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精霊に愛された娘  作者: 宵月氷雨
第一章
22/57

第17話【改】 伯爵令嬢、再会する

12月29日、改稿しました。


 末席に座っていたティリエルには、サロンから出ていく令嬢たちの顔がよく見えた。

 向かいでミーナがつまらなそうに頬杖をついている。見ているところは同じ。


「昨今の親は甘すぎるんじゃない?」

「忙しいのかもしれないわ」

「何にせよ、子を躾ける親の役目よ。よくあんなで社交界に出せたものよね」

「むしろ王太子殿下の前に立たせたことを感心すべきじゃないかしら」


 騒いでいたのは四分の一くらいだろうか。

 勢いに呑まれたひともいるだろうから、警戒すべきはさらにその半分くらいだろう。本気で、何もわからずに王太子に盾突いたひと。


「無能なひとは態度ばかり大きくて困りますね」

「愚かさに涙が出る思いです」


 主より辛辣な言葉を吐きつつ、にこやかに頷き合う二人組。

 ……いつの間にか侍女二人が意気投合していた。

 笑みを引き攣らせたティリエルに、立ち上がったミーナが歩み寄ってくる。


「……やっぱり、気が合ったでしょ」

「合いすぎて不安だわ……」


 あはは、と乾いた笑みを交わす。

 本来侍女の立ち話は咎めるべきなのかもしれないが、二人とも文句なしに後片付けまで終わらせているので、何も言えないのだった。


「ところでティリエル、彼はいいの?」


 何とも言えない沈黙を挟んで、ついでのようにミーナは尋ねる。

 友人なりの気遣いに苦笑して、ティリエルは頷いた。


「いいの。いるかもわからないし」

「騎士見習いになったんだっけ?」

「そう。その後どうなったかは知らないんだけど」

「彼のことだから騎士になってそうだけどねぇ」


 にやりと笑う友人の顔に何だかいたたまれなくなって、ティリエルは目を逸らした。


(――――あ)


