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精霊に愛された娘  作者: 宵月氷雨
第一章
11/57

第7話【改】 王太子、踊る

10/08 改稿しました。お手数ですが読み直していただけると幸いです。

都合により話数が合っていませんが、スルーしておいてください(笑)




 煌めくシャンデリアの下、色とりどりのドレスを前に、アルフレッドは思った。

 明日の朝食はなんだろう、と。

 今日の朝食は、白いパンが二つとジャムとサラダとベーコンエッグだった。

 今朝のジャムは新作とかで、森にあったイチゴにそっくりな、だけど味がちょっと違う果物で作ったのだという。

 珍しい味で結構美味しい。

 そう言うと、最近料理長が目をかけている若い料理人が嬉しそうに笑った。

 そのフルーツは自分の故郷ではよく食べられていて、ラズベリーというんだと、はきはきとした説明は耳に心地好かった。

 本当に料理人の仕事が好きなのだろう。

 きらきらした純粋な瞳には羨望すら覚えたものだ。


「最初にアルフレッド様と踊るのはマリエ様よ!」

「何言ってるの、フローレア様に決まってるじゃない?」

「シエラレオネ様以上に相応しい方はいないわ!!」


 ――そんな、許容量を超えて現実逃避を選んだアルフレッドのことなど露知らず、見事なまでの三角形に並び喧々囂々と議論を交わす令嬢たち。

 いついかなる時も付け入る隙を与えてはならぬと叩き込まれてきたアルフレッドは、引き攣りそうになる笑顔を顔面筋を総動員して保ちつつ、全速力で頭を回転させていた。


(誰を選べばいいんだ……?)


 始まりは、アスター侯爵令嬢の一言だった。


『殿下はどなたと最初に踊られるのですか?』


 聞くなよそういうことを! と内心で絶叫したのは秘密だ。

 それからは、あっという間だった。

 たちまち数十の令嬢たちは三つに別れ、三つの名前を上げながら当事者たるアルフレッドを置き去りに火花を散らし始めたのだ。

 原因を作ったアスター侯爵令嬢は取り巻きを従えて最前に立ち、ローダンセ公爵令嬢は愛らしい笑みを浮かべながらも自身の取り巻きを抑え、アザレア公爵令嬢は冷たい無表情で後ろから取り巻きを眺めていた。

 だから実際に口論しているのは取り巻きたちだ。

 いい加減うんざりしていたが、次第に激しさを増していくそれは、アルフレッドが相手を選ぶまで続くだろう。

 アルフレッドはダンスが踊れないわけではない。

 だが彼は極度の人見知りだった。人嫌いと勘違いされることもあるほどに。

 それは王太子としては致命的だから、彼の周りのひとたちはいつだって直そうとしてくれた。

 生れつきではない、昔はむしろ人懐っこい子供だったのだから、直ると。

 そう言われてもアルフレッドにそんな記憶はないし、仮にそうだったのだとしても思い当たるきっかけもない。

 結果として彼らの努力は未だ実らず、アルフレッドは新しく誰かと関わることが苦手だった。それが異性とくれば、尚更。


(リーシェがいたら、悩むこともなかったんだが)


