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精霊に愛された娘  作者: 宵月氷雨
第一章
39/57

第28話【改】 伯爵令嬢、舞踏会にて 2

7月15日。ようやく改稿しました。

内容大分変わっているので、眼を通していただけると嬉しいです。




「どうかしましたか、ジャスミン様。幽霊でも見たような顔をしていますね」


 ジャスミンは、仮面を外していた。理由は不明だが、一応ティリエルも礼儀に乗っ取って(?)外しておく。

 先手を打ってティリエルが話しかけると、ジャスミンは瞬きを忘れた瞳でティリエルを凝視した。

 その反応で、あぁ失敗するなんて思っていなかったんだろうなと確信する。


(……甘いなぁ)


 ひと一人陥れるのに、何もかもが杜撰すぎる。

 殺したいなら確実な方法を、保険をかけて何通りも。証拠の隠滅も徹底的に。

 それに仮に成功した後はどうするつもりだったのだろう。

 蝶のチョイスは悪くないが、それ以外はてんで駄目だ。

 誰も教えてあげなかったのだろうかと、ティリエルはむしろ心配になった。

 世の中そんなに甘くないよと、そんな馬鹿みたいなことを、誰も。


 憎むべき敵に心配されていることなど知りもしないジャスミンは、だが実際教えられていないのだから仕方ないかもしれない。

 ウィスタレア伯爵家は、典型的な悪い貴族だ。

 重税はもちろん奴隷売買もしていると真しやかに噂されている。

 本当かどうかは伯爵のみぞ知る、といったところか。

 つまりウィスタレア伯爵家にとって、彼らの領地で生きている限り世の中はとてつもなく甘いのだ。

 だからジャスミンの何がいけなかったのかと訊かれれば、サフィリア辺りはこんなことを答えるかもしれない。


 ――喧嘩を売る相手を間違えたのですよ、と。



「どうしているの……!!」

「……いろいろ言いたいことはありますが、とりあえずまずは」


 信じられないという風情で口走ったジャスミンに溜息を一つ。

 貴族がこんなのばっかりだったらどうしよう、とこの国の未来を割と本気で心配しながら、ティリエルはジャスミンに懐疑の目を向けた。


「私がいてはいけませんか?」

「だって失敗……そんなはずは……」


 ジャスミンは何も聞こえない様子でそう口走る。それが自白になるなんてことは頭にない。口に出ていることすら気付いていないのだ。

 当然ごまかすという考えなんて浮かばなかった。

 初日の夜会の様子からして力にもの言わせるタイプのようだから、予想外の出来事に弱いのかもしれないなぁなどと他人事のように分析するティリエル。

 予想以上に簡単に言質が取れたので、半ば拍子抜けして緊張を解く。


 証拠集めに奔走したサフィリアとミモザではあるが、ジャスミン相手には必要なかったかもしれなかった。

「ねぇジャスミン様。あの贈り物をくださった理由を伺っても?」

「理由なんて、……――ただ綺麗な蝶だったからですわ」


 ようやく復活したジャスミンが、ぎこちない笑顔を作る。取り繕うつもりで、そう口にした。

 ――ティリエルは贈り物が蝶だなんて一言も言っていないのに。

 取り繕っているつもりで墓穴を掘っているが、付き合ってあげるのもいいかなと大人なティリエルは思った。

 サフィリアとミモザがいなければあるいは、という思いもそれを手伝っている。

 あの時蝶に手を伸ばしたことを、ティリエルは忘れていない。


「確かに綺麗な蝶でしたね。後宮の庭ででも見掛けられましたか?」

「そ……そうなんですの。 朝見掛けて、綺麗だなって」

「まぁ、そうだったんですか」


 取り繕うように笑うジャスミン。

 ティリエルにどれだけの情報があるのかは知らないが、まさか蝶の特定まではされていないだろうと踏んだのだ。

 その読みは激しく見当違いで、ティリエルが失笑をこらえるのに必死だったことを知らなかったのは、ジャスミンにとって幸いだったのか、それとも。


「ところでジャスミン様、ご存じでしたか? あの蝶ってとても珍しいものなんですって」


 ティリエルは流れる音楽に耳を傾けながらそう切り出した。

 静かに周囲に目を配る。

 紛れ込んだ騎士が一人、二人……すぐ駆け付けられそうなのは三人。


