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精霊に愛された娘  作者: 宵月氷雨
第一章
52/57

 ******

短めです。



 ユリウスは広間を飛び出して、きょろきょろと首を巡らせた。

 右、左。いた。

 角を折れたのかちらりと見えた萌黄色のドレスを追って走り出す。


(さっきの顔色、尋常じゃなかった)


 明らかに様子がおかしかったティリエル。

 反射的に追い掛けてきてしまったが、もしかして一人にしてあげた方がよかったのだろうか。


(えーっ……と)


 駆けていた足が勢いを失い、しかし止まりはせずに歩みを進める。

 どうしようか悩みながらも行き会った角を左に曲がり、ユリウスは静寂を割る声を聞いた。


「フィー!!」


 はっと顔を上げる。

 今のは、もうひとつ先の角を曲がったあたりだ。

 ユリウスはとっさに足音を忍ばせて角まで近付くと、ぴたりと壁に張り付いた。


「フィー」

「どうしたの、ティル。何か……何があった?」


 悲痛な少女の呼び声に答える声は優しい。

 労るような包み込むような声音は真実ティリエルを案じる色にあふれていた。


「フィー、あのね、あの……っ」

「うんうん、どうしたの? 大丈夫だよ、落ち着いて」

「うん……」


 彼女が「フィー」と呼ぶのは多分あの黒髪の侍女のことだろう。


(これがあの淡々としてた侍女?)


 慇懃で、表情がろくに動かなかった侍女。

 こんな風に主に接するようにはとても見えなかったのに。


「落ち着いた? ゆっくりひとつずつでいいから、話してみなよ」

「……取り乱してごめんなさい。あのね、さっき広間で視てみたんだけど」

「あぁ。どうだった?」

「予測通りよ。紫色をしていたわ」


 さっぱりわからない。

 息を殺して聞き耳を立てていたユリウスは頭に疑問符を散らした。

 「視てみた」は「コルミールを視た」で合っているだろう。

 コルミールという単語も、聞いたことがある。コルミールとは、精霊たちが住む世界で、今自分たちがいる世界とは重なっているのだと。

 けれどユリウスがそれを知ったのは王族しか見ることができない本を読んだからで、聞いたのは父が何気なく使ったのを数度。シーグレイすらコルミールという名前は知らなかった。今も知らないはずだ。

 何故知っているのかという疑問はあった。その答えは盗み聞きしている身分では得られまい。

 そして「予測通り」「紫」だったとはどういうことなのか。

 たまらなくなって角から首を覗かせる。


(……………)


 ティリエルは黒髪の侍女に抱き着いていて、黒髪の侍女はその頭をよしよしと撫でていた。


(……………どういう関係?)


 別に不埒な想像をした訳ではない。断じてない。

 ただ若干頬を染めて固まったユリウスは、次の瞬間鋭い翡翠の瞳と目が合って、違う意味で凍り付いた。

 心臓がどくどくと音を立てる。

 引っ込むこともできなくなったユリウスは吸い込まれるように翡翠の瞳を見詰めた。

 不思議とそこに咎める色は見当たらない。

 ――――時までもが凍り付いてしまったかのようだと、思った。

 その均衡を崩したのは、やはりというかティリエルで。


「どうかしたの、フィー」

(っやばい)


 見付かる、と思った瞬間、金縛りは解けた。

 間一髪で頭を引っ込め、無茶苦茶に暴れ回る心臓を抑えようと深呼吸を繰り返す。

 鼓動の音さえ見付かる原因になりそうで、ユリウスは気が気ではなかった。


「どうかした? ティリエル」

「んー……誰かいたような気がして。フィーこそどうかしたの? 意識が違うところに飛んでたけど」

「何でもないし、誰もいないよ。ほら続けて」

「確かにいたと思ったんだけどなぁ。でもフィーがそう言うならいなかったのかな」


 うわー信頼されてるなー……じゃなくて。


(サフィリアさん!?)


 どうして誰もいないなんて言ったんだろう。確かに目が合ったのに。


(つまりいなくなれってことかな)


 思い当たったユリウスが踵を返そうとした、ちょうどそのタイミングで、



「動かないで」



 サフィリアの声が響いた。


「髪が解けちゃうでしょう。結い直すの面倒なんだから」

「あーひどっ! 仮にも侍女の発言とは思えないー。それに動いてないわ、首を捻っただけよ」

「いいから」


 三度(みたび)凍り付いたユリウスは、ゆっくりゆっくり息を吐いた。


(なんだ、ティリエル嬢にか……)


 一瞬、自分が言われたのかと思った。


(心臓に悪い)


 この短時間で寿命が十年くらい縮んだ気がする。

 肩を抱えて座り込み、ユリウスはそれ以上動く気になれなかった。

 神経が擦り減ったというのもあるが、さっきのサフィリアの台詞は、やっぱり自分にも向けられていたような気がしたので。


(盗み聞きさせようとしてる……?)


