイスして欲しい」と2人で飲みに行っていたし。


 もしかして、機嫌の悪いのはそのせい?自分のアシスタントくらい自分できちんと面倒見ろ的な?それならばさっき睨まれたのも納得できる。


 先程よりも大きな溜息がもれ、泣きたくなってしまう。


「溜息吐きたいのはこっちだっつうの。」


 いつの間にか、背後にお風呂上がりの夏樹が立っていた。タオル1枚の見慣れた姿ではあるが、相変わらず不機嫌そうだ。あれ?弱気な様子はどこ行った?


 私は恐る恐る尋ねた。


「不知火くんの相談…何だって?…私が不甲斐ないばっかりに…ごめん。」


 非常に気まずそうな夏樹の反応を見るに、ほぼ間違いないだろう。


「親身になって色々アドバイスしてきたつもりだったんだけどな…私の力不足で夏樹に迷惑かけてごめん。」


 夏樹は呆れたような、ホッとしたような顔で大きなため息をついた。


「…だったら、迷惑かけた責任とって?」


 私好みの声で言い寄られたら、惚れた弱みのせいなのか抗うことなど出来ず。夏樹にされるがまま弄ばれ、気が付けば翌朝。


 ちょっと待て、何かがおかしい。ひぇぇぇぇー!!なんてこった!!

 1人で慌てる私に、夏樹はどこ吹く風。涼しい顔して笑って居やがります。


「まぁ…そうなっちゃったらそろそろ潮時って事で。だけど今まで何度か密かに狙ってるけど失敗してるから…期待してないけどね?」


 ちょっと待て。今聞き捨てならない事聞きましたよ?なに?責任はちゃんと取るから安心しろですと?安心できないわ、ボケ!!






 ***


 仕事の忙しさにかまけて、色々な心配事や悩みなんていつの間にかぶっ飛んでしまっていた。

 不知火くんの事は、夏樹に任せる事にした。あんまりウジウジしていても、余計自分の頼りなさを増長させるだけだし。

 ただでさえ疲れがなかなか抜けなくて気分が重いのに、そんな事まで気にしていたら精神衛生上よろしくない。


 たまにはパァっと飲みたいけれど、やたらめったら忙しい。飲んだら終わりな気がしてならない。翌日の仕事に支障をきたすこと間違いなし。そんなの恐ろしくて飲めるわけないし。


 ストレスなのかお腹も痛くなるし、緊張なのか時々吐き気はするし、とにかく怠い。休みは一日中寝ても疲れが抜けない。もしかしたらそれが逆効果なのかもしれないけど。寝すぎて怠い、みたいな?

 食欲もないし、とにかく絶不調。


 何か大切な事を忘れている気もするけれど、それすら思い出せなくて…。取り敢えず仕事の事じゃなければそれでいい。

 夏樹も最近やたらと忙しそうだしなぁ…。それぞれの仕事、プラス今は同一の案件に携わっているから、私の失敗や遅れは、彼の足を引っ張る事に直結する。それだけはしたくない。

 とりあえず、1週間後には今の仕事が一区切りつく。それまでは、どんなに体調が悪くても気合で乗り切ってやる!!

 メンタルは…多分強い、そう、私は鋼のメンタルを持つ女!!そう自分に暗示をかけて休日まで出勤して頑張った。


 その甲斐あって、私と夏樹の携わっていた仕事は無事成功。嫌味な部長も珍しく上機嫌。しかも、皆を飲みに連れて行ってくれるそうな…。私頑張ったもん、今日は部長のおごりで思いっきり飲んでやる!幸い明日は休みだし~!!

 嗚呼、どんなにこの日を待ち望んでいたことやら…。こっそり給湯室でガッツポーズしているところを部長に見られ苦笑された。なぜこのタイミング…なぜ給湯室に部長が…解せぬ。


 気を取り直してデスクに戻れば、店の手配を任されたという不知火君にメモを渡された。そのメモを見てさらにテンションが上がる。本日の会場は私のお気に入りのドイツ料理店だと!?不知火君、グッジョブ!!


