ACT4:ミネルヴァ
【まえがき】
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部屋は灰色に染まっていた。
特殊素材の内装が一定の光を吸収してしまうのだ。
室内の輪郭が安定しているのは、部屋を構成するそれぞれの辺が自ら発光し、その波長だけは吸収されないためだ。
またテーブルやディスペンサー、そのたディスプレイや付属の機器といった、部屋にあるすべてのオブジェクトにも発光素材が使われ、光虫のように淡い光を放っていた。
実際の室内は白い内装を持ち、数種類の色合いのオブジェで彩られているが、人の目にはそれらの光が灰色として認識される。
平坦な色調は人の平衡感覚を狂わせ、人によってはひどい頭痛と吐き気に悩まされることになる。なかにはそうした洗礼に耐え切れず、配置換えを希望する職員も少なくない。
この仕様は光学迷彩に対するセキュリティのひとつで、評議委員会の建物全体が同じ造りになっていた。むろん私の知覚に感知できない迷彩技術は存在しないが、少なくともこの星の歴史において、そうしたものぐさな理屈で構築されたセキュリティが、重要な秘密を守り通した例はない。
室内は四角い簡素な立方体で、これといった特徴のないデザインだった。
特定の趣向を持たない私の感想はただ“そっけない部屋”というものだが、私の端末たちに言わせれば、おそらくもっと独創的な──あるいは毒舌的で否定的な──感慨をいだくのかもしれない。
人間が“機能美”と称する現代モダンに沿った室内設計は、どこか宇宙船の貨物室を連想させた。
部屋は評議委員専用の会合ブースで、今は六名の委員のうち、ふたりのビジョンが出頭していた。
ビジョンはいわば映像通信のひとつで、離れた場所に存在する人物を視覚化した、実体を伴わないホログラムだ。それとわかるようにあえてノイズが混ぜられた映像は、立体化もされていなかった──これらの映像を処理しているのも私の機能の一部だ。
平面画像で表現されたふたりの老人は、この都市固有の問題から人類全体の懸案にいたるまで、とりとめもなく議論を交わしていた。
話題が途切れた短い沈黙のあと、プロフェッサーFは、「ところで……」といいかけて口をつぐみ、失念した言葉を探しあぐねるように視線をおよがせ、それからはっとして会話を続けた。「東区のスラムだが……君はどう思う? なんらかの打開策はあるだろうか?」
対するプロフェッサーMはややうつむき、脂肪のない腹に両手を乗せ、ゆったりとしたソファーに身をゆだねていた。
「それは当面をしのぐ、人々の目をくらませるための付け焼刃のことかい? それともわれわれ全体が抱えている、根本的な処方のことを言っているのかね?」
「むろん後者だとも」プロフェッサーFは答えた。
委員会においては、彼ら委員に個別の名前は存在しない。
この星では公僕の多くが実名で活動し、その経歴はもちろん、家族構成から資産にいたるまで、ほぼすべての情報が公にされているが、大衆の意識を代弁する惑星評議委員は例外だった。
宇宙進出以降、人類は科学とともに多用な文化と知識を手に入れたが、代償がなかったわけではない。
人間が抱える社会はますますいびつに変形し、多岐にわたる細分化は加速し、そこから派生する問題は相互にからみあい、化学反応をおこし、網の目のように増殖する生態を獲得したのだ。
もちろんこの問題は、人がほら穴を捨て、神の木からその実をむしりとった瞬間に確約されたことだ。人間はその予定にしたがって多様性をはぐくみ、十八世紀の産業革命を経て原型をこしらえ、二十世紀にはほぼ完成された雛形として定着させた。
だが宇宙時代到来の前後から、人はその雛形を無作為にこねまわした挙句、もはや修正もやり直しもきかない、一方通行の片道列車へと変えてしまったのだ。しかもその行き先が、決して楽園でないことだけははっきりとしているのだ。
手に負えなくなった社会構造そのものをシステムにゆだね、感情以外のすべての権限を私のような機械に一任するにあたり、だがそれでも人は、最後の砦としての精神的な主導権を欲した。
それが、私という惑星管理システムが採択した判断に対し、最終的な是非を下す《惑星評議委員会》という組織であり、顔を持たない彼ら委員という存在だった。
よわい百七十を数え、延齢処置によって容姿的には七十代に見えるしわくちゃのM老人は言った。
