表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
精霊に愛された娘  作者: 宵月氷雨
第一章
56/57

第65話 伯爵令嬢、調査する 4

お久しぶりすぎてすみません。学校こんなに忙しいなんて思ってなかった……




 ふわりと、枯れ草の香りが鼻梁を掠めた。


「この部屋……おかしい」


 ほとんど無意識にそう零し、ティリエルは両腕を抱く。

 コルミールまで視野を拡大していたティリエルの眼に映っているのは、通常では有り得ない「闇」だった。


「実はユーリにも確認してもらったんですが、貴女と同じことを言っていましたよ。もっとも、もっと露骨に『気持ち悪い』でしたが」


 邪魔にならないようにと入口で立ち止まったシーグレイからの情報に、ティリエルは思わず大きく頷いた。

 さっき確認した通り、塔の外には火精こそいないが沢山の精霊で溢れている。

 なのにどうしてか、この塔のこの部屋にだけは、精霊の気配がほとんどないのだ。

 代わりにあるのは、黒い靄だけ。闇。


「ヴォイドエリアでもないのに、どうして……」


 答えを求めない呟きに、当然応えは返らなかったが、気にせずティリエルは眼を凝らした。

 物は試しと周囲のマナにも手を伸ばしてみる。

 ティリエルはそっと眉をひそめた。


(何だろう、……マナが萎縮してる気がする)


 手を伸ばす、というのは比喩表現だが、マナに触れたという感覚は確かなものとして存在する。

 普段ならゆるやかに流れているマナが澱んでいる気がして、なるほどユリウスが気持ち悪いと言ったのも納得できると再度頷いた。

 何が起きたのかはわからないが、何かが異常だというのはわかる。

 不気味だという思いと、それを上回る好奇心に囚われて、ティリエルは日常意図的に封じている力を少しだけ解放した。

 マナに残された情報が、ティリエルの中に流れ込んで来る。


 マナ、あるいは精霊に対する強い感応能力、または支配下に置く力――それがティリエルの持つ特殊な才の一つである。

 マナは人間の「意志(こころ)」に敏感だ。楽しい、悲しい、好き、嫌い、愛しい、憎い――そんな風にマナには様々な感情が漂っている。

 それなのに。


(不自然なほど、何もない………)


 おかしいと、それならと明らかに何かありそうな「闇」に手を伸ばして。


「――――――――――――ッ!!」


 流れ込んで来た圧倒的な『何か』に、ティリエルは悲鳴を上げて頭を抱えた。


「ティリエル!?」

「ティリエル様!」


 色を失ったシーグレイとミモザの叫びも、耳をすり抜けて行く。

 重く暗い何かが、ティリエルの身体の中で荒れ狂っていた。


(何、これ!? こんなの知らない――)