 ウィンナーにアイスバインにシュニッツェル!そしてポテトとドイツビール。想像しただけでよだれが…。肉と脂と炭水化物とアルコールなんて絶対太る!でも気にしない!ここのところの激務で体重落ちてるし。

 栄養バランスが悪い、野菜が無いって言った奴!ザワークラウトもピクルスもあるから野菜はたっぷりとれるぞ?それにポテトは野菜としてカウントすればノープロブレム。野菜もたっぷり摂れますよ?

 …きゅうりは栄養価が低くてポテトは野菜ではなく炭水化物ですと?…そんな異論は受け付けません!




 定時に上がり皆が店に向かう中、私は部長に押し付けられた郵便局への雑用(おつかい)を済ませるべく別行動。その後、ウコンに力を借りるべくコンビニでドリンクタイプのウコンさんを調達。グイッと飲み干してから店に向かった。


「瀬戸ぉ、遅いぞ。」


 雑用押し付けた部長に遅いと言われた。郵便局混んでたんだから仕方ないじゃん!と言いたいのをぐっと堪えて…あれ?なんか人数多い…うちの部署には絶対いないタイプのケバい…じゃなくてゴージャスな美人さんが…3人?って言うか、私の席が無いんだがどうすれば…。


「瀬戸さん、ここどうぞ。」


 夏樹の隣に座っていた不知火君が席を譲ってくれた。店員さんが足りない椅子を持ってきてくれたので、私は譲ってもらった椅子を夏樹側に寄せ、持ってきてもらった椅子を置くスペースを作る。

 夏樹、私、不知火君というフォーメーション。向かいに座っていた美人さんにあからさまに嫌な顔をされる。

 それだけじゃない、夏樹の隣と不知火君の隣にそれぞれ座る美人さん達にも睨まれた。あれ?誰か舌打ちした?チッて聞こえたのは気のせい?


 ゴージャス美人さんは秘書室の方々でしたかそうですか。帰り際3人で飲みに行こうとしているところバッタリ遭遇して、先輩がお誘いしたんですかそうですか。

 え、うちの部署には華がないから薔薇の様に美しい秘書室の皆様で目の保養がしたかったんですか?

 すいません、お目汚しで。私は所詮雑草ですよ、はい。


 夏樹の隣の赤い薔薇の様な美人さんが夏樹の肩に頭コテンなんてやってるとこ見てませんよ?不知火くんの隣の白い薔薇みたいな美人さんは不知火くんに対するボディタッチが無駄に多いなぁ…なんて思ってませんよ?

 先輩、ピンクの薔薇の様な美人さんに料理を取り分けてもらったからって鼻の下伸ばさないで下さい。


 ピンクの美人さん、取り分けるのは良いんですけど、ちゃんと全員に行き渡る様に分量配分してもらえませんか?

 辛うじてウィンナーはひとつ頂きましたけど、アイスバインもシュニッツェルも私の分が無いんです…。


 ザワークラウトとピクルス最高!お腹が空いてるせいかいつも以上に美味しく感じる…。なんかいつも以上にしょっぱいけど…泣いてないし…しょっぱいのは涙のせいじゃないもん。


 裏切らないのはビールだけ。…と思いきや、今日はいつもよりも美味しく感じないんですが…。おかしいなぁ、肉がないとこうも味が違うんですか!?


