表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
精霊に愛された娘  作者: 宵月氷雨
第一章
37/57

第26話【改】 王太子、混乱する

改稿しました。




『アルさま、これあげる!!』


 そう言って花をくれたのは、誰だっただろうか。


『私を殿下のお友達にしてください』


 そう言って笑ったのは。


『お前のせいで――…っ!!』


 そう言って――憎悪を滲ませたのは。

 一体誰だったのだろう。

 いくら記憶を探っても、彼らの顔も声も思い出せなくて。

 アルフレッドはその思いのままに拳を壁に叩きつけた。
















 違和感を覚えたのがいつからだったのかは、はっきりとは覚えていない。


『お久しぶりですなぁ、殿下』


 呵々と笑った年老いた国庫番が最初だった気がしている。


『おや? このような老いぼれのことは忘れてしまいましたかなぁ』


 覚えがないのに、久しぶりと挨拶をされたのは。

 アルフレッドは離宮で育った。

 不自由はなかった。離宮が維持できるだけの使用人はいたし、乳母もいた。

 もちろん幼い頃は淋しかったが、父も母もちょくちょく様子を見に来てくれたし、何より必要なことだと知っていたから、アルフレッドは我が儘を言わなかった。

 限られた人以外とはほとんど会うことはなかったと記憶している。

 離宮の使用人、乳母、両親、五つ下の妹。あとは大きくなってから会った何人かの重臣たち。

 なのに十代後半からたまに城に顔を出すようになったアルフレッドを知っている人は、明らかにそれよりも多いのだ。


『お久し……初めまして、でしたね』


 違和感を確実なものに変えたのは、騎士副団長の挨拶だった。

 何かを隠している。

 けれどアルフレッドは、それが何なのかを尋ねたりはしなかった。

 聞いてほしくないという雰囲気がしたし、何よりアルフレッドの勘が、聞いてはいけないと待ったをかけたのだ。

 決して望まれた王太子ではないのだから、アルフレッドは求められるそのままでいなければならなかった。


 違和感を燻らせたまま、アルフレッドは徐々に交流を持つ人を増やしていった。

 現状、まだまだ足りていないのは事実だが。

 そうしていけばいくほど、違和感は大きくなってアルフレッドを苛む。

 違和感がさらに増したのは、シエラレオネとフローレア、それからティリエルを見た時。

 ティリエルの存在感が強烈で、最初は気付かなかったけれど、シエラレオネとフローレアと踊った時も、不思議と懐かしく――そして苦しい感じがした。

 真っ直ぐに控えめな好意を乗せる瑠璃の瞳とは違う、彼女のその縹色の瞳が、ひどく彼の心を波立たせる。


『シエラレオネ・アザレアと申します。――初めまして、アルフレッド殿下』


 ああ、きっと彼女は自分に会ったことがある。

 そんな記憶はないし、彼女もそんなことは言わなかったのに、どうしてだかアルフレッドはそう確信した。

 それからは、不思議な夢を見ることが多くなった。

 幼い自分は決まって誰かと一緒にいて、楽しそうに話をしている。

 相手は少女のこともあれば、少年のこともあった。

 極めつけが、昨日の花壇だ。

 ふいに脳裏を過ぎったヴィジョンは、あまりにも鮮烈で。

 それを皮切りに次々と浮かぶ断片的な画、その全てがアルフレッドに見覚えがないものだった。

 うるさい令嬢を振り切って部屋に戻って、じっくり考えたアルフレッドはようやく違和感を形に変えることに成功したのだ。


 すなわち、自分の記憶には欠落がある、と。


 両親が隠しているのは、忘れていた方がアルフレッドのためだからか、それとも両親のためになるからか。

 わからないから、アルフレッドは気付いたことを誰にも話していない。


「例え思い出さない方が良いのだとしても」


 アルフレッドは赤くなった拳を胸に当てて、言い聞かせるように小さく呟く。


「多分俺は、思い出さなきゃいけない気がする」


 絵を描くようにゆっくりと、上から黒く塗り替えられていく空の、赤との境界の辺りに青銀の月が顔を出している。

 その冴えた光を、アルフレッドぼんやりと見詰めていた。

 しばらくして、背後からコンコンとノックの音。


「アルフレッド、どうしました? 時間ですよ」


 顔を覗かせたシーグレイに、アルフレッドは意識して表情を和らげた。


「すぐ行く」


 聡い宰相に何かを追及される前にと、すぐに歩を進めてシーグレイの前を横切ったアルフレッドは、穏やかに微笑んでいたシーグレイがどこか宙を見上げて、その白皙の面貌をみるみるうちに険しいものにしたことに気付かなかった。








