第1話【改】 伯爵令嬢、城へ向かう
9/15 大筋は変わっていませんが内容を変更しました。
お手数ですが読みなおしていただけると幸いです。
『 王太子アルフレッドの伴侶を選ぶ
ついては一週間後、希望する家は候補者を王宮まで寄越すように
一月の選定期間と二月の準備期間を経て披露目の予定である 』
季節は初夏。
白い花が咲き乱れる早朝の道を、一台の馬車が走っていた。
「ねぇフィー……私、どうしてお城に向かってるのかしら」
馬車の中に人影は二つ。
そのうちの小柄な方、少々癖のある蜂蜜色の髪を紅の髪紐でまとめ、レモン色のドレスを着た少女が、虚ろな目で発したのは問い掛けだ。
その相手たるもう一人、真っ直ぐ伸びた黒髪を後頭部で結い上げ、紺のワンピースに白のエプロンといういかにも侍女らしい格好をした少女は、表情一つ変えずに言い放った。
「ティリエル様が断りきれなかったからです」
「そうじゃなくて」
「ではお姉様とお兄様の勧めという名の脅しのせいでは」
淡々と返された答えに、蜂蜜色の髪の少女――ティリエルははぁと深い溜息をついた。
まったくもってその通りだったからだ。
『ティリエル、将来君が仕えることになるひとだよ? 見ておくにこしたことはないだろう?』
『王太子殿下はあまり表舞台に出ていらっしゃらないわ。チャンスはこれきりよ、きっと』
にこやかに笑う兄と姉に、ティリエルごときが敵うはずがないのだ。
普段なら諦めて言う通りにするのだが、しかし今回ばかりは抵抗した。
候補とはいえ王太子の嫁なんて願い下げだったからだ。
珍しくも『絶対嫌!』とけんもほろろに拒否したティリエルに、二人はおとなしく引き下がった――かに見えた。
が、そんなことがあるはずもなく。
『どうしましょう、シュウラン。ティリエルが行かないというならルナリアを行かせなくてはならないわ』
『ルナはまだ十一歳だからね、行かせたくはないのだけど……仕方ない』
大きな瞳を潤ませる姉と苦しそうに顔を歪める兄に、演技だとわかっていてつい反応してしまったティリエルの負けだった。
かわいくてしかたない六つ下の妹を引きこもりの王太子の嫁候補なんかにするわけにはいかない。
王太子相手でなくても、もし本人の意志を無視した縁談が持ち上がったら、どんな手を使ってでも潰してやる、とティリエルは心に決めている。
『我が家にとって王がどんな人物か知るのは大切なことだからね。姉上は一月後に結婚を控えているし、君が行かないというならルナしかいない』
『それに、希望する家とは書いてあるけど、王家相手に嫁入りを希望しませんとは言えないでしょう?』
『言えるよ! ウチなら言えるよ!!』
そんな殊勝な家じゃないっ! という本心からの抗議はもちろんあっさり流されて、結局ティリエルは渋々王宮に行くことを了承したのだった。
せめてもの嫌がらせに、一人だけ連れていける侍女にはサフィリアを選んだ。
ティリエルが一番信頼していて、一番心を許している侍女兼親友。
だから嫌がらせ云々がなくても連れていくのは彼女以外には有り得ないのに、自分で仕向けたくせに不機嫌になっていた兄の顔は見物だった。
それでちょっと溜飲が下がったのだが、いかんせん敵は「王太子の嫁候補」である。憂鬱になるのも仕方ない。
ティリエルはまた、もう何度目かわからない溜息を漏らした。
「……そう気を落とさずに。お兄様から大丈夫だとお墨付きをいただいたんですから、遊びに行くつもりでいればよろしいかと」
「君が王妃になることは絶対ないから、って……嬉しいけどなんか複雑よね」
兄が言うことだから何か理由があることはわかっているが、魅力がないと言われたようでちょっと悲しい。
むぅと眉を寄せて呟いたティリエルは、その台詞にサフィリアが苦く笑ったことには気付かなかった。
「よろしいではありませんか。一番魅力が伝わってほしい相手には十分伝わっているでしょう?」
「それはまぁ、そうだけど……」
ティリエルは己れの婚約者を思い浮かべて、ほんのりと頬を赤らめた。
確かに彼にさえ魅力的に映っていれば、王太子なんぞどうでもいいのだ。
もし無理に迫られたら、怪我さえさせなければどうやって追い返しても構わないわ、と姉からありがたいお許しもいただいた。
どうして怪我をさせちゃいけないのか、隣にいたサフィリアに興味本位で訊いてみたら、答えは彼女を遮った兄からもたらされた。
――証拠が残ったら揉み消せないだろう?