 なんか…テンションが下がるとともに食欲まで失せてきました…。

 赤い美人さんの夏樹に対する過剰なボディタッチのせいではないと思いたい。けど、気分はよくないよね。

 先輩、夏樹を見て羨ましそうな顔しないでください。

 あー。もうやだ。こんな時はビールをぐいっとね。あー、肉喰いたい。

 目の前に肉があるのに食べられないとか…夏樹と不知火くんに取り分けられたものだから、流石にそれ食べたらまずいでしょ。普段小食なのに、どんだけ食い意地張ってるんだって話。

 だけどさ、いくら小食とはいえ、夕食がザワークラウトとピクルスだけじゃ寂しすぎますから…。


 あれ?意外とお腹膨れてきたかも。いや、むしろ気持ち悪い…。

 これ、あかんやつ…慌ててトイレに駆け込んで、ギリギリ間に合った。


 しばし、立て篭り。

 おかしいな、まだビールは1杯目なのに。ジョッキの半分ちょいしか飲んでないのに…空きっ腹で飲んだせい?久しぶりに飲んだから?

 それとも、精神的なもの…?いくら気分を害したからといって、夏樹に赤い美人さんがベタベタしてるの見たせいで吐くとか、マジであり得ない。

 きっと疲れてるせいだ。ここのところ、寝る時間を削った上、休日返上で頑張ったもん。


 『寝不足×空腹×アルコール=胃が色々拒否』


 そう、私の体調不良の原因はこの方程式。間違っても嫉妬じゃない。

 その考えに辿り着き、胃の中の物を全部出したらすっきり爽快。




「…おい、大丈夫か?」

「うん、吐いたらすっきりしたから大丈夫。やっぱ寝不足&空きっ腹で飲んじゃダメだね。」


 トイレから出たら夏樹がいて、心配してくれた彼にそう笑って返した。なるべく不自然にならないように。嫉妬する女なんてみっともないでしょ?私は夏樹の彼女なんだから、どんと構えてればいいんだって心の中で必死で唱えていたことは秘密。


「瀬戸さん、大丈夫ですか?」


 テーブルに戻ったら不知火くんも私の体調を気遣ってくれた。そして、飲みかけのビールを取り上げられ、リンゴジュースを渡される。

 いや、取り上げられなくてもビールは飲まないし!…彼の中の私ってどんだけ酒好きなの?しかもそれ飲んじゃうとか…取られたからって奪い返して飲んだりしませんよ!失礼な…。

 背後に寒気を感じて振り向けば、不機嫌丸出しの夏樹。笑ってるけど目が笑ってない。ごめん、夏樹の椅子の上にうっかり荷物置いてた…。邪魔で座れないと仰ってるんですね。すみません、すぐどかします。

 無駄に怒りを買いたくないので速やかに回収。冷気を纏ったままの彼が着席するやいなや、なぜか夏樹は私の口の中に彼に取り分けられたはずのアイスバインを突っ込んだ…。

 ホロホロで美味しいけど、なにこれ?餌付けですか?イルカショーとか猿回しとか、飼い犬の芸が成功した時にもらえるご褒美的なアレですか?グッジョブ的な?

 吐いた直後に肉食わせるか?とも思ったけど、おとなしく頂きます!念願の肉ですから…。

 吐いた直後でもあっさりしてるから全然OK。私の胃はウェルカム肉!ですよ!!やっぱり肉は裏切らない!肉!最高!!


 だけど、なんかこの…殺伐とした雰囲気は何でしょうか?


 ひぇぇぇ、美人さん3人に私睨まれてませんか?負け犬と呼ばれるような駄犬に喰わせる肉はねぇ!とでも仰りたいんですね。


 夏樹はまだ冷気纏ってるし、不知火くんもなんか黒い笑顔だし。ご機嫌なのは先輩とほろ酔いの嫌味な部長だけ。他の皆さんも、何でか「あちゃー」って顔してますよね?


 本日の会、あまりに居心地が悪かったので、1軒目がお開きとなったところで私は逃げる様に帰りました。ところがどっこい、逃げたつもりがあっという間に夏樹には捕まって、タクシーに半ば押し込まれる形で共に帰宅。


 その週末は、2日間泥の様に眠り、ダラダラと怠惰な生活を送らせて頂きました。なのにやっぱり怠いの治らない…まさか、これが三十路になる(年をとる)ということなんですか!?