 あまりにも確固たる意志。

 あまりにも確固たる信念。

 あまりにも確固たる親愛。

 あまりにも確固たる憎悪。

 それはもはや妄執と言ってもいいような――狂気。


 こんなモノを抱いている誰かがいるのか。こんな、発狂してしまいそうな、モノを。


「ウンディーネ! シルフ!」

《任せなさい!》

《うん!》


 底無しの井戸を覗いたような暗い、それでいて異様な光を湛えた瞳が、視え――――


《行くわよ!》

《行くよ!》


 唐突に満ちた水の波動が、巻き起こった風の流れが、ティリエルを情報から遮断した。

 ふ、とマナとの繋がりが断たれた気配がして、同時にティリエルを蹂躙していた『闇』がその色を薄れさせる。

 ティリエルは軽くなった身体にふらりとよろめき、自重を支えられずに崩れ落ちた。

 体勢を立て直す力もなくて、頭から地面に落ちていく。


「この、馬鹿……っ」


 けれど衝撃は襲ってこなかった。

 それよりも先に細い腕がティリエルを捕らえ、力強く引き上げる。

 まだ【眼】を開けていたティリエルは、よく知った波動を認めて少しだけ笑った。

 今ティリエルを覆っている精霊たちだってそう。


「笑ってる場合じゃないでしょう。安易にやらないようにってあれほど言ってるのに」


 冷たい手がティリエルの目を覆う。

 ティリエルは素直に【眼】を閉じて、崩れた敬語にまた小さく笑った。


「ティル!」

「だってフィーが助けてくれるじゃない」

「……………、そういう問題じゃないの。シュウとリィにはぼくから報告しとくから、覚悟しとくんだね」


 生憎目隠しは外されなかったのでサフィリアがどんな顔をしていたのかはわからないが、数拍分の沈黙と呆れたような声音で思い描くことは簡単だった。それくらい側にいる。

 だからこそサフィリアが相当怒っていることもよくわかっていて、ティリエルは台詞の後半に対して反論ができなかった。

 お説教三人分確定だなぁと遠い目をした辺りで大分身体も回復して、支えてくれている腕をとんとんと叩く。

 そうっと離れていった手と戻ってきた視界に、ティリエルもまたそうっと息を吐いて床を踏み締めた。


《何やってんのよ、ティリエル》

《危険。視ればわかる》

《わたしたちがいなかった理由があれかもしれないなーとか、考えなかったわけ?》

《サフィリアのおかげ。強引に道繋いだから来れた。今も、マナを抑え付けてる》

《そうよー、サフィリアに感謝しなさいよ》


 待ってましたとばかりに肩に乗った水精と風精に口々に責められて、ティリエルはごめんなさいと首をすくめた。

 本来マナにはどんな特徴もないが、精霊たちが操るマナには性格が付与される。

 風、土、水、火というのはその最たるものだが、彼ら四精霊はもう少し概念的に定義することも可能だ。

 最も基本的には、風精は伝達、土精は創造、水精は守護、火精は破壊、という風に。

 今回の場合は風精が、風という媒介を通して「情報」を「遮断」してくれたのだ。

 つまり大半の人が本質だと思っている風や土や火や水は、無論力そのものでもあるが、精霊たちが行使した力が目に見える形になっただけのものであることもある。

 多分サフィリアは、あの気持ち悪い、萎縮しきったマナを力量に物言わせて抑え込んで無理矢理精霊を喚んだんだろうな、とは精霊たちの台詞から導いたティリエルの推測だ。

 「闇」が薄れているところを見ると、水精には浄化を頼んだのだろう。

 見上げると、サフィリアは困ったように眉を寄せた。


「あれはきみにはもちろん、ミモザたちにも毒だからね。……強すぎる邪念はコルミールを乱す。コルミールが乱れれば、無意識にマナの流れの中に身を置く霊才者にも、精霊界(コルミール)と重なっている人間界(レイウェル)にも悪影響がある。当然、精霊だって近付きたくはないよ」


