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精霊に愛された娘  作者: 宵月氷雨
第一章
47/57

 ******

お待たせしました。

今回はフローレアのお話です。



 最初におかしいと言ったのはミモザだった。

 毎朝置かれる箱、幾人かいる犯人の中にフローレアの侍女がいると。

 ティリエルもサフィリアも、フローレアの印象は初日の夜会の時の侍女の印象だったので、何故それがおかしいのかわからなかった。

 首を捻った主従に、ミモザは真剣な顔で訴えた。


『フローレア様には何度かお会いしたことがあります。そのようなことをなさる方ではありません!』


 フローレアのことは知らないけれど、ミモザのことは知っている。

 短い期間とは言え護衛騎士だ、どんなひとかくらい把握していない訳はない。

 だからティリエルは今日の布石のための証拠提出を求められた時、フローレアの名前だけは出さなかった。


 どうぞ、と出されたお茶から、白く細い湯気が立ち上る。

 ティリエルはそれを目で追いながら、「侍女はどうされたんですか?」と尋ねた。

 お茶へと伸びていたフローレアの手が一瞬動きを止め、その動揺を押し隠すかのように殊更優雅に茶器を手に取る。

 茶器を傾ける仕種も一切の隙のない美しさで、ティリエルは思わずほうと感嘆の息を漏らした。


「―――っっ!」


 瞬間、首筋に冷たい視線。

 そろりと傍らを窺えば、徹頭徹尾仕事の顔で立っている侍女の方からひやりとした冷気が漂ってきていた。

 翡翠の瞳が実にわざとらしく語りかけてくる。――余計なことに気を取られてないで、さっさと片付けてください。 多分これであっている。

 びくんと背筋を伸ばしたティリエルを、フローレアの、露わにはしないものの不審さの滲む視線が追撃する。

 ティリエルはやや引き攣った笑みを浮かべた。とりあえず笑っておけば何とかなるものだという経験論に基づいて。

 そして目の前の公爵令嬢は、ちゃんと空気の読めるできた娘だった。


「……侍女なら広間で給仕をしています。それが何か?」

「あなただけと話がしたかったから、と言ったらお怒りになりますか?」

「あなたは侍女を連れていますね」

「言い換えましょう。あなたの侍女がいないところで話がしたかったのです」


 フローレアはそれきり答えなかった。黙り込む彼女を不躾にならないように眺め見る。


(やっぱりかわいいわ……。お人形さんみたい)


 サフィリアに知られたらまた氷柱の視線が飛んできそうなので慎重に押し隠した。けれどどうしたって頬は緩んでしまう。かわいい子やものは好きだ。おかしな性癖とまではいかないまでも。

 それはともかくとして、彼女に訊きたいことはある。ティリエルはそれをどう言おうか――具体的にはどうオブラートに包もうか――悩み、結局そのまま言うことにした。

 何せ彼女が最初に言ったのだ。

 回りくどいのは嫌いだと。


「あなたに倣って私も単刀直入に訊きます。――嫌がらせ(あれ)は侍女の独断ですね?」


 半ば確信した問い掛けに、しかしフローレアは毛ほどの反応も見せなかった。

 逆にそれこそが答えだとも言えるが。


「否定しないんですね?」

「……仮に否定したところで、信じないでしょう、あなたは」


 諦めたように溜息をつき、フローレアの白い面貌(おもて)から常備しているあの愛らしい笑顔が掻き消える。

 代わりに憂いをたたえた瑠璃色の瞳が、真っ直ぐにこちらを向いた。


「ええそうよ、と言えばいいのかしら? たった一人の侍女も御せないような公爵令嬢に失望した?」


 他人への遠慮も敬意も綺麗に捨てた、敵意さえ混じったぞんざいな口調。

 ティリエルはすぐには答えず両手で小さな茶器を取り上げると、くるりと中の液体を回した。仄かな香りが漂ってくる。

 一口飲んで机に戻し、添えられていた角砂糖を摘み上げた。


「失望? する訳がありません。だってあの侍女、あなたが選んだひとじゃないでしょう」


 指先で砂糖を弄びながら、独り言のようにそう嘯く。

 真っ直ぐで多分頭も良い、駆け引きを知らない訳でもない。きちんと貴族の令嬢として育てられたであろう少女。

 今少し話しただけでも好印象が持てる、そんな彼女が選ぶには、あの侍女はあまりにもお粗末だ。


「どうしてそう言えるの?」


 フローレアはふと口許を歪めた。嘲笑のようにも見えた。


「勘です。あとは話してみた実感? あなたはあの侍女を選ぶひとではないと思いました」


 不本意そうに口をつぐんだフローレアに微笑みかける。意識して優しく、母親のように。

 しばしの沈黙。

 間をもたせるためかフローレアの前の空になった茶器に茶を注いでいたサフィリアが、失礼しますと声をかけて下がった。何をするのかと思ったら髪を結い直している。


(今やる必要があるのかしら……)


 完璧主義な己れの侍女のらしくない行動に首を傾げつつも、これで最初の質問の答えになりますか、と問い掛けると、フローレアはそっぽを向いて「結構よ!」と言った。その頬が赤く染まっているのに気付いたティリエルは、あまりのかわいさにノックアウト寸前だった。思わず頬が緩む。