 ***


「ほんっと、あの女ムカつくわ。」

「日向さんと不知火さんの間に座るとか図々し過ぎると思わない?」

「マジであり得なーい。」

「地味なブス程図々しいんだって。周りに女が少ないからチヤホヤされてると勘違いしちゃってねー。」

「伊予部長の行き遅れ扱いには笑わせてもらったわぁ。」

「あれはウケる!なんか虚言癖もあるとか言われてるんでしょう、瀬戸さんって。」


 トイレは悪口言うところじゃありませんよ。あーあ、いつものトイレが掃除中だからって1つ上のフロアのトイレになんて来るんじゃなかった。この話の内容と声から秘書室の薔薇3人組(勝手に命名)に違いない。彼女たちはトイレに入ってくるなりこの会話。私、完全に個室から出るタイミング失ってますけど…どうしたら良いでしょうね?これじゃあ掃除終わるの待っていつものトイレに入ったほうが早かった…。

 しばらくしたら、静かになったので恐る恐る個室のドアを開け外に出る。未だに1年弱前の…嫌味な部長こと伊予部長の虚言癖発言が生きているとか心外だけど、この程度の陰口を言われるのは想定内。あの日、口には出さなくても彼女たちの目がそれを物語っていたからね!


 予定以上にお手洗い行くのに時間がかかってしまって。急いで戻ろうと階段を駆け下りたら…なんかクラクラする。あれ、おかしいな…視界がモノクロームになってゆく…変な汗も出てきたし…。


 どうにか自分のデスクのまで辿り着けそう…というところで、突進してきた夏樹にぶつかった。






 ***


「薫、大丈夫か?」


 真っ白い天井とぼんやり見える2人の影。その声で1人は夏樹だと認識するがもう1人がわからない。目の前の世界が、歪んで、揺れて、気持ち悪い。起き上がろうとするがクラクラする…。焦点が定まらないし、軽い吐き気もする。


「無理に起き上がらないで。診察は寝たままでも出来るし、問診票は私が書くから。質問に答えてもらえるかしら?」


 声の主は産業医で、ここは医務室だと教えてくれた。

 足取りの覚束ない私を、夏樹が駆け寄って受け止めてくれたらしい。ごめん、あの時は夏樹が突進してきたようにしか見えなかったよ…。夏樹の咄嗟の判断がなかったら、私はぶっ倒れて何処かに頭をぶつけていただろうとの事。

 勿論、ここまで運んできたのも夏樹で、不覚にもお姫様抱っこされていたらしい。産業医のお姉さんが「お姫様抱っこで運ばれてくる患者さんなんて初めて見たわ!」と、テンション高めに教えてくれた。夏樹は、恥ずかしいのか俯いている。

 そんな事より、気持ち悪い…吐きそう…。必死で吐き気を訴えて、横になったまま然るべき袋に吐かせてもらう。


 熱を測り、服の上から聴診器を聞かれたり、下瞼の内側をあかんべーみたいにして見られたり、首の辺りを触られたり。

 夏樹は一時的に、医務室から追い出されている。まぁ仕方ないよね。本人は超不本意そうだったけど。

 問診って現在の症状だけでなく、最近の体調や仕事の事、睡眠時間や食事、お酒はどの位の頻度でどの位の量を飲むのかとか、喫煙はするか、普段薬は飲んでるかとか結構詳しく聞かれるもんなのね…。頑丈なのが取り柄な私は、医者知らず。病院なんて全然いかないから大変勉強になりました。


「嘔吐、吐き気、倦怠感、眠気、下腹部の鈍痛…瀬戸さん、1番最近の月経っていつ?」

「生理ですか?結構不規則なんでちゃんと覚えてないんですよね…」

「今月は?」

「無いですねぇ…」

「先月は?」

「先月…きてないです。」

「先々月は…?」

「…………先々々月の月の終わりから先々月の初めにかけて…だったような気がします。」

「という事はもう2ヶ月半以上無いという事なのね。」

「って事になりますかねぇ…。」

「瀬戸さん、月経がこないってどういう事かわかるでしょ?思い当たる節は?」


 月経ガコナイッテドウイウ事カ?……!??

