第14話【改】 令嬢、お茶会 2
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改稿しました。フローレアのイメージが大分違うかもしれません。
「ねぇ、殿下なんかやめて俺にしない?」
「ごめんなさい」
本気なんだか冗談なんだかわからない口説き文句に丁重に断りを入れ、フローレアはそっと溜息をついた。
「私は今、仮とはいえ側妃の地位にあります。それを口説くのはあまりよろしくないのではないかしら?」
ちっとも堪えた様子のない騎士を窺い、それに、と付け加える。
「あなたは騎士、殿下は王太子。第一は陛下だとしても、に敬うべき方をそんな風に言うなんて感心しないわ」
「わかってるよ、そんなことは。でも怪しいくない? 離宮で隔離されて育ったなんて」
「――口にして良いことといけないことの区別をつけなさい」
凛とした声に、気圧されたように騎士は黙り込んだ。
予想もしていなかった、という顔で。
確かにフローレアは、どちらかと言うと丁寧な物言いをする。
正確には、そういう風に育てられたから、そういう言葉遣いをするようにしている。
だがフローレアは公爵令嬢だ。
ただの気弱な令嬢ではない。
瑠璃の瞳は鋭く細められたまま、小さな唇が言葉を紡いでいく。
「仮に誰もがそう思っていたとしても、表に出してはいけないことはあるわ。ただ一言が取り返しのない事態を招くこともある」
何の気無しの言葉が、誰かの人生を変えてしまうことだって有り得るのだ。
「あなたは殿下を見て、怪しいと思ったの? それとも経歴だけで判断したの? もし殿下自身を見て、 どうしても殿下に国を任せることができないと思ったなら、手を打つべきかもしれない。でもただ至らないだけなら、改善される余地があるなら、殿下の手が届かない部分は臣下が拾っていくものなの」
何もしていないのに、欠点を論って軽んじるのは、絶対にしてはならないことだ。
握る権力が膨大だから、上に立つ者は有能で立派なことが求められるし、些細な失敗でも喧々囂々の非難を食らう。
力を持つということは責任を負うということで、だからそれは仕方ないことだけど、一国を背負うには王はあまりにも小さいのだ。
だからそれを支えるために、臣下がいる。
確かにどうしようもない昏君というのは存在するし、隠されてきた王太子の資質に疑問符を抱かざるを得ないのもわかる。
それでもフローレアは夜会でアルフレッドを見て、大丈夫だと思ったのだ。
愚かではないし、傲慢でもない。まだ未熟なところも多いだろうが、きっと彼は他人の話に耳を傾けられるひとだ、と。
「なかなか面白いことをお考えになるみたいですし」
それまで黙って聞いていた騎士が、顔を上げてフローレアを見た。
フローレアは一度も口をつけていないティーカップを見詰めて微笑んだ。
いつも通り、愛らしい笑顔で。
「取り繕ってはいるけど、露骨なお茶会ね。台本を書かれたのは殿下?」
「……敵わないなぁ。さすがはフローレア・ローダンセ公爵令嬢」
降参だよ、という風に両手を上げて、騎士は破顔する。
アルフレッドの意向通りの言動とはいえ半分くらいは本当に思っていたことだったので、フローレアの言葉は堪えた。
文句を言うんじゃなくて手伝うのが自分の仕事なのだ。
大した地位ではないから手伝うといっても大きなことが出来る訳ではないが、初めから手を差し延べるひとがいないなら、どんな賢君でも成長するはずがない。
「わかったよ。言われた通り、ちゃんと殿下を見てみることにする」
「そうしてください。結局のところ、本当に信用できるのなんて自分の目くらいなんだから」
幾分さっぱりした面持ちをした騎士に大真面目に頷いて、フローレアは安堵の息をついた。
(よかった)
アルフレッドが王として認められないのは、フローレアの望むところではないのだ。
「でもこんなにあっさり見破られるとは思わなかったなぁ」
「このくらい、わからない方が貴族失格だわ。仮にも王太子妃になるのに素養がなさすぎます」
「まぁ、その通りではあるけど。現王の御世になってからは平和だからね」
「平和なのは良いことだけど、平和ボケしてるか性根が腐ってるかの貴族が増えたわ」
「ボ……腐っ…!?」
「地位に胡座をかいて馬鹿なことを仕出かす貴族を摘発するのは難しいから……陛下や前宰相閣下は、前国王のせいで荒れた国をまとめるのに精一杯だったし」
「た、確かに貴族は尻拭いだけは上手いからね」
「一応、私も貴族なのよ? ……でも三十年前のあの頃に横行した悪事はまだ駆逐された訳ではないわ。それを見つけ出して糾していくのは、きっと殿下の仕事なのでしょうね」
平和な顔をした国の裏にいくつもある黒い噂まで、ラウディオたちの手は回らなかったのだろう。
だから万全の体制を築き上げて、アルフレッドに跡を譲るのだ。
この妃探しもその一貫なのだろう、とフローレアは思っている。
「そのお手伝いができたらいいと、私は思うの」
「だから、来たの?」
フローレアは微笑んだ。
子供っぽさが消えた、綺麗な笑顔だと騎士は思った。
「ついでだからあと一つ訊いてもいい?」
「まだ何かあるの?」
「ううん、単なる好奇心。なんでお茶飲まなかったの?」
さっきまでの空気はどこへやら、好奇心というには彼の瞳に宿る光は些か冷たい。
フローレアは黙って振り向くと、控えていた侍女に下がるよう手で合図した。
一礼した侍女が壁際――つまり話が聞こえないところまで後退する。
