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精霊に愛された娘  作者: 宵月氷雨
第一章
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第64話 伯爵令嬢、調査する 3

久々の次話の投稿です。

改稿分より先にできちゃったので汗




 隠してることは、沢山ある。

 本当に、沢山。

 できれば最期まで知ってほしくないようなことばかり。

 でもそういう訳にもいかないことも知ってる。

 待ち受けるものはあまりにも大きく、そして重い。

 傷付いてほしくなかった。苦しんでほしくなかった。――笑っていて、ほしかった。

 だから理由がほしかった。

 隣にいてもいいと思える理由が、どうしても。































 事件があった部屋へ行く前に、ティリエルはまずミーナを訪ねた。

 用事があって部屋を空けること、騒がしくなるだろう後宮の情報収集を頼む。

 ミーナは頷いて、訳知り顔で「気をつけてね」と送り出した。

 七割方バレている気がするティリエルである。


 斜め前を歩くミモザをできるだけ近くに呼び寄せて小声で事の経緯を説明しながら、ティリエルはあまり嬉しくない気配をいくつか感じ取っていた。

 舞踏会でのあれやこれやも、あまり効果を上げていないらしい。

 突然頭上から降ってきた水に深い溜息をついて、背後の侍女に目配せを送る。

 瞬間、燐光を纏った水滴はぴたりと静止して、やがて静かに集まって窓から外へ出ていった。


 そのままわかりやすく張られていた紐をティリエルの髪から引き抜いた簪で器用に切断し、数歩先行して手を挙げるサフィリア。

 その動作を起点として、ふわりと風が吹いた。

 ばらばらと落ちてくるおかしなモノたちを最小限の動きで避けて、伺うような視線をくれる。

 ティリエルは黙って頷き、飛んできた虫を叩き落とした。

 許可を得たサフィリアはそれらのモノを小さな竜巻で巻き上げ、空中で焼却処分。

 残った灰は風に乗せて外へ飛ばし、淡々とした歩調で戻ってくる。


 その間にもミモザが濃紺の装束を纏った男二人を相手に剣を抜いている。

 あくまでも峰打ちで、意識を失った二人を現在縛り上げているところだ。

 ティリエルが、双方を見て、何が起きているのかも理解してなお抱いた感想は「皆暇なのね」だった。


 自分なんかに目くじらを立てても時間の無駄なのに、とティリエルは本気で思っている。

 王太子のは一時の気の迷い。物珍しかっただけだ。

 王族に生まれた以上自由恋愛ができないことくらい承知しているだろう。

 仮にひょっとして万が一、本気でティリエルを望んだとしてもそれが叶えられるはずがない。

 シエラレオネかフローレアかマリエの三人とは言わないが、ティリエルが選ばれることは絶対にないのだ。

 スカーレット家とはそういう一族。

 詳しいことは、実はティリエルも知らない。十八になったら教えると言われている。



「ティリエル様ー、この馬鹿どもどうしますか?」

「染まってるわよ、ミモザ」

「はわっ!? えーと、この能無したちどうしますかー?」

「酷くなってるわ……」



 えへへと笑って剣を収めたミモザは、直後それを引き抜き様後ろに薙いだ。

 きん、と音がして弧を描く鈍い銀の軌跡がぶれる。

 それを確認するより先に割り込んだサフィリアが簪を持ったまま右手を払い、止まり切らずに飛んできていた鏃を跳ね飛ばす。

 折れた簪を投げ捨てて左手で背中に庇ったティリエルを振り向き、「ご無事ですか」と囁いた。


「えぇ、問題ないわ」

「申し訳ありません、警戒を怠りました。すぐに窓を閉めておくべきでした」


 初夏だから開いていてもおかしくない。

 ただずらりと並んだ窓の中で、そこだけが開いていたのをおかしいと思うべきだったと、サフィリアは言う。

 悪戯を処理するのに都合良く開いていたから頭から抜け落ちていたのだろう。


「私もこの馬……能……刺客さん、たちが異様に弱いことに気付くべきでしたからー。陽動ですね」


 くたりと意識を失った兇手二人を蹴飛ばして、ミモザは難しい顔をする。

 斯く言うティリエルも気付かなかったので、責められる話でもない。


「それにしても懲りない奴らね」


 一度失敗しているのに、なんでまた。


「しかも何人かが手を組んでやってるわ」

「無駄に大掛かりですからね」

「でもどうしてここを通るってわかったんでしょうか?」


 もっともな疑問を口にするミモザに、ティリエルとサフィリアは揃って首を傾げた。


「さぁ?」

「相手方に優秀な侍女がいらっしゃったのでは」


 何をしに行くかは知らなくても、どの場所を通るかくらいならわかるかもしれない。

 何しろティリエルに課された仕事を知っているのは、シーグレイとシュウランとミモザ、サフィリアに ティリエルの五人だけだ。恐らくミーナもある程度までは勘付いているが。

