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精霊に愛された娘  作者: 宵月氷雨
第一章
32/57

第21話【改】 伯爵令嬢、鍛錬する 1

3月9日、改稿しました。

なんかミモザがどんどん不憫キャラに……




「おはようございま、す……?」

「おはようミモザ、さぁ行くわよ」


 扉を開けた先の主を目にしたミモザは、心の底から困惑した。

 蜂蜜色の癖毛を高い位置で結い上げているのは、珍しいがまだいい。

 だがしかしどうしてティリエルは、騎士団の制服を纏っているのか。

 一応門外流出は厳禁のはずなのだが。


「……というか行くっていったいどこに?」

「第二騎士舎!」


 元気に答えたティリエルが、扉口で立ち尽くしていたミモザを押し退けるように外へ出てくる。

 訳もわからず主を追う羽目になったミモザに並んだ黒髪の侍女に説明を求めたが、いつも通りいつものごとく微笑むだけで答えは得られない。


「サフィリアさんってば」

「行けばわかりますよ」

「第二騎士舎って朱雀隊(ウチ)の騎士舎じゃないですか」

「さすがに他のところに行く訳には参りませんから」

「そうじゃなくてですねー」

「まだ朝早いですから、大きな声を出すと皆様を起こしてしまいますよ」


 にっこり笑ったサフィリアに口をつぐんだミモザは、溜息とともに天井を仰いだ。


(誰か教えてくださいー……)


 前を行く主従を見遣る。

 騎士団の制服を着たティリエルばかりでなく、サフィリアまでもが侍従の服を着ていた。








   ◆   ◆   ◆








「そもそも部屋で大人しくしてるだけなんて性に合わないのよ」


 涙ながらに懇願したミモザをさすがに憐れに思って、ティリエルは歩きながら種明かしをした。


「もう習慣になっちゃってるからやらないと気持ち悪くて。限界」


 くるりと振り返って、ティリエルは両手で何かを振り下ろすような仕草をする。

 思い当たるものがあったのかミモザは目を瞠った。


「そう、剣術。毎朝剣術の鍛練をするのが、うちの日課なのよ」


 ティリエルはそう言ってちょっと得意げに笑う。

 ミモザは驚きを通り越したような顔でそうですかと頷いた。


「慣れましたね、ミモザ様」


 いいことですとサフィリアが微笑む。

 ミモザは渋い顔でそっぽを向いた。


「でも、それがどうして第二騎士舎なんですかー?」

「道具がないじゃない、やっぱり。武器の類は後宮に入るには持ってこれないし」


 あっさり短剣を持ち込んだサフィリアは例外だ。ティリエルですら彼女に常識を求めるのは諦めた。


「絶対無茶を言い出すだろうって読んだ兄様が、朱雀隊に話を通してくれたってわけ」


 すっかり読まれていたことは腹立たしいが、根回しについては感謝すべきだろう。

 さすがに中庭で鍛練はできない。誰に会うかわからないし。


「お兄様が、朱雀隊に? 何か伝手があったのでしょーか」

「シーグ脅して伝手にしたみたい」

「脅……っ!?」


 絶句したミモザに言い方を間違えたかなと心配になったが、さすがに騎士なだけあってミモザはすぐに立ち直った。


「……ちなみに、一応、シーグ、って誰のことか聞いても?」

「あぁ、シーグレイ。宰相のことよ」


 再び蒼白な顔で言葉を失ったミモザを見ていると、いつだったかサフィリアが教えてくれた言い回しが頭を掠めた。


(何だったっけ、確か『藪を突いて蛇を出す』だったかしら)


 ユーネリアにはない言い回しだったから不思議だったのを覚えている。

 ちなみに可哀相なのでミモザには言わないでおくが、ティリエルが着ている騎士団の制服もシーグレイが手配してくれたものだ。所属を示す飾りが入っていない、従騎士用のもの。


「それって権力の濫用って言うんじゃ……」

「使えるなら権力でも使うわ」


 にっこり笑ってみせると、ミモザは諦めたように溜息をついた。

 シーグレイの印象を悪くするのはさすがに気が咎めるので、一応フォローを入れておく。


「いくら兄様が親友とはいえ、シーグは駄目なら絶対に動かないひとよ。話をつけてくれたということは、私と朱雀隊隊長を会わせておいた方がいいと判断したということ。有事の際顔を知ってるのと知らないのとでは格段の差が出るから」