極上の笑顔で言った兄の台詞に誰も疑念を抱かなかった時点で、ウチの家族は色々駄目なんじゃないかと思う今日この頃。
「――ご自身も同類なのは自覚していらっしゃいますか?」
「言わないでちょうだい」
かしこまりました、と空々しく返事をして、黒髪の侍女は「そういえば」と涼しげな流し目をくれる。
「ティリエル様に魅力がないなんてことは、天地神明に誓ってございません」
一歩戻った話にとっさに反応できないティリエルに、サフィリアはにっこり笑った。
「あなたは、私が生涯唯一と定めた主ですから」
がたごとと馬車が進んでいく。
主と侍女を乗せて、王宮へと。
おそらく集まる令嬢の数は五十人強です、とのサフィリアの言葉通り、通された広間はたくさんの令嬢で溢れていた。
女が三人集まれば、始まるのは自慢大会か嫌味の応酬がいいとこである。
特に混ざる気もないティリエルは、自分と同じく渋々来ているであろう友人の姿を探しつつ、できるだけ気配を消して隅の方に立っていた。
それでも仲の良さそうな令嬢たちの会話は耳に飛び込んでくる。
「あらご機嫌よう。伯爵はあなたのようなさして美しくない娘を送り込んで、何がしたいのでしょうね?」
「少なくともあなたみたいな頭が空っぽなひとにはわからないことじゃないかしら」
右斜め前方で睨み合う二人の令嬢。
その五歩ほど左では。
「ここはあなたのような下賎な者が来られるような所じゃなくってよ。身の程を弁えたらいかが?」
「ああ勘違いしないで。これでも心配しているのよ。高貴な空気の中は、あなたには息苦しいんじゃないかと思うの」
「例えわたくしが後妻の娘でも、ひとを見るなり侮辱するあなたたちよりは高潔な心を持っていると自負しておりますの。心配は無用ですわ」
さらにその向こう側でも二人の令嬢が言い合いをしている。
「相変わらず悪趣味な色のドレスね。あなたによくお似合いだわ!」
「私は何を着ても似合うのよ」
「化粧落としたら別人のくせによく言うわ」
「美しさへの嫉妬は醜いだけよ?」
ティリエルは溜息をつきそうになって、寸前で自制した。
(馬鹿じゃないの……?)
