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精霊に愛された娘  作者: 宵月氷雨
第一章
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第4話【改】 伯爵令嬢、伯爵令嬢と対峙する

9/21 改稿しました。お手数ですが読み直していただけると幸いです。



 頭上で燦然と輝くシャンデリアが酷く眩しい。

 扉をくぐってすぐその眩しさに目を瞬かせたティリエルが次いで見たのは、それに劣らぬきらびやかさを誇るドレスたちだった。

 至る所に宝石が散りばめられたドレスや、金糸と銀糸で細やかな刺繍がなされたドレス、上質のシルクにレースをふんだんにあしらったドレス。

 それとなく視線を走らせたティリエルは、あまりの気合いの入りように頬を引き攣らせるのを我慢しなければならなかった。

 ざっと見ただけでも明らかに「着られている」人もいて、本末転倒ではないかと思う。

 きょろきょろとミーナを探すティリエルは、その間も突き刺さる視線を感じ、慎重に笑顔を張り付けた。

 もちろん内心では百の悪態を並べている。

 壁際にミーナを見付け、手招きされるままに歩いてようやく隣に辿り着いた時には、思わず溜息をつきそうになった。


「いらっしゃい。針のむしろへようこそ」

「洒落にならないわ……」


 この視線がティリエル自身に対するものであれば、まだ我慢できた。

 彼女が苛立っているのは、嘲りのこめられたそれらの視線が彼女の侍女に向けられたものだからだ。


「ティル様、やはり染めた方がよかったのでは」


 苦笑混じりのサフィリアの声には諦観が滲んでいて、ティリエルはやるせない気持ちになった。

 一緒に来ると決まった時、迷わず染めようとしたサフィリアを止めたのはティリエルだ。


「だって……、黒髪だってだけで忌避されるなんておかしいじゃない……」

「仕方ありません。一種の刷り込みのようなものですし」


 そこに自分の意志がなくとも、大人が黒を厭えば子供もそうするように。

 遥かな昔、黒髪黒目の人間が現れ世界を滅ぼそうとしたという、トルティージャに残る伝説。

 長い年月をかけて積み上げられてきた黒への偏見は、黒を持つだけで向けられるようになっていた。

 もはやただ黒を持って生まれるということが罪なのだ。

 それでもユーネリアは寛大な方だという。

 問答無用で殺されないだけ良いですよと、いつだったか言っていたのを覚えている。


「でも、フィーには関係ないのに」

「私ではなくて黒髪のせいですから」

「どうして……っ」


 言い募るティリエルの頭に、ミーナの手が乗った。

 落ち着かせるように指先で頭を叩かれ、ティリエルははっとして、深呼吸した。

 どうして抵抗しないのだと、サフィリアに食ってかかりそうだったから。

 行き場のない苛立ちをぶつけるのはただの八つ当たりだ。

 サフィリアは多分黙って受け止めてくれるのだろうが、そんなことをしたいのではない。

 ただ悪意の視線に晒されることを当然ととらえ、受け入れているのが悔しかった。


「フィーの髪は綺麗なのに……」


 宵闇よりなお深い漆黒は、日の光の下では時折輪郭に金を纏う、不思議な色。

 唇を噛み締める。

 サフィリアのためには染めてもらった方がよかったのかもしれない。

 結局のところ、ティリエルは甘く見ていたのだ。

 サフィリアは家にいる時も滅多に客などの他人に会うことはなかったし、この上流階級の令嬢ばかりが集まる場所であからさまに悪感情を向けられるとは思わなかった。

 舌の付け根に苦いものが広がった。

 ちょうどその、心を読んだかのようなタイミングで、サフィリアの声がした。


「大丈夫ですよ、ティル様。私わりと気に入っているんです、この色」


 いつもの涼しげな笑顔とは違う、優しい微笑。

 振り返ったティリエルを真っ直ぐに見詰めて、サフィリアは目を細めた。


