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精霊に愛された娘  作者: 宵月氷雨
第一章
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第昔話【改】 とある少年への追憶 2

12月30日、改稿しました




「わあぁ……ねえさま、すごいですね!」

「すごいでしょう」


 少女は誇らしげに胸を張った。

 弟が目を輝かせて振り返る。

 ここは家から歩いて二十分ほどの位置にある、並木道だった。真っ直ぐに伸びた道の向こうまで、見渡す限りアコの木が植わり、生い茂る緑の葉の中に、美しい白い花がいくつも咲き誇っている。

 アコの花はただ白いだけではなく、日の光があたると黄金色に光る、不思議な花だ。ユーネリアにしか育たない、不思議な植物。

 吹いてきた風に飛ばされないよう帽子を押さえつつ、少女は、嬉しくて仕方ないという風にきょろきょろしている弟に歩み寄ると、ぽんぽんと頭を叩いた。


「街も歩いてみよっか。何か欲しいものがあったら、買っていいよ」

「ほんとにっ?」

「ほんとだよ。大丈夫、お小遣もらってきたから。あ、あんまり高いものは駄目だよ?」


 大切に持ってきた巾着を持ち上げて見せる。

 中身は銅貨が三枚で三百リシュ(およそ三百円)。さっき出掛けに母がくれたものだ。弟が欲しがる程度のものなら余裕で買えるだろう。

 弟は満面の笑みで抱き着いてきた。


「ありがとう、ねえさま!!」

「うん。ほら、早く行こう?」


 少女が差し出した手に、躊躇うことなく自分の手を重ね、弟は反対側の隣を仰ぎ見る。


「おねえちゃんも、いこ?」


 小さな手をいっぱいに開いて掲げる弟を、掲げられた侍女は無表情に見詰めた。目深に被った帽子のせいで、綺麗な瞳の翡翠色は見えない。

 だけど少女にはわかる。あれは戸惑っている顔だ。

 出会ってすぐ、少女はこの侍女の少女が好きになった。友達になりたいと思ったのだ。

 両親に懇願して侍女にしてもらったけれど、会話でのコミュニケーションがとれなかったから、少女は侍女をつぶさに観察した。

 わずかな所作や表情の変化を見逃さないために。

 まだ出会ってそれほど時間は経ってないけど、ずっとわかろうと努めてきたのだ。

 だから他の誰が気付いてなくても、少女だけは知っている。

 この侍女は人に触れること、人に触れられることに慣れていない。警戒すらしている節がある。

 最近少女には少し警戒を解いてくれた(と勝手に思っている)が、他の人はまだ駄目だろう。

 少女は、大丈夫だよと教えてあげたかった。

 きっと彼女は周囲をずっと警戒して、触れ合わずに生きてきたのだと思う。

 だけどここでは、私たちのことは、そんな風に警戒しなくて大丈夫だよ、と。

 誰かと触れ合うことは、とてもあたたかいことだから。

 まずは、この状況から。


「あなたも行こう?」


 弟と繋いだ手を軽く持ち上げ、目で「大丈夫」と伝えようと試みる。本当に伝えたい「大丈夫」とは少し違うけれど。

 ほとんど喋らないせいか察しのいい彼女なら、わかるだろうと、思って。

 少女が侍女の表情を読めるように、侍女も少女のことをわかってくれているといい。

 侍女は二度瞬きをして、それから壊れ物に触るようにそっと、弟の手を取った。

 弟が嬉しそうに繋いだ手を揺らす。

 少女はそれを見て、にっこり微笑んだ。












 道の両脇に様々な店が軒を構える大通りの一角。

 もうすぐ夕暮れ、というこの時間は、人通りが激しい。

 あちらこちらで客を引き込もうと元気な声が飛ぶ。

 この空気が、少女は好きだった。のどかに流れる空気も好きだけど、賑やかに弾んでいる空気が。


(でも、何となく……)


 少女は感じた違和感に首を傾げた。

 どうも今日は、少女の記憶にあるよりも静かな気がする。ひとも少ない。

 閑散としている、というほどではないが、来ただけで目が回ってしまいそうな、あの感じがない。


(……そんな日も、あるかな?)