   ◆   ◆   ◆








《ラウディオ》


 頭の中で響いた声に、ラウディオはそろりと伏せていた目を持ち上げた。


《ラウディオ、探した》


 空の瞳に、中性的な容姿の白い精霊が映る。

 相も変わらず表情のない風精にそう言われると、妙な罪悪感に襲われるから不思議だった。

 実際精霊たちが、人間ごときを探すのに手間取るはずがないのに。


《そんなに探してないだろう》

《そうだけど。ウンディーネが、そう言えって言うから》


 楽しそうに、いや愉しそうに笑う水精の姿が容易に想像できて、ラウディオは溜息を飲み込んだ。

 隣に寄り添う王妃ガーネットが、腕を握る手に力を込めたからである。

 早くしろとの無言の脅迫に、ラウディオはすぐさま応じた。

 当然だ。探したということはつまり、何か用があるということなのだから。


《それで、何の用だ》

《あ、うん。伝言。シーグレイから……というか、精霊(ぼくたち)から》

《……どういうことだ》

《僕たちがシーグレイに伝えたことを、君に伝えるように頼まれた》


 彼らの声は耳で聴く訳ではないのに、風精はふわりと寄ってきて耳元に口を近付ける。


《あのね、記憶が、戻り始めてるよ》


 取って置きのように声をひそめて、それだけ告げて風精はくるくると回る。

 予想していたことだったので、ラウディオは驚かなかった。

 誰より彼女(・・)と会わせると決めたその日から。


《……君は、気付いていないみたいだけど》


 ふいにぴたりと動きを止めて、風精は続ける。


《君の息子は本当はずっと前から、気付いていたんだよ》

「な……に?」


 思わず声を出したラウディオを、心配そうに見上げるガーネット。

 ガーネットは霊才者だが、今風精はラウディオだけに話しかけているから、聞こえていないのだ。

 大丈夫だとその頭に手を置き、ラウディオは問い質すような目を向けた。


《何かがおかしいと、ずっと思っていた。でも君が隠したがっていたから、何も言えなかったんだ》


 いつになく饒舌な風精が、歌うように言葉を紡ぐ。

 ずっと見てきたんだから、知ってるよと。

 くるり、くるりと風精が舞う。


《僕からは、それだけ。シーグレイに何か伝える?》

「あ……いや、いい。ありがとう」

《そう。どういたしまして》


 消えた風精を半ば呆然と見送ったラウディオの脇腹を、何か固いものが刔った。


「が……っ!?」

「しっかりしてください、陛下。今ならわたくしでも暗殺できそうです」

「おま、……っ」

「陛下が悪いのですよ」


 護身用にと持ち歩いている短剣を手に微笑むのは、言わずもがなガーネットである。

 だからって柄で刔らなくても、とかいろいろ言いたいことはあったが、ラウディオは愛しの妻に両手を上げて降参すると、パンパンと手を打って控えていた騎士団長を呼んだ。


「お呼びですか、陛下」

「アルフレッドの記憶が戻り始めている。錯乱したら止めてくれ」

「了解。随分早かったんだね?」


 前宰相ヴィンセントはラウディオの昔からの悪友だが、騎士団長セドウィックは違う。

 彼は王妃の言わば幼馴染みで、彼女を妹のように可愛がってきた男である。ちなみに同い年だが。


 だからといってラウディオとセドウィックの仲が良くないかと言われれば、そういう訳ではない。むしろ良いと言える。

 ただ古参の官吏たちの間では、二人が初めて会った日に何故かラウディオが傷だらけのよろよろになって帰ってきたという噂がある。

 仰天した官吏たちにどうしたのかと問われても、『心配ない』とだけしか答えなかったのだとか。