 息が、詰まる。


「ん? ……あれまぁ」


 固まったティリエルの視線を追って、ミーナは納得したように頷いた。

 異変を感じ取った侍女二人も寄ってきて、片方はすぐにティリエルに駆け寄り、残された一人は不思議そうに首を傾げる。

 そんなヤナをおいでおいでと手招きして、ミーナは微笑んだ。


「フィー……」


 声がみっともなく震えた自覚がある。

 ティリエルは自分の目を信じ切れなくて、思わずサフィリアを振り返った。

 サフィリアは安心させるようににっこり笑って、優しく頷く。


「間違いありません。……それにティル様は、彼を見間違えることはないでしょう?」

「そ……っう、だけど、でも、」


 不安だったんだもの、と消え入るように告げると、サフィリアは一際優しく微笑んだ。

 ふいに。


「――もしかして」


 それまでずっと黙っていた騎士が、突然声を上げる。

 私的な会話に何の用だ、と眉をひそめかけたティリエルは、続いた言葉に危うく叫びそうになった。


「カインツのお姫様ってあなたのことか!」

「姫……っ!?」

「そっかそっかぁ。ちょっと待っててくださいね、呼んできます」

「ぇ、あ、ちょっ……ま」


 途中で通常仕様に戻ったのか、砕けた感じは鳴りをひそめたが、ひどく楽しそうにそう言い置いて、騎士は彼のところに走っていってしまった。


「ふ、フィー……今何が」

「見ての通り、騎士様がカインツ様を呼びにいきましたが」


 騎士様が、カインツを、とうわごとのようにそのまま繰り返す。


「カインツって、でも、え?」

「混乱してるねぇ、ティリエル」


 くつくつと喉の奥で笑うミーナ。


「何故ですか? 普通に幸運を喜べばいいのでは」


 疑問符を散らすヤナ。


「臆病なのですよ、我が主は」


 苦笑気味にそんなことを言うサフィリア。

 好き勝手する三人を見ていたら、さすがに落ち着いてきた。

 とにかくサロンに彼がいて、ティリエルの隣に座っていた騎士は知り合いらしくて、親切にも呼んできてくれるのだ。

 理解してしまえば簡単で、思わず頬が緩んでしまう。

 生暖かい目をしている三人に気付かないフリを決め込んで、ティリエルは騎士の帰りを待つことにした。







   ◆   ◆   ◆







 若草色の髪に青みがかった灰の瞳。

 彼の髪を指して「同じ色だな」と笑った親友に、その青龍隊の騎士――イアンは足速に向かっていた。

 カインツは有名人だ。

 つい最近、二十歳という異例の若さで騎士叙任したばかりの若者。団長が気に入って目をかけていたという噂もある。


(……噂じゃないけどね)


 一人ごちて、イアンは自分の胸元を確認した。

 真新しい緑のタイ。

 イアンも騎士を叙任したばかりで、いつかと言われればつまりカインツと同時で、ついでに言うなら同い年かつ同期である。

 カインツの隣で団長と相対したのは他ならぬイアンだ。二人がかりでも傷一つ付けられなかったが。

 それでも、端から見たら同じ輝かしい経歴を持つイアンから見ても、カインツは違った。


(あの娘が、『幼馴染み』ね……)


 騎士になるんだ、とその瞳に強い意志を湛えて言ったカインツ。

 知っている。彼が才能に驕らず、それこそ血の滲むような努力をしてきたこと。

 確かに彼には剣の才を始めとする様々な才があったのだろう。だがそれだけが彼が騎士になれた理由ではない。ぼろぼろになることを厭わず、努力を惜しまないその姿勢が、彼を騎士へと導いた。

 イアンはそれを知っている。ずっと隣で見てきたのだから。


 イアンは貴族ではない。

 比較的実力主義が浸透している騎士団でさえも、やはり貴族と平民の間には確固とした溝がある。

 その溝をあっさり飛び越えてきたのがカインツだった。

 手合わせの後にかけられた、『お前、強いな』の一言がどんなに嬉しかったか、きっとカインツは知らないだろう。

 そう言った時の彼の瞳は、くだらない偏見や思い込みに濁ることなく、綺麗に澄んでいたから。

 その彼が。いつだって、先を見据えた強い瞳をしているカインツが。

 ただ一人のことを語る時だけは、愛おしそうに目許を和ませる。

 小柄で笑顔が可愛い、元気な幼馴染み。かの伯爵令嬢の話をする時だけは。


 気付いたカインツに手を振って、イアンは半身になって背後を示す。

 近付いてきたカインツの胡乱げな瞳を見上げて、イアンは少々ひとの悪い笑みを浮かべた。


「ほら、お前のお姫様がお待ちだよ」


 灰の瞳がぱっと見開かれる。

 カインツはゆっくりと瞬いて、それから何も言わずにイアンの横をすり抜けた。

 その背を見送って、イアンはにっと口端を左右に引く。


「こんな面白そうなモノ、見学しないなんて騎士の名折れだよね?」


 うん、そうに違いない。

 口笛を吹きかけたのを自制して、イアンは最高に輝いた笑顔でもう一人の親友を探し始めた。







   ◆   ◆   ◆







「それじゃあ、私は先に戻るわ」

「よろしいのですか、ミーナ様」

「えぇ、お邪魔虫は退散しないとね」

「ちょっとミーナ!」


 あんまりな言い草に口を挟めば、ひらひらと手を振って友人は本当に帰ってしまった。


(いや多分ああ見えて絶対気を遣ったのはわかってるけどでもお邪魔虫って!)