フローレアは騎士に向き直ることはせずに、同じようにテーブルについている王太子妃候補たちを見遣った。
「理由は三つあるわ。後宮では、常日頃から口にするものに気をつける、これが一つ目」
ふぅんと、騎士が頷く。
「二つ目は、これが殿下主催のお茶会であること。何らかの仕掛けが施されているとみてまず間違いはないでしょう」
現に、半数ほどの令嬢の様子はおかしい。
大きな声、赤い顔、潤んだ瞳。
見苦しいほどではないが、淑女とはとても言えない醜態を曝している。
(いくら何でもおかしいです。このお茶会の思惑に気付かないくらい馬鹿だったとしても、外面を取り繕うのだけは得意なはずだもの)
お茶か、お菓子か。
何かが入っているとしか考えられなかった。
フローレアは掌を上向けると、囁くように呼んだ。
「ウンディーネ」
その声に導かれるように青い光が瞬き、ふわりと掌の上に浮かぶ。
フローレアの目には、それが妙齢の女性の姿をしているのがちゃんと見えていた。
《こんにちは、フローレア。今日はどんなご用事かしら?》
「こんにちは。このお茶から不純物を取り除いてくれる? 多分何か入っているの」
《お安い御用だわ。……それでさっきから皆呼ばれるのね》
「大忙し?」
《ええ、久々にね》
くすくすと楽しそうに笑って、水精はふわりとカップの縁に降り立った。
覗き込んだ水精の身体から青い光が煌めいて、カップの中に落ちていく。
次いで何かを集めるようにぎゅっと指を握り込むような仕種をすると、表面から水の玉がすいと浮かび上がった。
いくつかの水球は一つに集まって、薄れていく青い燐光とともに消え失せた。
《これでいいわ。あなたの言う通りだったわね》
「そうみたいね。ありがとう、ウンディーネ。何が入っていたかわかった?」
《成分的にはワインと似てたけど、もう少し新鮮な感じかしら》
「ネルの実を搾ったのかしら……?」
《あぁ、あの禍々しい赤色をした葡萄みたいな形の果実ね。それならワインと似てるのも納得だわ》
もともとワインを造るのに使われる果実なのだから、当然といえば当然だ。
搾った時は無味無臭なのが特徴。
つまり令嬢たちは酔っていたのだ。
《じゃあ私は戻るわ。何かあったらまた呼んでちょうだい》
「ええ、ありがとう」
にっこり笑って消えた水精に小さく手を振って、フローレアはティーカップに手を伸ばした。
持ち上げたカップから立ち上った香りに動きを止め、テーブルを見回す。
右隣に座った自分の相手役の騎士の右手前に目当てのものを発見し、カップを置いたフローレアはようやく騎士に視線を戻した。
「塩を取ってもらえますか?」
「三つ目の理由は?」
「え?」
騎士は爽やかにフローレアの要望をスルーして、無邪気に首を傾げた。
「だから、三つ目の理由。教えてくれたら、塩をお取りするよ」
ごまかしが利く目ではなかった。
瑠璃の瞳が瞬いて、諦めるように閉じられる。
後ろを窺うような仕種をして、やがてフローレアは小さな小さな声で言った。
「三つ目――彼女を信用していないから」
騎士は思わず目を瞠った。
それなら侍女を下がらせた理由もわかる。
だが間違いなく、フローレアがサロンに連れて入ってきたのは家から連れて来た侍女だ。
ただ一人、絶対に味方であるはずの侍女を指して、信用していない、というのは。
「彼女の主は、私ではないの」
「じゃあ、誰なの?」
フローレアも、それ以上は喋らなかった。
どちらにしろ、明らかなマイナスポイントであることに違いない。
何故最初に馬鹿正直に三つと言ってしまったのだろう、とフローレアは思った。
今だって、適当に理由をでっちあげればよかったのだ。嘘と冗談と建前は令嬢の十八番。
それでも三つ目の理由を口にしてしまったのは、フローレア自身うんざりしていたからかもしれなかった。
昨日の夜、何やらこそこそと作業をしていたのを知っている。
『フローレア様、今朝方幾人かの部屋に贈り物が届いていたそうですわ。羨ましいことですわね』
そんなことをしたり顔で言って、ばれてないとでも思っているのだろうか。
でもフローレアは、やめてくれと言えないのだ。
フローレアは三大公爵家の長女で、公爵に従順であるように育てられてきた。
ただ公爵家の益となるように、地位を盤石なものとするために。
三公爵様は皆様ご立派ですねと持て囃す周囲の者たちを見て、フローレアは失笑を堪えるのに苦労したものだ。
王の手となり足となり国を支えているなんて嘘。
少なくともローダンセ公爵はそんな殊勝なことを考えていやしない。
「はい、塩。他に何かあったら言って」
「ないです。ありがとう」
――助けてと、言えたら楽になるのだろうか。
ちらりと浮かんだ現実とは程遠い考えに心の中だけで苦笑して、塩を摘み入れたお茶をティースプーンで掻き混ぜる。
フローレアの意志など、願いなど、公爵の前では塵も同然。
意志を曲げられても、願いを黙殺されても、それでもフローレアは家の不利益になるような行動をしない。否、できない。
だから、
今連れている侍女は父が選んだひとで、
彼女の主は父であって自分ではなくて、
小さい頃からずっと面倒を見てくれた侍女を連れて来るのは許されなくて、
今も大好きな侍女は父の手の届くところにいて、
だから自分は、父が選んだ侍女を信じられない自分は、
――――彼女を諌めることができないのだ、なんて。
フローレアには口が裂けても言えないのだった。
次のマリエが難産です……




