第2話【改】 伯爵令嬢、騎士を選ぶ
9/15 大筋は変わっていない……つもりですが、内容を変更しました。
お手数ですが読みなおしていただけると幸いです。
「まずは皆様、遠路はるばるご苦労様でした」
優雅に一礼した彼の動きに合わせて、藍の衣が翻る。
よく通る声は穏やかさに満ちていて、それは彼が浮かべる笑みとよく似ていた。
さっきまで姦しく騒いでいた令嬢たちは、程度の差こそあれ皆好意的な視線を向けている。
その後ろで、ティリエルはそれが誰なのかに気付きぎょっとした。
(忘れてた……っ!!)
ユーネリアの若き宰相。
庶民の出と言われるが詳しいことは知られていない、前宰相の秘蔵っ子。
王宮には、彼がいるのだ。
「宰相のシーグレイ・トレニアです。後宮での生活について説明させていただきます」
笑顔を張り付けたティリエルは、密かに心に決めた。
(兄様の恋路は私があらゆる手段で邪魔してやるわ……!)
八つ当たりだろうがなんだろうが、絶対。
「皆様に使って頂くのは『空の宮』になります。仮に作られたものですので質素ですが、お一人につき一部屋の用意がございます。申し訳ありませんが使用人用の部屋の確保はできておりませんので、皆様の判断にお任せいたします」
いくつか不満げな声が上がったが、シーグレイは変わらぬ穏やかな笑みで綺麗に無視した。
「次に生活の仕方についてですが、こちらから特に求めることはございません。皆様の判断で皆様の好きなように動いていただいて結構です。ただし何をしても無罪放免ということではありませんので、常識や倫理といったものは考慮してください」
蹴落とし合いでもなんでも勝手にしてください、こちらは感知しません、ということだろうか。
下手したら死人が出そうだ。
「……息をひそめていれば無事に過ごせそうね」
「目立つ方々が勝手に派手にやり合ってくださるでしょう」
ティリエルは不本意極まりない生活に見通しが立って、少々ほっとした。
……広間の至る所で火花が散っていても、ほっとしたのだ。
「最後に一つ。護衛のために騎士を一人ずつ皆様にお付けいたします。また、侍女が一人では手が回らないところもあるでしょう、こちらで用意しております。広間から出ていく際何人必要かお申しつけください」
宰相の言葉に耳を傾けていた令嬢たちがざわりと揺れる。目の色が変わったのがわかった。
ライバルよりも良い侍女、騎士を。
宰相が壇上で一礼すると同時に、広間は大混乱に陥った。
「王宮が用意するんだから侍女の質は同じだろうし、騎士は監視役でしょう? 必死になるほど大切かしら」
つまらなそうな呟きには無言の同意が返る。
蜂蜜色の髪の令嬢と黒髪の侍女は、色がごった返す様をただ冷めた目で眺めていた。
この状況はある意味好都合かもしれない、と思ってもいたが。
「やっぱりあんたが来たのね、ティリエル」
だから、しばらく宰相が素晴らしい速度で令嬢を捌くのを見ていたティリエルは、傍らからかけられた声にも驚かなかった。
それはその声をよく知っていたからで、声をかけられるのを待っていたからでもある。
「あなたこそ。ミーナ」
「来るつもりはなかったんだけどねぇ」
からりと笑う友人を見上げる。
明るい橙の髪は緩やかなウェーブを描き、肩口で一つにまとめられている。
あっけからんと瞬く瞳は打って変わって暗い橙色で、わざとなのかドレスは淡い橙だ。
それがきちんと似合っているのが不思議だった。
「父上に追い出されたのよ。お前はちょっと社会を見てこいって。……失礼よねぇ」
「まぁ、あなたも私も人付き合いが適当だから、仕方ないわ」
「だからといって王太子の嫁よ!? 信っじらんない」
あぁやっぱり嫌なんだな、というのがよくわかる声音だった。
「お互い頑張りましょう」
「わかってるわよ……。そうだ、ティリエル。あんたの侍女紹介してよ。多分私の侍女と気が合うと思うのよね」
ティリエルは自分の侍女が異色だと理解しているが、友人もそうだ。