 偶然だろう、と少女はそこであっさり思考を放り出した。この問題の答えは多分考えてもわからないが(何しろ情報が足りない)、わからないことがわかるくらいには、少女は大人だった。領主の娘に生まれたのだから、他人より早く大人にならなければならないのは仕方ない。

 そんな少女と、ひたすら無言を貫き通す侍女を背に、大通りの半ば辺りの、小物を売っている小さな店で。

 弟があどけない顔をしかめて、難しい表情で唸っている。

 彼の前には二つのものが置かれていた。

 片や、巷で流行している型の腕輪。

 片や、二本一組の赤い髪紐。

 少女は弟がどうして悩んでいるのかわからなかった。

 髪紐なんて、弟は使わない。男だから云々の前に(髪の長い男性は髪紐で一つに纏める人もいる)、弟の髪は短い。金糸が編み込んであって綺麗だからだとは思うが。

 一方で腕輪の方は男女の区別なく売れているとかで、確かに色使いも様々なものがあり、弟は一目見て気に入ったようだった。

 ふと見ると、小物売りのおじさんが穏やかに笑っていた。

 孫を見るような目で、悩んでいる弟を見守っている。

 その状態がもうかれこれ十五分。

 五分を過ぎた頃に弟に銅貨を二枚手渡した。

 髪紐は百五十リシュ、腕輪は二百リシュだからだ。

 好きな方を買っていいよ、と言ってから、弟はまだ悩んでいる。


「ねぇリュート……」

「ねえさま、ちょっとはなれててください」

「な……っ!?」


 少女は絶句した。

 あまりの衝撃に固まった少女にはちらりとも目もくれず、弟は侍女を見た。


「おねえちゃん、ちょっとねえさまつれてはなれてて」


 弟の言葉が終わるや否や、くい、と袖を引っ張られる。

 固まったままの少女は、引かれるがままに数歩、後退した。

 弟はもう商品に目を戻していて、真剣な横顔しか見えない。


「リュートに拒絶された……?」


 弟を可愛がりすぎて家族にすら矯正を諦められているが故に思わず漏れた愕然とした呟きに、答えがあった。


「いんや、拒絶ではなかろうよ」


 しわがれているけれど、不思議とあたたかな声。

 一瞬、侍女かと思ったが、違うようだ。というか違っていてほしい。

 恐る恐る声のした方を振り向く。

 隣で店を営んでいた嫗が、楽しそうに笑って少女を見ていた。

 ちょうど客足も途切れたところらしい。

 見たところ、果実屋のようであった。


「ま、待ってておやりよ。お願いを聞いてやるのもお姉ちゃんの仕事さ」


 首を傾げた少女にそう言って、嫗は若者のように快活に笑った。


「ほら、あたしからサービスだよ。食べな」


 ひょい、と小さな黄金色が飛んでくる。

 あたふたと受け止めようとしていると、隣からすっと手が伸びてきた。

 ぱしん、と軽い音を立てて、二つのそれ――おそらく果実――が実に危なげなく侍女の手に収まる。

 無言で差し出された二つのうちの片方を手に取って、黄金色の小さな果実を眺めた。


「おばあちゃん、これ……」

「アコだよ。今日のはおいしいからね。二人で食べな」

「でも」

「いいんだよ。弟連れてきたお姉ちゃんへのお駄賃さ。ずーっといたから疲れてるだろ」


 どうやら随分前から見られていたらしい。

 少女は頬を赤らめ、次いでアコを目の高さまで持ち上げて嬉しそうに笑った。


「じゃあいただきます」


 思い切りよくぱくりとかぶりつく。小さな歯が薄い皮を破り、口の中にみずみずしい甘さが広がった。さっぱりした香りが仄かに漂う。


「――おいしい!」

「そうかい、そりゃあよかった」


 アコは柑橘類だが、皮は薄く剥くことなく食べることができる。

 夢中で食べている少女を、目を細めて見ていた嫗が、ついとその背後に目を向けた。


「あんたもお食べ。それとも、嫌いかい?」


 話し掛けられた侍女の感情の宿らない瞳が、嫗と手の中の果実とを交互に見比べている。

 それから少女の方を見て、再び果実に目を戻し、黙って口に運んだ。

 もぐもぐと確かめるようにゆっくり咀嚼し、もう一口。

 何も言わずに口を動かしつつ、果実を矯めつ眇つしている。

 おいしいのかまずいのか、相変わらず感情の浮かばない顔。変わらない表情で少しずつ咀嚼していく。