「ありがとうございます」

「――うん」


 泣きたくなるくらい優しい声が、ゆっくり染み入っていく。

 こくりと頷いて、ティリエルは笑った。

 サフィリアはあえて軽い口調で、いっそ試金石にしてしまえば良いのではと提案してくる。

 それもいいかもしれないと、サフィリアを見てもなんの反応もしなかった友人を見上げると同時、彼女は盛大に顔をしかめた。


「…――うわぁ」


 視線の先はティリエルを通り越したその向こう。

 不思議に思って振り向けば、一人の令嬢がこちらへ歩いてきていた。


「気を付けなよ、ティリエル。マリエ・アスターに心酔してる令嬢のうちの一人よ」

「それがどうかしたの?」

「マリエ以外の令嬢を扱き下ろすことを躊躇わないわ」


 今この状況ならば、標的はサフィリアのいる自分だろう。

 引き攣りかけた頬を宥めてなんとか笑みを刻んだティリエルの横手で、令嬢がつとつまずいた。

 あ、と出かけた手をやんわり引かれ、目の前を華奢な背中が遮る。

 直前に見えた令嬢の手には、液体で満たされたグラスが握られていた。


「フィー!」


 咄嗟に、もう一つ傍らにある世界に意識を伸ばしたティリエルに答えて、青い光が瞬く。

 偶然を装った悪意により宙を舞った水が、搦め捕られるように集まっていく。

 栗色の髪をなびかせて倒れ込んだ令嬢を優雅に受け止めたサフィリアの頭上には、青い燐光を放つ球状の液体が浮かんでいた。


「お怪我はありませんか」

「な、ないわ」

「それはようございました」


 そうとは見えぬ量産品の微笑を浮かべたサフィリアが、しっかりと令嬢が立ち上がるのを助けてから一礼し、ティリエルの後ろに戻ってくる。

 すれ違い様の目礼に微笑を返し、ティリエルは令嬢に向き直った。

 つまずくだけではなく倒れたのは、確実に液体をかけるためだったのだろうと思う。

 侍女であるサフィリアが倒れる令嬢を受け止めないわけにはいかないからだ。

 ものすごく気に入らなかった。

 怒りを微笑みの下に完璧に押し隠しながら、伸ばした手を横に払う。

 ティリエルの手の動きに従って水球は宙を滑り、タイミングよくミーナが差し出した空のグラスに収まった。

 ミーナは「ばっちりでしょ」という風にぱちりと片目をつぶってみせた。

 さすがに長い付き合いなだけあって、よくわかっている。

 ティリエルはまず友人にウインクを返し、さらに傍らに漂っていた青い光にありがとうと手を振った。

 一瞬光を強くした青がすぅっと消えていく。

 それを見ながら、こんなベタな嫌がらせをするひとがいるとは思わなかったなぁといっそ感心していると、呆然と立ち尽くしていた令嬢が我に返ってしまった。

 迷惑そうに顔をしかめ、汚れを落とそうとするかのように手でドレスを叩く。


「まぁ、早く帰ってドレスを捨てなくてはいけないわ」

「――ティリエルっ!」


 息が、止まった。

 頭が沸騰するように熱くなって、目の前が霞む。

 咄嗟のミーナの声がなかったら、何をしていたかわからない。

 それでも殴り飛ばさなかった自分を褒めてやりたいと思った。


「あら、どうかしたの?」


 意地の悪い笑みを浮かべて、まるで心配するかのような口調で首を傾げる令嬢に、吐き気がした。

 ここが夜会でなければ、百万の罵詈雑言を浴びせてボロボロにしてやったものを。

 それでも、ここは夜会で、しかも王宮だ。

 サフィリアは何も言わない。黙って後ろに控えている。

 だからティリエルは、顔面の筋肉を総動員して、婉然と微笑んでみせた。

 絶世の美女と謳われる姉には及ばずとも。


「いいえ、なんでもありません。貴女こそ、ドレスを捨てたいのなら早く部屋にお戻りになられたらいかがですか? 靴も合っていないようですから、取り替えてきたらよろしいかと」


 サフィリアが何も言わないのは、ティリエルならば下手を打たないと信頼しているからだ。

 ならばそれに応えないでどうする?


