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鬼の話−−夜に開く目−−

村の人々が眠りについたあと、まず暗闇の中で眼を開けるのは、わたくしでございましたでしょう。

眼といっても、そこに眼球はございません。

ただ、視覚を司る器官を眼と呼ぶために、眼と言っているまでのことにございます。

その眼で何を見るのかと申しますと、村人でございました。

ご存知の通り今ではこの村ではわたくし含め5人しか住んでおりませぬ。

毎晩人が亡くなるからでございます。

大きな声では申せませんが他の者は皆、あの闇の生き物に喰われたのでありましょう。

喰われた者は食いちぎられたり、血を流したりしているわけではなく

ただ朝になっても眼を醒まさないのがなんとも恐ろしいことでございます。近頃は毎晩一人になりましたが最初の頃は毎晩二人、人が死んでおりました。

最初は偶然、次は疫病かと恐れておりましたけれど、今は何かがいる気配を感じ、

何かに喰われたと皆、思っておりました。

もはや気配を殺さずにいるのは、わたくし共村人が、

ただ狩られる存在になったからでございましょうか。

ふと寝る前に、冷たい気配が通り過ぎることもございました。


しかし、わたくし共は寝ずにはいられない存在。

残り10人となった時のことでごさいます。覚えておられますでしょうか。

二人の若者が、絶対に寝ないのだと申しまして、煌々と火を焚き一晩中起きて過ごしました。

しかし、朝に様子を見に行きましたら、一人は息絶えておりました。

もう一人は生きておりましたのに、何故だ起きていたのにと叫びながら家からまろびでて、

停めようとした父親を尋常ならざる力で突き飛ばし、どこかへ行ってしまいました。

裸足で食料も持たずでは、どこぞで行き倒れるであろうと誰かが言うのを聞きました。

そして飛び出した若者の母親は、その朝に亡くなっておりました。

それからそれきり、一晩に二人亡くなることは絶えました。


この村はうち捨てられた村であります。疫病かと思っておりました時期に、周りから切り捨てられたのでございますから。

村を繋いでいた、谷を渡る橋が落とされたことで、

元より自給自足の箱庭のような村でしたけれど、いっそう箱となりました。


話を戻しましょう。

眠らずとも殺されるのであれば、夜に寝て昼に働かねば食うに困る、

というわけで皆で夜には寝ようと決めましたのもご存知のことでしょう。

この態度はお分かりいただけないかもしれませんが、

わたくし共の村にとって、昔から人の力が及ばない領域は広いのでございます。

ただ受け入れるよりほかに術がないことがたくさんございました。

あの突き飛ばされた父親は、柱に頭を強く打ち付け、

お医者様にも診せられず、太陽が昇りきった頃に亡くなりました。死は身近なもの、日常になりすぎて葬式はもう随分長い間やっておりません。

人もおりませんから、今はただひっそり村の外れに土を被せて、

獣避けに匂いの強い葉を供えるだけになっておりますのは、心苦しいことにございます。


ご存じのことを長々と申しました。気持ちが整理される心地でつい長々と…申し訳ございません。


さて、二人の若者が煌々と明かりの中で夜を過ごした夜に、

一つの異変があったことをお伝えしなければなりません。

異変とは、わたくしの眼が開いたことでございます。

若者二人を気にしつつも眠ろうとしたわたくしは、夢から覚めたように、もうひとつの瞼が開いたのでした。

一人の若者が見えました。若者の心というのか性根、魂の形、そういうものが見えました。

そこで湧いたのはわたくしと同じ生き物だという安堵でございました。

次に何かに弾かれるように衝撃の後、気づけば朝になって、その若者は先程申しました通り息絶えておりました。

次の晩も、寝る前のひと時、また眼が開きました。飛び出していった若者が見えました。

やはり同じ生き物という安堵を覚え…それから怖くなりました。

違う生き物だと感じることがあるのだろうか、と思ったのでございます。

もしや違うと感じたならば、それが人を喰う存在ではないか。

そう思い至った瞬間にやはり弾かれて朝でございました。

その晩は誰も亡くなりませんでした。皆喜びましたが、わたくしは、飛び出していった若者が命を奪われたのだと思います。

弾かれる瞬間に冷たい気配があったのです。

しかし皆喜んでおりましたので何も申せませんでした。

また眼のことも我ながら信じがたかったのでございます。


次の夜は残る7人のうち、駐在さんを意識して見られないかと思いました。

駐在さんはこの村では地主さんより尊敬され頼りにされており、

この方がどんな人物か確認して安堵を得たいと…しかしこれは浅慮でございました。

その晩、眼が開いたわたくしは、初めて人ならざるものの性根、魂、

いや魂なんかではなくて鬼でございましょう、とにかく理解を超えた恐ろしいものを感じて飛び起きたのでございます。

汗が滴り、身体は震えて冷たく凍えるようでございました。

そして、その夜、人が一人亡くなりました。

村人の中に鬼がいたのだと知ったわたくしはどうすれば良いのでしょう?


