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精霊に愛された娘  作者: 宵月氷雨
第一章
12/57

第8話【改】 伯爵令嬢、整理する

10/27改稿。よろしければ読み直していただけると幸いです。




「どうぞ、ティル様」


 ふわりと湯気の立つカップが、音もなくテーブルに置かれた。

 ミルクたっぷりの甘ぁいミルクティーだ。

 すぐに手を伸ばして半分ほどを飲み干し、ふぅと疲れたように息をついた。


「大変でしたねー、ティリエル様」


 先程戻ってきたミモザが苦笑気味にそう言う。

 本当に大変だった、とティリエルは遠い目をした。


「どうして王太子殿下も私なんかを相手に指名したのかしら。……姉様が多少悪く言われてるのくらい放っておけばよかったかなぁ」

「できないでしょう、ティル様」


 悪戯っぽく指摘したサフィリアに、ティリエルは両手を上げて頷いた。

 姉が悪く言われているのを見て見ぬフリをするのは、ティリエルには無理だ。

 しかしアスター派の令嬢たちの諦めは感嘆するほど悪かった。

 何回嫌がらせを回避したことか。

 馬鹿かこいつらは、と言ったのはミーナだったが、彼女が言わなければティリエルが言っていた。

 ティリエルが言えなかったのは、殺気立ってきたサフィリアを抑えるのに忙しかったからだ。

 一度精霊の気配を感じた時などは、さすがのティリエルでも顔が引き攣った。

 サフィリアは問答無用で精霊を無力化し、据わった瞳で、ぞっとするほど綺麗に微笑んで、


『すみません、ティル様。ちょっとあいつら()ってきてもいいですか』


 聖母のように優しい声でそう申し出たのだ。

 あのサフィリアを止められたのは奇跡だ。いっそ無表情な方がよかった。

 王太子がティリエルと踊った後、シエラレオネとフローレア、そしてマリエと、差をつけるためか二曲も踊ってくれたことは僅かの慰めである。

 それでも目を付けられたことに変わりはない。

 証拠に夜会の間中痛いくらいの視線を感じたし、しょっちゅう絡まれた。

 明日からの生活を思うと憂鬱で仕方なかった。


「とりあえず、情報を整理しておきましょうか……。フィー、ミモザ、そこに座って」


 自分の前のソファーを指し示す。

 失礼しますと、躊躇いなく腰掛けたサフィリアとは対照的に、ミモザは困惑した表情で立ち尽くした。


「あの、ティリエル様」

「気にしなくていいわ。掛けて」

「でも」

「ミモザ様、こういった件に関してティル様に常識を説くことは無意味です」


 諦めてお掛けください、と口を挟むサフィリア。

 失礼な、と頬を膨らませると、サフィリアはにっこり笑って謝罪してくれた。

 ……欠片も悪いと思っていないに違いない。


「むぅ……フィー、あのねぇ」

「ミモザ様、お掛けください。話が進みません」

「え、あ、……はい。失礼します」

「………フィー」

「それで、筆頭候補と言われる三人についてですが」

「はい、なんですかー?」

「…………なんかもういいわ」


 得たりとばかりにサフィリアが微笑を閃かせる。

 ミモザがきょとんとしているのだけが救いだろう。

 これでミモザも意図的だったりしたら、ティリエルは引きこもること間違いなしだ。


「では続けさせていただきます。まずマリエ・アスター様について。ちなみにミモザ様は、彼女について何かご存じですか?」

「お父さんとお兄さんにべたべたに甘やかされて育ったらしいこと、くらいですねー」


 何気にばっさり言うミモザである。


「あぁ、ぽいわね」

「見た通りですね」

「お二人とも、遠い目をしてどうしたんですかー?」


 ティリエルとサフィリアは揃って首を横に振った。

 あまりにも捻りがなさすぎる背景に脱力しました、とはさすがに言えない。

 というかこの純粋無垢なイキモノ相手に言いたくない。

 実際にはミモザも騎士であるし、それなりに人生を歩いてきているから純粋無垢というほどではない。

 ただ、周りが妙に個性的すぎる人間ばかりなティリエルにとって、スレていない反応が返ってくるミモザは癒しなのだ。


「こほん。……彼女については概ねその解釈で問題ないでしょう。自らを至上と思いそれを疑わず、褒められ讃えられることを何よりも好むお姫様気質。彼女を溺愛する兄と父が何でも願いを叶えてきたため、思い通りにならないことが嫌いです」