「特定の地域にしか生息しないらしくて」

「え……」

「私もお目にかかる機会がなかったんです」


 サフィリアは今ここにはいない。

 今日の舞踏会は侍女の同伴は許されていないからだ。そもそもそれが普通なのだが。

 使える労働力を放っておくのももったいないと、侍女たちは女官の指導下で城の侍女たちと共に裏方を担っている。

 これも採点の一環だろうなと確信しているティリエルである。

 なんだか予定以上に目立っているからこの辺で点数を落とすのもいいかなと思ったが、サフィリアに手を抜けというのは憚られたので頑張ってねと送り出した。卒なくこなしているだろう。


「ご存じありませんでしたか? あの蝶は、ミスティノのある地方にしか生息しないんですよ」


 ジャスミンに目を戻す。

 ティリエルの【眼】はとても良い。意識せずともコルミールが視えるくらいには。

 だからティリエルは普段、意識してコルミールを視ないようにしている。

 二重写しの世界を見続けると負荷が大変なことになるからだ。

 スザクに言われてからちょくちょく使っていたのもこの【眼】だ。

 【霊才者】の中でもそれなりに力がある者は、精霊を視認することができる。

 ティリエルはコルミールすら視えるのだから、精霊を視るのくらいは容易い。

 精霊の住む、人間は行けない隣の世界。その一端を垣間見ることができる自分の力がどれだけ凄いものなのか、ティリエルは微妙に理解していないが。


(土、と……火ね)


 特に偏りなく精霊を使役できるミーナでも確認してみたが、やはりその人がコルミールで輪郭を成す色を適性のある属性と見て問題なさそうだ、とティリエルは納得した。

 ジャスミンの場合は茶色と赤の割合が多いが、白も混ざっているので三属性持ちといったところか。

 もっとも水精も使えない訳ではないが。


「な……何を、おっしゃっているんですの?」


 ようやく、何かがチガウとジャスミンは気が付いた。

 目の前の伯爵令嬢の顔に浮かべられた笑みには怪しむべき含みは見当たらないのに、どうしてだか背筋が冷たいのだ。

 ジャスミンは動揺した。あの蝶にどういった効果があるのかは聞いている。貴重なものだということも。もちろん特定の地域にしか生息しないことも。

 嘘だ、と思った。

 自分が贈り主だなんてわかる訳がないし、こんな短時間で調べられることなんてたかが知れている。

 だから庭で見かけたと答えた。怪しまれるところはないはずだった。

 ――そう、思うのに。


『ご存じありませんでしたか?』


 ティリエルは、忌ま忌ましい伯爵令嬢は、緩やかに口端を持ち上げて笑うのだ。




「触れたら壊死する死の鱗粉――『甘美な毒』とはよく言ったものね」




 息が、止まるかと思った。

 ジャスミンが父に頼み込んで密かに取り寄せたあの蝶を指す隠語。

 震える唇を噛み締めて、ジャスミンは声を押し殺す。


(まさか)


 まさか全てを承知した上で、ティリエルはジャスミンに対峙しているというのか。

 慄くジャスミンの桔梗の瞳をひたと見据えて、ティリエルは婉然と微笑んだ。

 ねぇ、ジャスミン様?


「私を殺して、その後どうするつもりだったの?」










   ◆   ◆   ◆










 アルフレッドは生来のものではない対人恐怖症を気力で捩じ伏せ、群がる令嬢を適当にあしらっていた。

 そもそも仮面のせいで、どれが誰だかいまいちよくわからないのだ。

 仮面舞踏会にしようと言い出したのは父だ。理由は簡単、面白そうだから。

 この世に父を止められる人間は母しかおらず、その母が確かに面白そうだと同意してしまった以上、アルフレッドになす術はなかった。

 もしかしたらヴィンセントでも止められたかもしれないが、殊こういった悪戯に関してはヴィンセントと父の気は抜群に合う。つまり止める気などさらさらないに違いない。


 実際、父の判断が間違っていると言い切れないのが辛いところだった。仮面のせいで自分が誰かわからないという油断があるのか、令嬢たちの態度は結構露骨だ。中にはあからさまに他人の悪口を言う人もいて、そういう令嬢は適当に名前を聞き出してある。そろそろ候補を絞っても良い頃だ。

