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精霊に愛された娘  作者: 宵月氷雨
第一章
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第閑話 とある男の憂鬱

ユーネリアではない国の話。

しばらくは関わってきませんが、勘のいい方は勘づくところがあるかもしれません。


  聞いて、あなたお兄ちゃんになるのよ。


 少し膨らみ始めたお腹を撫でながら、優しい瞳で母はそう言った。

 そうして口早に父のことを語る母は嫌いで。

 言葉少なに弟か妹の話をする母が、とても好きだった。


  お兄ちゃんになるんだから、あなたがこの子を守るのよ。


 おどけた風に真剣を装った瞳がひどくくすぐったくて、あたたかい気持ちになったのを覚えている。


『おれがまもってあげるからね』


 母のお腹に手を当てて、子供なりの真剣な顔でそう誓った。

 まだ見ぬその子が、とても愛おしかった。

 けれど――。


 その誓いは、もはやあなたに届かない。




  ◆  ◆  ◆




「――さま、ご機嫌麗しくていらっしゃる?」

「今日も凛々しくてよ、――さま」


 うるさい。

 内心の呟きを押し隠して、男はにこやかに笑いながら回廊を歩く。

 まだ朝日が昇りはじめた時間だというのにこんな場所にいるご令嬢たちは、さぞかしお暇なのだろうと、思った。


「聞きましてよ。昨日もまた高官の悪事を暴いたそうですわね」

「兄君たちが悔しがっておられましたわ」


 うるさい。うるさい。

 兄のことなど知ったことか。そもそも三人の兄のうちの一人と男は大変仲が良い。悔しがるどころか面白がっているのも知っている。


「今日も朝早くからいらして、感動してしまいますわ」

「素晴らしいお方だと前々から思っていましたのよ」


 うるさい。うるさい。うるさい。

 ありがとうと会釈をしつつ、令嬢たちの前を通り過ぎる。その先の角を折れて、男は足を速めた。

 一刻も早く一人になりたかった。


「もう貴方様が選ばれることは決定ですわね」

「国のために尽くしていらっしゃって素敵ですわ」


 うるさい。うるさい。うるさい。うるさい……!

 かけられる全ての声が耳障りだった。

 それでも男は、そんなことはありませんよと謙遜しつつ先を急ぐ。

 ようやく令嬢たちが入り込めないような場所までたどり着いて、ほっと息を吐いた。

 そのまま唇を噛み締める。

 悪事を暴く?当然だ。だって奴らは俺からあの子を奪った。

 選ばれることは決定?当たり前だ。そうなるように仕向けた。

 全ては愚かなこの国の因習と彼の父がいけないのだ。

 それまで見向きもしなかったくせに、その気になって頭角を現せばへらへらと笑ってごまをする者。いかにも以前から味方だった風を装う者。

 どいつもこいつも虫唾が走る。こんな奴らのせいであの子がいなくなったのかと思うと、あまりの怒りに目の前が真っ赤になった。


「こら、朝っぱらからどうした?落ち着きなさい」


 握り締めた拳を壁に叩きつけようとしていた男は、かろうじて自制して振り向いた。


「……兄上」

「どうせまた私たちのかわいい妹のことだろう?壁を壊すより先にやることがあるんじゃないか?」

「兄上の妹ではありません」

「ああ、お前の義妹だったな」


 この兄と男は腹違いの兄弟だ。そして妹というのは男と父親が違う兄妹。

 兄は男の兄で妹は男の妹だが、兄と妹の間に血縁関係はないということになる。

 兄たちの中で唯一、男が慕っているのがこの兄だった。


「で、何があったんだい?」

「……兄上に話すことでは」

「いいから話してすっきりなさい。そんな顔で入って来られたら、職場の者も驚く。というか恐れる」


 どうやら男はそれは物騒な顔をしているようだ。

 意識して表情を和らげつつ、男はぽつりと一言だけ呟いた。


「誰も彼も、見ていると虫唾が走る……」


 それだけで、この兄は大体を察したようだった。

 尊大に腕を組み、斜に構えて言い放つ。


「この国の貴族なんて所詮そんなものさ。そうではない貴族もいるといえばいるが、少数派だ。父上が、」


 と皮肉げに口端を吊り上げる。


「反対する貴族は中央から追い出してしまったからね。今ではまともな貴族はいても地方だ」

「……あんの愚王が」


 地を這うような低い声で唸ると、兄は大層愉快そうに笑った。


「今さらだろう?それでもお前はそんな者たちの上に立つことを選んだ。権力でも財力でもない、ただ失った家族のためだけにね」

「馬鹿げた因習のせいで家族を殺されたんだ。それに抗う術がないのなら、因習を変えるしかない」

「私だってそう思うさ。だからお前には全面的に協力すると言っただろう?私は表に立つより裏でいろいろやっているほうが性に合っているからね」

「頼りにしていますよ」


 男はふっと頬を緩めた。


「よし、ようやく笑ったな。もう行っていいぞ」

 

 だから男は、この兄のことが好きだ。

 満足そうに頷いた兄にいろいろな意味を込めて深く一礼し、背を向けて歩き去る。

 美しい女たちの笑顔も、耳に心地好い言葉も、男には必要なかった。

 信じるべくは我と我が身、少数の昔から親交が深い者たちのみ。金のためでも権力のためでもないその目的に賛同した数人だけがいればいい。

 男が欲するのはただ一つ、そしてそれはとうの昔に失われたものだったのだから。

 だから男は空を見上げる。男の心の内など知らぬ風に明るい青を宿すその空に、あの日確かにあったはずのものを探して。ずっと昔の霞んでしまいそうな思い出を、大事に胸に抱きしめながら。

 男は今日も空を見上げる。


 ――真っ白な髪が、風に吹かれて静かに揺れた。




ちなみに彼らは四人兄弟で、男は末です。

風習という言葉はうまくはまらなくて今でも悩んでいるんですけど……。

悪い常識というか、昔から続いてきた偏見というか、そんな感じです。

何か良い言葉があったら、是非教えてください。


「因習」に変更しました。アドバイスありがとうございました。

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