 ちなみに、仕掛人たちは逃走した後だ。追わなくていいとティリエルが止めた。


「昨日の夜会で力量差はわかったでしょう? 放っておいてくれればいいのに」

「出る杭は打たれる、と申しますから」

「何それ?」

「ミスティノの格言です」

「物知りですねー、サフィリアさん」

「ありがとうございます」


 ここで謙遜しない辺りがサフィリアである。

 取り出したハンカチで鏃を拾い上げたミモザとサフィリアを促して歩き出しつつ、誰もいないからいいかと行儀悪く皆で鏃を覗き込む。

 光の反射がおかしい。無色無臭だけど、多分これは。


「毒ね」

「毒ですね」

「毒ですねー」


 口を揃えて結論を下し、三人は顔を見合わせて溜息をついたのだった。












「何者だ、この塔は閉鎖されている。小娘は帰れ」


 その男に遭遇してまず最初にティリエルが思ったのは、あぁフィーを止めなくちゃ、だった。

 案の定常備されているにっこり笑顔のサフィリアは大変ご立腹で、慌てた様子のミモザが服を掴んで押し止めている。

 さすがにサフィリアも仕事中だし、すぐにぶちのめすことはないだろうと踏んで、ティリエルは近くの精霊に呼び掛けた。


《ねぇ……》

《何?》

《何かしら?》

《何じゃ?》


 返ってきた答えは風精(シルフ)水精(ウンディーネ)土精(ノーム)のもの。火精(サラマンダー)がいない。

 不思議に思って見回してみれば、この塔を中心とした一定の地域に妙に水精が多くいて、そのせいで対極の力を持つ火精の絶対数が少なくなっているようだった。


《……何かあったの?》

《うん》

《そうなのよ! 聞いてちょうだいティリエル!》

《実はのう、ぁ―――……》


 何か言おうとした土精の声が、突然聞こえなくなった。

 ティリエルは驚くよりも信じられなくて二度瞬いた。

 精霊の声が聞こえないなんて、そんなことは今までなかった。


《――というわけなんじゃ》

《わたしたちの仕事が多くて疲れちゃうわ》

《サラマンダーいないのは、その理由》


 精霊たちは当たり前のように話を続ける。

 聞こえていないのはティリエルだけ、ということだ。


《ちょっと待って、今何て言ったの?》

《ほ? 聞こえなかったかの?》

《聞こえなかったというか、音が消えたの》

《あぁ、……なるほどのぅ》

《――のせいね。封じられているんだわ》

《ごめん、ティリエル。僕たちの力だけじゃ詳しい事情は伝えられないみたい》


 しゅんとうなだれる風精がかわいい。

 ティリエルは仕方ないと首を振って、よくわからないまま言われたことだけを記憶しておく。後でサフィリアに説明してもらうためだ。

 そうしてティリエルは、訊きたかったことを思い出した。


《! そうだ、この塔の中誰かいるでしょう? 誰がいるの?》


 気配まではわかるが、さすがに誰かはわかないのだ。

 尋ねたティリエルに、精霊たちは揃って頭が寂しくなった男の方を向く。


《宰相よ》

《ここに少女が来たら通せと、命じていたのじゃが》

《あの騎士、役立たず》


 ミモザの制止を受け入れながら、百点満点の笑顔で相対するサフィリアを見遣る。のらりくらりと交わしているのは、ティリエルのために時間を稼いでいるからだ。

 その気になれば、口だけだってサフィリアはその騎士を負かせる。


《シルフ、お願い》

《わかった。すぐ戻る》


 余裕綽々の――少なくとも表面上は――サフィリアとは違い、騎士は苛立ちを見せ始めていた。

 口汚く罵る騎士に、ミモザが袖を掴んでいるのとは反対の、左手で拳を作ったサフィリアの前に慌てて滑り込む。


「宰相閣下に取り次ぎを。いらっしゃることは聞いています」


 手短に用件を伝えると、騎士は馬鹿にした風に鼻で笑った。


「閣下は忙しくて会う時間なんてないに決まっているだろう。どこの誰か知らないが、とっとと帰るんだな」

「私は取り次ぎを、と言っています。会う会わないはあなたの一存で判断することではありません。控えなさい」