「まさかあんな風に転倒なさるとは思いませんでした。大丈夫でしたか?」

「……自己紹介が遅れましたわね。私、ジャスミン・ウィスタレアと申します。以後お見知りおきを」

「ティリエル・スカーレットです」

「ミーナ・サナルシィよ」


 よろしくお願いしますとは言わない。よろしくしたくないから。

 ミーナが割り込んでくれたのはありがたかった。自分はティリエルの味方だと表明してくれたのだ。

 二人揃って形ばかり下げた頭を戻すと、ジャスミンは突然「あぁ!」と悲痛な声をあげた。


「やっぱり我慢できませんわ。黒髪の、しかも侍女に触れられたなんて」

「…………彼女がいなければ今頃は床に口づけをしていらしたのでは?」

「私はその侍女に驚いて体勢を崩したのよ。はじめからいなければ問題なかったわ」


 落ち着け、と心の中で繰り返し唱える。

 声を荒げたら、負けなのだ。


「ウィスタレア家では、助けてもらったら礼ではなく文句をを言えと教育されるのかしら?」

「むしろそちらが私に感謝すべきよ。この私を助けられたことを誇りに思うがいいわ」


 だって、とジャスミンの桔梗色の瞳に侮蔑が浮かぶ。


「黒は忌み子、生かしてもらっていることに感謝すべき存在ですもの」


 そこにいるだけで不愉快なのよ、と嫌そうに吐き捨てるジャスミン。

 ティリエルは悟られぬようにきつく拳を握り込んだ。

 サフィリアは、何も言わない。その凪いだ面貌(おもて)からは何を考えているのかを推し量ることはできない。

 ティリエルは、何も言えない。今口を開いたら、自制が効かなくなりそうなので。


「そんな侍女を連れてる貴女の器量もしれたものよね」


 ジャスミンはゆるりと口端を持ち上げる。

 やっと自分に矛先が向いたと、むしろほっとしてティリエルはゆっくり息を吐き出した。


「……随分な、慧眼の持ち主ですね」

「慧眼?」

「ええ。だってそうでしょう? 侍女を見ただけで私の器量を完璧に量れるなんて」


 ようやくの反撃らしい反撃に眉を寄せていたジャスミンは、なんだそんなこと、と鼻で笑った。


「他の侍女なら別だけど、その侍女は黒髪だもの」

「黒髪の侍女を平然と隣に置いているとは思わないのかしら」

「そういう考え方もできますわね。私なんてさっきから鳥肌が立っちゃって……汚れた気分できゃっ!!」


 パシャ、と。

 一度は回避されたはずの水音が響いた。

 ぽたぽたと、栗色の髪から赤い水が滴る。

 さすがに周囲も気付いたらしく、ぎょっとしたような空気が漂ってきた。

 ジャスミンが、何が起きたのかわからないという顔で自分の身体を見下ろす。

 赤い水の染みができたドレスを。


「あらごめんなさい? 汚いとおっしゃったから綺麗にして差し上げようと思ったのだけど、間違って頭からかけてしまったわ」


 空になったグラスが振られる。

 ティリエルは溜息をついた。

 ティリエルのことは落ち着かせようとしたくせに。


「――それはワインかしら、ミーナ」

「そうよ。アルコールなら綺麗になるかなと思って」

「貴女にしては親切ね」

「うん、親切にも捨てるはずだったドレスを洗ってあげたのよ」


 いつの間にかジャスミンの傍に移動していたミーナが、こちらに戻ってきながらジャスミンには見えない角度で馬鹿にしたように笑う。

 内心では快哉を叫んでいたがまさか現実にやるわけにもいかず、ティリエルは困ったように眉を寄せてみせた。


「でもちょっとやりすぎじゃないかしら」


 ティリエルの視線を追ってジャスミンの後ろを見遣り、ミーナは面白そうに瞳を煌めかせた。

 まだ茫然自失としている主を前にどうして良いのかわからず狼狽える侍女の姿。

 早くドレスをなんとかしないと、本当に染みが落ちなくなってしまう。


「――サフィリア」


 ティリエルは仕方なく、本当に仕方なく己れの侍女に頼んだ。


「助けて差し上げて」

「承りました」