思うだけならタダだ。誰にも文句は言われない。
ティリエルはよほどげんなりした顔をしていたらしく、主に倣って主以上に気配を消していた侍女が憐れむようにこちらを見た。追い撃ちをかける気か。
「……かわいそうだと思うなら気を紛らわしてちょうだい」
「承りました」
できないことは何もない、みたいな顔で頷いたサフィリアが、すっと広間の真ん中を示す。
つられてそちらを見たティリエルに確認できたのは三人の令嬢だった。
「いいですか、ティリエル様。他の誰を覚えなくてもいいので、彼女たちだけは覚えてください」
「……一応顔と名前は一致するわよ?」
「では順番に。まずあのご令嬢から」
ふわふわした金色の髪の、桃色のドレスを着た令嬢だ。小柄で、白い顔には愛らしい笑みが浮かんでいる。
「フローレア・ローダンセ公爵令嬢でしょ?」
「家族構成は」
「えーっと……お兄様が一人、だったと思う」
うろ覚えの、いわば特製「貴族名鑑」を引っ張り出す。
サフィリアは多分、自信がなくて声が小さくなったこともわかっていて、いつもと変わらぬ淡々とした表情を崩さずにさらりと注釈を挟む。
「その通りです。ちなみにローダンセ公爵は王様の父方の従兄弟になります。では彼女は?」
サフィリアの手がひらめいて、赤銅色の髪にベージュのドレスの令嬢を示す。
マリエ・アスター侯爵令嬢。王妃の親戚筋の家で、兄が二人いる。話したことはないけれど多分ティリエルが苦手なタイプ。
「……それで、残る一人がシエラレオネ様よね。アザレア公爵家の長女で、弟と妹が一人ずつ」
すらりとした身体に深い群青のドレスをまとっていて、貴族の子女にしては短めの髪は艶やかな茶色。
その美貌と眼差しの鋭さから、ついた二つ名は「氷姫」。
アザレア公爵も王様の従兄弟君だ。
そして彼女たちが、今回の筆頭候補だろう。
「意外と覚えてるものね……」
褒めるように目を細めたサフィリアに、何より自分が驚いたティリエルはそう零した。
「あなたに叩き込まれたおかげかしら」
「大変でしたからね。部屋での勉強は嫌いだと毎回脱走しては、お兄様に剣術の指南をいただいていて」
懐かしむような声音に決まりが悪くなってそっぽを向く。
くすりとサフィリアが笑うのが気配でわかった。
「お兄様もティリエル様には甘くていらっしゃる。抜け出してきたと知っていて相手をするんですから」
文句のような台詞とは裏腹に、サフィリアの声は優しい。
「おかげさまで私は毎回お迎えに上がる羽目になりました。お兄様も、部屋まで連れて来てくだされば助かるのに」
「いや、それは多分……」
私の相手をしているフリをしてあなたを待っていたんだと思うわよ、と言いかけ、寸前で飲み込む。
確証があるわけでもないのに異性の心情を語るわけにもいくまい。
もっとも、例え確証があったとしてもティリエルから教えてあげたりはしないが。
そう簡単にサフィリアは渡さない。
「そうよ……兄様の毒牙にかけるわけにはいかないわ」
「ティリエル様?」
訝しげに首を傾げるサフィリア。
その反応で声に出していたことに気付いたティリエルは、慌てて両手を振って話題を変えた。
「なんでもないわ。それよりシエラレオネ様のことなんだけど」
「何か気になることがおありですか」
「ええ。確か彼女、王太子殿下のことを嫌っていたはずよね?」
兄と姉に引っ張り出された数少ないパーティー会場に彼女がいたことを、ティリエルは覚えていた。
――引きこもって責務も果たさないような王太子、いくら容姿が良かろうと私は嫌いです
謎に包まれた王太子、と盛り上がる令嬢たちに冷水を浴びせるかのように、その冴え冴えとした声は響いた。
幸い、内輪のパーティーだったから大事にはならなかったらしいが、ああいった場では人間より食べ物に興味があるティリエルの記憶に残ったのは、あの衝撃発言が原因だ。
「確か妹さんは十七、私と同い年よ。妹さんでもいいのにどうして彼女が来たのかしら」
「何か理由があったのではありませんか? それこそティリエル様のように」
そう考えるのが無難だ。
ただ妙に引っ掛かっただけで。
気にしないでと顔を上げたティリエルは、サフィリアがあらぬ方向を見ているのに気が付いた。
「どうしたの?」
「鍵が開くような音がしたので」
答えとほぼ同時、サフィリアの視線の先の扉が開いていく。
ティリエルは半ば呆れて己れの侍女を見遣った。
そんな微かな音をいったいどうして聞き付けたのだ。
「今は前を向いていてください」
促され、ティリエルは突っ込みはとりあえず後回しにすることに決めた。
開いた扉から入ってきた人物に、水を打ったかのように広間が静まり返る。
片手を上げる、ただその仕種だけで場の空気を掌握してしまったその人の、星の光によく似た銀髪が、シャンデリアに照らされて鈍く煌めいた。