 まるでサフィリア自身には何の影響もないみたいな言い草だった。

 そう――あれが何なのかを知っているような。


「本当は、浄化はウンディーネの専門じゃないから――」


 その呟きは、ティリエルには聞こえなかった。

 サフィリアに、聞かせるつもりがなかったからだ。

 詮なきことだとばかりに首を振り、サフィリアはティリエルの肩に視線を滑らせた。


「ウンディーネ、シルフ、ありがとう。もういいよ」

《こっちこそ助かったわ。大分元に戻ったみたいだし》

《……音、切ってないよ》


 ふわりと浮かんだ水精と風精は空気に溶けるように消え、同時に結界が消失する。


「ティリエル様ぁっ!」


 瞬間、矢のように飛び込んで来た人影を受け止め切れず、ティリエルは人影もろとも尻餅をついた。


「み、ミモザ?」

「昨日あれだけ言ったのに!」

「……今回のは意図してやった訳じゃないわ」

「わかってます! でも寿命が縮むかと思いました!」


 ミモザはぎゅっと回した腕に力を込めた。

 目の前で突然、理由もわからずに苦しみ出したティリエルを見ていたミモザの気持ちなどわからないだろう。

 部屋に入ろうとしても――いや、一歩入ったのにそれ以上は進めずに、見ていることしかできなかったミモザの気持ちなんて。

 常軌を逸した何かが起きてる部屋の中を、平然と駆け寄ったサフィリアをどんな思いで見ていたかなんて。

 それまで、朱雀隊の中で割と強い方――年齢からしたらかなり――な自分の無力さをこれほど悔しいと思ったのは初めてだった。

 サフィリアがティリエルに駆け寄った時、ミモザは泣きそうなくらいほっとして、同時に嫉妬にも似た何かを味わった。

 せめて。

 せめて伸ばした手が届くだけの力が欲しいと。

 ミモザは渇望したのだ。


「――ありがと、ミモザ」


 黙り込んでしまったミモザの頭を、幼子にするようにくしゃりと撫でて、ティリエルは眦を下げた。

 もうやらないという約束はあげられないけど、しばらくは気を付けることにしよう。

 さすがに、さっきみたいなのはもう御免被る。


「とりあえず、ここを出ましょう。私がいじってしまいましたから手掛かりは残ってないでしょうし。それでよろしいでしょうか、閣下?」


 確認のためか素早く視線を巡らして、サフィリアが最後に目を向けた先で、シーグレイは人好きのする笑みを浮かべた。


「私は先程の喋り方の方が好きなんですが」

「……そういえば、音は切ってないってシルフが言っておりましたね。聞いていらっしゃいましたか」

「不可抗力ながら」

「改めた方がよろしいでしょうか」

「ええ、是非。頭の良い人に敬語を使われるのは嫌いなんです」


 逃げられないと悟って諦めたような溜息をついたサフィリアに、シーグレイは楽しそうに笑った。

 以前から気は合うだろうなと思っていたティリエルとしては、あまり面白くない。

 あんなことを言っているが、基本シーグレイは馴れ馴れしくされるのを嫌うのだ。

 むすっと黙り込んだティリエルの横(上?)で、ミモザもまたむすっとした顔をしていた。もっとも、引っ掛かったところはティリエルとは違うのだが。


「……それは暗に私の頭が悪いとおっしゃってるんでしょーか」


 平然と敬語を受け入れられていたことが、引っ掛かったのである。

 シーグレイは欠片も動揺せずに首を横に振った。


「それは違いますよミモザ。サフィリアの頭が良いと言っているんです」

「……それ、何か違うんですか?」

「大いに違います」


 にっこり頷くシーグレイ。

 ミモザは首を傾げつつも無理矢理自分を納得させたようで、すっと立ち上がって、ティリエルに手を差し延べた。


「サフィリアさんの言う通り早く出ましょう。こんな変なトコにいることないです」

「そうね、そうしましょう。シーグもいいわね。拒否権はないけど」

「貴女がいいなら、構いませんが……どうかしましたか?」

「どうかって?」

「口調に敵意が」

「べっつにぃー?」

「ティル、キャラが崩れてるよ」

「フィーのせいでしょ」

「ぼく? 何かしたかな」


 きょとんと瞬いたサフィリアに、ミモザが胡乱げにこんなことを訊いた。


「サフィリアさん、よく鈍感って言われません?」

「実はそうなんだ。そんなに鈍いつもりはないんだけど……」

「…………ある一面に限って鈍いんですねー」

「シュウが苦労してるのもわかります」

「シーグ、貴方兄様への言い訳は考えてるの?」

「おや、たかが口調くらいで文句を言われる筋合いはありませんよ」

「兄様よ?」

「ええ。サフィリアの主の兄ですよね。どうして文句を言われなければならないんです?」

「……確信犯ね」

「いやですね、友人としての心許りのプレゼントですよ」

「お二人とも、とりあえず歩いてくださいー。私が先頭歩きますので。でもティリエル様のお兄様が苦労されるの、想像できます」

「今さらよ」

「おかげで私は大変楽し……やきもきしています」

「取り繕えてないわよ」

「あの『氷の貴公子』様が、ですかー」


 結果異様な盛り上がりを見せた議論に、一人サフィリアだけが眉根を寄せた。


「何が何だか、ぼくにはさっぱりなんだけど?」


 殿(しんがり)を務めていたサフィリアを揃って振り返った三人は、


「フィーはそれでいいわ」

「ちょっと新鮮ですねー」

「だからこそ面白いんですが」


 三者三様の台詞と共に、一様に生暖かい笑みを浮かべたのだった。





















 からからと笑って前に向き直った三人に、まぁいっかと呟いた。

 最新の注意を払って浮かべていた表情を、いつも通りの顔に入れ替えて後を歩く。

 ある意味では現場を破壊できたのはよかったかもしれないねと、うっそりと目を細めた。

(大体、わかったし……)

 知りたかった答えはあの部屋で得られた。

 空虚な翡翠の瞳が、束の間己れの左手に落ちる。

 何かを乗せるような形になっていた、左手に。

 一度瞬きをして、徐に前に差し延べる。

 その手から見えない『何か』が、どこかを目指して飛んで行った。

 それを見送る面貌(おもて)からは、あらゆる表情が抜け落ちていた。




















「? 今、コルミールが……」


 ティリエルは感じた違和感に足を止めた。


「どうかしましたかー?」

「ん……精霊の気配がした気がして」


 近くだった気がするのに、ティリエルがギリギリでしか気付けなかったほどの微弱な気配。

 だからこそティリエルは首を捻ったのだ。


「さすがにティルだね。気付かれないようにこっそりやったのに」


 ティリエルの疑問に答えをもたらしたのはサフィリアで、どういうことかと見上げたティリエルに彼女は涼やかに微笑んでみせた。


「シルフだよ。シュウとリィに伝言をね」

「――ほんとにやったの!?」

「当然。少しくらい懲りてもらわないと」


 にっこり笑うサフィリアにいじけつつ、ティリエルは心中で再び首を傾げた。

 風精の波ではなかったように思うのだ。

 何かティリエルが知らない、揺れだった。

 でもサフィリアが嘘をつく理由は見当たらない。


「ティル、どうした?」


 もう出口だよ、と覗き込んできたサフィリアにはっとして、ティリエルは数回目を瞬かせた。

 目の前にある翡翠と目が合い、そうして可笑しそうに笑みを作る。


「ぼーっとしてたの? 気をつけなきゃ」

「う、うん。ちょっと疲れてたのかしら。気をつけるわ」


 気のせいだろう、とティリエルは結論付けた。

 いつも通りのサフィリアの笑顔を疑うのが、馬鹿らしくなってしまったのだ。

 サフィリアがティリエルの害になることをするはずがないと、ティリエルは知っている。










 だから。

 隠すことに慣れたサフィリアを、疑いの目で見ることをしないから。

 いつも通りの笑顔の下に巧妙に隠された無表情のことを、ティリエルは知らない。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