 先程確信した違和感を確かめるためにもシエラレオネやフローレアとは込み入った話をしてみたいのだが、これだけ耳目のある場所でする訳にもいかない。


 いい加減うんざりしてきた頃、アルフレッドの目に不穏な空気を漂わせる二人の伯爵令嬢の姿が飛び込んできた。

 二重の意味で良い機会だと、アルフレッドは取り囲む令嬢に詫びを入れて歩き出す。

 途中で付かず離れずの距離を守っていたセドウィックに目配せし、言うべきことを頭の中で反芻しながら栗色の髪の少女の後ろに立つ。

 その少女の表情は見えなかったが、彼女――ジャスミン・ウィスタレアに相対する少女の表情はよく見えた。

 そして二人の間の凍りついた空気も、痛い程感じていた。

 だからアルフレッドはさすがに怯んだ。タイミングを誤ったかもしれないと。

 出直すか迷いかけたアルフレッドを止めたのは、他ならぬティリエル・スカーレットだったが。


「これは殿下。ジャスミン様に何かご用事ですか」


 ティリエルは流れるような動作で略式の礼をし、その台詞に振り向いたジャスミンは平伏しかねない勢いだった。

 何があったのか、なんて野暮なことは聞かない。

 アルフレッドが訊きたいのは、ただ一つ。


「ジャスミン・ウィスタレア。そなたは昨日、団長を呼びに行った風精を呼んだのは自分だと言ったな」

「も、申し上げましたっ」


 意識して穏やかな声を出すと、ジャスミンは顔を真っ赤にした。

 そんなジャスミンを、かわいそうなものを見るような目で見ているティリエル。

 ああやっぱり、とアルフレッドは推測を確信に変えた。

 風精は、頑として誰に頼まれたのかを喋らなかったけれど。


「どうして嘘をついた?」


 弾かれるように顔を上げたジャスミンが、みるみるうちに色を失っていく。

 わずかに開いた唇から漏れたのは、音にならない吐息だけ。

 その背後ではティリエルが『あちゃー』という顔で仮面をしていない目許を覆っていた。


「余に偽りを申すということがどういうことか、わかっているのだろうな」

「そんな……っ、わたくしは嘘など、」

「なれば精霊が嘘をついたと言うのか?」


 何もこんなところで弾劾しなくても……との呟きはティリエルのものだ。

 ちらりと確認した表情からして、その呟きも同情したものではないだろう。

 不思議なのは、あれだけマリエを崇めていたのに、マリエではなくジャスミン自身を売り込もうとしたことだ。

 巡り巡ってマリエに目が向くと思った、ということならわかるが。


「何故だ?」

「………が、悪いのよ」


 純粋に疑問だったアルフレッドは、不穏な語調に気付くのが遅れた。

 セドウィックの指示よりも先に、ジャスミンが自分の髪から簪を引き抜く。

 肉の柔らかい部分に突き刺せば、簪は十分な凶器になるのだ。

 咄嗟に割り込めた黄竜隊の騎士は一人。当然優先されるのはアルフレッド。


「余ではない! ティリエル・スカーレットを守れ!」


 例えジャスミンが向かうのがティリエルであろうと、その騎士には凶器から王太子を遠ざける義務があった。

 もともと向き合って話していたジャスミンとティリエルとの距離はほとんどない。


「お前が悪いのよっ!!」

「セドウィック!」


 言葉尻に重ねられたアルフレッドの叫びは会場の注目を集めた。

 瞬間的に静かになった広間に、ジャスミンの雄叫びが響く。

 動ける騎士たちより、ジャスミンの方が遥かにティリエルに近かった。

 セドウィックもアルフレッドの後ろにいたために、追い付くのは難しかった。


(間に合わない――!)


 アルフレッドの顔が歪む。考えが足りなかった。彼の行動が、ティリエルを危険にさらしたのだ。

 悲鳴が上がる。令嬢たちは見ていられないとばかりに顔を覆う。

 ジャスミンの渾身の力でもって真っ直ぐに突き出された簪。

 吸い込まれるように、それはティリエルの胸へ迫り――――




「遅いわ」


 冷たい声と共に、あっさりと弾かれた。




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