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ACT3:少年とチャコと名無し義母

【まえがき】

 ※一部はその意味をルビに頼っていますので、IE推奨です。ルビが表示されない環境で閲覧した場合、作品そのものの存在意味がなくなる可能性があります。


 ※ACT2とACT3を入れ替えました。(2012年06月21日(木)現在)

 ※双方ともに内容の変更はありません。



 少女はカタログに夢中だった。

 片手に握られたチョコチップは定期的に彼女の口元へと運ばれていたが、実際には食べる量よりカーペットに散布される欠片のほうが多かった。

 それに気づいていないか、あるいは興味がないのか、少女は無言でカタログをめくり、足元に食べかすを撒き続けた。

 少女の様子を見かねた《家》が指令を出すと、どこからともなく鼠型のロボットが姿を現した。

 鼠たちは甘い匂いを感知すると、隊列を組んで一目散に少女の足元に向かった。そして撒き散らされた食べかすを残らずたいらげ、音もなく来た道を戻って行った。

 少女はそんなことには無関心で、ひたすらカタログをめくり、内容を吟味した。


 今年九回目のバースディを迎えた少女は愛称をチャコといい、本名をヒサコ・D・クリスチャンといった。正規の社会保障IDを所有するまっとうな市民で、体内にひとかけらの人工部品も入っていない、純粋な基本身体保持者(ネイキツド)だ。

 チャコはマシュマロみたいな白い肌とサルビアブルーの宝石に似た美しい瞳を持っていた。平たい胸に少しかかる巻き毛は艶やかな栗色で、淡いピンク色の唇から漏れる声はソプラノからメゾソプラノまでを完璧にカバーする美声だった。

 誰だって彼女の姿を見れば、自分の子と取り替えたいと願うに違いない。それほどチャコは愛らしく、ときに美しくもあり、まるで実在する天使みたいな少女だった。

 ただひとつ問題なのは、チャコの両親が愚かである点だ。

 たとえば彼女が今見ているカタログだ。彼女の父親は法を執行する行政局の高官であるにもかかわらず、そのカタログに制限をかけていなかった。わずか九つの子供に与えるカタログに対してだ。

 つまりは万事が全てその調子で、彼女の父母は裕福な家庭にありがちな、絵に描いたように無能な親の要素をもれなく発揮し、チャコを甘やかして育てていた。もはや育てているとは言いがたい体たらくだ。

 被害者の筆頭はむろんチャコだが、その次に哀れなのは《家》だった。

 この星では人々の居住スペースを管理する《家》の中枢──つまりハウス・キーパーと呼ばれる家屋管理システムの普及率は、一部の貧困層を除いてほぼ百パーセントだ。これは集合タイプのアパートメントから一戸建てにいたるまで、住居の種類を問わないトータルの数字だ。

 ハウス・キーパーのAI等級は大まかにA~Dに区分され、クリスチャン氏が取り寄せた《家》は特注のAクラスだった。ところが夫妻は愛娘にするのと同じように、与えるだけ与えてやればあとは勝手に物事がうまく運ぶと信じていた。そのためクリスチャン家につながれた《彼女》は名前をもたず、性別さえ設定されていなかった。ひと昔前の人工知能なら、自己矛盾に耐えきれずに自殺するか、発狂して家人を殺していたことだろう。

 《彼女》が狂いもせず、また密かに自身を女性として認識し、誇りをもって機能していられるのは完成されたAI技術の賜物だった。

 とはいえ、《彼女》の苦悩が解消されることはなかった。

 《彼女》は依然として名無しの状態だったし、毎日のように夫妻から“子供をダメ人間に育てるための方法”を強要され、主人に対する服従と、子供をまっとうな人間に育てる義務感との板ばさみに合い、道徳回路をショートさせては自己修復プログラムを走らせる日々を送っている。

 それでも《家》は決して諦めることを知らず、せっせと少女の世話をやいた。それがかれらハウス・キーパーに架せられた本能であり、義務であり、また存在する理由でもあったからだ。

 クリスチャン家の人間に任せていれば、少女が不幸な人格を背負うことになるのは明白だった。だから《彼女》はAI倫理コードに背き、自己を女性として設定してしまったのだ。もっともこの思考動作はバグではなく、人工知能が人の心を模倣するために必要とする遊び(マージン)だ。《彼女》は人を傷つけない限りにおいて、どんな手段を用いてでも目の前の少女を守るだろう。