 多数の兄弟の中唯一の、正真正銘血の繋がった妹であるリーシェは今日の夜会にも出席する予定だったのだが、体調を崩してしまったのだ。

 故にアルフレッドは困っている。

 最初の相手に指名しても邪推されない娘がいないから。

 これまで離宮から出たことが数えるほどしかないアルフレッドには知り合いなどいないに等しい。

 だからアルフレッドとしては踊ること自体を断りたいのだが、それが許される空気でも、ましてや立場でもない。

 むしろ少数とはいえコレに混ざらず傍観している娘たちから選びたい、とアルフレッドは思ったのだが、ここまできたらそういうわけにもいかないだろう。

 女の戦は恐ろしい、と彼の周囲にいた数少ない男たちは口をそろえたが、まさかそれをある意味社交界デビュー初日に味わう羽目になるとは思っていなかった。

 せめて、と助けを求めて視線を彷徨わせたアルフレッドの耳に、一際高い声が飛び込んでくる。


「大体、マリエ様は侯爵令嬢じゃない。当然公爵令嬢たるシエラレオネ様か、最悪フローレア様に譲るべきだわ! 張り合うことが間違っ――」

「黙りなさい」


 一陣の風が、吹いた。

 比喩ではなく、物理的に。

 それまで姦しく喚いていた令嬢たちが、髪やドレスを押さえて身体を折る。

 ここは室内、窓も閉め切られており、風が吹き込む余地はない。

 けれどこの大陸はトルティージャ。精霊たちの住まう国。

 なれば自ずと答えは出る。

 発生源はアスター侯爵令嬢のすぐ隣――


「ちょっと……いきなり何するのよ!」

「黙りなさいと言ったのが聞こえなかったのかしら」


 食ってかかった娘に向かってそう吐き捨てた少女。

 桔梗色の瞳を怒らせ、まるで姫を守る騎士のようにアスター侯爵令嬢――マリエの前に立つ。


「マリエ様への数々の暴言、謝罪していただきますわ」


 睨みつけられた娘は、及び腰になりながらも反論した。


「あなただってさっきから散々言っていたじゃない! シエラレオネ様や、フローレア様の!」

「勘違いしないでくださる? 私はマリエ様を褒めたたえただけで、お二方に関しては何も言っていなくってよ」

「な……」

「あなたも最初はそうでしたけどね。さっきのは見過ごせませんことよ」


 静まり返った令嬢の中で二人の娘が睨み合う。


(……あーもう勝手にやってくれ。そして放っておいてくれ)