人はやはり死ぬ、と知った皆は、死人に土を被せ、葉を供えながら

どうしたら良いか…というより死を受け入れる覚悟を始めておりました。

それにひきかえ、眼のことを言っても、

わたくしこそ鬼とされる気がして言い出せないわたくしの怯懦。

その晩、わたくしは震えながら夜を過ごしました。

わたくしが死ぬ方がいい、無責任にこのまま死ぬる方がいいとまで思いもしました。しかし、わたくしはやはり眼を開き魂を見ることになりました。

わたくしと同じ存在、温かい魂よ。わたくしは闘い守らなければならないのだと覚悟を決めたのでございます。

抗うべきを果たせなかったわたくしの怯懦で、また一人亡くなりました。


次の朝の墓地で、わたくしは駐在さんを弾劾しようと思いました。

毎晩一人、鬼は喰うのです。

おそらく死ぬのが一人になったのは、あの飛び出した若者の父親も鬼だったからございましょう。

しかし鬼も人と同じく死ぬのです。昼には力が弱まるのかもしれません。

それで、皆で駐在さんを死に追いやることができれば、この死の檻から抜け出せるのではと思ったのです。

既に村人は5人となっておりました。

駐在さんとわたくしと、貴方さまと貴方さまの両親である地主夫妻。

この地が呪われたと嘆いておられましたね。

とにもかくにも、早く鬼がいるのだと伝えなければ、

できれば駐在さんがいない間に伝えねばと思っておりましたのに

死人がないか朝に駐在さんが見回ることになっていては、

死人が出た朝でございますから、言い出す機会は後へ後へとなりました。

皆で葉を供え、駐在さんが帰り、貴方のお父様が最後に墓に手をあわせて帰るときに言い出すことになりました。

なんと言ったのだったか仔細は必死で忘れましたが

わたくしのことを信じて欲しいと言いました。家族で生きる道を考えてくれといいました。

しかしわたくしが鬼と主張するのは人の姿。鬼と見えない人にとっては、人を殺せというのと同じでございます。

しかも日のあるうちでないとどうなるかもわかりませんから、

あと数時間で駐在さんを殺さねば、と……ああ今考えれば、理解できるのです。

きっとわたくしが狂ったのだと思ったのでしょう。

その日の昼下がりに、地主さんから話を聞いたと、駐在さんがわたくしの家を訪ねてきました。

村をなんとかして出られるよう明日、

谷を渡って人一人なりを渡れる橋を架けるから

安心しろというお話でございました。

それでわたくしは、今夜死ぬのだと覚悟いたしました。鬼が許さないでしょうから。

もう夕方で日が暮れようとしております。

明日には遺書となるでしょうこの一筆を貴方さまにお渡ししたのはそういうことでございました。

わたくしが発てば読んで欲しいと申すつもりでございます。

死出の旅ではございますが。どちらも旅立つのにはかわりありますまい。

命を賭しての訴えのつもりでございました。

わたくしが死ぬ理由は鬼のため、鬼の正体を暴いたわたくしは必ず朝に死ぬでありましょうと。




その夜は貴方さまの魂を見ました。温かく清く強く…嬉しゅうございました。

ご縁がございませんでしたが、幾久しくお健やかでいらして下さいまし。

そう思ったあとは冷たい手が伸びてきたのを感じ、沈み込むように意識を失ったのでございます。


…それで今は昼にございますか。

何故わたくしがもう一度目を覚ますことができたのか、

それは先程聞いてわかりました。

貴方さまはすぐに手紙を読んでそしてわたくしを守らねばならぬと思ってくださった。

何の因果かわかりませぬか、あの明々と寝ずの若者二人が過ごした夜に