 その頃から宰相だったヴィンセントは一目見て『あぁ愛のこもった拳骨だな。何の問題もねーよ、ほら散った散った』と、実に愉快そうに笑って臣下を追い払ったというが、真偽は定かではない。


「俺が思っていたほど、あいつは子供じゃなかったというだけだ」

「まぁキミ、過保護だからね」


 独白に近いラウディオの答えを容赦なく切って捨てて、セドウィックは綺麗に一礼。

 ラウディオが何かを言い返す隙すら与えずに去っていく。


(やっぱりあいつ俺のこと嫌いなんじゃないか?)


 結構本気で不安になったラウディオである。

 けれどセドウィックが残した鋭い眼光は、ラウディオを安心させる力があった。


「……そうでしたか。フレッドが」

「え? あ、あぁ。そうだ」

「あなたは、心配しておられるのですね。あの子が苦しむのではないかと」


 断片的な会話だけで大体を把握して、ガーネットはそう言って微笑む。

 途端にばつの悪そうな顔になったラウディオの頬を愛おしげに撫でて、けれど彼女の言葉は止まらない。


「わたくしは良いことだと思います。どちらにせよ、忘れたままではいられません」


 遅くとも王になるまでに、思い出しておかないといけない記憶。


「あの子の心は弱く、そして幼かった。だから目の前の現実を受け入れるきれずに、奥底に封じ込めて蓋をしてしまったのです。けれど」


 短剣をしまい、すっと背筋を伸ばして。


「けれど他の何を忘れようと、これだけは忘れたままではいけません」


 王妃は凛とした声でそう断言した。

 ラウディオも反論しなかった。

 ひとは忘れる生き物だ。

 全てを覚えていたらいつか壊れてしまうだろう。

 けれど、絶対に忘れてはいけない記憶というものは存在している。

 それは大切に大切にしまっておく記憶だったり、――忘れたいと願うほど、辛く悲しい記憶だったりする。

 忘れてしまえば楽になるかもしれない。

 だが、忘れたことはいつか歪みを呼ぶかもしれない。

 少なくともアルフレッドはそうだった。

 昔の彼は、ちょっと恥ずかしがり屋だけど人懐っこい少年だったのだ。

 ラウディオは思う。

 アルフレッドが封じてしまった記憶は、どれほど苦しみ嘆こうと、彼が彼であるために必要なものだったのだと。


『足りない部分は補えばいいんですよ。私がその力になれる』


 彼を彼のまま受け入れてくれた、その記憶は。



「彼女が、シエラレオネが来ているのでしたね」

「あぁ。他にも会ったことがある子が……二人か」


 自分で決めたこととは言え、やはり不安になる。

 ラウディオとしては、妃が決まればアルフレッドに王位を譲っていいと思っている。

 死んでから()ればいいじゃんか、とヴィンセントには言われたが、自分よりも障害の多い息子の治世を見守ってやりたいという思いがあった。

 そもそもあっさりシーグレイに宰相位を押し付けたヴィンセントに言われることではない。

 つまり王位を狙う王子たちにとっては、今が最後のチャンスなのだ。

 愛なき結婚とはいえ、ラウディオ自身は側妃たちのことを人として尊重してきたし、子供たちのことも普通に可愛がってきたつもりだ。

 だから息子たちが王位争いをしているのを見るのは、あまり嬉しいものではない。

 アルフレッドでなくてはならない理由はある。でもまだ全ては話せない。

 話しても、御伽話のようなその理由で、息子たちが納得するかはわからない。

 そのことが、酷く歯痒かった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