少なくとも親が拾ってきた身元不明の少女とか、町で花を売っていた孤児の少女とかを侍女にしているひとは、そういないだろう。
「いいわよ。フィー」
「残念ながらティリエル様、時間切れです」
ミーナが来た時から綺麗に気配を消していたサフィリアは、そんなことを言った。
意味がわからなくて首を傾げると、ミーナの横に現れた少女も同じことを言う。
「ミーナ様も時間切れですよ。宰相閣下がお待ちです」
ばっと弾かれたように二人揃って広間の入口を振り返ると、途絶えた令嬢の列と穏やかに微笑む宰相、腰を浮かせかけている宰相補佐官の姿が見えた。
ミーナと顔を見合わせる。
一拍置いて、同時に駆け出した。
「ちょっとヤナ、もっと早くに言いなさいよ!」
「フィー、知ってて言わなかったでしょ!?」
それぞれの侍女を問い詰めると、二人は涼しい声であっさりと認めた。
「楽しそうでしたし」
「知らせろと言われませんでしたので」
「「悟りなさいよそれくらい!!」」
宰相の手前絶叫こそしなかったが、小声の訴えは見事にハモったのだった。
◆ ◆ ◆
ようやく途絶えた令嬢の列に、宰相の横でずっと筆記をしていた補佐官のリヒトはほっとして顔を上げた。
「ようやく終わりまし、……」
言い差して、ふと口をつぐむ。
上司の紫苑の瞳が向いている先を辿って、リヒトは腰を浮かせた。
「呼んできましょうか」
「はい……いいえ、必要なさそうです」
頷きかけて、首を振った年下の上司は、苦笑気味に駆けてくる二人の令嬢を見守っている。
それは不思議と優雅さを損なう動作ではなくて、リヒトは再び腰を落ち着けると筆を持ち直した。
走ってきたのが嘘のように並んで立ち止まった二人の令嬢。
手元の記録紙を確認する。
名前だけがあらかじめ記してあるそれは大半がリヒトの字で埋められていたが、確かに二人分空欄が残っていた。
「申し訳ありません」
「遅くなりました」
「お気になさらず。騎士は誰になさいますか」
相変わらずの笑顔で問い掛けた宰相に、二人が二人とも身じろぐ。
ややあって口を開いたのは、背の高い方の令嬢だ。
「あの、騎士はつけなてくださらなくても……」
「駄目です」
「ですよね」
きっぱり却下されたのにあまりがっかりしているようには見えない。
まるでもとから期待していなかったかのように。
肩をすくめた令嬢と小柄な方の令嬢はちらりと顔を見合わせると、ほぼ同時に騎士を選んだ。
背の高い令嬢が選んだのは、薄桃色の髪の真面目そうな騎士。
小柄な令嬢が選んだのは、茶色の髪の無邪気そうな騎士。
それが偶然なんかではなく当然であるかのように、かぶっていなかった。
お互いがどちらを選ぶのかなどわかりきっている、そんな感じ。
そしてそのまま、挨拶を交わす侍女と騎士を連れて広間を出ていこうとする。
「え……?」
リヒトは呆気にとられてしまい、引き留めなければと気付いた時には既に二人の姿はなかった。
あっさりしすぎだった。
「まだ名前も聞いてないのに……」
何より、必要な侍女の人数だ。
こればっかりは本人の希望がないとわからない。
思わず頭を抱えたリヒトの頭上で、くすりと笑声が漏れた。
手元に影が落ちる。
すぐにシーグレイが紙を覗き込んでいるのだと悟り、リヒトは顔を上げた。
シーグレイの頬にはやはり微笑が浮かんでいる。
リヒトにはまったく違いがわからない、けれど本人は大分違うと思っているらしい笑顔。
「大丈夫です。名前はわかりますから」
「どちらがどちらなのかまでは、」
「小柄な方がティリエル・スカーレットです」
それより騎士の名前はわかりますか、とシーグレイは尋ね、筆立てから筆を一本抜き取る。
軽い混乱に陥ったリヒトが促されるままに二つの名前を言うと、シーグレイは流麗な字でそれを記録紙に記した。
「確か、茶髪の方の騎士がミモザでしたね?」
「は、はい」
ティリエル・スカーレットの欄にはミモザ、ミーナ・サナルシィの欄にはセリーヌ。
「侍女は……」
「シーグレイ様、自分がやります」
