第23話【改】 伯爵令嬢、遭遇する
改稿しました。
とか言いつつ思いっきり新しい話です。すみません……
第二騎士舎からの帰り道。
「――ティリエル・スカーレット?」
中庭での予期せぬ遭遇に、ティリエルは顔面の筋肉を総動員して全力で笑顔を保っていた。
(なんでここにいるの!?)
胸に渦巻く百万語を飲み込み、密かにサフィリアに目配せをする。
その一動作で諒解したサフィリアは、一歩下がって薄く目を閉じた。
風が一瞬凪いで、ゆるやかに巡り出す。
その間に、ティリエルはようやく思い当たって両手を組んで膝を着いた。
ミモザは事後処理のためにスザクにこき使われていて置いてきた。
どんなに会いたくなかった相手だろうと、彼相手に立ち尽くしていたら首が飛ぶ。
「ご無礼をお許しください。まさかいらっしゃるとは思わず……」
「良い。服が汚れるだろう、立て。余も、まさかこんな早くに外に出ている人がいるとは思わなかった」
鮮やかな金の髪と、晴れた春の空の瞳。
どこか硬い口調でそう言ったのは、何を隠そう王太子アルフレッド・シアン・ユーネリアだ。
人付き合いが苦手なんだろうなぁと思っていたティリエルは、別段何とも思わなかったが、恐らく世間話くらいのつもりで続けられた言葉にぴくりと肩を跳ねさせた。
「何をしていたのだ?」
「え……っと」
曖昧に笑ってみせる。
まさか剣術の鍛練なんて言える訳ないし!? とは心の叫びである。
王太子は何やら勝手に了解してくれたようで、そうかとだけ言った。どんな勘違いをされているのか聞くのが怖い。
ティリエルはとりあえず話を逸らすことにした。
「殿下は、何故このような所に?」
空の宮はアルフレッドの後宮だからいたところで何ら問題はないのだが。
訊いてから、ティリエルはしまったと内心で舌打ちした。よく考えたら仕事に決まっている。
「ちょっと用事があってな」
案の定の答えを返して、アルフレッドは思案顔でティリエルを見返した。
一瞬頬を引き攣らせて逃げかけたティリエルは、探るような空の瞳に違和感を覚えて踏み止まった。
風が、そよぐ。
耳元を通り過ぎた風に、ティリエルは絶望的な気分になった。
(目立たずに過ごしたかったのにどうしてこう……っ)
ここは中庭。
朝早いとは言え、五十人ほどが生活している建物のすぐ近くである。
見られてないと思う方がおかしい。
だが、よりによって一番迷惑な令嬢に見られていなくてもいいと、ティリエルは思うのだ。
むしろマリエの方がよかった。
《ジャスミン・ウィスタレアが来るよ》
風に乗って届いたのはサフィリアの声。
この辺一帯の状況を探ってくれていたのである。
さらりとやってのけているが、実はとんでもない高等技術が使われている。
例えば風を操ることなら、霊才者であれば誰にでもできる。
けれどその風の流れに同調して読み取ることは普通できない。
何故そんなことができるのかと問われれば、精霊によって作られる風がマナの流れによるものだから、というのが簡単にして最も真に近い説明だ。
風にして風にあらず。それを知っていることが大前提。
補完として一つ例を挙げると、火精によっておこされた炎は、大概の場合水では消えない。水精の力を借りる必要がある。
それは炎が炎ではなくマナであるからであり、水精の持つ対極のマナを水という形でぶつけることで相殺できているのだ。
それを皆、知らないだけ。
(ああ、違うんだっけ)
ふとそれが間違いであることを、ティリエルは思い出した。
『すごい。皆知らないことを知ってるのね』
『知らないんじゃないよ』
あれはいつのことだっただろう。
『――忘れちゃったんだよ。皆、ね』
ずっと前に、サフィリアがそう言っていた。
ひどく大人びた顔で、そう。