 普段悟った風に何でもそつなくこなすティリエルが焦る様が、年相応に微笑ましくてサフィリアは好きだったりする。

 とは言え侍女として、悶々としている主に声をかけるべきか思案していたサフィリアは、近付いてくる気配に黙って横に下がった。

 ティリエルは下を向いていて気付いていない。

 彼は静かにティリエルに近付くと、ぽんと肩を叩いた。


「久しぶり、ティル。元気だったか?」

「ふぁっ!? か、カイ、びっくりさせないでよ!」

「悪かった」


 悪びれずに笑うカインツに、ふっと心が落ち着いた。


「久しぶり。カイこそ元気……みたいね」


 黒の制服に身を包んだカインツはとても背が高い。

 見上げたティリエルは、彼の首元に黄色いタイが締められているのを見てぱっと笑顔になった。


「騎士、叙任したのね。おめでとう」

「あぁ、ありがとう」


 照れ臭そうに笑うカインツ。

 日だまりの香りがする彼の笑顔が、ティリエルは大好きだった。

 それにしても、とティリエルは思う。

 ティリエルが小柄なこともあって、誰かと話す時は大抵見上げる羽目になるのだが、彼は記憶にあるよりもさらに背が伸びたような気がした。

 そう言うと、カインツは苦笑気味に頷いた。そうか、まだ伸びるのか。


「私を置き去りに遠くへ行ってしまうのね……」

「誤解を招く言い方をするな、こら!」

「いつか、手の届かないところまで……」

「いや確かに物理的に手は届かないかもしれないが、俺はお前を置いてどこかに行ったりはしな」

「ところでちょうどいいからフィーのこと紹介するわ」

「………ティ~~ル~~っ!」


 えへへと笑ってみせたのに、眉根を寄せて心配そうな声で、カインツは言うのだ。

 大丈夫か? と。

 思わず言葉に詰まったティリエルの頭に、あたたかな重みが乗る。

 ぽんぽんと頭を軽く叩かれた。

 しばらくされるがままになっていたティリエルは、細く長く息を吐き出して、それからにっこり笑った。


「大丈夫よ、カイ」

「そうか。……ところでこの視線は気のせいか?」


 辿れば空の瞳にぶつかることはわかっていたので、ティリエルは無視していたその視線に、カインツも気付いていたらしい。

 ティリエルは肩をすくめて首を横に振る。


「残念ながら。何でか気に入られちゃったみたいで。……まぁ一時の気の迷いだと思うわ」


 今日はいい天気ですね、と言うのと同じ調子で告げられた内容に、カインツは複雑な顔をした。


「本気だったらどうするんだ」

「そんなことある訳ないじゃない」


 ティリエルはむしろびっくりして否定した。

 が、カインツの瞳が掛け値なしに本気なのに気付いて考え考え付け足した。


「でも、そうね……もし本気だったとしても、強い想いではないと思う。だから大丈夫じゃないかしら。最悪シーグが何とかするはずよ」


 初恋は実らないものって言うしね、と結ぶと、カインツはさらに複雑な顔になった。


「俺はティルが初恋なんだが」

「私の初恋はフィーだから問題ないわ」


 気配もなく控えていたサフィリアを手招きして、絶句しているカインツの前に立たせる。


「……いや、女だろ…?」

「だってフィーってばかっこいいんだもの。昔は男の子みたいな格好してたし。私の憧れだったわ」

「ありがとうございます」


 微笑む彼女に自己紹介を促すと、サフィリアは慇懃に一礼した。


「はじめまして、サフィリアと申します。

 ところで一つお訊きしてもよろしいでしょうか?」

「カインツ・エレネクトだ。よろしく。

 ……いやいい。わかってる」


 いろいろ衝撃的過ぎてよろよろしていたカインツが、疲れたように後ろを振り向く。

 ティリエルも気付いていた。さっきカインツを呼びに行ってくれた騎士と、どうやら従騎士らしい青年。

 どくんと心臓が鳴る。何か嫌な予感があった。

 聞いてはいけない、とでもいうような。


「何をやっている、お前たち」

「いやね、お前のお姫様をこいつにも紹介したくて。な、リュート」

「イアン!」


 しまった、とその顔を狼狽に染めてカインツが振り返る。

 その視線の先で、ティリエルの琥珀の瞳が音を立てて凍り付いた。




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