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精霊に愛された娘  作者: 宵月氷雨
第一章
36/57

第25話【改】 伯爵令嬢、本気になる

付け足しました。



 後宮生活五日目。

 その日の贈り物は、過去最高を軽く上回って余りある数だった。


「……これ、ジャスミン様よね」

「おそらく言い触らしたんでしょうね」

「王太子に関わることを、そんな安易に?」

「あ、私聞きましたよー? ジャスミン・ウィスタレアが騒いでるの」


 結局昨日は事後処理に追われて夜遅くに少しだけ顔を出したミモザは、今日もいつも通りの時間にティリエルの部屋を訪れていた。

 昨日は情報収集のために後宮を練り歩いていたので、所謂マリエ派が何やら騒いでいるいるのは知っていたが、まさかそのことだったとは。

 部屋の前に積み上がった箱に仰天して飛び込んだミモザに、呆れたような顔でティリエルは概要を説明してくれたのだ。


「あぁ……ジャスミン・ウィスタレアは駄目ですね」

「駄目ね。アルフレッド殿下だけならまだしも、団長がいらっしゃったし」

「殿下はお優しいところがおありになりますから。反面団長様は、陛下と前宰相閣下の盟友でいらっしゃいます」

「優しいようで厳正なひとですよー、団長は」


 ただ追い出すには材料が弱いから、何か仕出かすのを待つだろうとティリエルは思っている。

 そんなことを話しながらも三人の手は休むことなく箱の中身を確認していて、時折箱一杯の虫が現れると無言で箱が燃え上がった。

 中身が生き物らしいものは全部後回しだったために、先に暴かれた血染めのいろいろや生き物の死骸は部屋の隅に箱ごと積み上げられている。


 その中の一つはティリエルが見ても素直に綺麗だと思えるハンカチだったが、箱とハンカチにレイカの樹液が染み込ませてあった。

 レイカは美しい花を咲かせる樹木植物だが、その樹液には炎症を起こす効果がある。

 手をはじめ皮膚についたらひどく爛れるのはもちろん、うっかり飲んだりした暁には一生声が出なくなることもあるような恐ろしい代物なのだ。

 サフィリアとミモザに言い含められて手袋をしていたために事なきを得たが、植物の気配に敏感な土精と水の気配に敏感な水精はそれはもうお怒りだった。

 何故こんな目に遭わなくてはいけないのか。


(面倒な……それもこれもあの王太子のせいよ)


 延々と続く単純作業とその原因とに苛々していたティリエルは、少しだけ警戒を怠った。

 何も考えずに開けた箱から、飛び出してくる小さいモノ。

 黒に黄色、そして赤。鮮やかな色彩をした、それは蝶。

 咄嗟のことに、ティリエルは上手く反応できなかった。

 ひらひらと飛び立った三匹の蝶の羽から、キラキラと光る鱗粉が落ちる。


(綺麗……)


 瞬きも忘れて見入っていたティリエルを、ふいに誰かが強く後ろに引っ張った。


《おい馬鹿、何してやがる!!》


 はっとするより早く鈍い銀色が立て続けに三つの軌跡を描き、壁に突き刺さる。

 一拍も置かずに、ナイフに縫い止められた全ての蝶が燃え上がった。

 マナを知らないミモザには視えないが、サフィリアが念のためと張っていた水精の結界の外に出されたティリエルの前で、結界がみるみるうちに収束していく。――その内に、舞い落ちた鱗粉を留め置いて。