もう一つの異変があったということでごさいますね。

貴方さまが得たのは手。一晩に一度、鬼の冷たい手を振り払う力のある手でございます。

ただし、自分の命は守れない力だと何故か理解しておられた。

それで父母を交互に毎晩守っていたものを

昨晩はわたくしをその手で守ってくださったというわけでございますね。

ありがたく存じます。


それで鬼はどうなったのでございましょう。

…承知いたしました。夕刻までに、というわけでございますね。

まずは家で母を助けよと。承りましてごさいます。

どうぞご無事で。お待ちいたしております。



荷物をまとめながら母から聞かせていただきました。

鬼の手を振り払う力のある手を昨夜初めて使ったのでございますか。

父母が幸いにも鬼の標的にならなかった故でございましたが、

わたくしのためにはじめて鬼の手を振り払うことになったとは…ありがとうございます。

そして初めて手の主が誰かがわかったのが今朝であり、

わたくしの眼とご自分の手の話をし、武器となりそうな手斧を持って駐在のところへ向かわれたと。

怪奇が我が身に起きると、言い出せない気持ちはよくわかります。

駐在は最初、何を馬鹿な。皆、おかしくなったのだ、あの女の気狂いが移ったのだと

そう嗤ったそうでございますが

お前は鬼だ、と意見を変えないとみると

恐ろしい顔になり、そうかお前があの手の主かと彼を睨みつけた後は

山の方へと消えてしまったとか。


そうして、貴方さまはわたくしの家にきて

わたくしが眼を覚ましたというわけでございますね。

鬼は夜には恐ろしいものですが昼は人の性質が強いのでしょうか、

覚悟したほどには、あっけなく鬼遣らいは終いになりまして幸いにございました。

恐ろしいのは何時から鬼は駐在さんに成り済ましていたのか、

または駐在さんが鬼になったのか、わからないままであることでございますが

鬼の世界のことはわからずにいる方が健やかにおられる気がいたします。


思えば大伯母も怪奇の人だったのかもしれません。

幼少の頃、わたくしはわたくしの家と呼ぶ社に養子に出されたのはご存知でしょう。

養母となったのは、母方の大伯母でしたが、この厄災が始まる前に亡くなりました。

わたくしは実父母の元へ婿養子をとるかたちでまた娘に戻れ、というのが巫女であった養母の遺言でございました。

厄災でご縁がなくなるかと思いもしました。

こうして生きて手をとりあうことができて嬉しゅうごさいます。

いえ、この貴方の手は何も怖くありません。

わたくしを守って下さった手、力強く温かい手でございます。

わたくし達家族しか生き残らなかったのは何の因果か…、

山にいる鬼なら知っていましょうか。

いずれにせよ、わたくし共は夕刻までに谷を渡らねばなりますまい。

死人が出なかった朝には、皆で少しずつ橋を治しておりましたことで

ついにまた、その手で橋を架けたのでございますね。お疲れ様でございました。

父と母と、また呼ぶことを諦めておりましたが、まことに嬉しい次第となりました。

はい、一緒に参ります。しばらくは貴方さまの生家に身を寄せて、

また新しく家族として暮らすのでごさいますね。

幾久しくどうぞよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 語り口調が話を盛り上げて、尚且つ読みやすかったです。 こういう書き方はかなり好みでした。
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