 届かない願いではあるが、アルフレッドは切に思った。

 栗色の髪の少女がどこまでも尊大に腕を組み、しかし真なる怒りの込められた燃えるような瞳で睨みつけた。


「さぁ謝りなさい。跪いて許しを乞いなさい。マリエ様はあなたごときが貶められるような方ではなくってよ」

「――だからといってあなたにそこまで言われる筋合いはないわ!」


責められるアザレア公爵令嬢シエラレオネの取り巻きの娘が逆上する。


「あなた何様のつもりなの!?」

「マリエ様の下僕ですわ。――いいから跪きなさいな」


 再び風が吹いた。

 娘の真上からのみ吹きおろし、力ずくで頭を下げさせようとする。

 さすがに、いくつもの悲鳴が上がった。

 アルフレッドが咄嗟に胸元のペンダントに手を伸ばした、その時。



「お止めなさい」



 冷たい力が、場を席巻した。

 力を相殺された少女がふらつく。

 唐突に風が止み、痛いほどの静寂が満ちる。

 誰もが、ただ一人を見詰めていた。

 ざっと、三角形の一角が割れ、長身の令嬢が進み出てくる。


「いい加減にしなさい。誰の御前と心得る?」


 淡々と、彼女は言った。

 肩口までの茶色の髪と、縹色の瞳。深緑色をした細身のドレスを身に纏い、『氷姫』の名の通り冷たい無表情を浮かべ。


「ですが、シエラレオネ様!」

「私を思って言ってくれたのはわかっているが、最初に非があったのは確かにあなただ。だから謝りなさいと言うつもりだったが」


 氷の瞳がゆっくりと、マリエと取り巻きの少女に向く。


「いくらなんでもそちらもやりすぎだ。お互い様で済むかも微妙なところだが、外ならぬ王太子殿下の御前でもあることだし、それで手を打たないか」


 シエラレオネの取り巻きの娘は唇を引き結ぶと、ぺこりと一礼して下がっていった。

 彼女だけではなく誰の目から見ても、シエラレオネの提案は道理だった。

 これで収まると、誰もがほっとした。

 しかし、相手は予想外に空気が読めなかった。


「何を言っているのかしら? ジャスミンが言ったことは正しいじゃない。お互い様になる筋合いはないわ」


 赤銅色の髪を揺らし、深緑の瞳を煌めかせ、マリエはいきり立つ。

 対照的にシエラレオネの表情は冷めたまま一向に動く気配がない。

 代わりに答えたのは、それまでずっと黙っていた最後の一人――フローレア・ローダンセ公爵令嬢だった。


「例えそうだったとしても、守るべき最低限のマナーというものは存在するわ。ひととして、仮にも王太子妃候補として」


 困ったように眉をひそめ、三人の中で最年少のフローレアはそう諭した。

 マリエは、仕草だけは上品に、それを鼻で笑い飛ばした。


「先にそれを破ったのはあの子でしょう? 愚かだわ。家がどうだろうと世界で一番美しいのは私。王太子殿下に相応しいのも私よ。ジャスミンはそれを教えてあげただけだわ」


 アルフレッドは頭を抱えたくなった。

 彼女が本当に自分たちと同じ言葉を喋っているのかさえ怪しい。

 逆に張り付いてしまった笑顔のまま、口を出すこともできずに成り行きを見守る。

 諦めと恐怖が漂い始める中、フローレアが気丈にも反論した。


「世界で一番美しいのはリリアナ・スカーレットではないかしら?」


 その名前なら、アルフレッドも聞いたことがあった。

 数年前社交界に現れた女神。『傾城の美女』と謡われる女性。

 アルフレッドは見たことがないが、確かに美しいのだろう。

 そうだそうだとフローレアに同調する声が上がる中で、マリエは不愉快そうに顔を歪めた。

 反応したのは忠実な自称下僕、ジャスミンだ。


「何をおっしゃいます。マリエ様に決まっているでしょう? リリアナ・スカーレットはちょっと見た目が良いだけの、取るに足らない女ですわ」


 令嬢たちの顔に紛れも無い憤りが浮かんだ。

 無茶苦茶だと、アルフレッドでさえ思った。

 この女は、絶対妃にしたくない。


「第一ここに来ていない時点でマリエ様に並ぶ資格はありませんわ。負け犬ですのよ」

「――何も知らないくせに、ひとの姉を好き勝手言うのはやめていただきたいのですが」


 新しく。

 混沌とした空気を断ち切るような澄んだ声が響く。

 ジャスミンが驚いたように目を瞠った。


「姉には既に婚約者がおりますし、結婚式も間近です。ここに参るわけがございません」


 かつかつと足音を鳴らし、静かすぎる語気に不釣り合いなほどにこやかに微笑んだ小柄な少女は、三人の間に割り込みマリエの前に立った。


「身内ながら、姉の婚約はとても話題になったので当然ご存じだと思っていたのですが……」


 まさかご存じありませんでしたか? と少女は首を傾げる。

 返事をする(いとま)を与えず、少女はジャスミンに向き直った。


「またお会いしましたね、ジャスミン様。ところで先程、精霊をお呼びになりましたか?」

「……ええ。マリエ様を侮辱した女を跪かせようと思ったの」

「まぁ!!」


 少女は大袈裟に驚いてみせた。


「なんて危ないことを! 誤って殿下がお怪我をされたらどうするおつもりだったんですか?」

「王太子殿下が精霊のせいで怪我をなさるはずがないじゃない!」

「世の中絶対ということはないのですよ、ジャスミン様。私は貴女が罵る彼女よりも、貴女こそが跪いて許しを乞うべきだと思いますけれど」

「なんですって?」


 ジャスミンの低い声に、少女は無邪気に笑った。


「王太子殿下の前でひとを貶めるために精霊を呼び、挙げ句の果てに殿下を危険にさらした。シエラレオネ様が収めてくださったからよかったものの……不敬罪で牢に入りたいのでしたら無理には勧めませんが」