 思い当たる節なんて、あり過ぎる…。間違いなくあの時だわ…。夏樹が不知火くんの相談を受けて不機嫌で帰ってきた日!


「おそらく、貧血と…妊娠している可能性が高そうね。なるべく早く産婦人科を受診した方が良いわ…って瀬戸さんちょっと、しっかりして!」


 頭が真っ白になってゆく…真っ白の脳内に浮かぶ「妊娠」の2文字。

 人は、思いもよらぬ出来事が起こるとこうも力が抜けてしまうんだ…。力が抜けたついでに、一瞬ではあるけれど思わず意識を手放してしまったらしい。


「どうしましょう…あなたをここまで運んでくれた日向さんが、必要があれば病院に連れて行くって申し出てくれたんだけど…彼には仕事に戻ってもらいましょうか。とにかく、今日はもう仕事はやめて早退したほうが良いわ。帰宅するにしても、病院に行くにしても移動はタクシーにしてね。1人で倒れたら大変だから。本当は誰かに付き添ってもらって病院に行くのが理想なんだけど…私が行くわけにもいかないし…。」

「妊娠ですか…どうしよう…どうしよう…どうしよう…。」


 確かに病院に行くべきなんでしょうけど、それよりも私は仕事の事で頭がいっぱいです。パニックです。思考回路がショート寸前です!いいや、ショートどころか爆発寸前です!!


 冷静になれない私に、産業医の先生は何か勘違いをされたみたいです。


「瀬戸さん…ご結婚は?…パートナーはちゃんと妊娠した事を打ち明けられる関係?」


 とりあえず首を横に振ってから、必死で縦に振っておきます。妊娠した事を打ち明けられない様な関係じゃ無いですけど…会社には関係を打ち明けたくないパートナーです!…打ち明けたら異動は免れないですよね!?


「とりあえず落ち着きましょうね。温かいお茶を入れるから…ちょっと待っていてね。」


 いくら仕事が忙しいからって、自分の体の事を全く気にしていなかった事を反省する。もともと生理不順だったから、2ヶ月近く来ない事はザラにあるけれど、流石に2ヶ月半も来ないとなると…症状が症状なだけに限りなく可能性は高いだろう。


 なんとか起き上がり、先生のお茶を頂いて飲んだらちょっと落ち着いた。カモミールティに蜂蜜をたらしたほんのり甘いお茶。ずいぶん体も心も楽になった。


 だけど、なんにも解決はしてない。夏樹には何て言おう?仕事はどうしよう?




「おーい、瀬戸ぉ、大丈夫か?」


 お茶を頂きながら考えていたら、部長がやってきた。それに不知火くんも。


「瀬戸さん、急ぎの仕事あれば教えてください。俺、片付けときますから。」

「偶には後輩に甘えたって良いんだからな。お前、最近頑張りすぎだろう、ずっと顔色悪いぞ?今日はさっさと帰ってゆっくり休め。今も真っ青な顔しやがって…1人で帰れるか?」


