暗闇の波間に
最初、それはトウモロコシのみずみずしい髭のように見える。
耳に鳥のさえずりが聞こえ、視界に自分のまつ毛が入り込み、体温と呼吸を感じる。
まだぼんやりとしていると、目の前の金色の髭が揺れ、聞きなれた声が降ってきた。
「目が覚めた?」
目だけ緩慢に動かして髭の流れをたどると、弧を描いた血色の好い唇が目に入り、宝石のような青い瞳に見下ろされていることに気付く。
「ああ……」
横倒しになったゆるみきった体を起き上らせようと、ベッドの上で身じろぎをする。もう朝が来たのか。彼女の金色の髪に梳くようにふれる。
「君と僕が一緒に朝を迎えるのは、これで何度目かな?」
ベッドに腰掛ける形で僕を覗き込んでいた彼女からくすりと笑いが漏れる。
「これで832回目よ」
「そうか」
つられて笑いながら彼女の顔を見返す。日の光が彼女の髪を透かす。何故かここで必ず僕は不安を覚える。
胃から食物が逆流してきてしまう時のように、口中を叫び声が浸し、それを吐き出したい衝動に駆られるが、彼女の手前やっとの思いでこらえる。動悸で胸が膨れ上がる。
「どうしてだろう。明日も君と一緒に目覚められるのか、毎日毎日不安になるんだ」
叫びこそこらえたものの、今日はその思いを隠すことができず、彼女に打ち明けてしまう。
「僕は何かおかしいんだろうか?」
彼女は微笑む。昨日そうしてくれたのと同じように、優しく笑いかけてくれる。
「そうね。あなたの何かがおかしいとしたら、ねぼすけがちっとも直らないってところかしら? いつもいつも眠りすぎるから、目覚めた時に上手く調子が出ないのよ」
若葉色のドレスに身を包んだ彼女は、ベッドからスッと、春の木々が風にしなるように軽やかに立ち上がると、大きく両腕を広げた。
「さぁ! 起きて! あなたの民が、あなたの命令を あなたの許可を あなたの知恵と、そしてご慈悲を待っているわ。お寝坊な国王様!」
彼女の明るい声に、その後ろの窓から差し込む日の光に、導かれるように起き上る。
ベッドから降りて、彼女に一瞬のキスをする。昨日そうしたように。
君のためにこそ、この国を平和に導こう。
口には出さない誓いとともに彼女と微笑みあう。この頬笑みが僕にとってのすべてだ。
部屋には金属の飾りをほどこされた荘厳な扉が一つある。その扉を開けてこの部屋から出たら、大勢の人間が僕に視線を向ける。だが、僕が見ているのはいつも一人だ。
僕の姫君……
扉の向こうで獣が吠えたような気がする。
どこかに続きます。