「そうですか? ではお願いします。二人とも侍女は必要ないので、そのように」
「はい。……、?」
そんなことを彼女たちは言っていただろうか。
もしかしてリヒトの知らないうちに二人はシーグレイに希望を告げていたのだろうか。
そうなのだろうと納得し、リヒトはつやつやと黒光りする墨に筆を浸した。
丁寧に「不必要」と綴るリヒトの横で、シーグレイが広間の入口に視線を投げる。
「あの二人は取り込んでおきましょうか……。彼女たち相手にそう簡単に事が運ぶとは思いませんが」
有能な味方が多いに越したことはありませんからね、という小さな呟きは、リヒトの耳に届く前に掻き消えた。
◆ ◆ ◆
隣同士だったミーナと部屋の前で別れ、ティリエルは現在わずかの手荷物の整理をしている。
与えられた部屋は仮というだけに豪奢ではないが、青系統に統一された色使いや計算された家具の配置はわりと好みだった。
ベッドが一つ、ソファーベッドが一つ、長椅子が一つ。
使用人用の部屋はないのだから、これらを使えばいいのだろう。
順当にいけば、ベッドが主でソファーベッドが侍女。
護衛騎士は城の敷地内にある騎士団の寮で休み、夜は交代で見回りをするらしい。
少し前まで部屋の中を確認していた騎士は、今は開けた窓の前でサフィリアと話し込んでいる。
漏れ聞こえてくる感じからすると、逃走経路の確認のようだ。
ミモザ、と名乗った騎士は二十三歳と年上だが、無邪気で素直な雰囲気のせいで子供っぽく見える。
年より大人びて見えるサフィリアと並ぶと、まるで姉妹のようだった。
どちらが姉かは言うまでもないだろう。
「ティリエル様ー」
話し合いは無事に終わったのか、ぱたぱたと駆けてくるミモザ。
なんだか妙に微笑ましくて和んでいると、目の前で立ち止まったミモザは拗ねたように眉をひそめた。
「……なんか失礼なこと考えてませんでしたかー?」
「気のせいよ。どうかしたの?」
「……ほんとですか?」
「どうかしたの?」
にっこり笑いかける。
びくっと肩を震わせたミモザは、何か言おうとしてはあーとかうーとか口ごもり、見かねたサフィリアが助け舟を出した。
「お時間はよろしいのですか、ミモザ様」
「え、あ、駄目です! えーとだからその、これから騎士舎で集まりがあるんです」
なんでも会議のようなもので、毎日ではないけれどそれなりの頻度であるのだという。
騎士による情報交換の場だと思ってください、とミモザは言うが、ようするに報告会だろう。
誰が何をしたか、どんな被害があったか、――王太子妃に相応しいか。
当然のことなので、ティリエルは特に何も思わなかった。
それで、とミモザは首を傾げる。
「聞いておきたいこととか、確認したいこととかありますかー?」
「強いていうなら、後宮の設計図・見取り図と警備態勢」
「はい?」
「だから、後宮の設計図・見取り図と警備態勢」
「……………っ」
やっぱ駄目か、と固まってしまったミモザを見て思い、ティリエルは肩をすくめた。
地図やそれに準ずるものは基本的に機密品だ。
「冗談だから気にしないで。それよりほら、早く行った方がいいんじゃない?」
おーい、ミモザさーん、と顔の前で手を振る。
はっと我に返ったミモザの瞳が焦点を結び、ぱちぱちと二度瞬きしてからゆっくりとポケットから懐中時計を取り出した。
ざっと、かわいそうなくらい血の気の引いたミモザが身を翻す。
がたんと飛び付いた扉を開け放ち、飛び出していく。
「頑張ってね~」
後ろ姿にひらひらと手を振ってみたが、届いているかは微妙だった。
あーっ、ちょっと待ってお願いします待ってくださいセリーヌさんっ!! という悲痛な叫びが聞こえてきて、ティリエルはサフィリアと顔を見合わせて吹き出した。
なかなか良い騎士に当たったようで、ティリエルとしては嬉しかった。
何人か登場シーンが早まっています。
大分変わってしまい、猛省の一言です。
それでもいい、という方は、これからもどうぞよろしくお願いします。