 彼女の考えはよくわからない。

 少し良心が痛んだが、それもいまさら、ユリウスは呼吸を静めて耳を澄ませた。

 縋り付くようなティリエルの声は、幼い子供のもののようにも聞こえた。


「それでこっちが本題なんだけど……あのね、コルミールにね」

「うん」

「殿下がね……いなかったの」


 そっか、とサフィリアは言った。

 納得したような、驚いたような、それでいて悲しそうな、深い色をした声だった。


「ねぇ、フィー」


 打って変わって静かなその呼び掛けは、微かに震えていた。

 『コルミールにいなかった』ことが何を意味するのか、直感で悟ったユリウスも、同じく震えながら聞いていた。

 けれどきっとこの会話は、広間で自分が抱いた疑念に答えをくれるだろう。

 聞いてしまったらもう戻れない、どうしようもない真実を。




「殿下は……

 殿下は、【霊才者】じゃ、ないの?」




 静かに、涼やかに。

 見てもいないのに、あの黒髪の侍女が微笑んだのがわかった。




「そうだよ」




 嘘だ、そんな訳ない、とか。

 どうしてティリエルがそんな疑念を抱くんだ、とか。

 なんでサフィリアが答えを知っているんだ、とか。

 何も浮かんでこなかった。

 あまりにも呆気ない歌うようなその答えは、自分でも驚くくらい、すとんと胸に落ちてきた。

 長いこと引きこもるようにして過ごしていたことも。

 妃を選ぶのに複雑な条件があるのだと苦く笑ったことも。

 さっき広間で精霊を前に動かなかったことも。

 これですべて説明がつく。


「いつから、知ってたの?」

「疑ったのは、わりと前。確信したのはさっきだよ」

「さっき?」

「そう。きみに話を聞いてから」

「……あ、さっきの、兄様との? でもどうして?」

「秘密かな」


 くすりと笑声が漏れた。ティリエルだ。

 最初の悲痛な声から一転して、落ち着いた、少し明るい声になっていた。

 どうしてサフィリアは自分にこの会話を聞かせたんだろう、とユリウスはぼんやりと思った。

 聞きたかったのか聞きたくなかったのか、自分でもわからない。

 けれど確かにサフィリアは自分に聞かせたかったのだろう。彼女が今もとどまっているユリウスに気付いていないはずはないのだから。


「兄様も喜ぶわね。フィーとの秘密なんて」

「どうかな。ぼくにはよくわからないけど」

「喜ぶわよ」

「そうかな。……それよりティル、気をつけてね」


 すぅっと低くなる声。


「王家が……国王陛下がこれまで必死に隠してきた事実だ。これからも明かすつもりなんてない、機密中の機密事項。

 この大陸に伝わる伝説が真実なら、【霊才者】じゃない王が立つというのは国の根幹を揺るがしかねない。伝説は童話になってるから、子供でも知ってる」

「陛下は……」

「わかってて殿下に跡を継がせようとしてるんだろうね。多分何か理由があるんだよ」

「陛下は霊才者だから、精霊にも話してあるわよね。納得してるのかしら」

「してるだろうね。つまり、ばくたちが何を知ろうと跡を継ぐのはアルフレッド殿下。だから誰かに言うことはもちろん、誰かに気付かれることも阻止しなくちゃいけない」

「……わかってる。安易に確認したりはしないわ。もちろん私が気付いていることもばらさない。余計なことを知ってることで消されたら敵わないもの」

「うん、賢明な判断だね」

「馬鹿にしてるでしょ、フィー」

「まさか」

「絶対馬鹿にしてる」

「してないよ。ひどいな、疑うの?」


 ユリウスは背後での会話がじゃれあいになったのを確認して、そっと立ち上がった。


(本当はすぐ義兄さんに確認しようと思ってたんだけど……)


 やめておこう。知らないふりをして、困った時に陰から助けてあげればいい。

 ユリウスはアルフレッドの味方である決意を再び固め、広間の方へ引き返す。


「まずツァイス義兄さんに言い訳しなきゃなぁ」


 到底受け入れられないような真実を知ってしまった後なのに、ユリウスの気持ちはひどく静かだった。




次の投稿はしあさっての7時です。

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