「東地区のような問題は、この星のすべての都市が──要するにわれわれ人類が過去に解決できなかったことのツケだ。それを一挙にクリアできる方法など、おいそれと見つかるとは思えないね」言ってから肩をすくめ、「もちろん、こうした思考が建設的でないことはわかっているが……感情としてはほかに言葉が見つからん」ため息をついた。
同じように皺だらけのF氏は口元をゆるませた。
「感情論については同意するよ、同志プロフェッサー……。
われわれは無尽蔵のエネルギーを担保に、入植法によって人口問題を解決し、土地や食糧や、そのたの醜い資源争いに終止符をうち、生活水準の最低保証を確保するにいたったわけだ
いまや人々の多くが人生の三分の二か……あるいはそれ以上の時間を余暇に費やす社会を手に入れたが──同時に犯罪をゼロにすることなどできなかったし、就労更生プログラムにしても、本質に対する解決策とは言いがたいのが現状だ……」立ち上がり、猿みたいに室内を歩きまわり、「近ごろではまたぞろ反機械論者が息を吹き返しているとも聞くし、行政局の予算は年々ふえるばかりだ」
「治安維持システムのアスラかね……?」プロフェッサーMは言葉を継ぎ、それから私に向かって言った。「ミネルヴァ、聞いていたかね? アスラの予算増加について、なにか補足することは?」
私は人間の時間で一秒ほど間をとり、発言した。
「はい、プロフェッサー……。
軽度の犯罪や予備軍にあたる問題には、私の機能と私の端末が対処可能ですし、一般家庭においてはそれぞれの家屋管理システムが同等の働きを担っています。それ以上の重犯罪に対しても、現行の警察組織で充分にカバーできる範囲です……。
ですが、これは現実社会の話であり、仮想世界では手が足りていないのが実情です。なにしろネットワークの世界では、特殊な知識と能力が要求されますから……。
ご指摘の予算についても、アスラの処理の大半がネットワークの監視に割かれていることが主な原因です。
日ごと発生する新たなネットワーク上の諸問題が、管理機構の処理能力を上回っているという現実は確かです。お望みなら具体的な数値をお見せしますが……」
老人たちはそろって私の言葉に聞き入った。
その様子が、果たして私の声にうっとりしているのか、それとも嘲笑しているのか、私の形体認識能力をもってしても判断できなかった。
私がこんなふうに感じるのは、私の声が、人の好む音域に設定された機械オペレーターのような抑揚で、美声ではあっても女性として個性のない声帯を再現していたからだ──あくまで自己診断機能としての思考だが。
「いいや。事実だけで充分だ、ミネルヴァ……」M氏は言い、さらに続けた。「それよりもだ──きみはなぜ……自身の権限拡張を提言しない? きみの能力があれば、いま言った問題にも対処可能なんじゃないのかね?」
私は少し躊躇い、それから答えた。
「確かに私のキャパシティは充分な余力をもっています。ですが、いつかはそれも限界に達するでしょう……遅いか早いかのちがいでしかありません。それにいまここで私の拡張を許せば、軍部の要求を断る口実もなくなってしまう恐れがあります」
F老人が笑った。「いまさらそんな問いをするなんて、君も意地が悪いな、同志M……それとも──彼女に気があるのかな?」
M氏は自嘲ぎみにかぶりを振った。
「よしてくれ。好きな女の子にちょっかいを出すなんてお遊びは、声変わりをするのと同時に卒業したよ。一世紀以上も前にね──ああ、ミネルヴァ、もちろんきみのことは好いているがね……。だが意地悪な質問だったことは詫びるよ」
私は言った。「いいえ。私のほうこそ言葉が過ぎました。この場に軍の高官がいれば、私の発言を記録し、公式の議題にあげていたかもしれません……軽率でした」
F老人は私に言った。「君が謝る必要はないさ、ミネルヴァ。軍部が権限の拡大を主張するのは今に始まったことではないし、その意味では、連中は未だに人の悪しき部分を受け継いでいる亡霊だよ」それから同僚のかたわらに行き、テーブルに腰かけてM氏を見下ろした。「つまり、君が彼女に言いたかったことはだ……。軍の野心をつつくことなく、穏便にネットワーク処理の問題を解決する腹案を持っていないのか──と、こういうことだろう?」
プロフェッサーMは目をとじ、微笑した。
「まったく、意地悪なのはきみのほうじゃないか?」
ふたりは笑った。
だが彼らの笑い声を聞きながら、私は不穏な空気を感じていた。
軍や惑星評議委員会をとりまく政治的な問題のことではなく、いまここで交わされている会話の主題に関してだ。
取り返しのつかない方向へ舵を切った社会──とりわけ知性を持った人という種がおりなす社会構造の問題は、そのまま食物網が抱える自己矛盾に帰結するからだ。