 ジャスミンは沈黙した。せざるを得なかったのだ。

 そうして、唇を噛み締めて崩れるように膝を付き、頭を下げた。

 一人の少女によってもたらされた急展開に頭がついていかなかったアルフレッドは、数拍の間を置いて、


「――良い。牢には入れぬ」


 とだけ言った。

 気付けば、マリエやその取り巻きの大半の姿が消えていた。

 立ち上がったジャスミンも、足早に去っていく。

 うまく言ったわね、と満足げに微笑む少女は、仕事は終わったとばかりにその場を去ろうとした。

 アルフレッドの方を一度も見ようとせずに。


「――よろしければ私と踊っていただけますか、レディ」


 気付けばアルフレッドはそう口に出していた。

 ざわりと動いた空気は批難の気配を宿し、少女は困惑の表情でアルフレッドを見返してくる。


「貴女は少し妹と似ているようだ」


 慌ててそう言い繕うと、緊迫した気配がわずかに和らぐ。

 小柄な令嬢は、やがて緊張からか引き攣った笑みを浮かべた。

 彼女の白く小さな手が、まるで羽のように軽やかに、差し出した手に重ねられる。

 不思議だ、とアルフレッドは思った。

 例に漏れず彼女とも初めて会ったはずなのに、何故か。


「わたくしなどでよろしければ、喜んで」


 一目見た瞬間、アルフレッドは彼女を懐かしい、と思っていたのだ。












 間近で見ると、少女の瞳は琥珀色だった。

 それほど凝ったデザインでもないが質は良いピンクのドレス、柔らかくまとめられた蜂蜜色の髪、控えめに揺れる小さな宝石、それらと不釣り合いな、わずかに覗くくたびれた紅の髪紐。

 質素な装いでも、少女は美しかった。

 落ち着かなげに視線を彷徨わせながらも、決してステップを間違うことはない。

 少女はダンスが上手だった。

 余裕が出てきたアルフレッドは、少女の視線を辿ってみた。

 行き着いたのは、彼の数少ない友人である宰相と懐いてくれている義弟。

 アルフレッドの拍がわずかにずれる。

 はっとしたようにこちらを向いた少女が、気遣わしげに見上げてきた。


「どうかなさいましたか?」

「……いや、なんでもない」


 宰相が何時になく怖い顔をしていたのが気になっただけ。

 頭を振ったアルフレッドは、意図して微笑み少女を見詰めた。


「名は何と言う?」

「ティリエル・スカーレットと申します、殿下」


 少女もにこりと微笑む。

 広い広間だというのに、踊っているのは二人だけ。

 広間中が息をひそめて二人に注目している。

 幾多の思いの込められた視線と音楽だけを友に、二人は踊る。

 不思議と沈黙は気詰まりではなかった。


「恐れながら、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか」


 ふいに、少女がそう言った。曲も終盤に近付いた頃だった。


「なんだ?」

「何故、わたくしだったのですか」


 どうしてだろうとアルフレッドも思った。

 何故懐かしいと思ったのだろうと。

 ただその思いがあったから、アルフレッドは彼女に手を伸ばせたのだ。

 良く言えば極度の人見知り、悪く言えば人嫌いのアルフレッドが。


「強いて言うなら、なんとなくだな」

「なんとなくですか?」

「なんとなく、そなたが良いと思った」


 そうですかと頷いて、少女は考え込むように目を伏せた。

 やがて、楽士団が最後の音を奏で、曲が終わる。

 手を離し、最上級の礼の形を取った少女に、アルフレッドは最後に一言だけ言った。


「そなたは、上手だな。ダンスが」


 嘘偽りない感想だった。

 何の気無しのその台詞は、しかし思わぬ効果をもたらした。

 ぱっと顔を上げた少女の顔が、花咲くように綻ぶ。

 アルフレッドは瞬きもできずに立ち尽くした。

 ほんの一瞬のその笑顔は、アルフレッドが思わず見とれるほど、綺麗だった。




あまりにも改稿の進行速度が遅いので、完結させた中編をつなぎとして上げることにしました。

今日10/08の18時更新予定です。

もしよろしければそちらもご覧ください。

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