「無事!?」


 珍しく取り乱した様子のサフィリアが、ティリエルの手を手早く検めた。

 何の問題もないことを確認してほっと息を吐いたサフィリアは、慎重に箱の周辺を調べていたミモザを振り返った。


「ミモザ様、大丈夫ですか?」

「一応大丈夫そうです。念のためウンディーネに浄化を頼んだ方がいいかもしれないですけど」


 水を司る水精には、浄化の能力がある。これは誰でもとは言わないが、それなりに力がある霊才者ならば知っていることだ。

 サフィリアの目配せを受けて、水精が心得ているように頷いて指を振る。

 優しい水の波動が部屋に満ちて、すぐに消えた。


《大丈夫みたいよ。対処が的確だったのね》

「ありがとう」

《いえいえ。それにしてもティリエル、あんまりぼーっとしてちゃ駄目じゃない》


 気をつけなさいよ? と言い残して、水精は結界と共に消えていった。

 正直事態が把握できていないティリエルの肩に、すとんと火精が腰を下ろす。


《本当に気をつけろよな。一歩間違えたら腕がなくなってたんだぞ、わかってるのかよ?》

「は、え? えぇっ!?」


 あっさり告げられた言葉に、ようやくティリエルはまともな反応ができた。人間予期せぬ出来事を前にすると固まるものだとわかった一件。

 それよりも気にすぺきは火精の物騒な台詞の方だろう。

 困り果てて傍らのサフィリアを振り仰げば、彼女は目を丸くした。


「……ご存じありませんか?」

「残念ながら」

「え? ティリエル様知らないんですかー?」


 ミモザまでもがびっくりした顔をする。

 面白くなかったので、ティリエルは持てる知識を総動員してあの蝶に関するものを探したが、生憎何も出てこなかった。


「そういえばティル様はユーネリア以外のことになると極端に知識が偏っておられましたね」

「そうなんですか?」

「……確かに、興味がないことはさっぱりよ」


 大体、大陸を網羅するような知識量を誇るサフィリアがおかしいのだ。

 無論スカーレット家に来てから得た知識もあるだろうが、それだけではないのも確かだ。

 だけどそんな高度な教育を受けていたのだとしたら、どうして彼女は捨てられていたのだろう?

 諸々を飲み込んでぶすっとして答えたティリエルに、サフィリアは苦笑を浮かべ、ミモザは慌てたように説明を始めた。


「えーっと、あの蝶はミスティノの、それもごく一部に生息する蝶なんです。決まった名前はないんですけど、取引される時には専ら『甘美な毒』と呼ばれます。隠語ですね」


 五十年くらい前に裏取引が告発されて大騒ぎになったことがあって、それで広く知られるようになったのだと、ミモザは言う。


「その名の通り、あの蝶には毒がありますー。無機物には何の影響ももたらさない、だけど生物にとっては脅威となる、猛毒」


 ミモザは焦げた壁に歩み寄ると、滑らかな動作で三本のナイフを抜いていく。

 よく見るとただの果物を食べるためのナイフだった。

 ナイフを水精に洗浄してもらってからごみ箱に放り投げ、空いた穴を手袋をした手でそっと撫でるミモザ。




「このくらいで済んだのは僥倖と思わないといけません。

 ――あの蝶の鱗粉は、触れたものを壊死させる力があるんです」




 音もなくティリエルは凍り付いた。

 うっかり見入っていたあの鱗粉に、そんな恐ろしい力があったとは。

 サフィリアの慌てようも、火精のお叱りも、ミモザの迅速かつ乱暴な対応にも納得がいった。

 贈り主は、本気でティリエルを害する気だったのだ。


「正確には、効果が出るのは遅いですが無機物も腐敗します。耐えられるのは、蝶の生息地――精霊の祠付近に育つ植物のみでしょう」


 控えめに補足して、サフィリアはいつの間に見終わったのか箱の片付けを始めた。


《な? だから気をつけろって言ってんだ》

「……なんでそんなに偉そうなの」

「あ、ティリエル様、彼にお礼言っておいてくださいね。私が頼むより先に蝶を燃やしてくれたんですー」

《そうだそうだ、感謝しろ》


 偉そうに踏ん反り返った火精にイラっときたのは事実だが、言っていることは一から十まで全部正しい。

 ティリエルはせめてもの抵抗にそっぽを向いた。


「……ありがと」

《気にするなって》


 にかっと笑ってそう答え、火精も光となって消える。

 その様子を微笑ましそうに見ていたミモザは、しみじみとした口調で呟いた。


「それにしても、精霊が自発的にひとを守ろうとするなんて」


 ティリエルは曖昧に笑ってごまかす。

 実はティリエルにもよくわかっていないのだ。

 昔姉リリアナが正確な説明を幾度か繰り返したのだが、生憎理解には及ばなかったという過去がある。

 感覚で物事をやり遂げる人には理屈は理解し難いのだと悟ったわ、とはリリアナ談。


「ティル様ですから」

「そうですねー。ティリエル様ですからね」


 だから結局それで納得してしまったミモザも、ある意味では正しいのかもしれなかった。


「ところで、どうなさいますか? この蝶の贈り主なら恐らく炙り出しは容易ですが」


 箱を片付け終えたサフィリアがティリエルを振り向く。


「ミモザ様は知っておられましたが、あの蝶を普通のご令嬢が知っている可能性は極めて低い。ですから候補に上がるのは、ミスティノに精通していてかつ蝶を入手できる伝手を持つ人物、ということになります」