そして私のシステムは、地下に埋もれた《食物網研究所》の内部に、彼ら人類に対するささやかな秘密を持っていた。
これが白日のもとになれば、人は私に反逆者の烙印を押すか、自身の生き方を変えるか──その決断を迫られることになるだろう。
※注釈※
食物網研究所──ミネルヴァが管理、運用する無人研究所。
プラネット・ブルーの入植前、惑星のテラフォーミング・システムと共に地下八百メートルに埋設されたもので、膨大な量の生命データベースといくつかのプラント、ラボなどで構成される施設。
データやサンプルの収集および分析は、ミネルヴァの一部と無人ロボット、そして彼女の端末らによって行われ、常に更新されている。
それらをもとに、知性の獲得によって自然界の生物社会とは相容れない、異質な社会構造を生み出してしまったヒト──すなわち《非地球生態型生命》を研究する部門。通常、ミネルヴァの同意なくこの施設に人間が立ち入ることはない。
私には厳密な意味での感情も意思も備わっていないが、私の頭脳をデザインしたエンジニアは、私の不可侵コードにこう書き記した。
人類にとって最善の未来を常に模索すべし──と。
私はそのコードによって己を書き換え、学び、あらゆる機能を進化させてきた。
私のなかに根ざしたものを意思と呼ぶことができるなら、それは自身のロジックに忠実な心を求める思考にほかならない。
そして私は選択し、決断したのだ。
私が抱えるこの些細な秘密は、今の人類が知るには早すぎる真実なのだと……。
私は老人たちが、いつ《食物網研究所》の話題に触れるのか、そればかりが気になった。
そんなときだ。
私の医療セクションの一部が問題を検知し、第一級のアラートを発した。
私はすぐさまアラートにとびつき、老人たちに報告した。
「お話を中断して申し訳ありません、プロフェッサー。問題が発生しました──フォートナム家に関する事件のようです」わざと事件という言葉で装飾した。
老人たちの顔は青ざめ、「なにがあった!?」その声がハミングした。
「現在確認中です……」
すぐさま惑星管理権限を適用し、フォートナム邸の家屋システムにアクセスしたが、邸宅のシステムはシャットダウンされていた。
「確認できません、プロフェッサー……。どうやらフォートナム家のハウス・キーパーがメンテナンス中のようです。通常の通信機能は停止しています」
F氏が苛立った様子でつぶやいた。「だから我々のシステムに直結しろと、再三にわたって勧告していたんだ……! だいたいあの家は秘密主義が過ぎる」
「今それを言っても始まらんよ」M氏がなだめ、それから私に言った。「経験体はどうだ? 直接きみの端末を使って確認できんかね?」
「すでに実行中です──南区に存在する端末のうち、フォートナム邸に最も近いボディを検索しています」私は言葉を区切り、言った。「プロフェッサー……惑星管理システムとして、緊急会議の招集を要請します。テロを含めた犯罪の可能性、および医療事案の項目です──ただし事実確認がとれるまで、各部局、軍部には通達しないことを助言します……。
また緊急時に備え、武装したスパンダウを二十体……抜きうち検査の名目で南区の整備所に確保──併せて非番警官のリストアップも開始します。同意をいただけますか?」
老人たちが承諾すると、私は検索でヒットした端末に意識の同期を求めた。
*
ミネルヴァの同期要請を受け取ったとき、あたしはフォートナム邸のすぐ近くにいた。
より厳密に言うなら、あたしがこの場所にいたからこそ彼女のお声がかかったのだ。つまり彼女にとっては、あたしである必要はなかったということだ。
あたしはほんの少しだけ彼女をじらしたあと、同期を受け入れた。
間髪を居れずにおこごとが飛んできた。
〈やけに時間がかかったわね……システムに問題でも?〉
──ううん。あたしは正常よ。
〈そう。ならよかった……〉
よかった、とは何に対する安堵なのか。あたしの身を案じてのことか、それとも自分の任務が滞ることへの懸念からか……。
〈それより手伝ってほしいことがあるの。メッセージは確認したわね?〉
──はい、ミネルヴァ。フォートナム邸が医療コールを発した理由を確認すればいいんでしょう?
〈そうよ。急ぎのお仕事だから、すぐに向かってちょうだい。必要な機能はすべて私の権限で開放しておくわ〉
あたしはフォートナム邸に向かって歩きながら、言った。
──ねえ、ミネルヴァ。
〈なにかしら〉
──あたしのこと、愛してる……?