 嫌味な部長だけど、なんだかんだで悪い人じゃない…。部長の言う通り、偶には甘えて帰らせてもらおうかな…。偶にはじゃなくて、私はいつも周りに甘えっぱなしですけど。


「ありがとうございます。ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いします。」


 立ち上がってお辞儀をしたけれど、やっぱりまだ軽い目眩がする。


「ちょっと、瀬戸さんフラフラじゃないですか?部長、心配なんで俺、送って行きます。送り届けたらすぐ戻りますんで。」

「なんかその方が良さそうだな…不知火、そうしてやってくれ。」


 いやいや不知火くん、流石に仕事を押し付けた上に送ってもらうなんて申し訳なさすぎて出来ませぬよ…。部長も今日はやけに優しくて怖いんですが…。


「部長、タクシーで帰るので…1人でも大丈夫です。不知火くん、仕事押し付けてごめんね。」

「このアホ、その状態で1人で帰らせられるか!お前1人の体じゃないんだからな、ボケ。」


 振り向けば、私の荷物と彼の荷物を持った夏樹がいた。


「部長、とりあえず急ぎの仕事片付けたので、早退させて頂きます。…残りは自宅で仕上げて、今日中にメールするんで。ほら、薫行くぞ。」


 ちょっと、部長と不知火くんの前で「薫」って…。それに、さっき…。


 部長と不知火くんが驚愕の表情を浮かべている。そして、多分私も同じ様な顔をしていることだろう。言葉を失っちゃうとヒトってこんな顔になるのね。


「部長、()()からご報告させて頂きたいことがありますので…後日、お時間作って頂けませんでしょうか?」


 涼しい顔した夏樹と、衝撃のあまり何か言おうにも言葉が見つからずパクパクしちゃってる部長。


「不知火、協力出来ないのはそういう訳だ。ずっと黙ってて悪かった…諦めてくれ。」


 不知火くんはなぜ項垂れているんでしょう?それでもやっぱり夏樹は涼しい顔。






 ***


 そのまま、夏樹に産婦人科へ連れて行かれました。

 妊娠3ヶ月。お腹の子の経過は順調との事。

 夏樹も一緒に診察室に入って、お医者さんの説明を聞いて…妊娠していることが告げられると泣いて喜んでくれて。

 実は、以前から気になっていたらしい。で、先週の飲み会の私の様子を見て確信していたそうな…。


 相手が気付いてるのに本人が気付かないってどうよ!?…てか、気付いてたなら言ってくれ~!!

 帰宅後、全く気付かなかった事が夏樹にバレてめちゃくちゃ怒られた。アホかとか、妊娠してるしてない関係なく無理するなとか、もっと自分の体調や体の事を把握しておけとか。


 そして、お互いの両親に電話で報告。

 結婚と妊娠の順番が逆になったことを咎められるかと思いきや、手放しで喜ばれた。あまりに私にその気が無かったため、「既成事実を作ってしまえ」と夏樹が双方の親から散々言われていたらしいことが発覚。

 夏樹、本当にごめん…。





 数日後、2人で部長に妊娠と結婚することを報告した。今までずっと黙っていた経緯を話したら、産休に入るまでは今の部署で仕事を続けられる様に配慮してくれると言う。

 復帰後の異動は免れないけれど、今の部署はハード過ぎるから丁度良い機会だと思う。


 私達の関係に、周りの8割が衝撃を受けていたけれど、私と夏樹が付き合っているのでは?と薄々勘付いている人も少なからずいたらしい。

 打ち明けた時の周りの反応が怖かったけど――何しろ『将来有望なイケメン×行き遅れな負け犬』って組み合わせだったから――割と周りには好意的に受け入れられているというか、むしろ祝福ムードなのが非常にありがたいです。他部署、特に夏樹狙いの女子社員の反応なんて知りません。聞いたところでどうこうなるわけでもないですし…ね?


 余談ではありますが、行き遅れだとか、虚言癖発言について部長から謝罪していただきました。笑いながら…ってのは不本意ですけど…この際良しとしましょう。

 ってなわけで、負け犬のレッテル、返上させて頂きます!!





 完

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― 新着の感想 ―
[良い点] 結婚できて良かった。 夏樹の計画通りだとは驚きました。 私もデキ婚は苦手ですが、親公認ならばOkかなと思います。 腹黒の夏樹よくやったって思います。 [一言] どんでん返しでスッキリしまし…
[良い点] 部長の驚く様が面白かったです! デキ婚はあまり好きではないのですが、薫はそうでもしなければ結婚しそうにもなかったので、両家の両親の後押しのもと既成事実を作った彼には拍手でした(^_^)v…
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