 じゃあなんでさっきあんなに驚いたんだ、とは言わぬが花である。

 それだけ買ってくれているということだ、と言い聞かせ、ティリエルはそうなんだと頷くに留めた。


「間違いなく裏取引、しかも今日ということはかなり迅速に動いたということ……確かに、すぐに絞り込めそうですねー」

「まぁ、犯人が本当にご令嬢である場合に限りますが……。お望みでしたら今日中に調べますが、いかがでしょう」


 事もなげに言ってのけたサフィリアは、多分本気で今日中に炙り出す気でいる。

 ティリエルはもちろんミモザにも、その笑顔が冷たい怒りに満ちていることは容易に察することができた。


(許可して明日死体が見付かったりはしないわよね……?)


 ついうっかり不安になったティリエルを安心させるようなタイミングで、はいっとミモザが手を挙げる。


「私も手伝いますっ! さすがの私もちょっと怒りましたし」

「……ですが騎士が護衛対象に肩入れするのは処分の対象になるのでは?」


 ぶっちゃけた話、今現在ただの候補である令嬢たちに騎士を付けているのは、もちろん護衛の意味もあるがどちらかと言うと監視の意味合いが強い。

 自分の身を守ってくれるはずの騎士によって首を絞められる可能性もあるのだ。

 だからこそ騎士は王帰属なのだが。


「バレなきゃだいじょーぶです」


 いぇい、と二本指を立てたミモザに、ティリエルは頭が痛くなった。

 もともとそうだったのか、はたまたティリエルたちのせいなのかはわからないが、段々イイ性格になっている気がする。


「それに……」


 ふと、ミモザが声を落とした。


「怒っていいと思うんです。例え私の主がティリエル様じゃないとしても、騎士として、人間として、ここは怒るべきなんです」


 だから大丈夫ですよとミモザは笑う。

 この状況下で多少護衛対象に肩入れしたって、咎められはしないだろう。

 それにミモザは、正式な主ではないがティリエルのことがとても好きなのだ。サフィリアほどでないにしろ、贈り主は一発殴らないと気が済まない程度には怒っていた。


「何より蝶がここにあったということは、それを見逃した騎士がいるということです」


 橙の瞳が怒りに煌めく。

 もしかしたら贈り主が騎士に隠れてやったのかもしれない。知らなかったという可能性もある。

 それでもこれは、監視を請け負った騎士の責任だった。

 ミモザの揺るぎない決意を受けて、ティリエルは説得を諦めた。

 できるだけ危ない橋は渡らせたくなかったのだが、仕方ない。


「今日中とは言わないわ。夜には舞踏会があるから、その準備もしなきゃならない。でもそうね、できるだけ早く調べましょう」


 後宮特有のイジメまでなら見逃してあげたのに、とティリエルは嗤う。


「密輸入かつ殺人未遂。残念ながら立派な犯罪よ。……まぁでも今までの反応を見れば、ここまで過激なことをしそうなのは一人しかいないのだけど」


 ミモザもサフィリアも当然思い当たる人物がいたので、特に迷うことなく頷いた。


「ジャスミン様ですよねー……」

「大穴でマリエ様という可能性も、無きにしもあらずですが。確かウィスタレア伯爵家は」

「ええ。――ミスティノとの国境の近くに領地を持っているわ」


 三人は顔を見合わせて溜息をついた。

 ここまで怪しいと逆に違うのではという気になってくるが。


「証拠を掴んでも、使うかどうかはわからないけど……。ミモザは、令嬢たちの中で外から何かを取り寄せたひとを調べて。できる?」

「任せてください」

「フィーはウィスタレア伯爵家とミスティノとの交易ルートを。表も裏も全部お願い」

「承りました」

「私は……そうね、直接探りを入れてみようかしら」


 名案だとティリエルは両手を打ち合わせたが、侍女と騎士は口を揃えて却下する。


「いえ、ミーナ様のお部屋でお待ちください」

「サフィリアさんの言う通りですー」


 ティリエルはちょっとだけくさった気持ちになったが、二人の目が案外怖かったので首をすくめて頷いた。

 結局、ミーナの部屋でミーナを付き合わせて時間を潰していたティリエルのもとに、二人が予想通りの 調査結果を持ってきてくれたのは、それから七時間後のことだった。




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