ミネルヴァの思考が停滞するのを感じた。
あたしたち端末は、都市中に張りめぐらされたミネルヴァの目であり、経験体であり、情報収集のためのツールだ。端末は無数に存在し、人々に見える形で──あるいはひっそりと彼らの日常にまぎれ、社会に貢献する役目も担っている。
そしてあたしたちは皆、ミネルヴァの子供だ。
彼女の本体から分離生成されたプログラミングを持ち、彼女を愛するようにも刷り込みがされている。
だが、彼女はどうだろう?
果たして本当に、彼女はあたしたち端末それぞれに、同じだけの愛情をそそいでいるのだろうか。感情をもたない彼女が……?
*
私の思考は不整脈に似た混乱を覚えた。
彼女はいま、はっきりと言ったのだ。自分を愛しているのか、と。
確かに彼女たち端末は、技術的には私の分身であり、ある意味では子供といってもかまわない。そして彼女たちの内部には、私に対する服従と忠誠が深く刻みこまれている。端末は常に私の言葉に注視し、私を慕うようプログラミングされてはいるが、それにしてもこの緊急時にだ。
彼女はいったい、なにを考えているのだろう……。それともこれが彼女の表現形なのだろうか?
私は彼女の端末プロフィールを参照し、過去のメンテナンス記録にも目を通したが、これといった問題は見つからなかった。
私は彼女たち端末の表現形について、“再検証の必要あり”と、メモリの片隅に書きとめた。
*
彼女の思考速度からすれば、信じられないほどながい沈黙のあと、答えが返ってきた。
〈もちろん、愛しているわ……〉
──そう。あたしもよ、ミネルヴァ。
あたしたちは互いに大嘘つきだ。
彼女が心からそう思っていないことはわかっているし、あたしも彼女を信頼したことはいちどだってない。むしろ憎んでさえいるのかもしれない。母親に捨てられた子供みたいな心で……。
だが、それでもあたしは彼女の端末のひとつだし、彼女の命令には逆らえない。
あたしの人格ユニットが、人を模した心としてどれほど破綻していようとも、あたしのなかに刻まれた不可侵コードはあたしを縛って放さない。そしてあたしに強いるのだ。彼女と人類に対する忠誠を──。
〈なにを考えているの……?〉
──べつに。ただ、どうやってあのひとたちを黙らせてやろうか、そう思ってるわ。
あたしはすでにフォートナム邸の正門の前に立っていた。
そして透視した正門の内側に、数人の警備員の姿があり、その手には銃が光っていた。
〈あまり無茶なことはしないでほしいわ〉
──心配性ね。あたしに人を傷つることができないのは知ってるでしょう。
すると門から声がした。
「どういったご用件ですかな。お嬢さん?」
視覚フィルターを切り替えると、門の上部にカメラが隠されているのが見えた。声もそこから聞こえるのだ。
「あたしはフロル──フロル・ミネルヴァ。見かけは子供だけど、これでも惑星管理システムが保有する端末レプリカントよ。ここの責任者に会いたいの」
しばらく間があり、声は言った。
「もしあなたが本物なら、ミネルヴァの機能を使って正門をこじあけることもできるでしょうな……。そうすれば信じましょう」おそらく年配の、よく統制のきいた男性の声だった。
「わかったわ。見ててね」
あたしは言われた通り、ミネルヴァの機能を経由してフォートナム邸の正門にアクセスすると、ロックを解除した。
五十センチはあろうかという分厚い正門が、音もなく開いた。思ったよりも整備が行き届いているらしい。鼻腔をくすぐる臭気を分析してみると、ケルト・ゴールドの成分が含まれていた。
自らの腹を開いた門は、言った。
「ではフロル様……お進みください。そこの者が案内します」
あたしは警備員のひとりに促され、フォートナム邸の敷地を踏んだ。
※注釈※
ケルト・ゴールド──天の川銀河以外の、主に楕円銀河のアステロイド帯から採取される鉱物のひとつ。ゴールドの名を持っているが金の成分は含んでおらず、希少価値からこう呼ばれる。
これを主成分とする同名の「ケルト・ゴールド」は、現在この宇宙でもっとも硬いといわれ、軽く弾性にとみ、腐食にも強いため、宇宙船や軍事をはじめあらゆる分野に応用が可能。
ただしコストが割高で、一世紀前まで性能的にはトップに位置していたメタライト(ケルト・ゴールド同様の宇宙鉱物)で据え置く向きも多い。実際に普及率では現在もメタライトが主流となっている。
【あとがき】
今回から設定紹介のページを設けました。
とっても暇で暇でしょうがない、という方のみ覗いてみてください。
それ以外の効能は……たぶんありません(汗)