 その様子を、アコに夢中なフリをして観察していた少女は、ちょっと心配そうにしている嫗に向けてにっこりと笑った。


「気に入ったみたいです」












「ねえさま」


 妙に珍しそうに積んであるアコを見ていた侍女の横で、嫗とお喋りしていた少女は、はっと我に返った。

 声のした方を振り向くと、隣の店の前で弟が手を振っている。

 どのくらい時間が経ったのだろう。

 嫗は合間合間に客の相手をしながらだったのだが、自分はどうも夢中になっていたようで、時間の感覚が曖昧だった。


「えーっと……ありがとうございました、おばあちゃん」

「気にすることないさ。あたしも楽しかったからね。それよりほら、持ってきな」

「わ!?」


 軽く投げ渡されたアコ三つをなんとか受け取る。抱え込むようにして半分混乱していた少女を見かねたのか、侍女が再び隣から手を伸ばし、取り上げてくれた。


「あんたもだけど、そこの子も気に入ったみたいだからね。あとは弟の分さ」

「でも悪いです」

「老いぼれの話相手になってくれた礼だよ。今日はいつもより客も少ないしねぇ」

「……………」

「好意は素直に受け取っときな。遠慮なんて大人がすることだよ」

「……ありがとう」


 少女は躊躇いつつも頷いて、礼を言った。

 斜め後ろで、少女に合わせた侍女が頭を下げる。お手本のような綺麗なお辞儀。


(……この子)


 少女は驚きとともに、自分に合わせて選んだ侍女の帽子の辺りをじっと見詰める。まるでそこに求めるものがあるかのように。


「これは丁寧にありがとね。さ、弟が待ってるだろ、行っておやり」


 対して嫗は動じた風もなく二人を急かし、顔を上げた侍女はかろうじてそうとわかるくらいの頷きを返した。

 すいとこちらを向いた侍女が、少女を見詰める。

 少女は慌てて嫗にぺこりとお辞儀をし、侍女の手を引っ張った。

 嫗は快活な笑顔で手を振ってくれた。

 隣の店まで戻れば、弟がやや膨れっ面で睨んでくる。


「おそいです、ねえさま」


 とはいえ目は笑っていたので、少女はごめんと一言謝った。


「それで、決まったの?」

「はい! これに決めました」


 弟の手にあるものを確認して、目を瞠る。


「……本当に、それにしたの?」

「はい。……だめでしたか?」

「駄目じゃないけど」

「えへへ!」


 イマイチ釈然としない思いを抱えつつも、少女は店のおじさんに「長いことごめんなさい」と謝った。


「そんなこと気にするな」


 心なしか声が優しい気がする。

 弟に渡すには数が多かったのだろう、おじさんが大きな掌に乗せて渡してくれたお釣り、銭貨五十枚を慎重に受け取った。

 軽い銭貨をしっかり巾着にしまいつつ、少女は弟にもう一度確認する。


「本当に、髪紐でいいの?」


 使えないでしょう、と言うと、弟は胸を張った。


「ぼくがつかうんじゃないから、いいんです」

「?」

「いいからねえさま、こっちにきてください」


 侍女の傍にいる弟が手招きする。

 少女が首を捻りながら侍女の隣に並ぶと、弟は両手をそれぞれ、少女と侍女の前に差し出した。

 両掌に一本ずつの、赤い髪紐。


「ねえさまとおねえちゃんにあげます」

「っ?」

「……………」

「ふたつあるから、ふたりでおそろいで」


 無邪気に笑う弟。

 自慢げなその掌から、髪紐を拾い上げる。

 赤をベースに金糸が編み込んである、この辺りで売っている中では値段の割に良いものだろう。

 無言で佇む侍女に目配せし――もっとも、帽子の鍔で見えているかわからないが――、少女はまじまじと髪紐を見つめた。

 その隣で侍女が髪紐にようやく手を伸ばす。どうやら通じたようだ。


「リュート、自分の分は」

「またこんどきたときでいい」


 それよりつけてみてくださいと、弟はきらきらした目で見上げてきた。

 少女は言われるままに帽子を外すと、肩より少し長いくらいの蜂蜜色の髪を、四苦八苦しながら適当に括った。

 出来上がりは悲惨だった。鏡がないのに駄目だとわかるくらいだ。

 姉弟は揃って引き攣った笑みを浮かべ、間には微妙な空気が漂う。


(えーっと……)


