美星の横顔
大学に入学して何日目だったか、俺は同じ講義を取っている女の子に、授業終わり、思い切って話しかけた。
「面影 美星って、すっげーキラキラした名前だな」
「それ、馬鹿にしてるの?」
それがお互いの目を見て交わした、初めての俺たちの会話だった。
* * *
昼休みの学食は賑やかで、テーブルの体面に座ると相手の声が聞こえづらい。だから、俺たちはいつも二人並んで座っていた。
「美星、今日もうちに来るか?」
彼女はオムライスを食べながら、ストレートの黒髪を軽く揺らして、首を縦に振る。
「パソコン持ってね」
後ろのテーブルから大きな笑い声が上がる。美星は驚いた顔で後ろのテーブルを見る。
ノートパソコンを持ってうちに泊まりに来る。それはいつの間にか、俺と美星の金曜日の決まり事になっていた。
「いつ見てもそのキャラ巨乳だなぁ」
自室のパソコン机に向かい、キーボードを叩きながら俺は美星に話しかける。
「集介さ、いい加減見慣れたら?」
俺の部屋の真ん中に置かれた布団を取り払ったコタツテーブルに、メタリックレッドのノートパソコンを広げて、美星はマグカップに入れたぬるい紅茶をすすりながらマウスを動かす。俺のパソコンモニターに表示されたゲーム画面の中の美星のキャラクターが動いて、パソコンに向かう俺の方を向いた。ご丁寧に、胸が揺れるモーション付きで。
箱庭シミュレーション型RPGシステム【アナグラ】
それが俺たちが今はまっているオンラインゲームのシステムの名前だ。「アナザーグラウンド」を略して【アナグラ】。シンプルな名前だが、ゲームシステムはかなり細かく作りこまれていて、様々な企業が食品や家電やドラマやアニメの宣伝用に、そのフォーマットを利用したエリアと呼ばれる個々のゲーム世界を提供している。
ユーザーはそういったいわゆる公式エリアと呼ばれる世界の中で、オリジナルのキャラクターを作成して遊ぶこともできるし、専用ソフトを購入すれば、自分自身でエリアを作って、自分オリジナルの世界の中で他のプレイヤーとともに遊ぶこともできた。
その自由度の高さから【アナグラ】は何年も前から世界で一番有名なゲームの座を他に譲ることのない人気ぶりで、世界中にある公式や個人のエリアの内、かなりの数のエリアが無料プレイ可能なように開放されていた。俺たちも二人でプレイを始めた最初のうちは、その無料エリアを巡ることを楽しんでいたのだが。
自分でも【アナグラ】のエリアを作りたいと言い出したのは美星の方からで、去年のクリスマスに二人でソフトを購入してお互いに贈り合って以来、俺は彼女に言われるままそのエリア制作を手伝っていた。
「美星に巨乳願望あるなんて意外でさ」
創りかけの世界を眺めながらいつも思っていたことを言ってみる。
「男はみんなこういうの好きでしょ」
機嫌を損ねたのか、美星がおそらく口を少し尖らせて身じろぎしたらしい気配が背後から伝わってきた。
美星はゲーム内では自分とは違うキャラクターになりきるのが好きだった。色っぽい魔女、という設定のいつも使っているキャラクターには、自分の少し子供っぽい声が似合わないから、という理由でボイスチャットを使うことは嫌がっていた。
「そのみんなってのに、俺も含まれてるのか?」
「違うの?」
シュウ:俺は美星の胸のサイズがちょうど良くて好きなのになぁ。
無言でキーボードを叩くと、後ろでひときわ大きなタイプ音がした。
ちょこれ:バカ!
「馬鹿! そういうことエリアチャットで言わないでよね!」
振り返ると美星が怒ったような照れたような顔でこちらを見ていた。俺はその表情に満足して、マウスを操作しながらパソコンに向きなおす。
「ちゃんとアクセスログはチェックしてるから安心しろよ。みんなまだ来てない」
「そういう問題じゃ……」
くっきー:おっすー(*´∀`*)
エリアに誰かがアクセスしたことを知らせる明るい音色の効果音と、ほとんど同時にチャットが打ち込まれた。
「くっきーちゃんだ! って、さっきのログ流れてないのに!」
美星が顔を覆う。ゲーム仲間のくっきーちゃんは、チャットも戦闘操作も、何もかもがとにかく神がかり的に早い。ノートパソコンの前で苦悩する美星には当然気づくこともなく、今日も相変わらずの速度で、さっそくゲーム内のルーチンワークをこなし始めた。
シュウ:おっすー。
俺は、ひとまず挨拶を打ち込む。
「エリア管理者の権限で、くっきーちゃんがアクセスする前にログは消してあるから。さっきの会話は見られてないって」
こちらをこの世の終わりのような顔で見返す美星に、振り返って余裕の表情でブイサインをしてみせる。美星は何か言いたそうに口を開くと、そのゆがんだ顔のまま近寄ってきて、俺の両頬を引っ張った。
ちょこれ:くっきーちゃんこんばんは(^^)
くっきー:ちょこれちゃん反応鈍ーい。なになに? シュウくんと個人チャットでもしてたの? 内緒話イクナイー><
ちょこれ:ごめんなさい。ちょっと席を外していたの。
シュウ:どうせトイレだろ。
くっきー:シュウくん! 女性に向かってなんてことを!!
ちょこれ:シュウくん、そんなことを言っているとエリアから追い出すわよ。
俺はジンジンする頬を抑えながら、チャットに混じる。
俺たちが恋人だということは、ゲーム内の友人には伏せてあった。これも美星が言い出したことだ。何人かはうすうす勘付いているようで、あまり隠す意味を俺は感じないのだが。
美星は口調も実際とゲーム内では変えている。ゲームと現実の唯一の共通点は長いストレートの黒髪。彼女の髪は実際よく手入れされていてとても綺麗だ。さわり心地もいい。
しかし、な。
また、エリアに誰かがアクセスしたことを知らせる効果音が鳴った。
ちょこれ:みたらしさんこんばんは(^^)
先に打ち込まれた美星のチャットを見ながら、俺も挨拶のチャットを打ち込むためキーボードを叩く。エンターキーを押す前にちらりと美星をうかがい見ると、彼女はニコニコしながらいつものようにノートパソコンに向かっていた。
どこかに続きます。