「それ、私見?」

「個人的なものではございませんが、偏りはあると思われます。一応中立派のご令嬢の侍女たちとの情報交換の場で知り得た話ですが、ティル様もご存じの通り中立を自認するご令嬢たちは」

「逆に闘志を燃やす令嬢を良く思わない。……その通りね。何せ私がそうだもの」


 ミモザは口を挟まずにふむふむと聞いていた。

 和む。ものすごく和む。

 思わずにやにやしたティリエルに生暖かい目を向け、サフィリアは静かに立ち上がった。

 簡易の厨房に向かい、ポットを持って戻ってくる。


「ですから、マリエ様を警戒する必要はあまりないでしょう。どうせくだらない嫌がらせくらいしか思い付きません」

「ふぇ!? サフィリアさん、そんなこと言っていいんですかー……」

「はい。苦労するのは標的となるティル様ですから、必要ないことで煩わせるわけには参りません」

「……マリエ・アスターも可哀相に」


 思わず、といった調子でマリエに同情するミモザを横目に、サフィリアの骨張った指がティリエルの横からカップを取り上げ、ポットを傾ける。

 そういえばちょうどおかわりが欲しいと思っていた頃だ。

 音を立てずにソーサーに戻されたカップから、柔らかな紅茶の香りが漂ってきた。

 誘われるように手を伸ばしつつ、わかっているとは思うけど、とティリエルは言う。


「フィー、『くだらない嫌がらせ』でも証拠は処分しないでね。いざという時の脅迫材料にするから」


 弱みは握っておくに越したことはないのだ。

 もう一つカップを取り出して紅茶を注いでいたサフィリアは、ぴきっと固まったミモザの前にそれを置くと、深く頷いてみせた。


「もちろん、完璧に保管しておきます」

「ええ、よろしく。ミモザもよろしくね」

「え? えっ?」

「ミモザ様、嫌がらせの類にはどれくらいまで干渉するように言われていますか?」

「命に関わりそうなもの以外は放って――じゃなかった、教えられません!」

「そうですか、では騎士団によって処分される可能性もありませんね」

「それが懸念事項だったから助かるわね」

「そこは聞かなかったフリしてくださいよ――っ!!」


 ミモザが叫んだ。心からの叫びだった。

 ぜぇぜぇと肩で息をする憐れな護衛騎士ににっこり微笑み、ティリエルは一言だけ告げる。


「慣れなさい」


 ぽかんと口を開けたミモザが、ややあってその実年齢よりも幼く見える顔を複雑そうにしかめた。


「なんか、あんまり慣れちゃいけない気がします」

「それでフィー、次は?」

「フローレア様でしょうか。ミモザ様、何かご存じですか?」

「…………………良識的な方だと聞いていますー」


 ミモザはふて腐れたようにそっぽを向いて答えた。

 ちょっとやり過ぎたかな、とティリエルは反省した。

 苦笑するサフィリアを促し、話を進めてもらう。

 軽く頷きポットを置いて元通り座り直しながら、サフィリアは説明を再開した。


「フローレア・ローダンセ様は筆頭とされる三人の中でも飛び抜けて年若く、大半が彼女を本命と見ています。血筋から見ても資質から見てもまったく問題はありません」

「……まぁ割り込んだ私からすると、マリエ様以外はまともに見えたわ。ミモザは?」

「……………私もそう思います」


 あからさまに話題を振ってみたら、じとっとした目が返ってきた。

 返事をしてくれるだけいいか、と思いつつ、フローレアの姿を思い出す。

 ふわふわした金色の髪にぱっちりした瑠璃色の瞳、ふっくらした頬は薔薇色に染まり、愛らしい笑顔も相まって、抱きしめたくなるくらいかわいかった。

 綺麗と表現するにはまだ子供らしさが抜けきらぬ年頃だ。