 うん、やり直そう。

 少女がそう決意し、伸ばした手より先に、するりと後ろから髪紐が抜かれる感覚がした。

 その手の感覚に覚えがあった少女は、正直ほっとして引き攣った頬を緩めた。

 動かないでいる少女の髪を手早く手櫛で梳き、後ろで一つにまとめる。

 すぐに離れていく感覚が勿体ない気もしたが、少女はくるりと振り向くと「ありがとう」と微笑んだ。

 侍女はもう一本の髪紐を手に、黙したまま首を曖昧に振った。

 縦に振りたかったのか、横に振りたかったのかはわからない。

 縦だといいなと、少女は思った。


「にあってます、ねえさま!」

「似合ってるよ、嬢ちゃん」

「そうかな」


 満更でもない。

 少女は後頭部に手を回し、指先で髪紐の存在を確かめた。

 少しざらざらしたその感触に、思わず笑みがこぼれる。


「ありがとう、リュート。大切にするね」


 弟は嬉しそうに笑って、何度も頷いた。

 その頭を撫でつつ、少女は悩んだ。腕輪も買ってあげたい。だけどお金が足りないのだ。


「そうだ、嬢ちゃん」

「!」


 顔を上げると、おじさんが手招きしている。

 それに従って歩み寄ると、握った右手を突き出したおじさんは、人の良い笑みを浮かべた。


「手、出しな。おまけだ」


 言われた通り差し出した手に、微かな重みが加わる。冷たい。

 恐る恐る引き寄せてみると、それは弟が悩んでいた片割れだった。


「おっと、悪いとか言うなよ? ばあさんに言われただろ」


 先手を打たれた少女は、口をつぐむしかなかった。

 アコに続いて、腕輪まで。

 躊躇いが残る少女に、独り言のように、おじさんが言った。


「お姉ちゃんにプレゼントなんて感心な子供だ。俺からの敬意を込めた贈り物だよ」

「――はい! リュートは自慢の弟です!」

「じゃあ受け取ってくれるよな?」

「……っ!」

「坊や、こっち来い」


 思わず答えてしまった少女は、逃げ場がなくなったことを知って苦虫を噛み潰したような顔をした。


(こ、断らないと……)


 けれど少女におじさんを説得して返品できるほどの技量はない。

 少女は侍女の手を引いて駆け寄ってくる弟を見遣り、人の良い笑顔を浮かべるおじさんを見て、何とも言えない顔をした。

 何だかすごく、負けた気分だった。


「ありがとうございます……」

「いい子だ」


 辿り着いた弟が、悄然と肩を落とす少女と満足げなおじさんを見て、不思議そうに首を傾げる。


「どうかしましたか、ねえさま?」

「何でもないわ……。それより、手を出して」

「? はい」


 少女はおじさんにもらった腕輪を、そっと弟の腕に通した。

 銀色の輪に琥珀色の石が散りばめてある。

 少女が手を離すと、弟はぱっと顔を輝かせた。


「おじさんにお礼を言いなさい。リュートへのプレゼントだって、くださったの」

「ありがとうございます!」

「いいんだよ、気にするな。その年でお姉ちゃん(オンナ)にプレゼントだろ? いい男になるよ、坊やは。時間があれば、いい男の心得を叩き込んでやりたいくらいだ」


 大きく頭を下げた弟に、かなり本気の口調でおじさんはそう言っていた。

 興味を持ったらしい弟の袖をさりげなく引きつつ、「もう遅いので」と断りを入れる。

 おじさんはちょっと残念そうな顔をして、それから真面目な顔になって頷いた。


「そうだな。早く戻った方がいい。帽子被ってる間は気付かなかったが、嬢ちゃんの目は琥珀色だろう?」

「? どういうことですか?」

「知らないのか? さっき領主様が来て、琥珀色の目のひとは危険だから家から出ないようにっておっしゃったんだ。よくわかんないが領主様の言うことだからな。うちの領主様は素晴らしい。

 だから彼がそう言うのなら、何か理由があるんだろうよ。早く帰った方がいい」


 すらすらとそう並べるおじさんからは、領主への絶対の尊敬と信頼が見て取れた。

 しかし少女は、それを半分も聞いていなかった。


(父様が、何……?)


 知っている。領主(ちち)の言うことには必ず何か理由がある。だから父は領民の信頼を勝ち得た。


(琥珀色の瞳)


 注意深くその単語を頭の中で繰り返す。

 頭の中に閃く話があった。他ならぬ父に聞かされた、お伽話のような話。

 おそらくそれと何か関係があるのだろう。

 少女は帽子を被り直すと、侍女と手を繋いだままの弟に手を伸ばす。


「早く帰――」

「ふぅん? 君も琥珀色の目をしてるんだ」


 それよりも少しだけ早く。

 背後から響いた声に、少女の背を氷塊が滑り落ちた。




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