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「最低のクズ……じゃなくて、難題ね」
「最低のカス……ではなく、難題ですね」
フローレアの告白を聞き終えて、当のフローレアから羨ましいと言われた主従は同時にそう漏らした。
「でも不思議ね。三公爵は皆様野心もなくて、王家に絶対の忠誠を誓っている理想的な方だと聞いていたのに」
「噂が真だとするならば、公爵様のは、あわよくば、という野心でしょう。王家に忠誠は誓っている、王権を脅かす気もない。けれどあわよくば娘を王妃に、という」
「その割には用意周到よね」
「では噂は偽りかもしれませんね」
「やっぱり最低のクズ野郎ね……」
「ティル様、いくら公爵様が視界に入れたくもないようなドブネズミと相違ないとしても、言って良いことと悪いことがございます」
「あなたの方がよっぽど悪いことを言ってると思うわ」
そうですか、と多分八割方本気で首を傾げたサフィリアは置いておいて、フローレアの様子を窺う。好き勝手言ってしまったが一応彼女の父親だ。
フローレアは目を丸くはしていたものの咎める気はないようだったので、密かに胸を撫で下ろす。
さて、とティリエルは頭を切り替えた。
「嫌がらせしていたってニコラを王太子様に切らせればいいかしら」
どうすればいいかを考える時間だ。
「それだとフローレア様のお名前に傷が付きます。何しろ侍女は主の鏡ですからね」
「侍女に非がない状態で切らなきゃいけないってこと?」
「非は非でもやむを得ずという形にするという方法もありますが……」
「いっそ怪我でもしてもらいましょうか」
「……ティル様、少々物騒にございます」
にっこり笑ったサフィリアに早々に諦め、ティリエルはむうと唸った。
困った。本当に難題だ。
「ならニコラに『教育的指導』を施すのは?」
「……素晴らしい思い付きですね」
「何で棒読みなのよ」
「……ちなみにそれ、誰がやるんですか」
「あら、フィーに決まってるじゃない」
「……立場が弱い私では不可能です。最悪公爵に直訴されて私の方が切られるで――」
「ち……ちょっと待って! あなたたちどうしてそんなに真剣に話し合っているの!?」
ばん、と机が震える。茶器がカタカタと音を立てる。
顔を上げれば、白い両手を机に叩き付けたフローレアが未知の生物を見るような目をしていた。
その視線は最初ティリエルとサフィリア、双方に平等に注がれていたが、サフィリアに答える気は欠片もなさそうなのを話したのは今日が初めてのフローレアさえ悟ったのか、ティリエル一人に収束する。
「恩でも売るつもり?」
はぐらかすのは許さないとでも言いたげな強い瞳に、悲しさが込み上げた。
あの目はサフィリアが家に来たばかりの頃の目と同じだ。他人を信じられない目。
「何故かと訊かれたら、そうですね……」
ティリエルは巧妙にそれを押し隠してにこりと微笑んだ。
「友人が困っているのを見たら助けたいと思うでしょ?」
うわぁ、我ながら胡散臭い台詞。
フローレアは呆気に取られたように口をぱくぱくとさせる。
かわいいなぁとか思って頬を緩めたりするとまたサフィリアの裁きの鉄槌がくだされることは確実なので、ティリエルは笑顔を崩さないまま彼女が何かを言うのを待った。
「だ……っ」
「だ?」
「誰がいつ誰の友人になったのよっ!?」
ようやく引き出せた反応に、ティリエルにんまりと笑う。
「たった今フローレア様が私の友人に」
「なってないわ!」
「じゃあ私がフローレア様の」
「あなたを友人にした覚えもないわ!」
「えぇ!? そんな酷い、私はこんなにフローレア様を」
「あなたわざとやってるでしょ―――っ!?」
ぜぇぜぇと息を荒げ涙目で睨んでくるフローレアに、極上の笑顔で言ってやった。
「はい、もちろん」
一拍、沈黙。
その僅かの間に、サフィリアが風精を喚んで空気の流れを変える。音が室内に篭るように。
本当に抜かりないと言えばいいのか。
直後フローレアは顔を真っ赤にして絶叫した。
「あなたなんか嫌いよ―――――ッ!!」
「そうですか。私は好きですよ」
「なっ」
「……冗談はさておき」
「えっ!?」
冗談? 冗談なの!? とフローレアは完全に混乱してしまった。
あれ、おかしいな。
むしろこっちが混乱したいくらいだ。
フローレアの緊張も解けてきたみたいだから、おどけた言い回しをやめて真面目に話をしようと思ったのに、どうして混乱しているんだろう。
……あとどうして傍らからものすごく冷たい空気が放射されているんだろう。びしばし突き刺さって痛いのだけど。
サフィリアはややあってはぁと溜息をつくと、フローレアの前に跪いた。それはさながら騎士のように。
「フローレア様、主に代わりお詫び申し上げます。悪気はないのです。欠片も」
「い……いいえ、大丈夫よ。さすがに私もわかったわ。ただちょっとショックだっただけで」
暗い笑顔を浮かべたフローレアがゆるゆると首を振る。
もしかして自分は何かをやらかしたのだろうかと不安になって尋ねようとした矢先、背筋にぞくりと悪寒が走った。
出所は当然のごとくサフィリアだ。