 ことこの件に関して、ティリエルを阻める者は限られる。宰相直々の依頼だからだ。

 多少大きく出たところで問題はない。


《頭固い》

《そんなんだから宰相に置いてかれるのよ》

《中には若手を連れて入ったしのう》


 散々な言われようなのにも気付かず、ティリエルの言だけで騎士はあっという間に沸点を突破した。


「貴様……、誰に向かって物を言っている!」

「黄竜隊所属の騎士様です。早く取り次ぎを」

「断る、帰れ!」


 鼻息荒く怒鳴るこの騎士は、多分試験制が取り入れられる前からいるのだろう。試験制はここ十数年で普及したから。

 ティリエルはいい加減うんざりしてきて、低い声でサフィリアを呼んだ。


「ねぇ、フィー」

「何でしょうか」

「とりあえず、この騎士ぶっとばして」

「承りました」

「……いやいや駄目ですって! ティリエル様焚き付けないでください!」

「冗談よ」

「冗談です」

「絶対本気でしたよね!?」


 小声で言い交わしていたのは、余計に騎士の癇に障ったらしい。


「何をごちゃごちゃ言っている! いいからさっさと――」


 ふわりと、白い光が見えた。

 顔を真っ赤にする騎士の後ろに目当ての姿を見付けて、ティリエルはほっと息をつく。

 先導してきた風精が、彼を置いてティリエルの肩まで飛んできてちょこんと座る。

 指先で頭を撫でながら、ティリエルはうるさい騎士を無視してその後ろの人影に声をかけた。



「これは私の力がいらないという意思表示でしょうか、シーグレイ様」

「無能はいらないという騎士団の意思表示ですよ、ティリエル嬢」



 穏やかな声、穏やかな笑顔、穏やかな雰囲気。


「門番の仕事くらいはできるだろうと思って、厄介払いも兼ねて連れてきたんですけどね……まさかティリエル嬢を追い返そうとしているとは」

「取り次ぎを頼んだんですけど、取り合っていただけなくて」

「おや、少女が来たら通すようにと言いましたよね?」


 凍り付いていた騎士が、ぎぎぎと油の切れたブリキ人形のように首を回した。

 塔の入口の扉に寄り掛かり、腕を組んだ青年が一人。


「上司の命も満足に遂行できないのですか、あなたは」

「あ……」

「彼女は私が招いた協力者ですよ」

「ですがこんなっ」

「……とりあえずあなたはもういいです。宿舎に帰りなさい」

「宰相閣下!!」

「これは命令です。異議は認めません」


 藍の衣が翻る。

 笑顔を絶やさないシーグレイの紫苑の瞳に見据えられた騎士は、五秒ともたなかった。

 敬礼も辞去の言葉もなく、逃げるように去っていく騎士。


「試験が始まる前の一部の騎士と始まった後とで、レベルが全然違うんですよ」


 その背を見送りもせず、シーグレイは疲れたようにそう言った。


「特に彼は酷くて、試験を通った新米女性騎士と十連戦して全敗。相手が女性なのに、とはあまり言いたくありませんが、経験差も体力差もありますしね。それに加えて頭も回らず威張りたがり。――騎士団でも迷惑がられているんですよ」

「クビ?」

「大きな失敗をした訳ではないので、理由付けが難しくて。今回のも命令違反ですから、精々が厳重注意でしょう」

「命令違反は謹慎か懲戒処分じゃなかった?」

「それは戦とかの時に限られるんですよー。具体的には緊急事態宣言がなされた時と、それに準ずると判断される時」

「小物は得てして一線の見極めに長けておりますから。湧いてくる全てを排除するのは難しいかもしれません」

「本当に、寄生虫みたいで迷惑なんですよねぇ」


 炙り出して掃除する機会があるといいんですけど、と結ぶシーグレイには、朧げながらその展望が見えているようでもあった。


「閣下、そろそろお時間が……」


 影のように黙って控えていた、多分護衛のために付いている騎士が口を挟む。

 そうでした、と頷いて、シーグレイはいつもの笑顔でティリエルに手を差し延べた。


「協力感謝しますよ、ティリエル。どうぞ中へ」




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