 宰相としてどうかは知らないが、シーグレイとしてはティリエルやシュウランは一番動かしやすい駒なのだ。裏切る心配がなく、細かい説明がいらず、能力もある。

 ティリエル自身も手伝うと言った以上、何かあれば容赦なく使われるだろう。

 その準備、ということだ。


「仲が良いんですねー」

「まぁそれなりにね」


「あの宰相と友達をやってられるというところが既に賞賛すべきかもしれないがな」


「……誰っ」


 目の前で黒が翻る。

 突然聞こえた第三者の声に条件反射で身構えたティリエルは、タイムラグなく目の前を遮った華奢な背中から顔を覗かせて声の主を確認した。

 片手を広げたサフィリアの向こうで、警戒の原因たる誰かはぱちぱちと拍手をする。


「うん、なかなか良い反応だ」


 ざんばらの朱色の髪をした、長身の女性。

 黒い軍服の腕には赤い線が入っていて、その中に金糸で三本飾りが縫われている。

 普通より少し豪華なその制服。


「隊長!? 何してるんですかー」


 声をひっくり返したミモザににっと笑って、朱雀隊隊長は両手を背後に回した。


「ようこそ第二騎士舎へ。ほら」


 前に戻した手はこちらに何かを差し出すような形をしていて、案の定鈍く光るものが宙を舞っている。

 その二つを、サフィリアが両手に危なげなく受け止め、くるりと回して地に突き立てた。


「それ使いな。ミモザは自分のあるでしょ。訓練場は好きに使っていい。大半は令嬢の護衛についてるし残りもまだ宿舎。今いるのはあたしともう一人だけど、その子は人数減ったせいで滞りがちな仕事を片付けてるよ」


 ひゅっと風切り音がして、銀の軌跡が跳ね上がる。

 投げ渡された二振りの、刃引きされた剣を一度ずつ振り、サフィリアはつと目を細めた。目の高さまで持ち上げて、そのほとんど違いが見えない二本を見比べる。

 そうして、おもむろに左手の方の剣を差し出してきた。

 へぇ、と隊長が口端を吊り上げる。


「……使うのはいいけどあたしも見学させてもらおうかな。気になるし」

「え、隊長が?」

「何、あたしが他人を気にしちゃいけないワケ?」

「いいいいいえ滅相もございませんっ!」


 いらぬ声を上げたミモザは蒼白な顔でぶんぶんと頭を振る。


「それに三人より四人の方がいいだろうしな」


 隊長は自らも剣を取ると真っ直ぐミモザに突き付けた。


「お相手願おうか、ミモザ」

「ひぃぃっ!?」


 情けない悲鳴を上げたミモザをよそに、ティリエルは一、二度剣を握り直して感触を確かめる。

 久々の感触に、思わず笑みがこぼれた。












 案内された訓練場は屋内だった。


「私たちは後宮関係の仕事が多くなりますからねー。他の仕事も王宮内のことが多いですし、訓練も屋内でやるんですー」


 とはミモザの談。

 外よりも滑りやすい床に少し戸惑う。

 そろりと足を踏み出すと、ティリエルは剣の軌跡を頭に思い描いた。

 それをそっくりなぞるように腕を振り抜く。余計なものを削ぎ落とすかのごとく、鋭く。……鋭く。

 最後の一振りを流れるように振り切って、ティリエルは腕を下ろした。

 時間にしたら数分だろう。

 向かいで、とん、と音がした。


「ティル様、いかがなさいますか」

「降参せざるを得ない状態になったら、よ」

「はい」


 軽く足を前に出して半身になるサフィリア。だらりと手は下げたままのいつも通りの構えだ。

 ティリエルは頭を振って、中段に構えた。

 サフィリアと同じように結い上げた髪が頬を撫でる。


「ウンディーネ」

《わかってるわ。いくわよ》


 ティリエルとサフィリアのちょうど真ん中で、青い光が一瞬だけ瞬いた。

 雨より遥かに大きな水の雫が落ちていく。

 それが床を跳ねた瞬間。

 ティリエルは反射と勘で剣を自分の右側に掲げた。

 ついで、衝撃。

 鍔ぜり合いにはせずに身軽に飛び退いたサフィリアを追って着地点に滑り込み、足首を狙って剣を横殴りに振る。

 それを剣先でうまくいなしてスピードを殺し、剣を踏み台にさらに後ろに跳んだサフィリアは、着地と同時に視界から消えた。

 探している時間はない。

 またも勘だけで正面からの斬撃を受け止め、弾き返し、さらに右手首を下から叩き上げる。

 今度は入った。

 手応えと共にサフィリアの右手が跳ね上がる。

 サフィリアは避けずにそのまま必要以上に高く剣を放り投げると、ティリエルが剣を持つ右手を掴んで身体を半転させた。


(……っ、しまった!)