 王太子は二十一。筆頭候補たる三人の中で彼より年下なのはフローレアだけ。

 確かに順当にいけば王太子妃はフローレアになる可能性が高い。

 フローレアならいいじゃないか、とティリエルは思った。


「私もそう思っておりましたが、先程彼女の侍女にお会いしまして」


 サフィリアが困ったように眉をひそめる。

 全然困っていないのだろう、とティリエルは思った。


「能力はありそうだったんですが……」


 何でも、ほんの僅か、普通なら気にしないくらいの間違いを嫌味ったらしく指摘したり、遠回しにマリエやシエラレオネのことを貶したりしていたらしい。しかも主の許可を得ているかのような口調で。

 穿った見方をすればですがとサフィリアは付け加えたが、間違いないと確信しているのは明白だった。

 本当にそうだったのだとしたら、フローレアの人物像を改める必要がある。


「フィーの見解は?」

「私はフローレア様もその侍女もあまり存じておりませんが、警戒するとしたら侍女の方のみでよいかと」

「理由は?」

「フローレア様がどんな方であろうと、マリエ様とは違って自ら仕掛けてくる方ではないでしょう。侍女を使うか、取り巻きを使うか……」

「……フローレア様、いつもと連れている侍女が違いました」


 ぽつりと呟きが落ちた。

 ティリエルとサフィリアがぴたりと話をやめ、同時にミモザを顧みる。

 突如訪れた沈黙にびっくりしたように目を瞠ったミモザは、あたふたと両手を振った。


「あああああの、見間違いかもしれません、し……」


 言わなきゃよかったと思っているのが手に取るようにわかったが、聞かなかったフリをするほどティリエルは優しくはなかった。


「それでもいいわ。詳しく教えて」

騎士(わたし)からの情報提供にはいろいろ制限がっ」

「うっかり口を滑らせたのは仕方ないわよ。教えて」

「えーと、その……」

「教えて」


 にっこり笑って繰り返せば、ミモザは観念したように頷いた。


「うぅ……はい。

 フローレア様やマリエ様は立場上よく城に来られるんですけど、あ、シエラレオネ様はあまりいらっしゃいません。お父上に無理矢理連れて来られた時だけで。マリエ様は用があれば必ず、フローレア様は来たり来なかったりで――」


 ティリエルはミモザから見えない角度でそっと拳を握り込んだ。

 深呼吸して自分に言い聞かせる。


(突っ込んじゃ駄目よ……)


 無理矢理言わせたのだ、話がどこへ飛ぼうと付き合うのが筋。

 そんな決意を嘲笑うかのようにどこまでも羽ばたいていくミモザの話に、ティリエルは後悔しきりだった。後半はもはや腹筋との戦いだった。

 違う意味でいっぱいいっぱいのティリエルとは違い、もらえる情報はもらっておこうとばかりに上手く相槌を打つサフィリアの抜け目のなさは賞賛に値する。

 サフィリアが所々挟んでくれた要約をもとに、随分遠回りして寄り道したミモザの話をまとめると、つまりこういうことだ。


 筆頭候補三人は、生家の身分や王太子・王子との歳の兼ね合いから、幼い頃から城に来ることが多かった。

 その中で、シエラレオネはあまり来ることがなかったし、マリエは毎回連れている侍女が違ったが、フローレアの侍女だけは妙に印象に残っていた。

 いつもほんわかと微笑み、慈しむようにフローレアに仕えていた娘。

 何故印象に残っていたかというと、そんな彼女が一度だけ怒った場面に出くわしたことがあるからだ。


『フレア様のお誕生日をご存じですか? 娘の誕生日もご存じでないのに、娘が親の言うことを聞くのはさも当然であるかのように思わないでください。子供を養うのは親の義務であって、それに見返りを求めるのは間違っています』


