百足龍の噂
薬売りの男の続き。
「ムカデリュウ、ですか?」
薬売りの青年は、手のひらに載せた小さな薬袋をどうしようかと見つめながら老婆に聞き返した。
「この土地の山神様だよ。百足の様に足がたくさん生えた、三つ首の龍の姿をしているという話だ。土地を豊かにしてくださるが、時々生贄を求めなさる」
老婆の視線は青年の顔から足元に落とされた。
「数日の内にその生贄をささげる祭りが行われるという話だよ。悪い事は言わない。巻き込まれたくなければ、祭りが終わるまで、あの村には近づかないことだ」
青年は老婆の少し土で汚れている右手を取ると、その手のひらの上に薬袋を置いた。
「ご忠告はありがたいのですが、それはむしろ好都合というものです」
老婆が顔をあげると、青年はまた愛想のよい笑みを浮かべていた。
「私の売る薬には、龍すら眠らせる安眠薬というものもございまして、いずれにしろ商売にはなりますでしょう」
青年はそっと両手を使い老婆の手に薬袋を握りこませる。老婆はうろたえた様子で、
「あの村は生贄をさし出す事にとうに疲弊しているんだよ! よそ者が今あそこに行ったらどうなる事か!」
と、自分の手を包んでいる青年の手をもう一方の手で強くつかみ返した。青年はその手をほどくようにゆっくりと両手を引く。
「疲労回復なら、うってつけの飲み薬がございます」
そのまま老婆と視線を合わせず、背中の荷の位置を直すと、会釈でもするように頭を少し下げながら青年は身をひるがえした。それから息を吸い背をそらし、今度は一呼吸吐き出してから、山奥の村へと歩き出す。背中の荷は重そうだが、ひらひらと左手を振って見せ、青年は陽気な様子だ。
「帰り道にまたお会いしましょう。その時はどうぞごひいきに」
あとに残された老婆は、握りこんでいた手を開くと、その平に載せられた薬袋をしばらく眺めていた。
薬袋には、色とりどりの花が散らされたような、可憐で淡い色の模様が染めこまれていた。老婆は、今日は雲一つないよく晴れた空だったと思い出し、顔を上げた。