《ティル、ジャスミンが乱入する気だ。あと推定十秒》
《……なんかもうどうにでもなればいいんじゃないかしら》
溜息を飲み込んだティリエルは、やけっぱちになってそう呟いた。有耶無耶になった方がさっさと帰れる気がする。
《確かに乱入してくれた方がいいこともあるかもね。――どちらにせよ時間切れ》
「あら、ティリエル様じゃありませんか。こんなところで何をしていらっしゃるんですの? ――まぁ殿下! ご無礼をお許しください!」
白々しい、と思ったのはティリエルだけではないはずだ。
「このような場所で何をしていらっしゃるのですか?」
「女官長に用事があって来たら、たまたまティリエルに会ったのだ」
「たまたまで朝早くこのような場所にいるものなのですね、ティリエル様」
「ええ、私は早起きですから」
ありありと『この雌狐が!』と書かれた顔に皮肉を返して、ティリエルはこれ幸いと逃げ出すことにした。
今ならジャスミンが勝手に引き留めておいてくれるに違いない。
「では殿下、御前失礼致します」
ジャスミン様もご機嫌よう、と最上級の笑顔で会釈をして踵を返す。
本当はアルフレッドの横を通り抜けたかったが、またジャスミンに何か言われそうだったのでやめておいた。
無言で跪いていたサフィリアが、ティリエルを待って立ち上がる。
その時、背後で悲鳴が上がった。
「殿下!?」
正直に言えば、ティリエルはジャスミンのことなどどうでもよかった。
悲鳴を上げても驚きこそすれ心配する謂れはなかった。
「殿下、どうかなさいましたか、殿下!」
けれどその内容は聞き逃せるものではなかった。
ばれないように溜息を一つついて振り返る。
狼狽しきったジャスミンに呼び掛けられているアルフレッドは、頭を抱えて上体を折っていた。
「どうかしたも何も、頭が痛いんでしょうに」
「建設的な動きをなさっている方はいらっしゃいませんね」
ジャスミンとジャスミンの周りの侍女を見遣ってサフィリアとそう言い交わす。
頭痛なら歩けるかな、と思ったティリエルは、とりあえず度合いを確認することにした。
「ティリエル様、何して……っ」
「殿下、わたくしの声が聞こえますか」
きゃんきゃんうるさいジャスミンのことはきっぱり無視して、耳元でそう尋ねる。
不敬罪にはならないだろう。たぶん。
「聞こえたら頷いてください」
果たしてアルフレッドは頷いた。
意志の疎通は可能なようだ。
「歩けますか?」
「……すぐ、治る」
「原因に心当たりがあられるのですね。ですがこのままという訳にも参りません。殿下はお一人でいらしたのではありませんよね?」
「仕事を頼んだ。多分、もうすぐ……」
言い差して、ふと口をつぐむアルフレッド。
焦点の合わない瞳を彷徨わせ、中庭の丁寧に手入れされた花壇とティリエルを見比べて、彼はぼんやりとした顔で言った。
「昔……、ここで花をくれたのは、そなたか?」
「……違います。人違いですよ」
は、何言ってんだこいつ、という心の声を百倍に薄めて穏便にして、ティリエルはそう答える。
記憶が混乱でもしているのだろうか。
大分良くなったらしいアルフレッドは、上体を起こしてただ花壇を見詰めていた。
ティリエルは黙って一歩引いた。あとは仕事でいない騎士が戻って来るのを待てばいい。もうすぐ帰ってくるようだから。
だからアルフレッドの事情に首を突っ込む必要性は、ティリエルにはない。
だからその呟きにも、答える必要はない。
「あれは、誰だ?」
返る答えはないと知って思わず零れ落ちた呟きは、誰よりもアルフレッドを愕然とさせた。
頭痛自体は、長じるにつれて頻繁に見舞われてきたから驚くことではない。何かに脳が追いついていないような、そんなものだ。
次第に治まってきた頭痛と共に、最近色んな令嬢たちと顔を合わせてからたまに感じていた違和感が形を成し始める。