侍女の「黙ってろ」という無言の圧力に屈した主は、現実逃避のように茶器に手を伸ばしたが、茶器はティリエルを嘲笑うかのように空だった。
(飲んだ覚えは……あぁ、フローレア様の話を聞いてる時ね)
思わず遠い目をして過去に意識を飛ばしていたせいで、
「フローレア様。我が主は確かに貴女様をからかっておりましたが、口にした言葉は全て本心ですよ」
「本当!?」
「はい」
サフィリアとフローレアの間でそんな会話が交わされていたことには気付かなかった。
戻ってきたサフィリアの凍えた視線が三度ティリエルに突き刺さる。
私は一応あなたの主なのだけど、という主張は口に出来そうになかった。
「ティル様。筆頭候補の一角たるフローレア様が長いこと不在にしている訳には参りません。早く解放して差し上げてくださいませ」
「……ってさっきから一体何なのよフィーはっ!?」
「先程から一貫して早くしてくださいと申し上げておりますが?」
「言ってないわよね冷たい視線と簪だったわよね私の記憶違いかしら!?」
卑怯にもシュウランによく似た笑顔で会話を打ち切ったサフィリアをひと睨みし、しかし言われたことはもっともだったのでフローレアを促して立ち上がる。
(―――あ)
瞬間、ある考えが閃き、ティリエルは勢い込んで尋ねた。
「ニコラの家はどこですかっ?」
「リジェクト子爵家だけど……」
戸惑い顔で答えてくれた名前とそれに付随する情報を頭の中から探し出しつつサフィリアを見上げる。
「フィー、知ってる?」
知っている。リジェクト子爵家と言えば今の子爵――おそらくニコラの父――が爵位を継いでから、急激に勢力を拡大している家だ。
サフィリアに尋ねたのは、つまり裏に何かあるか、ということ。
「あなたまさか家の方から潰す気なの?」
引き攣った声を上げたフローレアに、ティリエルはにっこりと笑った。
「それが一番確実ですよね」
「確実って、あなた何言ってるかわかってるの?」
「いいんです。そういう令嬢が育つ家なんて大抵ロクなことやってませんから」
主の意向に沿った嫌がらせならまだしも、独断で突っ走って他者を陥れた。しかも主の立場さえ危うくし、それに気付かない。自分は主の望むことが何もかもわかっていると思い込み、その実理解する努力すらしていない。確認もせずに、己れの所業に満足していると思っている。
呆れるほど愚かだ。愚か過ぎて笑うこともできない。
そんな娘が育ち、なおかつ放置しているような家が潰すのを躊躇うような家な訳がない。
いずれ王家の邪魔になるかもしれないし、潰しておくことに支障はないだろう。
「――リジェクト子爵家の領地にはとある薬草が育ちます。生育条件の厳しい、希少な薬草です」
目線だけで促すと、サフィリアは小さく頷いた。
淡々とした声が続きを紡いでいく。
「それを薬草だと知るひとはそう多くありません。道端に生えていたとしてもただの雑草だと思うひとが大半でしょう。しかしながら非常に稀な効能のあるこの薬草は、然るべきところに持ち込めばかなりの高値で売れます。……もっとも、この国ではこの薬草を採ることも売買することも、特定の資格を持つひと以外禁止されていますが」
フローレアが大きく目を瞠った。
「つまりリジェクト子爵は密輸をしているということ?」
話の流れからいくと、そういうことだ。
まさかという思いとともに、同じ結論に達したティリエルもサフィリアを見詰める。
「――いいえ」
けれどサフィリアは、無表情のままに首を横に振った。
否定、だ。
どういうこと、と図らずも重なった二人の令嬢の声。
「問題なのはこの薬草の効能なのです」
動揺混じりのそれに対し、侍女の声は欠片の揺らぎもなくあくまでも淡々としている。
あまりの感情の無さが恐ろしくなったのか、視界の隅でフローレアが身震いした。
慌てたティリエルが目配せすると、サフィリアは表情と声音に起伏を作り。
「ところでリジェクト子爵家の領地の税率をご存じですか?」
突然、そんなことを尋ねた。
「わ……わからないわ」
税率が、ではない。
今ここでそれを持ち出したサフィリアの意図が、だ。
訝しげな二対の視線を受け流し、サフィリアはそうですかと頷く。
「では、リジェクト子爵の領民からの評価は?」
それなら知ってるわ、と声を上げたのはフローレア。ニコラに会ってから自力で調べたのだという。
「とても慕われているわ。と言うより……心酔? 狂信? みたいな感じ」
「ほんとですか?」
解せない。
思わず問い返すと、フローレアも眉をしかめて頷く。
「私も不思議に思ったわ」
「それが薬草と関係があるのです。……ちなみに税率は七割ですよ」
「! 高すぎるわ!」
ユーネリアは確かに収穫は多いが、七割は高すぎる。相場は三割、四割が上限だ。
フローレアに至っては絶句してしまっている。
「はい。高すぎる税率、どう考えても好かれそうにない性格と推測されるリジェクト子爵が、どうして領民に慕われているのか」
細められた翡翠の瞳が暗く煌めいた。
「特殊な調合によって洗脳の効果を持つ薬草――それがリジェクト子爵家の領地に生息している薬草です」
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