 詳しいことは知らないし、覚えてもいないが、そう言って背に小さなフローレアを庇っていた。

 本当にフローレアが大事なんだなと、ミモザは思ったそうだ。

 雇い主でフローレアの父であるローダンセ公爵にそう啖呵を切るくらいなのだから。


「フローレア様もその侍女をとても信頼しているように見えたんですけど……確か昼に見た時、違う侍女を連れていた気がするんです」


 長々と語った後、自信なさ気にそう結論を述べ、ミモザはくいっと紅茶を呷った。

 大分冷めていたので火傷はしなかったようだが、緊張していたのだろうか。

 ありがとうございました、と紅茶のおかわりを注ぐサフィリア。

 それを眺めるティリエルの瞳が深い色を帯びる。

 今の情報は興味深い。裏付けを取る必要があるが、その辺は多分サフィリアがやってくれるだろう。

 ティリエルはただ、後宮にいる間にやるべきことに「フローレア・ローダンセと話をする」と付け足した。


「最後はシエラレオネ様だけど……今の感じだとミモザはあまり知らないわね?」

「知りませんし、さすがにもう喋りませんー……」


 ティーカップを両手で持ち上目遣いに答えられ、ティリエルは早々に追及を諦めた。

 言うなればあれだ、小動物。

 ティリエルは自分がそれほど優しくないと自覚しているが、さすがに小動物をいじめるほど優しくなくはない。

 あげる、と紅茶に添えられていたクッキーを渡すと、ミモザは嬉しそうに頬張った。

 本格的に小動物(リス)みたいだ、と思ったのは内緒である。


「シエラレオネ・アザレア。アザレア公爵家きっての才女と有名ですが、あまり社交の場に出ていらっしゃらないので詳しいことはわかりません。表面的な情報として特記すべきなのは【霊才者】として強い力を持つことでしょう」


 丸投げを受けて、サフィリアが淡々と説明していく。


「オルガナ公爵家現当主夫妻とは親しいようですが、その他の交友関係は不明。氷姫とあだ名されることからもわかるようにほとんど笑うことはなく、孤高の華という印象が強いですね」


 三公爵家と称される、アザレア公爵家、ローダンセ公爵家、そしてオルガナ公爵家。

 オルガナ公爵家には年頃の娘がいないために今回の妃選びには不参加だが、二十後半で公爵位を継いだ長男が立派に当主を務め上げていると聞く。

 オルガナ公爵とシエラレオネを頭の中で並べてみようと意味のない努力をしながら、ティリエルは先の夜会を思い出していた。

 マリエに相対したシエラレオネ。

 その、最初から最後まで(さざなみ)一つ立たなかった、冷たい縹色の瞳。


「何を……見てたのかしら」

「ティリエル様? 見てたって誰のことですかー?」

「あ、ううん。何でもないわ」


 思わず口に出していたことに気付き、ティリエルは首を振った。

 来た時から置いてあった時計を見遣る。


「今日はこのくらいにしましょう。ミモザもそろそろ戻らないといけないでしょう」


 同じようにして時間を確認したミモザは、もうこんな時間だったんですかーと立ち上がった。


「フィー、そこまで見送りしてあげて。私はここ片付けとくから」

「承りました。では参りましょうか、ミモザ様」

「えーっと、じゃあお願いします。明日は何時に?」

「その辺のことはフィーに聞いてちょうだい。任せてあるの」

「わかりましたー。では今日は失礼します」

「ありがとう。明日もよろしくね」


 にこっと笑って部屋を出て行ったミモザの後ろをついて行ったサフィリアは中々戻って来なかった。

 もともと散らかっていたわけでもないので、片付けもすぐに終わってしまう。

 サフィリアに限って何かがあったということはないだろうが、一体何があったんだろうと思っていると、ふいにそう離れていない場所に風精(シルフ)の気配が生じた。

 ますます眉をしかめて待っていると、それからほどなくして扉がノックされた。

 返事を返す前に入ってきたのはもちろんサフィリアだ。

 咎めるのも面倒になって、ティリエルはぞんざいに手を振った。


「おかえり、遅かったわね」

「ただいま」

「さっきの風精、フィーでしょう? 何かあったの?」


 尋ねると、サフィリアはひょいと肩をすくめ。


「別に何も。ミモザ様は面白い方だなと思っただけだよ」


 そう言って涼やかに笑った。




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