 刹那、こめかみに微かな風圧。次いでカシャンと澄んだ金属音。

 はらりと数本髪が舞う。蜂蜜色のそれは間違いなく自分のものだ。

 ティリエルの顔が引き攣った。

 心なしかフローレアの顔も青ざめて見える。

 動かないティリエルの横で、侍女服に身を包んだ痩躯が何かを拾い上げる。

 もともと和やかとは言い難くはあった空気を致命的に凍り付かせたそれを口許に当てて、この場の誰よりも身分が低いはずの彼女はにこやかに言った。


「申し訳ありません、手が滑りました」


 …………………………。

 無意識のうちに、指先で角砂糖を押し潰す。

 一度大きく深呼吸して、やおらティリエルは叫んだ。


「あからさまに嘘でしょっ!?」

「嘘ではございませんよ」

「だっていつも(ソレ)してないわよね!?」

「ですから先程してみようと思い立ったのですが、落ちてしまいまして」

「確実に投げた! 私に向かって投げた!!」

「投げただなんて人聞きの悪い。第一私が髪を結い直していたのは偶然ですよ」

「あなたのことだから絶対ここまで読んでたに違いないわっ!」

「髪が切れてしまいましたね、大丈夫でしたか?」

「狙って切ったくせに何を言う―――――っ!!」


 くす。

 ついうっかりいつもの調子で突っ込んでいたティリエルは、ふとその音を捉えて言葉を切った。振り返る。


「フローレア様?」

「ふ……ふふふ………いいなぁ、あなたたちは」


 羨ましい。

 ティリエルより二つ年下の公爵令嬢は、掌で目を覆い肩を震わせて――静かに泣いていた。






   ◆   ◆   ◆






 私にもね、侍女がいたの。

 もちろん今もいるけど、そうじゃなくて、小さい頃からずっと一緒だった侍女が。

 明るくて物知りでちょっと心配性な彼女が私はとても好きだった。

 ううん、好きなの。今もずっと。



 彼女は私の願いをいつだって叶えてくれたわ。

 こっそり街に行きたいと言えば街の娘が着るような服を用意してくれたし、料理がしたいと言えば簡単なものから教えてくれた。

 だけど父はそれが気に食わなかったみたいで、侍女はよく叱られていたわ。



 父の口癖は『お前は公爵令嬢なんだから』よ。私が何かしたいと言えば、二言目には『怪我をしたらどうするんだ』。

 そんな父からしてみれば、確かに侍女は気に入らないでしょうね。

 もっとも、私がそれを知ったのは最近なのだけど。

 侍女は一言もそんなことを言わなかったし、父も私の前では侍女を叱ったことはなかったわ。

 そりゃあ侍女の振る舞いとして間違ったことがあれば注意はしていたけど、嫌ってる素振りなんて見せたこともなかった。



 ……気付けなかった私が悪いのかもしれないけど。



 話が逸れたわね。

 王宮から触れが出された時、だから私は迷わずその侍女を選んだの。

 彼女の他に「唯一人の」侍女に相応しいひとはいなかったから。



 ……いいえ、まさか。あいつが彼女な訳ないじゃない。冗談でも一緒にしないで。

 まぁあなたもわかってて聞いたのでしょうね、きっと。



 話を戻すわ。

 とにかく私は彼女を連れていきたかった。

 けれど父が許してくれなかったのよ。

『駄目だ、お前は王妃になるんだ。そのためにはアンジュを付ける訳にはいかない』って。

 アンジュっていうのが彼女の名前。イール子爵家の次女なのだけど……これも関係ないわね。



 父は私の前に一人の娘を連れて来たわ。

 それがあなたたちの知る私の侍女。名前はニコラよ。

 父は随分ニコラを買っていたようだけど、私はすぐに嫌いになった。

 だってアンジュに向かって暴言を吐いたのよ。『あら、没落寸前の子爵家の方じゃない。どうやって公爵令嬢サマに取り入ったの?』



 こんな子を連れていくなんてごめんだと言ったの。初めて本気で父に逆らったわ。

 父は一言も聞いてくれなかったけど。

 挙げ句の果てにはアンジュを拘束して、こいつの命が惜しければニコラを連れていけと言ったわ。



 目の前が真っ赤になるってああいうことを言うのね。



 思い付く限りの罵詈雑言で父を罵ったわ。信じられなかった。これが父親なのかって。

 私の語彙が尽きた後、父とニコラが何て言ったと思う?


 『公爵令嬢に相応しくない言葉遣いはやめなさい』


 『お嬢様、お父様にそんなことをおっしゃってはいけませんよ』


 あの時は本気で殺意を抱いたわ。

 私の言葉は父に届かないの。一つも。

 アンジュを助けるためにはニコラを連れて来るしかなかった。仕事は文句なしにできたから。



 だけど正直嫌な予感しかしなかったわ。

 案の定、ニコラはあなたに嫌がらせを始めた。他にも何人か、私の敵になりそうだと勝手に判断したひとにも。しかも私の許可も取らずに。

 侍女として有り得ない行動よ。だけどニコラはそれが正しいと信じてるの。


 『お嬢様の邪魔をするんですもの、何をされても文句なんて言えるはずがありませんわ』


 『私はお嬢様を王妃にするようにと公爵様に命じられています。そのために邪魔なものは全て排除します。お嬢様もあの伯爵令嬢のこと、邪魔ですよね?』


 『ご安心ください。お嬢様の望むことは全てこのニコラが完璧にやり遂げてみせます』


 やめて、違うと叫びたかった。

 だって私は父の思惑に関係なく、王太子様のことをお慕い申し上げているから。

 アンジュがいてくれれば、彼女は私の願いを叶えてくれるのだから、一番適任なのに。

 だけどアンジュが父の下にいるから、私は何もできないの。アンジュの命を握られているから。




次の投稿はしあさってになると思います。

スピード落ちてすみません……。

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