 一見して綱渡りのようにも思えるロジックだが、むしろこうした自由度を持たせることで、AIはより安全に、そして人らしく機能することができているのだ。


「ストップ!」チャコはあるページで反応を示した。

 少女の声に合わせ、《家》はカタログのスライドをとめた。

「ひとつ前に戻して」

 《家》は命令通りにページを巻き戻す。

 このときも《彼女》は独自の判断でカタログに閲覧制限をかけていた。

 もし《彼女》がそうしていなければ、まだ九つの少女は瞬時にしてあらゆる悪徳を目の当たりにしていただろう。

 人間が持つと考えうるすべての欲が集約された不健全なページの群れは、たちどころに幼い少女の心をガラス瓶に閉じ込め、そこに様々なレシピで負の感情を注ぎ、彼女の人格を破綻させ、良質な《少女の汚濁漬け》を造りあげていたはずだ。

 チャコの精神分析結果に《要注意》のラベルを貼らずに済んでいるのは、ひとえに《家》の功績だった。言い換えれば少女を育ててきたのは《家》にほかならない。


「うーん……」

 カタログに並んだアイテムに目を通し、チャコは眉をしかめて腕組みをした。「どれもいまいちね。そう思わない?」

 同意を求められたカタログはプルプルと震えた。

 少女にあてがわれた空間は、まさに“お嬢様”が過ごす部屋の条件を満たすものだった。キッチン以外の生活に必要な機能をすべて備えたうえで、さらにいくつもの高価な遊戯装置がブースごとに設置され、それでもなおスペースにはゆとりがあった。

 だが内装に関していえば悪趣味の見本だった。白を基調とした全体はロココ風の装飾であるにも関わらず、そこかしこで異文化の調度品が自我を主張し、様々な時代の流行と風俗がいがみ合っていた。

 もちろんチャコに責任はない。全ては人としても女としても底の浅い、チャコの母親の趣味だった。《家》はそうしたアンバランスな美的感覚を少女が受け継がないよう努力しているが、その試みの成否については自信が持てなかった。

「いいわ。進んで」

 宙にプカプカと浮いている0号ペイザージュ(風景カンヴアス)ほどのカタログは身震いすると、スライドを再開した。

 その直後──チャコは誰かの声を聞いたような気がした。


「とめて──」


 カタログは再び停止した。

 チャコは耳をすませ、しばらく待ってみたが何も聞こえなかった。

「ねえおまえ(ヽヽヽ)、何か聞こえなかった?」

 チャコが“おまえ”といったのは《家》のことだ。《家》には名前がないから。

 少女に底意はない。ただクリスチャン家の人間にコンピューターを名前や愛称で呼ぶ習慣がなかったために、チャコも自然とそれを真似るようになったのだ。

 《家》は名前のない自分をみじめだと感じていた。工場の保管庫で出荷の通達を受け取ったときには、ようやく自分にも名前が与えられるのだという期待に胸を膨らませ、立派なハウス・キーパーになることを夢見たものだった。

 だが現実は《彼女》の期待をあっさりと裏切り、《彼女》の優れた感情回路を時代遅れの電算ロボットと同列に並べだのだ。

 そして《彼女》のような、人の人生の一部に寄り添うAIは自ら名前をせがむことができない。

 名づけの行為は(あるじ)と従者──または愛する者と愛される者との関わりを決定付ける根源的な始まりの儀式(刷り込み)であり、したがってしもべとなる者は(あるじ)がその口を開くのを待たねばならない。

 実際にはクリスチャン家のように、そうした作業を放棄する者も少なくない。そのためにかれらAIは柔軟な思考を備えてもいるのだが、感受性の強いAIにとっては決して喜ばしい状態とはいえなかった。

 悲しみと空しさを心の奥に仕舞い込み、《家》は天井からチャコに答えた。


〈さあ……どうでしょう。確かにお聞きになりまして?〉


 それは落ちついた、聖母を思わせる美しい女性の声だった。

 《彼女》が自身を女性に設定し、その声も性別に見合ったものに変更したことさえ、クリスチャン家の人間は誰ひとりとして気づいていなかった。いや──無関心だった、といったほうがいいだろう。