 この距離じゃ、剣のリーチはあだになる……!

 ティリエルがとっさに剣を捨てると同時に、至近距離から掬い上げるように掌を顎に打ち付けられる。

 一瞬混乱した隙をついて左手を(・・・)伸ばしたサフィリアは、受け止めた剣を順手に握って真っ直ぐ伸ばし、胸の真ん中に突き付けて言った。


「チェックメイト」

「……また負けたぁ」


 鮮やかに勝ちをさらったサフィリアに、これで七連敗の三百二十九敗目だ。ちなみに総試合数は三百七十だったはず。

 拗ねたように唇を尖らせたティリエルに、いつの間に取ってきたのか真っ白なタオルを渡して、サフィリアは涼やかに微笑んだ。


「怪我はございませんか」

「ないわ。相変わらず力加減は完璧よ」


 その瞬間は確かに痛いのに、終わってしまえば何事もなかったかのように。いつもいつもそうやって負ける。

 ある意味完膚なきまでに叩きのめされた気分になれるのだ。


「……いいもん。精霊ありなら勝てるもん」

精霊(わたしたち)使っても、四回に一回勝てるかどうかよね》

《サフィリアの戦い方はもともと精霊が使えることを前提としてるものね》

「うるさい」


 くすくすと笑う水精を手を振って追い払う。

 と、横からコップが差し出された。


「ティリエル様、どうぞー」


 反射的に受け取って、一気飲みする。

 冷たい水が喉を通り過ぎて、ティリエルはほっとして息をついた。


「ゆっくり飲んだ方が……」

「大丈夫大丈夫。ありがとう、ミモザ」

「いえー、それより凄かったですね!」


 ティリエルが落とした訓練用の剣を拾い上げるミモザ。

 その目がきらきらと輝いている気がして、ティリエルは頬をかいた。


「そう? ありがとう」

「サフィリアさんもですー! 最後の、もしかしてサフィリアさん両利きですか?」

「一応左も使えますが、両利きというほどでは」

「お前――」


 サフィリアが振り向く。

 腕を組んで仁王立ちした朱色の髪の女性が、鋭く目を細めて顎をしゃくった。


「ミモザ、もう一本剣持って来い」

「もう一本ですか? わかりましたー」

「間違えるなよ」


 ぱたぱたと走っていったミモザは角の用具入れから剣を一本選んで持ってきた。

 受け取った朱雀隊隊長は軽く振り上げると、無造作にサフィリアに投げ渡す。


「次、それも使ってミモザとやれ。使えないとは言わせないぞ」


 右手に二本目の剣を持って、サフィリアは途方に暮れた。

 顔には出なかったから、サフィリアが珍しく本当に困っているのに気付いたのはティリエル一人。

 隊長が見抜いた通り、サフィリアのスタイルは双剣だ。

 けれど滅多に二本使うことはない。普段の鍛練も一本を片手で操る。

 双剣を使う、ということはサフィリアにとって特別な意味を持つのだ。


《――いいじゃない、フィー》


 声に出さずに、ティリエルはそう語りかけた。

 長い年月の間に忘れられた【霊才者】の力。技、と言った方が正しいかもしれない。

 コルミールに満ちる【マナ】と呼ばれる気を操ることで、ひとは精霊の真似事ができるのだ。必要なのは知識とセンスと能力。

 例えばこの会話には、【空話】という名前がついている。念話のようなものだ。傍受される危険性も低く、ティリエルたち家族は重宝している。

 ティリエルの家には、こういう忘れられかけた精霊やコルミールに関する知識がたくさん伝わっている。誰も知らないようなことも、不思議なくらいたくさん。


《一瞬で決着をつけてしまえばいいわ。得意でしょう、そういうの》

《……簡単に言ってくれるよね、まったく》


 諦めたような答えを返して、サフィリアは剣を握り直した。

 右手は順手、左手は逆手に。


「かしこまりました、」

「あたしはスザクだ」

「……スザク様」


 一瞬言葉に詰まったサフィリアを、ティリエルは笑えなかった。

 朱雀隊隊長が、スザク。


「ほんとーですよ。笑われるからって隊長滅多に名乗らないんですけど」


 こそっと付け足したミモザは長剣を二、三振るとサフィリアの方へ駆けていく。

 その背中を見送って、ティリエルは呆然と呟いた。


「朱雀隊隊長が、スザク……」




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