それが何なのかをじっくり考えたかったのに、左手から甲高い声が響いてきてアルフレッドは思わず眉をひそめた。うるさい。
どさくさに紛れて触れていた手を振りほどき、形になりかけのそれを掴もうとする。
「殿下、大丈夫ですか!?」
心配の問い掛けの中に媚びるような気配を感じて、アルフレッドは頭痛がぶり返す気すらした。
大体、まだ完治したとは言い難い頭にこの高い声は毒だ。
的確に思考を邪魔する令嬢を、うるさいと感情のままに怒鳴り付けようとしたアルフレッドを止めたのは、近付いてきた気配だった。
「殿下、具合は」
「ああ……もう大丈夫だ。早かったな」
「そうですか」
それはよかったですと柔和な笑みを浮かべるのは、騎士団長のセドウィック。
走ってきたくせに息一つ乱さず一筋の汗が伝うだけのこの男、もうすぐ五十だと知った女性の何人が泣くだろうか。
「シルフが知らせてくれたので馳せ参じました。あれは殿下が?」
「いや、余ではないが」
じゃあ誰が、とセドウィックは首を傾げる。
帰るタイミングを逃して端で聞いていたティリエルは、そろりと二歩、距離を取った。
風精に頼んだのはティリエルだ。
とにかく早く帰りたかったのだが、いらないことをした気がひしひしとする。それはもうひしひしと。
「団長様もいらしたようですので、わたくしはこれで失礼致します」
追及されない内に逃げることにして、ティリエルは最上級の礼をとる。
「あ……」
何か言いたげな余韻には、気付かなかったフリをして。
◆ ◆ ◆
「追いかけますか?」
「いや、いい。ちょっと聞きたいことがあっただけだ」
まだ青い顔で肩をすくめるアルフレッドに頷いて、セドウィックは目を細めた。
「彼女がスカーレット伯爵令嬢ですか」
「そうだ。お前を呼んだシルフは多分……」
「シルフを呼んだのはわたくしです」
続く言葉がわかっていたセドウィックは、あろうことか王太子の言葉をぶった切って割り込んできた令嬢に批難の目を向け――たりはしなかった。
優しく笑って令嬢を見返す。仕事柄、伯爵家以上の人間は全員顔と名前が一致する。
(ウィスタレア伯爵家の……ジャスミンだったか)
見付けた名前に、脳内で大きくバツ印を付けた。
最低限の教養もなっていないような令嬢はさっさと城から追い出すに限る、と少々物騒なことを考えつつ、アルフレッドの指示を待つ。
「本当に、シルフを呼んだのはそなたで間違いないのだな?」
心持ちゆっくりと発された台詞に、ジャスミンは躊躇いなく頷いた。
アルフレッドの口許に刻まれる薄い笑み。
「そうか、礼を言う」
ジャスミンの顔がぱあっと明るくなった。
「いえっ! そんな勿体ない……!」
「おかげでもう帰れそうだ。ではな」
頬を上気させて両手を振るジャスミンにあっさり背を向けて、アルフレッドは歩き出す。
勝ち誇ったような笑みで礼の形を取った彼女を最後に一瞥し、セドウィックは瞼を下ろして反転し、アルフレッドの後に続いた。
「すぐに大騒ぎですよ、きっと。自分が殿下に一番近いって」
「勝手にすればいい。もとより彼女は候補じゃない」
肩をすくめたアルフレッドが、胸元のペンダントを握り締める。
「言質は取った。後はきっかけがあれば……」
掌の上に風精を乗せて、セドウィックは優しく微笑んだ。
「君は最初から首を振っていたのにね」
王太子相手に堂々と嘘をつくなんて。
呟きは風にさらわれて流れ、セドウィックはもう一度静かに微笑む。
掌からふわりと風精が浮かび上がって、光となって彼方へ消えていった。
『そうか、礼を言う』
その時浮かべられた微笑に含まれていたのが憐憫だったことに。
伯爵令嬢ジャスミン・ウィスタレアは気付かない。