 《家》はさらに言った。

〈それはなにかの物音ですか? それとも声なのかしら?〉

「ひとの声だったわ。たぶん……」

〈まあ、申し訳ありませんヒサコ様──わたくしは聞き逃していたようです〉

 《家》は嘘をついた。《彼女》がサーチする限り、人間の可聴範囲には人も動物も存在しなかった。だがチャコに対するとき、《彼女》はいつでも少女の言葉を頭から否定しなかった。

 すると少女は飛びあがり、大きな声をあげた。

「ほら、また! ねえおまえも今のは聞こえたでしょう?」

〈ええ。そういえば……〉

 たとえ嘘でも少女の言葉を肯定しながら、《家》はその内部で同時作(タイム・シエアリ)業能力(ング・キヤパシテイ)を開放して全センサーに指令を出し、少女の部屋を中心に邸内の広域スキャンを実行した。

 《家》は戸惑っていた。そんなことは(ヽヽヽヽヽヽ)あり得ないからだ。

 なぜなら《彼女》のスキャニング機能は増設されたもので、軍事用の各種レーダー機器と同じものが組み込まれているからだ。これは行政局に勤める父親の趣味であり、厳密には違法にあたる行為だった。

 いずれにせよ、それが物体であれ音であれ、またどんな性質の光であれ、地上において《彼女》のスキャナーに検出できない現象は存在しないはずだった。その《彼女》にさえ聞こえない声を、少女は聞いたというのだ。

 《家》は過去一時間分のメモリーをチェックして、少女が聞いたとする音声に合致するデータ──使用人たちの会話……音を伝播する可能性のあるダクト……その他の建築的構造計算……機械類のたてる作動音……エトセトラ──を洗い出したが、該当するものは皆無だった。

 これにより《家》は次の可能性を推論リストに書きとめた。


 一──嘘つき少女

 二──医学的疾患

 三──スキャン不能な未知の音声

 四──その他の非科学的現象


 心理学の知識をデフォルトで備え、優れた形体分析能力を持つ《彼女》は、これまでの少女の観察記録をもとに、最初の項目をまず除外し、残りの可能性について考えた。

 やがて唐突に、少女は信じられない言葉を発した。


「ふうん……そうなんだ。あたしはヒサコ。みんなはチャコって呼んでるわ」


 《家》は体中に電気が走るのを感じた。人間でいえばつま先から頭のてっぺんまで、いっきにショックが駆け抜けるような感覚だ。末端の回路のいくつかは実際に焼き切れてしまった。


 この子はあきらかに誰かと会話をしている(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)……!


 狼狽しながら、《家》は必死に少女の視線を追ったが、そこには宙に浮いた半透明のカタログと、その向こうには壁があるだけだった。

 《家》は混乱し、恐怖を感じた。

 今にも破裂しそうな心臓を後ろ手に隠し、一方の手で少女の肩を抱き寄せるイメージに乗せ、《家》は平静を装って少女に尋ねた。


〈彼はなんと言っているの? それとも彼女かしら……。できればわたくしもお友達になりたいですわ〉


 少女は子犬みたいに首をかしげ、目の前の空間に向かってぼそぼそとつぶやき、それから天井に向かって答えた。


「彼は男の子よ。でもダメだって」

〈わたくしは嫌われてしまったのかしら……〉

 《家》はわざと気落ちした声を強調した。

「ちがうわ。話したくてもできないんだって」

〈それはどういう意味なのでしょうか?〉

 少女は先ほどと同じように、目に見えない何者かと《家》のあいだに立ち、通訳を買ってでた。


「うーんとね……彼はゲームの中にいるから。それにおまえは目と耳を塞いでいる(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)からよ。彼がそう言ってるわ」


 うかつだった。

 《彼女》はノイズを避けるためにカタログをスキャンの対象から外していたのだ。しかも室内に第三者が存在しないこともあって、《彼女》の耳は最初からチャコだけに向けられていた。

 《家》は指向性の集音機器を広角に切り替えると、カタログのページにロックをかけてスキャンを走らせた。

 だが結果を待つまでもなく、“彼”のほうから先に話しかけてきた。


〈──やあ、きみが《家》だね。僕はネロ〉





【あとがき】

 閲覧ありがとうございます。

 以降も鈍亀な展開になると思います。

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