 それまで一言も発さず、微動だにしなかったサフィリアは、いつも通り淡々とティリエルの命を受け入れた。

 ぱちんと指を打ち鳴らす。

 途端に先のティリエルの時と同じ青い光が瞬き、ジャスミンの全身から赤い液体――ワインが浮かび上がった。

 そしてやはり、宙を滑ってジャスミンが持つ空のグラスに収まる。

 サフィリアのただその一動作だけで、ジャスミンは元の姿を取り戻したのだ。

 まるで予定調和だったかのような鮮やかな手並みだった。

 もしかしたら本当に予定調和だったのかもしれない。後でミーナを問い詰めよう。


「さすがね」

「ありがとうございます。ですがティリエル様には遠く及びません」


 一礼して、微苦笑。

 こんなこと大したことないとでもいう風に。

 サフィリアは多分わざとやっているのだろうが、ティリエルからしたら当然だった。

 この程度のこと、サフィリアにかかれば造作ない。


「申し訳ありません、ジャスミン様。貴女の侍女が役に立ちそうにないので、こちらで対処させていただきました」

「な……」

「もしかして最初にワインをかけようとなさったのは、私の侍女を洗ってくださろうとしたのですか?」

「もしそうだとしたら、申し訳ないことをいたしましたね、ティル様」

「ええ、阻止してしまったもの。何も考えなくても無意識に対処してしまうのよね」

「私の黒髪を見て、ティル様を心配してくださったのかもしれません」


 存外楽しそうなサフィリアが涼しげな微笑を浮かべる。敵を完膚なきまでに叩き潰す時の兄とよく似た微笑。

 応えて、ティリエルもにっこり笑った。

 侮蔑の生地に憤りを挟み、純粋無垢のクリームを塗って善意をトッピングして。

 完成するのは笑顔という名の武器。


「お気遣いありがとうございます。ワインかぶって差し上げられなくてごめんなさい」


 ジャスミンの顔が忌ま忌ましげに歪められる。

 ティリエルの勝ちだ。

 ちょうどその時、前方の豪華に装飾された扉がゆっくりと開いた。



「――ラウディオ陛下、ガーネット妃殿下、アルフレッド殿下の御成りにございます」



 扉からまばゆい金髪を持つ三人の人間が現れ、ゆったりと階段を下りてくる。

 ジャスミンはこちらを睨みつけると、好機とばかりに足早に去っていった。

 ミーナの暴挙により静まった広間はとうにざわめきを取り戻していたが、今再び静寂が訪れている。

 国王と王妃と王太子。この国の至高の地位におわす三人との対面なのだ。

 だから今回の静寂は緊張のため。


「ミーナ様、ありがとうございました」

「サフィリアよね? どういたしまして。でも気にしないで。やりたくてやったんだし」

「ミーナ様、グラスを。捨てて参ります」

「あ、お願い。あんな女に触れたワインなんか飲みたくないもの」

「それよりミーナ、あんなことしてよかったの? 礼儀がなってないって家に帰されるかもしれないわ」

「大丈夫よ。むしろ望むところね」

「この一連の出来事でミーナ様を不合格にするような輩の妻にはなるべきではありません、ティル様」

「確かにそうね。王は誰よりもひとを見る目に長けていなければならないものね」


 その中にあって、周囲と同じように貴人に対する礼こそ取っているものの、やや緊張感に欠けた四人組の会話が途切れた、ちょうどその時。


「――よい。今宵は無礼講だ」


 穏やかな、深みのある声が響き渡った。

 決して圧力がある訳でも激しさがある訳でもないのに、思わず膝をつきそうになるような、それは支配者の声。

 ゆっくりと一歩進み出た王が片手を上げた。


「そなたらの振る舞いが余や息子の目に留まることを願っている。今日着いたばかりで疲れているとは思うが、楽しんでいってほしい」


 広間の一角に控えた楽士団が、それを受けてゆるやかな音楽を奏で始める。



 それは夜会の始まりを告げる音だった。





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